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物言わぬ愛玩動物
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朝、いつものようにトーストを二枚オーブンに入れ、戸棚から挽いてあるコーヒー豆を取り出す。ペーパーフィルターをコーヒーメーカーにセットして分量通りの豆と水を入れスイッチを押し、その間にテレビをつけて部屋の窓を開けた。
音もなく部屋から出てきた廉におはようと声をかけるが、聞こえているのかいないのか返事もなくふらふらとテーブルに近づき、椅子に座る手前でひっくり返った。
「廉!?」
幸いにもテーブルに並べていた食器を巻き込むことはなかったが、椅子ごと倒れ込んだまま動かない廉の元へ駆け寄ると、言葉にも成りきらない呻き声をあげながら少し丸まった。
「廉、寝ぼけてるなら、」
腕を引っ張り廉の体を起こす。その腕の熱さに心臓がひやりとした。
「廉、体調悪いの?」
「……ぅ、」
力なく首を横に振るが、既に自分の体を支えきれていないこの状態でこの嘘を見抜けない人間などいないだろう。
ぐったりとしたまま立ち上がろうとしない廉を抱えて部屋に入り、今しがた抜けてきたのであろうベッドに押し込み口元まで布団を引き上げる。
廉はまだかろうじて薄く目を開けているが、起きているのも辛そうなのは見ただけで分かる。
「……あ、さごは……」
「いいから寝ときな。そんな状態で食べられる訳ないでしょ」
起きようとする体を布団に押し戻して体温計を探すべく埃を被っているであろう救急箱を取りにリビングへ戻る。コウ自身風邪を引くようなことも滅多になく、頻繁に怪我をするような仕事でもないので、必要最低限を買い揃えたままもう数年開いていない代物だ。唯一稀に使う頭痛薬だけリビングのテーブルに置きっぱなしになっているので、そうなってしまえばもうこんな重たいだけの箱など開くことはない。
案の定未開封のままで箱に入っていた体温計の包装を破り、電気が付くかどうかだけ確認して廉の部屋に戻る。
布団を少しだけ捲り、少し緩めのスウェットの襟を引っ張ってほぼ無抵抗な廉の腋に体温計を押し込んで体温計が落ちないように腕を押さえる。
無機質なアラート音が響くのにそう時間はかからなかった。
「三十八度五分」
もはやぐったりとしたまま目を閉じて動かない廉の髪の毛を指先ですくように撫でると、遊んだあとの子供のように蒸れた汗が指を濡らした。
夏風邪かとも思ったが、それにしては体温が高すぎる。なにか菌をもらってくるにしても家にいるままの廉が厄介なものを持って帰ってくるとも思えない。思い当たるとすればコウが何か持って帰ったか、廉自身の緊張が緩んだかだ。
「どちらにしろ免疫ないね、アンタ」
先ほどから汗をかかせようと布団を被せているのに、無意識に唸りながら押し退けてしまう。そのせいで離れようにも離れられない。
いっそのこと布団を剥いでも大丈夫なように厚着をさせてみるべきか、とも考えたが、そもそもまだ廉の服を季節分まで用意できていないのだ。季節はまだ朝晩が少し冷え込んできただけの秋の入り口で、只でさえ何に関しても不満一つ言わないこの子供に先回りして冬用の防寒対策をしているわけがなかった。
そんな事を今更悔やんでもどうしようもないが、廉を外に連れ出すきっかけがようやく一つできた。
「いつまでも引きこもってばかりだからこうなるんだよ、この貧弱」
