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しおりを挟む「エイリ、この後の会議に出るように」
「は・・・?」
ある朝、いつもと同じようにヴァルゼウスの服を準備しているところにザルヴァンがやってきてそう言った。一体何のことだと聞いても、王がそう望んでいるということしか教えてもらえない。
やむなく少しだけ服を正して会議の部屋に入った。促された席はヴァルゼウスの隣である。とんでもないと壁際に置かれている椅子を指さしてもザルヴァンに首を横に振られた。
せめて出席者にお茶でも淹れようかと席を立とうとするも阻止され、エイリは途方に暮れる。
(俺、ここにいる意味ある?)
会議が始まっても、ヴァルゼウスは特に手伝って欲しいことがある様子もなく、エイリはただヴァルゼウスの横で居心地悪くじっと座っていた。いくら役に立ちたいと思っても、仕事についてはからっきしである。サポートどころか、何を言っているのか理解することすらできない。
落ち着かなさげにそわそわしているエイリに、ヴァルゼウスが視線を向けた。
《私の仕事には興味がないのか。取り入りたい事情でもあるのかと思っていたが、やはり違うらしいな。》
そんなことを思われていたなんて心外だ。
(こっちは憧れのあなたが少しでも喜んでくれたらと思ってやってんのに・・・。)
ふうと一つため息を吐き、エイリは早く会議が終わることを願った。
《それにしても、あいつ、先ほどから挙動が怪しい。何を企んでいる。》
聞こえてきた声に咄嗟に視線を巡らせる。ヴァルゼウスが見つめていたのは先日新しく北方の領主となったルグランだった。エイリもじっと凝視するが、普通に領土について述べているだけで、何が怪しいのかさっぱりわからない。
視線を隣のヴァルゼウスに戻すと、ばっちりと目が合った。驚いて思わず肩を揺らす。
《エイリもあいつを見ていた?気づいたのか?まさか二人で何か企んでるんじゃないだろうな。》
どうやら疑いは完全には晴れていないらしい。目を逸らすのも余計に怪しいかと思い、困った顔のまま少し首を傾げた。
《クソ、可愛い顔をするんじゃない。》
「うぇっ?!」
あまりの驚きに声が漏れてしまった。会議に出席している皆からの視線が一気に集まり、慌てて「なんでもないです」と首を振ってすぐに顔を伏せる。
(い、いい今、俺のこと可愛いって言った?!)
心臓がばくばくと脈打ち、顔が火照った。これ以上不審な行動をしたくないのに、勝手に体がもじもじと動いてしまう。隣のヴァルゼウスからの視線を感じていたたまれない。耐えられず目をぎゅっと瞑り、手元の資料で顔を隠しながら時が過ぎるのを待った。
ようやく会議が終わり、ヴァルゼウスが立ち上がる。ザルヴァンが脇につき、エイリは二人の後ろを少し離れて歩いた。
《まだ2時か。茶の時間まで少し間があるな。》
ヴァルゼウスの心の声に、エイリは心の中で頷いた。
「ヴァルゼウス様、ザルヴァン様、俺は一旦自分の仕事に戻りますね」
執務室の前でエイリがお辞儀をし、立ち去ろうと踵を返した。が、突然腕を掴まれた。振り返るとヴァルゼウスが無表情でこちらを向いている。
「ええと・・・何か?」
「いや、なんでも、ない」
ヴァルゼウスが困惑したように手を離した。エイリは顔の火照りがぶり返すのを感じ、慌ててもう一礼してからそっと立ち去る。
