Dracaena fragrans cv."Massangeana"

青葉えめ

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明日を夢見た孤独な獣

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「……お世話に、なります」
 首に大仰な鉄の首輪を付けた男が力なさげに首を下げる。その憔悴しきった姿と新たな大人という事に怯えたままこちらに寄ってこない廉に思わず頭を抱えそうになった。
 話は十数分前にさかのぼる。
「これこの間言ってた奴隷、名前はポチ! うるさいからずっと躾けてたんだけどなんか上手くいかなくてさ、二日くらいそっちで面倒みてくれない?」
 仕事が終わって家に帰った数分後に鳴らされたチャイムを無視したものの突撃してきた狼が、いきなり手元に掴んでいた男を玄関に転がす。
「それを当日に言う馬鹿がどこにいるの」
「お前より馬鹿じゃないけどここにいるねえ」
 そんな雑な扱いを受けたにも関わらず起きあがろうともしない男……狼が付けた名前が馬鹿らしくて呼ぶのも嫌になるがポチと呼ばれたその男は少しして自分の身を守るように体を丸めた。
「……飯は」
「うるさいから罰だよって抜いてたからそんなにあげてないかも」
「風呂は」
「ペットっていっても人間じゃん、勝手に入ってるでしょ」
「……ああそう、もういい。アンタのやり方に口出すほど俺も暇じゃない」
 預けると狼が言うのであればもう何を言っても聞かないだろう。その手間が面倒でさっさと引き受けて狼を家から追い出した。
「ああそうポチ、プログラム変えてるからこのおうちから逃げようとしても無駄だよ」
 狼が思い出したようにドアの隙間から玄関を覗き込み手に持っていた小さな機械を弄ると、うずくまっていた体が突然びくりと震える。
「っ、あ、や! ごえ、なさいっ」
 どういう躾をしてきたのか、息を荒げてひたすら謝り始めたポチをしばらく楽しそうに眺めてから再び手元で機械を弄り、ぐったりと体を投げ出したままのポチに見向きもせずに去って行ってしまった。相変わらず狼の趣味は自分には理解できない。
「……アンタ、名前は?」
「……、」
 うつろな目がほんの少しだけ動いてこちらを見る。しかし何かを言う元気もないのか、そのまま目を閉じてしまった。これは想像以上に衰弱しているかもしれない。
「廉、おいで」
 未だに部屋の隅に隠れている廉を呼ぶと一瞬信じられないようなものを見る目で嫌がったが、ポチが動かないことを注意深く確認してからようやく寄ってきた。
「俺は先にご飯用意するからその間見といて」
「え、と」
「あと起きたら水飲ませといて」
 ペットボトルの水を冷蔵庫から取り出して廉に渡し、冷凍の小分けにしてあるごはんと調味だしを取り出す。衰弱しているとはいえ味気ないお粥まで崩すほどでもないはずなので、間をとって卵雑炊を作ることにした。
 廉は相変わらず少し距離を保ったままポチを眺めていたが、雑炊が出来上がるころには傍で座り込んでいた。
「起きた?」
「さっき、ちょっとだけ……」
 雑炊を机に置いて様子を見に玄関まで戻ると、目こそ閉じたままだったものの腹の虫が盛大に鳴った。笑い声を耐えきった自分を褒めてほしかったほどの素直さだ。
「ねえアンタ、起きれる?」
「……ぅ、」
「雑炊作ったから、食べられるなら自分で動きな」
 ゆっくりと体を起こして壁伝いに歩くポチを後ろから追いかける。椅子に座らせたものの不審そうな顔で手を付けようとしない。それに腹が立ってレンゲを取り、一口分すくってコウの少し後ろにいた廉に差し出す。
「廉、あーん」
 一瞬何が起きたのか分からないといった風にコウを見上げたが、すぐに大人しく口を開いてレンゲを口に入れた。
「アンタが食べないなら全部こっちに食べさせるけど」
「……」
「変な意地張らないで食べたら? 狼にどういう扱い受けたか知らないけど、そこまで怯えられると逆に面倒」
 廉の口から引き抜いたレンゲを再び鍋に置き手を離す。ポチは震える手でゆっくりとレンゲを掴み、ほんの少しだけすくって口に入れた。
「……!」
 次の瞬間今までのしおらしさはなんだったのか、と言うほど勢いよく食べ始めたポチがあっという間に鍋を空にするまで眺める。雑炊という気遣いすら無用なほどに食欲は残っていたらしい。
「……コウさん」
 後ろで同じように眺めていた廉が物欲しそうな顔で空になった鍋とコウを交互に見る。
「……廉も雑炊にする?」
「は、い」
 先ほどの一口がよほど気に入ったのか嬉しそうに顔をほころばせる。晩ご飯に雑炊だけはとてつもなく質素になってしまうような気がしたので、自分たちのご飯は具を多めに使って胃にたまるように手を加えた。念のためと二人では食べきれない量で大目に作ったが、ポチはそれも綺麗に平らげてしまった。