腕時計を確認しようとして腕に何も付けていないことに気づき、まだ朝ご飯すら済ませていないことを思い出す。この状態で放っておくのはいささか心配だが、生憎昨日が休日だったので状況的には休みにくい。職場に馬鹿正直に子供の看病が、などと言えるはずもないし、自分が風邪を引いたなどと言う嘘の申告をして休日に羽目を外して休み明けに体調を崩す駄目な人間だと思われるのも面倒だ。
「(昼に追加で時間休取って一回帰れば……?)」
朝と昼に薬を飲ませておけば数時間程度なら落ち着いた状態で過ごせるだろう。何も廉だって何もできない赤子ではないのだ。精神年齢はどう見ても実年齢に追いついていないが。
兎にも角にも自分のやるべき事も済ませてしまわねば。
「廉、ゼリーなら食べられそう?」
「……、」
薄く目を開いて一つ頷く。まだ買い置きしていた飲料ゼリーが冷蔵庫の中に残っていたはずだ。それを食べさせれば何も食べずに薬を飲むよりかまだ幾分ましになる。
先に冷蔵庫から取ってきたゼリーを廉に渡して自分もリビングに戻り食卓に着く。皿に出したままのパンは完全に冷え切っていて、とても今からバターを付けても溶けそうにはなかった。
諦めてマーマレードを塗りたくり、味わう間もなく一気にかぶりつく。保温のし過ぎでいささか濃くなってしまったコーヒーも一気に喉に流し込んだ。少し悩んだが廉の食事はそのまま捨てて皿をまとめて食洗機に放り込んだ。今日はもうまともな食事は無理だろう。
救急箱の中を漁り、使用期限ぎりぎりアウトの風邪薬を持って再び廉の部屋に戻る。そうではないかと思っていたが案の定ふたを開ける前に力つきていたようで、ゼリーの冷気を利用するかのように頬に当てて寝ていた。
少しぬるくなったゼリーを取り上げてふたを開けてからもう一度手渡す。そのまま廉のベッドに座りゼリーを飲みきるのを待った。
「薬飲んで、今日一日何もせずに寝ときな」
個包装になっている薬を二錠出してゼリーの残りと一緒に飲ませ、マンションの一階にある自販機へ向かうべく一度家を出た。
水とスポーツドリンクを一本ずつ買って、悩んだ末もう一本ずつ買って部屋に戻る。もう出勤時間まであまり猶予は残されていない。早急にこの子供を寝かしつけなくては。
音もなく部屋から出てきた廉におはようと声をかけるが、聞こえているのかいないのか返事もなくふらふらとテーブルに近づき、椅子に座る手前でひっくり返った。
「廉!?」
幸いにもテーブルに並べていた食器を巻き込むことはなかったが、椅子ごと倒れ込んだまま動かない廉の元へ駆け寄ると、言葉にも成りきらない呻き声をあげながら少し丸まった。
「廉、寝ぼけてるなら、」
腕を引っ張り廉の体を起こす。その腕の熱さに心臓がひやりとした。
「廉、体調悪いの?」
「……ぅ、」
力なく首を横に振るが、既に自分の体を支えきれていないこの状態でこの嘘を見抜けない人間などいないだろう。
ぐったりとしたまま立ち上がろうとしない廉を抱えて部屋に入り、今しがた抜けてきたのであろうベッドに押し込み口元まで布団を引き上げる。
廉はまだかろうじて薄く目を開けているが、起きているのも辛そうなのは見ただけで分かる。
「……あ、さごは……」
「いいから寝ときな。そんな状態で食べられる訳ないでしょ」
起きようとする体を布団に押し戻して体温計を探すべく埃を被っているであろう救急箱を取りにリビングへ戻る。コウ自身風邪を引くようなことも滅多になく、頻繁に怪我をするような仕事でもないので、必要最低限を買い揃えたままもう数年開いていない代物だ。唯一稀に使う頭痛薬だけリビングのテーブルに置きっぱなしになっているので、そうなってしまえばもうこんな重たいだけの箱など開くことはない。
案の定未開封のままで箱に入っていた体温計の包装を破り、電気が付くかどうかだけ確認して廉の部屋に戻る。