《少しは部屋でゆっくりしていけばよいものを。》
拗ねているような声が聞こえた。まるでもう少し一緒にいたいと思っているかのようなその言葉に、なんだかそわそわとして落ち着かなかった。
午後3時、すっかり日課となったティータイム。
和菓子と温かい緑茶が乗ったワゴンを押し、エイリが執務室の扉をノックする。
「入れ」
いつも聞こえるのはザルヴァンの声なのに、今日はヴァルゼウスの返事だ。恐る恐る入ってみるとザルヴァンの姿がない。
「ザルヴァンは仕事だ」
キョロキョロと視線を彷徨わせるエイリにヴァルゼウスが小さく言った。
「そうですか。じゃあ俺はこれで」
「エイリ」
デスクにお茶とお菓子を置き、さっさと去ろうとするエイリは静かに呼び止められた。
「私が今何を望んでいるかわかるか?」
ヴァルゼウスの言葉にきゅっと口を引き結ぶ。わかっている。さっき《今日は邪魔がいない。エイリは誘えば一緒に茶を飲んでくれるだろうか。》と聞こえたのだ。
「・・・わかりません」
「嘘をつくな」
王の命令は絶対だ。ましてや憧れの存在となれば尚更背くことはできない。エイリは跳ね上がった心拍数を落ち着けるように深く息を吐き、ヴァルゼウスの隣に椅子を持ってきて座った。
「やはりわかるのだな」
嬉しそうな声色にちらりと顔を覗き込むと、笑顔とまではいかないが、柔らかい雰囲気を纏ったヴァルゼウスと目が合う。
(本当のことを言ったら、ヴァルゼウス様は・・・。)
あの言いよう、ヴァルゼウスはいくらか察しているのだろう。まさか心の声が直接聞こえるとまではわかっていないだろうが。
ここまで信用してもらって側にいられるのは、間違いなくこの能力のおかげだ。でもここで本当のことを言ってしまったら。
「・・・ずっとヴァルゼウス様を見ていると、何を思われているか、最近なんとなくわかるようになったんです」
「ふむ」
「気持ち悪いですよね」
「なぜだ。いちいち指示せずとも快適に暮らせるようになって助かっている」
ヴァルゼウスは眩しそうにエイリを見つめると、キラキラと光る色素の薄い髪の毛を指で梳かした。身に余る言葉に、思わずエイリの顔がぼっと朱に染まる。
「ヴァ、ヴァルゼウス様・・・?」
「すまない。冷めないうちにいただこう」
そこからは静かなティータイムだった。特に何かを話すわけでもなく、ゆっくりとした時間が過ぎる。緊張した様子で茶を啜るエイリを見て、ヴァルゼウスは口元を緩ませた。
エイリもまた、偉大な魔王とのこの夢のような時間を堪能していた。ヴァルゼウスと目が合うたびにむず痒いような、甘い痺れが背筋を伝う。
「仕事に戻りたくないな」
「はは、ザルヴァン様に怒られてしまいますよ」
「ふ」
「・・・!」
見間違いでなければ、ヴァルゼウスが笑った。その柔らかな表情はすぐに消えてしまったが、エイリの心臓がどくんと大きな鼓動を打つ。
「なんだか俺も、この時間が終わるのがちょっと寂しいです」
「エイリ」
《帰したくない。》
「ヴァル、ゼウス様?」
「なんだ」
そう言ってヴァルゼウスがエイリの髪を撫でた。エイリは慌てて距離を取り、食器をまとめていく。何か酷く勘違いしそうな甘い雰囲気に、飲み込まれないよう必死に手元に集中した。
「あの、俺はこれで!失礼しますっ」
「ああ。今日もありがとう」
ヴァルゼウスの優しい声が全身を包み、尻尾の先までピリピリと痺れが走る。
(なんか、やっぱりむずむずする・・・!)
