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しおりを挟む「ヴァルゼウス様、お仕事中にすみません」
「エイリ!」
会議の合間の少しの時間。ずっと会いたかったエイリの姿が見え、ヴァルゼウスは小走りで駆け寄った。
「もしよかったら、今日は二人でティータイムしませんか?俺、ちょっと疲れちゃって、休憩したい気分なんです」
「ああ、そうしよう。今日は、少し砂糖を入れたカフェラテにしてくれないか」
「いいですね!甘いものは疲労回復に最適ですから」
「楽しみにしている」
「・・・」
エイリがにっこりと微笑んだ後、何か言いたげな表情を浮かべる。
「どうした?」
そう問いかけると、エイリは慌てて首を横に振った。
「ちょっと疲れてるだけです」
「よく働いているとザルヴァンも言っていた。昼から、少しだけゆっくりしよう」
「・・・はい。じゃあまた午後3時、執務室で」
エイリが手を振って去っていく。尻尾はだらんと下がり、背中が寂しそうに遠ざかった。その姿を目で追いながら、胸が締めつけられるような感覚に囚われる。
(私と離れ難いと思ってくれているのだろうか。愛しい。今すぐに抱きしめてーー)
「ヴァルゼウス様、次の来客がお待ちです」
「・・・ああ」
せっかく会えたのに、余韻に浸る暇もない。ヴァルゼウスは小さくため息を吐きながら、次の仕事に向かった。
「"楽しみにしている"ですって。甘いこと、甘いこと」
「うるせぇ。早く薬を寄越せ」
「ふふ、焦る姿も可愛いですねぇ。まるで檻の中で必死にもがく小動物みたいで」
エイリの顎の下を指で擽りながら、ホウゲツがうっとりと言う。
「触んな。時間がねえから、早く」
「はいはい。こっちが睡眠薬で、こっちが魔力を使えなくする薬です。どちらも3滴ほど飲み物に混ぜてください。少し香りがありますが、コーヒーなら誤魔化せるでしょう」
「わかった。じゃあもう行くぞ」
ポケットに薬を入れ、部屋を出ようと踵を返す。その背中にホウゲツが声をかけた。
「くれぐれも変な気は起こさないでくださいね。薬も仲間もまだまだ準備してますから。魔王ならともかく、あなたなんてどうにでもできます」
「しつこい男は嫌われるぞ」
「ふふ、あなたには嫌われたくないですねぇ」
肩が震えそうになるのを必死に堪える。怖い。でも、ヴァルゼウス様を守るためには、今はこうするしか・・・。
(なんとかしないと。俺が、ヴァルゼウス様を救うんだ。だけど、この手で毒を盛るなんて・・・。こんなに大好きな人を、傷つけるなんて。なのに、それしか方法がないなんて。)
厨房の隅でコーヒーを準備しながら、ポケットの中の薬を取り出して見つめた。同僚達は祭りの準備で出払っている。誰にも救いを求められない。エイリの思考は纏まらず、目の前が暗くなっていく。
ついにコーヒーは淹れ終わってしまった。ヴァルゼウスの使うカップに薬を垂らすと、薄く開いた唇から細い息が漏れる。いっそ自分の心の声がヴァルゼウスに聞こえればいいのに。そうやって、もはやエイリは神に縋ることしかできなかった。
「失礼します」
一礼して執務室に入ると、ヴァルゼウスがデスクに肘をついて座っていた。いつも通り無表情ではあるが、周囲を包む空気は柔らかく温かい。
「エイリ」
愛しげに名を呼ばれ、泣きたくなる。もうヴァルゼウスに飛びついて全て打ち明けてしまいたい。助けてほしいと泣きついてしまいたい。
「エイリ、何をしている。早くこちらへ来てくれ」
ゆっくりとヴァルゼウスに近づき、ティーカップにコーヒーを注ぐ。温めたミルクと砂糖を入れかき混ぜると、底に溜まっていた薬が円を描いて消えていった。手が震えて食器がかちゃかちゃと鳴りそうなのを必死に堪える。
無理に笑顔を作りながら出来上がったカフェラテをデスクに置いた。ヴァルゼウスの好きなレーズンバターサンドを添えると、小さくありがとうと礼を言われる。
(お願いヴァルゼウス様、飲まないで。飲まないで!)
