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彼を含む”大人”について
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つばの大きな帽子をかぶって半分ほど消えた視界の中で、わき目もふらず歩いていくコウの背中を追いかける。
風邪を引いたときに厚着する物がなかったのを気にしていたのか、コウは大きなショッピングモールに入るなり片っ端から服屋を覗いては数枚見繕った服と共に廉を試着室へ放り込んだ。
「着た?」
カーテンの向こうから聞こえる声に慌ててカーテンを開ける。薄手のシャツに合わせたニットの上着、きつくもなく緩くもない適度にフィットしたカーゴパンツ。長いこと自分で服を買うということをしていなかったので、これが良いものなのかどうかは分からないが、恐らくセンスはいいのだろう。
「ん、サイズは合ってるか。じゃあ次これ」
またもや数枚の服を手渡して先ほど脱いだばかりの服を回収していく。もうかなりの枚数着せかえ人形になったはずなのだが、これは一体いつ終わるのだろうか。
「(……お腹空いたなあ)」
先程着たばかりの服を脱いで床に軽く畳んで置き、渡された服をまた一から着直す。先程から胃は空腹を訴えていたのだが、コウの全く隙がない動きに言い出せないままでいたのだ。
一日一食食べるか否か。むしろまともな食事より他人の体液を接種した方が多いのではないかという生活をしていた頃は、それでも空腹を感じないほど感覚が麻痺していたのに、生活が変わって一週間。もう既に体は一日三食食べることを当然だと思っていて、食事の前に手を合わせることが日常に追加されていた。
環境が変わると言うことはある意味恐ろしい。今までなら耐えることが出来たことが、少しずつ耐えられなくなっていく。
「廉、着替えた?」
物思いに耽っている間にコウが帰ってきたようで、再びカーテンの向こうから声が届く。カーテンを開けると、そこには財布を持ったコウと笑顔の店員が並んで立っていた。
「これも良いか。追加でお願いします」
「かしこまりました。では先にタグを切らせてもらいますね」
背後に回ってきた店員が首と腰に付いていたタグを切って取り外す。着て来た服はコウが回収して持っていた鞄に詰めた。
「……?」
「今日はそのままそれ着な。少し冷える」
厚手のパーカーとチノパン。確かに今日着てきた服よりはいくらか暖かい。しかしここに来るまでにもう随分と服を着せられたような気がするのだが、それらがどうなったのかは分からないままだ。
何も言わずにレジに向かったコウの背を追いかける。そこには廉の身長の半分はあるであろう紙袋がふたつ並んでいた。
「一回車に戻るよ」
笑顔の店員から紙袋を受け取り、人が行き交う通路を誰ともぶつかることなく縫うように歩いていく。それを見失わないようにと早足で追いかけているうちにふと足が止まった。
「(今、なら)」
逃げられるかもしれない、と。そう思った瞬間心臓が狂ったように脈打ち始めた。
彼は優しい。けれど”奴隷”として自分を買った。以前よりも良い生活をさせてくれるけれど、彼は廉を性欲処理だと言って自分の意志など関係なしに犯してくる。
彼は、コウは、大人だ。大人はみんな自分を苦しめる。
「……ぁ、」
コウが振り向かないうちに自分を縛るブレスレットだけ捨てて、追いかけてこられないほどに遠くへ逃げて、そうすれば。
「……ま、って」
違う。
この世界のどこへ逃げたって、自分が苦しまない場所などない。いつまでも苦しいままで、どこへ行っても辛いままで。けれどコウの家にいるほんのわずかな間、ご飯を食べて、テレビを見て、コウの帰りを待つだけのあの些細な時間は、苦しくなかったのだ。
それなのに、彼の元を離れてそれ以上に良いことなどあるのだろうか。
「廉、はぐれるからちゃんと付いてきな」
こちらの声など届かなかっただろうに、不意に振り返ったコウは人の波に呑まれそうになっていた廉を見つけるなり大股で引き返した。
「……廉、こら、聞いてるの?」
呆然としたまま動こうとしない自分を見かねてか、両手に持っていた紙袋を片手に持ち直してもう片方の手で廉の手を握る。
「……ご……め、んなさい」
引きずられないように必死に足を動かしてコウに付いていく。
「まあ別に、そのための”首輪”だから良いんだけどさ」
繋いでいる手をコウが少し振る。その反動でブレスレットが少し回った。
このブレスレットを首輪として繋がれている限り、廉はコウから逃げられない。そうであると同時に、コウは廉を見失わない。
――廉、ごめんな。
さんざん自分を利用して、自分の立場が悪くなっていらなくなったら捨てた”あの人”の最後の言葉がふと脳裏をよぎる。でもそんなことはずいぶんと昔にもうどうでもよくなった。