「少しは元気になった?」
「……あの、ありがとうございました。三日ぶりに、まともなもの食べたので……」
 ようやく会話をこなせるほどの元気を取り戻したのか、先ほどより幾分か血色の良くなった顔で使い終わった食器を流しに運ぶ。基本的なことはできているようだが、狼は一体彼の何が気に入らないのか。
「あの馬鹿の言う事はあんまり逆らわない方が良いよ。やればやるだけ逆上するタイプだから」
「……あの、これの外し方分かりますか」
「は?」
 首に付けられている鉄でできた首輪を指差す。
「これのせいで逃げようと思っても電気を流されるからうまく逃げられなくて、だからあいつがいない今がチャンスなんです」
 一瞬で理解してしまった。安かったといえど金を出して買った奴隷がいつまでもこんなに積極的に逃げようとするなら、狼は何の抵抗もなく躾と称して痛めつけるだろう。抵抗するという意思を完全に削ぎ取るまで、人として生きるという概念すら失うまで執拗に、それこそその過程で死んでしまうとしても。
 それを仕方ないから次を探すと言い切るのが、狼の恐ろしいところだ。
「……アンタ、名前は」
「鮫川翔平です、ポチなんて名前じゃない」
「ああそう、それで翔平くん」
 ポチ、もとい翔平の胸ぐらを掴んで足を払いそのまま床に叩きつける。しばらく何が起きたのか分かっていないようで目を丸めていたが、ようやく今の状況に気付いたようで息を呑んだ。
「狼は無理だけど俺ならこき下ろせると思った?」
「あ、ちが」
「残念ながら俺も奴隷を飼ってる狼と同じ化け物だからね、アンタのお願いは聞いてやれない」
 翔平の視線が廉の方へ動く。先ほどの物音に驚いたのかキッチンを覗き込んでいた廉はその視線に慌てて身を隠した。
「ッアンタあんな小さい子を!」
「廉は良い子だよ、喚かないし言ったことは守るし、なにより馬鹿じゃない」
 暴れ出した体を抑え込み、淡々と言葉を続ける。躾、ではないが廉よりもよっぽど馬鹿な脳には少しばかり刺激が必要かもしれない。
「だから俺は廉を躾ける必要がない。殴らなくても良いし、仕置きに飯を抜かなくていい」
「……っ」
「アンタは目先の逃げることだけに必死みたいだけど、立場に胡坐かいてる奴をしおらしいふりして懐柔する方が俺はよっぽど賢い選択だと思うね」
 暴れていた体がぴたりと止まり、威嚇する獣のような目がただひたすらに自分を睨む。しかしこちらの言葉は少なからず効いたようで、それ以上暴れることはなかった。
「二日で狼を怒らせないやり方を叩き込む。アンタは今後無駄に苦しい思いしなくて済むし、俺は躾がうまくいったことで狼に貸しを作れる。どう? 悪い話じゃない」
 瞳の強さが揺らぐ。生まれながらにして自尊心をへし折られた廉と違い、彼はきっと不慮の事故のようなものでこの世界へ来てしまったのだろう。現状を理解できていないわけではないが、全てを諦められるほど心が死にきっていない。
「そうしてくれると俺は助かるんだけど」
 これは賭けだ。まだ死んでいないこの生意気な男なら、廉の心は揺らぐかもしれない。本来の立場を思い出し、逃げなければいけないという本能を呼び覚ますためのきっかけになりうる貴重な存在だ。
「……最低だな、あんた達」
「否定はしない」
 自分は化け物だ。廉には神か仏のように見えたかもしれないが、他でもない同じ立場の翔平がコウを糾弾し続けてくれれば、少なくとも誰からも見て良い人にはならなくなる。その程度でも十分な刺激だ。
 抑え込んでいた翔平の体を離し、シンクに残したままの洗い物を軽くすすいで食洗器に放り込む。鍋は流石に入れることができないので手で洗って定位置に戻した。
「アンタがどうなろうが俺は知った事じゃないけど、さすがに見知った人間がいつの間にか死んでました、なんて言われるのは寝覚めが悪いからね」
「え、」
「狼は必要なければ殺すよ。むしろよく今まで生きてたね」
 顔を青ざめさせた翔平の横を通り過ぎて心配そうにこちらを伺う廉を抱える。
「ベッドは廉の部屋のを使いな。風呂は好きな時に入っていい、タオルは籠の中、着替えは明日まで待てば用意する。俺たちはもう寝るから、おやすみ」
 抱え上げられたまま体を固くした廉をさっさと自室に持ち帰る。仕事が終わった時まではまだ月曜日なのでそこまで疲れがたまっていないと思っていたはずなのに、とんだ誤算だ。
「……コ、さ」
「昨日の今日だけど……良いよね?」
 酷く疲れた。今日くらいは五百万の投資を有意義に使っても誰にも怒られないだろう。
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