布団を少しだけ捲り、少し緩めのスウェットの襟を引っ張ってほぼ無抵抗な廉の腋に体温計を押し込んで体温計が落ちないように腕を押さえる。
無機質なアラート音が響くのにそう時間はかからなかった。
「三十八度五分」
もはやぐったりとしたまま目を閉じて動かない廉の髪の毛を指先ですくように撫でると、遊んだあとの子供のように蒸れた汗が指を濡らした。
夏風邪かとも思ったが、それにしては体温が高すぎる。なにか菌をもらってくるにしても家にいるままの廉が厄介なものを持って帰ってくるとも思えない。思い当たるとすればコウが何か持って帰ったか、廉自身の緊張が緩んだかだ。
「どちらにしろ免疫ないね、アンタ」
先ほどから汗をかかせようと布団を被せているのに、無意識に唸りながら押し退けてしまう。そのせいで離れようにも離れられない。
いっそのこと布団を剥いでも大丈夫なように厚着をさせてみるべきか、とも考えたが、そもそもまだ廉の服を季節分まで用意できていないのだ。季節はまだ朝晩が少し冷え込んできただけの秋の入り口で、只でさえ何に関しても不満一つ言わないこの子供に先回りして冬用の防寒対策をしているわけがなかった。
そんな事を今更悔やんでもどうしようもないが、廉を外に連れ出すきっかけがようやく一つできた。
「いつまでも引きこもってばかりだからこうなるんだよ、この貧弱」
腕時計を確認しようとして腕に何も付けていないことに気づき、まだ朝ご飯すら済ませていないことを思い出す。この状態で放っておくのはいささか心配だが、生憎昨日が休日だったので状況的には休みにくい。職場に馬鹿正直に子供の看病が、などと言えるはずもないし、自分が風邪を引いたなどと言う嘘の申告をして休日に羽目を外して休み明けに体調を崩す駄目な人間だと思われるのも面倒だ。
「(昼に追加で時間休取って一回帰れば……?)」
朝と昼に薬を飲ませておけば数時間程度なら落ち着いた状態で過ごせるだろう。何も廉だって何もできない赤子ではないのだ。精神年齢はどう見ても実年齢に追いついていないが。
兎にも角にも自分のやるべき事も済ませてしまわねば。
「廉、ゼリーなら食べられそう?」
「……、」
薄く目を開いて一つ頷く。まだ買い置きしていた飲料ゼリーが冷蔵庫の中に残っていたはずだ。それを食べさせれば何も食べずに薬を飲むよりかまだ幾分ましになる。
先に冷蔵庫から取ってきたゼリーを廉に渡して自分もリビングに戻り食卓に着く。皿に出したままのパンは完全に冷え切っていて、とても今からバターを付けても溶けそうにはなかった。
諦めてマーマレードを塗りたくり、味わう間もなく一気にかぶりつく。保温のし過ぎでいささか濃くなってしまったコーヒーも一気に喉に流し込んだ。少し悩んだが廉の食事はそのまま捨てて皿をまとめて食洗機に放り込んだ。今日はもうまともな食事は無理だろう。
救急箱の中を漁り、使用期限ぎりぎりアウトの風邪薬を持って再び廉の部屋に戻る。そうではないかと思っていたが案の定ふたを開ける前に力つきていたようで、ゼリーの冷気を利用するかのように頬に当てて寝ていた。
少しぬるくなったゼリーを取り上げてふたを開けてからもう一度手渡す。そのまま廉のベッドに座りゼリーを飲みきるのを待った。
「薬飲んで、今日一日何もせずに寝ときな」
個包装になっている薬を二錠出してゼリーの残りと一緒に飲ませ、マンションの一階にある自販機へ向かうべく一度家を出た。
水とスポーツドリンクを一本ずつ買って、悩んだ末もう一本ずつ買って部屋に戻る。もう出勤時間まであまり猶予は残されていない。早急にこの子供を寝かしつけなくては。
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