このブレスレットがある限り、自分の人生はこれ以上転がることはない。
今は、それだけでいい。
風邪を引いたときに厚着する物がなかったのを気にしていたのか、コウは大きなショッピングモールに入るなり片っ端から服屋を覗いては数枚見繕った服と共に廉を試着室へ放り込んだ。
「着た?」
カーテンの向こうから聞こえる声に慌ててカーテンを開ける。薄手のシャツに合わせたニットの上着、きつくもなく緩くもない適度にフィットしたカーゴパンツ。長いこと自分で服を買うということをしていなかったので、これが良いものなのかどうかは分からないが、恐らくセンスはいいのだろう。
「ん、サイズは合ってるか。じゃあ次これ」
またもや数枚の服を手渡して先ほど脱いだばかりの服を回収していく。もうかなりの枚数着せかえ人形になったはずなのだが、これは一体いつ終わるのだろうか。
「(……お腹空いたなあ)」
先程着たばかりの服を脱いで床に軽く畳んで置き、渡された服をまた一から着直す。先程から胃は空腹を訴えていたのだが、コウの全く隙がない動きに言い出せないままでいたのだ。
一日一食食べるか否か。むしろまともな食事より他人の体液を接種した方が多いのではないかという生活をしていた頃は、それでも空腹を感じないほど感覚が麻痺していたのに、生活が変わって一週間。もう既に体は一日三食食べることを当然だと思っていて、食事の前に手を合わせることが日常に追加されていた。
環境が変わると言うことはある意味恐ろしい。今までなら耐えることが出来たことが、少しずつ耐えられなくなっていく。
「廉、着替えた?」
物思いに耽っている間にコウが帰ってきたようで、再びカーテンの向こうから声が届く。カーテンを開けると、そこには財布を持ったコウと笑顔の店員が並んで立っていた。
「これも良いか。追加でお願いします」
「かしこまりました。では先にタグを切らせてもらいますね」
背後に回ってきた店員が首と腰に付いていたタグを切って取り外す。着て来た服はコウが回収して持っていた鞄に詰めた。
「……?」
「今日はそのままそれ着な。少し冷える」
厚手のパーカーとチノパン。確かに今日着てきた服よりはいくらか暖かい。しかしここに来るまでにもう随分と服を着せられたような気がするのだが、それらがどうなったのかは分からないままだ。
何も言わずにレジに向かったコウの背を追いかける。そこには廉の身長の半分はあるであろう紙袋がふたつ並んでいた。
「一回車に戻るよ」
笑顔の店員から紙袋を受け取り、人が行き交う通路を誰ともぶつかることなく縫うように歩いていく。それを見失わないようにと早足で追いかけているうちにふと足が止まった。
「(今、なら)」
逃げられるかもしれない、と。そう思った瞬間心臓が狂ったように脈打ち始めた。
彼は優しい。けれど”奴隷”として自分を買った。以前よりも良い生活をさせてくれるけれど、彼は廉を性欲処理だと言って自分の意志など関係なしに犯してくる。
彼は、コウは、大人だ。大人はみんな自分を苦しめる。
「……ぁ、」
コウが振り向かないうちに自分を縛るブレスレットだけ捨てて、追いかけてこられないほどに遠くへ逃げて、そうすれば。
「……ま、って」
違う。
この世界のどこへ逃げたって、自分が苦しまない場所などない。いつまでも苦しいままで、どこへ行っても辛いままで。けれどコウの家にいるほんのわずかな間、ご飯を食べて、テレビを見て、コウの帰りを待つだけのあの些細な時間は、苦しくなかったのだ。
それなのに、彼の元を離れてそれ以上に良いことなどあるのだろうか。
「廉、はぐれるからちゃんと付いてきな」
こちらの声など届かなかっただろうに、不意に振り返ったコウは人の波に呑まれそうになっていた廉を見つけるなり大股で引き返した。
「……廉、こら、聞いてるの?」
呆然としたまま動こうとしない自分を見かねてか、両手に持っていた紙袋を片手に持ち直してもう片方の手で廉の手を握る。
「……ご……め、んなさい」
引きずられないように必死に足を動かしてコウに付いていく。
「まあ別に、そのための”首輪”だから良いんだけどさ」
繋いでいる手をコウが少し振る。その反動でブレスレットが少し回った。
このブレスレットを首輪として繋がれている限り、廉はコウから逃げられない。そうであると同時に、コウは廉を見失わない。
――廉、ごめんな。
さんざん自分を利用して、自分の立場が悪くなっていらなくなったら捨てた”あの人”の最後の言葉がふと脳裏をよぎる。でもそんなことはずいぶんと昔にもうどうでもよくなった。
このブレスレットがある限り、自分の人生はこれ以上転がることはない。
今は、それだけでいい。
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