ワゴンを押しながら、エイリは自身の肌がぞわりと粟立つのを感じた。
ヴァルゼウスにとって、言葉にしなくても勝手に動いてくれるエイリは便利らしい。小間使いであるはずのエイリは、ここ最近はすっかりヴァルゼウスの秘書のようになっていた。
「ザルヴァン様、午後からの会議、1時間くらい後ろにずらせたりしますか?ちょっと訪問したいところがあるみたいで」
「今日は遠方から来られる領主がいるから無理だ」
「そうですか・・・ヴァルゼウス様、会議終わってからにします?」
「・・・」
「それなら明日にします、かね。じゃあ明日の業務を調整しましょうか」
心の声を聞き取り、それとなく家臣たちに要望を伝える。エイリが間に入るようになってから、ヴァルゼウスは我慢することが減り、他の者も仕事がスムーズに行えるようになった。ザルヴァンも漸くエイリの能力を認め始めたらしく、最近は重要な仕事の話以外はエイリを通すようになっていた。
《仕方ない、孤児院は明日向かうよう伝えるか。》
「訪問したいところってどこでしょう?明日行くと俺から連絡しておきますけど」
「ルド孤児院だ」
「あ、ルドですか、わかりました」
ヴァルゼウスの頭の中は常に仕事のことでいっぱいだ。最近はザルヴァンから仕事の内容を教えてもらうようになり、少しずつ何を言っているのかは理解できるようになってきた。ちなにルド孤児院はヴァルゼウスが支援している孤児院の一つで、育児放棄されがちな低級悪魔の子どもを引き取って世話をしている。何を隠そうエイリもルド孤児院出身だ。王がこんなに支援活動をしていたとは、今の今まで知らなかったが。
「俺もルド出身なんです。懐かしいな」
「明日、エイリも行くか」
「えっ、いいんですか?!」
ヴァルゼウスの言葉にエイリのしっぽがぴーんと立った。ヴァルゼウスは首を縦に振ってエイリを見つめている。
《エイリはルド孤児院出身だったのか。あそこを出た子らは本当に有能でいい子ばかりだ。マザーにも改めてお礼をしなければならないな。》
ヴァルゼウスの心の声を聞いて、エイリはまた胸が熱くなった。孤児院を支援してくれていることも、そこから育った自分を「有能」とまで思ってくれていることも、エイリにとっては信じられないほど嬉しかった。心の声が聞こえたまま行動しているだけだと自分に言い聞かせ、なんとか心臓の高鳴りを落ち着ける。
「俺も行っていいなら、ぜひご一緒したいです」
「では明日は早めに出発しよう。ザルヴァンにはその旨を伝えておいてくれ」
「はい!」
エイリはヴァルゼウスに敬礼すると、軽やかな足取りでその場を後にした。
ザルヴァンによると、ヴァルゼウスは国政の中でも教育に特に熱心らしい。子どもは未来への希望、平和に統治するには子どもらへの教育が不可欠だという考えから、ずっと力を入れているらしい。孤児院を出る者には働き口を斡旋し、希望すれば魔王城の使用人として受け入れてきたと聞いた時は、エイリの口は開きっぱなしになった。知らぬ間に、エイリもその恩恵にあずかっていたのである。思い起こせば幼い頃、マザーから「エイリは将来どこで働きたいとか、何の仕事をしたいとか、希望はある?」と聞かれて、魔王様の元で働いてみたいと答えた気がする。孤児院を出る時にはもう魔王城で働くことが決まっていて、何の疑問もなくここで働いていた。
(これまで俺はヴァルゼウス様に支えてもらってたんだ・・・。)
日々を過ごす中で、彼の想いや優しさを知り、エイリの中で彼への感情が少しずつ、確実に変わっていく。
以前はヴァルゼウスに憧れて、少しでも力になりたいと思っていた。心の声が聞こえるようになってからは、力になれる喜びと、頭の中を覗いているという罪悪感が生まれた。今では、形容しがたい甘酸っぱい気持ちの他に、ヴァルゼウスの気持ちがわかるのも、直接感謝の言葉を貰えるのも自分だけだという優越感、そしてその立ち位置を誰にも譲りたくないという独占欲が湧いている。
