Dracaena fragrans cv."Massangeana"

青葉えめ

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其れは情か愛か

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 いつも通りコーヒーメーカーに豆をセットし、パンを二枚トースターに入れる。ニュースは朝から秋に珍しい寒波が来るという話題で持ちきりだった。地域によっては積雪になるレベルの物らしいが、都市部に住んでいる自分には関係のない話だ。それよりも経済や政治の話をしてくれないものか。
 トースターの中のパンが焼ける直前になったところで一枚に指先ほどの大きさに切り取ったバターを落とす。最近は冷えてきたせいで焼き上がりに落とすだけでは溶けきらなくなってしまった。
「……お、はよう……ござい、ます」
 目を擦りながら部屋から出てきた廉が覚束ない足取りで椅子に座る。どうも寒いのが苦手なのか、ここ数日はずっとこんな様子だ。スウェットの裾をかかとで踏み、両手は袖の中に仕舞っているか股の間に挟んでいるかのどちらか。寝起きも少し悪くなっているような気がするが、それはこの家での生活に慣れたのもあるのだろう。朝から緊張した顔で過ごすことはなくなっていた。
「(……少しは落ち着いた、か?)」
 狼と束になって廉を犯して数日、廉は常に何かに怯えるように挙動不審だった。こちらが手を伸ばせば一歩引き、腕を掴めば硬直し、名前を呼べば体をびくつかせた。夕食が終わった後も中々部屋に戻ろうとせず“その時”を待ち構える囚人のような顔でこちらを伺っていた。
 廉にとって何か、地雷にも近い嫌なものを思い出させてしまったのだろう。その態度を咎めることなど出来なかった。狼に腹が立っていたとはいえ普段と違う苦痛を与えたのはコウ自身だ。
「バター?」
「じゃ、む……つけます」
 ふる、と力なく首を横に振り、机の上に置いているジャムの籠を手前に引き寄せる。最近のお気に入りなのかりんごジャムを取り出して籠を戻し、カトラリーケースからスプーンを取り出した。そこで目の前にパンが無いことに気付いたのか、慌てて皿を持ってキッチンへと入ってきた。
 廉の皿と自分の皿に一枚ずつパンを置き、コップにコーヒーを注いでテーブルに戻る。ニュースは人気芸能人の熱愛報道に切り替わったようで、画面に大量のハートマークが溢れていた。
「いただきます」
「い、ただきます」
 バターが染み渡ったパンにかぶりつき、流し込むようにコーヒーを口に含む。いつもこの時間に何か会話をするということはないので、テレビの音が鳴り響いている割に部屋は静かだ。
「……」
 そもそも、最初から自分達に最初から顔を突き合わせて会話をする時間など、ほとんど無かったのだが。
 そのまま朝食を食べ終わり、皿をまとめて食洗器に放り込んで軽く後片付けをしてからノートパソコンとスマホを机に置く。廉はテレビの近くに寄ってチャンネルをいじり始めた。
「(新規事業二件と、融資が一件)」
 まだ生まれたての株をまとめて買い、経営が危ないと愚痴を言っていた会社の株を半分売りに出す。目が眩むほどの金額が動き、いつも通り最後はプラスで終わらせた。
 本来、会社の内部事情を知ることができる銀行員は株に手を出してはならない。しかしこんな魅力的な稼ぎ方、一度味を占めてしまえば最後、やめられなくなってしまった。同一人物だとばれないように裏でこっそり戸籍を買い、それに準ずる身分証明も取りそろえた。この国は金を払えば本来その存在が無くても架空の人間を証明することができる。厳しい割に金があればどうでもいいのだ。
 軌道に乗りそうな株は早めに買い、金額が膨れ上がったところで数回に分けて手放す。逆に衰退するしかなくなったものは高いうちに一気に手放してしまう。普通の人間よりも先にそれを知ることができる自分だからこそ出来る芸当だ。
 処理をすべて済ませてノートパソコンを鞄に仕舞い、スマホをポケットに入れて上着を羽織る。
「じゃあ、行ってくるから」
「……いって、らっしゃい」
 玄関まで付いてきた廉がドアの鍵を閉める音を聞いてから会社に向かうために歩き出す。ここからは何の害もないただの一般人の時間だ。何も知らない顔で、夢の為に力と金を貸す優しい人間の出番。
 「(中身はただの化け物だけど)」
 車の中で荷物を助手席に置いてシートベルトを締めようとしたところでスマホが震え、着信を知らせる。仕事用のスマホは着信音が鳴るように設定しているので、音が鳴らないという事は。
『グッモーニンコウ!』
「三秒以内に要件言わないと切る」
『ああ待ってよ、つれないなあ』
 予想通りの耳障りな声にやはり出るべきではなかったかと一瞬後悔する。普段朝は寝ているはずの狼がこの時間に電話をかけてくることが珍しくてつい用件を聞くまでの猶予を与えてしまった。
『そうそう、僕も奴隷買ったからさ、今度見せるね』
「……は?」
 奴隷を買った。今狼はそう言ったか。
『百だよ百! 安かったからつい。でもこれがなかなか厄介でさあ、廉くんみたいに大人しくしてくれないんだよ』
「アンタ安物買いの銭失いって言葉知ってる?」
『いや外れだったら別に、処分で良いじゃん。その時はまた次探すし』
 平然と放たれた言葉に背筋が凍る。奴隷と言えど人間であることに変わりはないのに、まるで捕まえた虫をそのまま籠の中で放置して殺してしまったとでもいうかのような軽さだ。
 そして彼にはそれが”どうして駄目なことなのか”が分からない。分からないから罪悪感も覚えないし、他人の痛みもどうでもいいし、気に入らなければ平気で相手を傷つける。
『それでさ、ちょーっと奴隷のしつけをしてほしくて』
「それくらい自分でしたらどう?」
『僕も廉くんみたいな使い勝手が良いやつが良いの!』
 身勝手な言葉の羅列に思わず頭を抱える。この男に廉を使わせたのは間違いだったかもしれない。元々自分が許可したわけでもなく勝手に侵入して勝手に混ざってきただけなのだが、そうだとしても跳ね除けておくべきだった。
「ああうるさい、分かったから……!」
 これ以上彼の常軌を逸した言葉を聞くことが面倒で勢いに任せて通話を切る。早く車を出さなければ遅刻してしまう。
 前言撤回。自分は化け物だが、ここまでおぞましいいきものではない。
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