もっと近くでヴァルゼウスの喜ぶ顔が見たい。
自分の気持ちが敬愛の範囲なのか、今のエイリにはわからなかった。
次の日、エイリはヴァルゼウスと共にルド孤児院を訪れ、懐かしい場所と温かい家族のような面々に再会することになった。
「マザー!久しぶり!」
「エイリ、久しぶり。元気そうでよかったわ。昨日あんたから電話が来た時はひっくり返るかと思ったけど、本当に魔王様の側近になったんだねえ」
「側近とかそんな大したもんじゃないって」
「でも魔王様が誰かを連れてきたのなんて初めてよ。ああごめんなさいね、魔王様。ようこそお越しくださいました。さあ、こちらへ」
マザーの笑顔にほっと心が落ち着く。促されるまま応接室に通され、ヴァルゼウスとソファに腰掛けた。
「魔王様、今年も資金や物品の援助をしていただきありがとうございます。他の方からの資金援助もあって、今年もなんとか赤字にならずにすみました。あと子どもたちの進路についてですが、お城で働きたいと言っている子が・・・」
ヴァルゼウスからの相槌はないのが当然というように、マザーが彼の返事を待たず次々と必要なことを報告していく。ヴァルゼウスを伺い見ると、真剣な表情でマザーの話を聞いて頷いていた。
話がひと段落し、息を吐いたマザーにヴァルゼウスが口を開く。
「マザーの元で育った者たちは、エイリはじめ皆、立派に城で働いてくれている。素晴らしい教育に感謝する」
「あら、魔王様ったら・・・ふふ。感謝しているのはこちらなのに、もったいないお言葉だわ。エイリもがんばっているのね」
マザーからの視線に、エイリは勢いよく首を横に振る。
「いや、俺なんか全然!」
「エイリはよくやっている」
「あらあらあら」
エイリとヴァルゼウスのやりとりを見てマザーが口元に手を当てながら微笑んだ。エイリがなんとか話題を変えようと、子どもたちを見にいくことを提案するが、ヴァルゼウスは静かに首を振って拒む。
「それは・・・やめておく」
《俺が行くと子らが怖がるからな。》
「私も毎回お誘いするんだけど、魔王様はいつも断るのよ~」
「え?きっとみんなヴァルゼウス様に会いたいと思うんですけど・・・少なくとも俺はそうだったし」
「遠くからなら子どもたちも気づかないわよね。ほら、エイリもこう言ってますし、魔王様、諦めて行きましょ」
マザーがにっこりと笑いながらヴァルゼウスの腕を取ってソファから立ち上がらせた。それに合わせてエイリも腰を上げる。三人が連れ立って廊下を進み、離れたところから子どもたちが集まる広間を覗いた。
広場には種族、年齢様々な子どもが集まっている。3人には気づいていないようだ。年上の子が幼い子の遊び相手になっていたり、勉強を教えたりしていて、和気藹々としている。見知った顔を見つけたエイリがパッと目を輝かせた。
「あ!あいつミルトか?もうあんなに大きくなってるなんて」
「エイリがここを出てから自分がしっかりしないといけないと思ったみたいでね、随分しっかりしたのよ」
「ははは、可愛いな」
エイリとマザーは子どもたちの様子を見ながら小声で話した。ヴァルゼウスは気配を消し、二人の後ろからそっと子どもたちの様子を伺っている。
《皆元気そうに遊んでいるな。無邪気でなんとも可愛らしい。この笑顔が守られてよかった。おや、あの子は少し痩せすぎている・・・食糧支援を増やすか。ん?あの子は随分とやんちゃなようだ。元気なのはいいが、なんだ、隣の子が気になるのか。意地悪ばかりしていては嫌われてしまうぞ。》
止まらない心の声にエイリがヴァルゼウスを盗み見ると、その頬は幾分か緩み、子ども達に温かい眼差しを向けている。拒んでいたが、やはり子ども達の様子を見たかったようだ。すっかり饒舌となった心の声とその表情に、エイリの胸がじわりと暖かくなる。
その時、三人の後ろから小さな足音が近づいてきた。慌てて振り返ると、そこにはぴょこぴょこと獣耳を揺らしてエイリらを見上げる幼児が一人。
「まざー?と、おにいたんたち、だあれ?」
「あら、レミックじゃないの」
マザーが抱き上げて背中をポンポンと叩く。ヴァルゼウスは壁の方を向いてさっと顔を隠した。
「レミックどこだ!こっちで待ってろって言っただろー!」
間もなくしてドスドスと荒っぽい足音が聞こえ、今度は少年が駆け寄ってくる。
「マザー、と、レミック!お前また勝手に逃げやがって!」
「バルト、うるしゃいー、まざ、たすけてー」
「はいはい、レミックもバルトも、仲がいいのはいいですけど、お客さんの前ですよ。じゃれるのはそれくらいにしてね」
二人がマザーの声に顔を見合わせ、エイリとヴァルゼウスの方を向いて頭を下げた。
「うるさくして、すみませんでした」
「ごめなしゃい」
「ふふふ、二人とも素直で可愛いですね、ヴァルゼウス様」
「ああ。元気なのは良いことだ、気にするな」
ヴァルゼウス、と聞いて少年ーーーバルトが勢いよく頭を上げる。
「ヴァルゼウス様って、あの、ヴァルゼウス様?!魔王の?!」
目を見開いたバルトに、ヴァルゼウスが目を逸らした。
「そう、そのヴァルゼウス様よ。言葉遣いには気をつけなさい、バルト」
「ぁ・・・ごめんなさい、ヴァルゼウス様。俺、あの・・・」
マザーに嗜められたバルトが、何か言葉を選ぶように口をもごもごさせる。
《やはり怖がらせてしまった。早く立ち去ろう。》
「いや、構わない。私はそろそろ失礼する」
「あ、あの!ヴァルゼウス様!待ってください!」
「ん?」
慌てて呼び止めたバルトの顔は真っ赤になっていた。
「あの、俺、ずっと、ヴァルゼウス様に、憧れてて、握手、して、もらえませんか!」
「握手・・・?」
ヴァルゼウスがバルトの申し出に呆気にとられている。珍しいその表情に、エイリが笑ってバルトに声をかけた。
「わかるぜ、バルト。魔界統一を成し遂げたヴァルゼウス様の武勇伝に憧れない奴はいないよな?」
「う、ん。にいちゃんも?」
「おう。俺もヴァルゼウス様に憧れて、今はちょっとでも役に立てるように、ここを出た後に魔王城で働いてるんだ」
「い、いいなぁ!にいちゃんすげえ!」
《エイリ、そうだったのか。私なんかに憧れて・・・。》
「ほら、ヴァルゼウス様、握手してあげてくださいよ」
「いや、しかし・・・」
「ほらほら、断ったらバルトが泣いちゃいますよ」
エイリが躊躇うヴァルゼウスの手を取り、バルトの手と合わせる。互いの手はしっかりと握られ、バルトが感激に目元を潤ませた。
「バルト、これからもしっかり勉学と鍛錬に励め」
「は、はい!ありがとう、ございます!」
握手した手を反対の手で包んで感極まっているバルトに、「結局泣いてる」とエイリが揶揄う。恥ずかしさに顔を真っ赤にしてエイリにしがみつくバルトを見ていたヴァルゼウスが、マザーに抱かれたままぼうっとしているレミックの頭を撫でた。
「レミックも、マザーやバルトの言うことをきちんと聞いていい子にするんだぞ」
「・・・?ふぁーい」
《この子達の未来が常に明るくあるように、私は最大限の努力をせねば。》
「エイリ、そろそろ戻るぞ」
「あ、はい!すみません」
未だにじゃれているバルトとエイリにヴァルゼウスが声をかける。二人は慌てて姿勢を正した。
「ヴァルゼウス様、もう帰っちゃう、んですか?」
「ああ」
「また来てください。他にもヴァルゼウス様に憧れてるやつはいっぱいいるからっ」
「・・・ああ」
ヴァルゼウスはバルトに頷き、エイリに目を遣る。
「では、俺らはこれで。マザー、お時間とってくれてありがとうございました。他のやつらにもよろしく言っといてください」
二人で一礼し、出口に向かう。マザーの「二人も元気でね、いつでも顔を出してね」という温かい言葉にエイリの胸が震えた。
帰りの道中、ヴァルゼウスとエイリの間に静かな時間が流れる。
「無理言って子ども達のところに連れて行ってすみませんでした」
「いや、いい経験だった」
「・・・ヴァルゼウス様に憧れる子どもは多いです。もしまた気が向いたら、交流してあげてくれると嬉しいです」
「エイリもそうだったんだな」
「恥ずかしいので忘れてください」
「いや、私が嬉しかったんだ、ありがとう」
柔らかなヴァルゼウスの口調にエイリの頬が燃えるように熱くなった。ゆるゆると勝手に尻尾が揺れる。
「魔界統一だけでも伝説なのに、そこから癖の強い悪魔の世界を平和に保つためにがんばってるなんて、憧れない方がおかしいでしょ。子どもにも優しくて、いつも仕事のこと考えてて、一生懸命で、顔も声もかっこいいなんて、好きになるに決まって・・・え?」
「エイリ?」
「な、なんでも、ない!です!」
《震えている。寒いのか。》
「これを使いなさい」
ぶつぶつと何かつぶやいた後に自分を抱きしめて震えるエイリを見て、ヴァルゼウスが自分の外套をエイリの肩にかけた。ふわりと彼の香りに包まれ、鼓動が跳ね上がる。
(俺、やばい、かも・・・。)
ずくんと腰が疼くのを堪え、礼を言って固く目を瞑った。火照った顔を見られたくなくて外套で顔を隠すが、一層香りを深く吸い込んでしまい頭がくらくらする。城に着いた頃には、エイリの瞳は潤み、すっかり甘い匂いに酔っていた。
「俺、ちょっと、部屋で、休みます・・・」
「ああ。無理させてすまない。今日はもう休め」
《さっきまで元気だったのに、無理していたのか?それにしてもこの表情・・・しかも私の外套を羽織っているというのは、随分と煽情的で、離し難いな。》
頭がぼうっとしているエイリはヴァルゼウスの心の声を理解できない。なんとか外套を返そうとするが、ヴァルゼウスに「そのまま着ていろ」と包まれてしまった。暖かいそれにくるまれると、まるで彼に抱きしめられているようで一層何も考えられなくなる。
「あ・・・」
《危ない!》
ふらついてエイリの足がもつれる。倒れそうになったところを外套ごとヴァルゼウスに抱き止められると、そのまま抱え上げられてしまった。
「あ、ヴァルゼウス様、下ろして、くださ、い」
「黙ってつかまっていろ」
そのままエイリは自室に運び込まれ、ベッドに寝かされる。
「ふ・・・ぅ・・・っ」
熱に浮かされ朦朧とする意識の中、無意識にいい匂いのする布を両足で挟み込む。すんすんと匂いを嗅ぎ、鼻腔をくすぐるなんとも言えない芳香に身を震わせた。勝手に揺れそうになる腰に力を入れ、目を開くとヴァルゼウスの美しい瞳と至近距離で目が合った。
「は、あ、ヴァルゼウス様、ありがと、ございます・・・」
「・・・ゆっくり休め」
言われるがままエイリが目を閉じる。頭を撫でられている気がして、その心地の良さに意識が薄れていく。溶けきる間際に額に濡れた感触がした。確かめようにも、もう瞼は重くて開けることができそうにない。
「ヴァル・・・ゼ、ス、さま・・・」
《このままここにいると襲ってしまいそうだ。エイリは体調不良だというのに。》
エイリの額に口付けをし、やや息の乱れたヴァルゼウスがエイリの部屋を後にする。彼は劣情を振り払うように頭を振ると、会議室に向かっていった。
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