エイリも椅子に座り、願うようにヴァルゼウスを見つめた。願いも虚しく、彼はカップに口をつける。
「ヴァルゼウス様・・・」
こくり、と喉仏が上下するのが見える。エイリがひゅっと息を呑んだ。
「ん、美味い。こんな時間は久しぶりだ」
「ぁ・・・そ、その、最近ティータイムは、してなかったん、ですか?」
「ああ。一人で休憩する気にならなくてな」
会話はそこで途切れた。ぐらりとヴァルゼウスの体が崩れ、デスクに上半身を投げ出す。突っ伏した彼はぴくりとも動かない。
「ヴァルゼウス様・・・っ」
名を呼んでも反応はなかった。近づいて確かめるとすうすうと呼吸している音は聞こえる。睡眠薬が効いているのだ。眠っているヴァルゼウスの姿が涙で滲んでいく。マイクで音を拾われないよう、泣き声を出さないように唇を噛んだ。
背後から扉の開く音がする。エイリは服の袖で目頭を素早く押さえ、無表情で振り向いた。
「本当に簡単でしたねぇ」
「・・・ホウゲツ。だから言っただろ」
吐き捨てるようにそう言ったエイリを、ホウゲツがうっとりと見つめる。じっとりとした視線に晒され、嘔吐感が込み上げた。
「さすが化け物、3滴では足りませんでしたか」
ホウゲツが唐突に後ろに話しかけた。エイリが慌てて振り返ると、デスクに伏せているヴァルゼウスの指先がかすかに震えている。
「エイ・・・リ・・・」
「ヴァルーー・・・」
か細く自分を呼ぶ声。まだヴァルゼウスは生きている。なんとかしないと。なんとか助けないと。
「そうだ、運ぶのが大変ですし、今ここで始末しましょうか」
「こ、こで?」
表情を取り繕うのも忘れ、消え入りそうな声で尋ねた。ホウゲツが楽しくてたまらないという顔でエイリに微笑み返す。
「せっかくですから、エイリくんにさせてあげますよ」
「お、れ・・・?」
「ええ。だってエイリくんもずっとこの魔王を殺したかったんでしょう?わざわざ色恋をチラつかせてまで近寄ってねぇ?」
「エイリ・・・」
ホウゲツの言葉に何も言い返せないでいると、意識を取り戻したヴァルゼウスが顔を上げていた。エイリだけを見つめるその瞳は絶望に沈んでいる。
「もうお目覚めですか、魔王様。とはいえ意識があっても魔力は使えないでしょう?無理はされない方がいいですよ」
「エイリ、どうして・・・」
「どうですか?大好きで大好きでたまらない者に裏切られた気持ちは。ご自慢の無表情のままではいられないって?あはは、最高ですね。ほらエイリくん、言ってやりなさい。こんな世界など壊すべきだと。お前なんて憎くて憎くて殺してやりたいと!」
「おれは」
「エイリ、私を憎んでいたのか?殺したかったのか?なぜだ・・・君は、君だけは・・・」
その瞳に浮かぶ苦しみと絶望は、まるで長い年月をかけて築いてきた何かが、一瞬で崩れ去ったようなものだった。
怒り、憎しみ、悲しみ、落胆。負の感情が混ざり合って渦を巻き、魔力が部屋中を震わせた。空気が歪み、肌を刺すような感覚がエイリを襲う。これが魔王ヴァルゼウスーーエイリが愛する男。
ヴァルゼウスが漆黒の翼を広げると、同時に薬で消えているはずの魔力が吹き出した。城全体が揺れ、ビリビリと軋む。ホウゲツはそんなヴァルゼウスから目を離せないでいた。その視線は憎しみというよりは憧憬で、恋焦がれているかのようだ。
「許さない。こんな世界など、全て消えてしまえ」
凍るような冷たい声が響く。そしてヴァルゼウスの表情のない顔から、一筋の涙がこぼれ落ちた。エイリがハッと目を見張る。
《ヴァルゼウス様、辛い思いをさせてごめんなさい。》
二人の視線が交わった。
一瞬ヴァルゼウスが顔を顰め、耳に手をやる。しかしすぐに手を掲げ直し、魔法を発動する構えになった。ホウゲツはもう戦うつもりはないらしい。まるでこうなることを望んでいたように両手を胸の前で組み、祈りを捧げているように見える。
「ヴァルゼウス様」
「・・・」
エイリは震える声で「城の皆を巻き込まないでください。俺だけを見て」とヴァルゼウスに訴えた。その言葉が届いたのか、彼の力が少しずつ収束していく。
《ヴァルゼウス様、大好きだ。愛してる。あなたと番いたかった。二人で毎日ティータイムをして、イチャイチャして、一緒に生きていきたかった。ああ神様、生まれ変わったら、ヴァルゼウス様と番えるようにしてください!お願いします!》
そう願って目を閉じ、来るべき衝撃を迎えるように 両手を広げた。
「本当か、エイリ!」
「・・・え?」
「魔王様!!魔力をおさめてください!」
ヴァルゼウスが叫んだのと、ザルヴァンが執務室に飛び込んできたのは同時だった。突然ヴァルゼウスの胸の中に抱き込まれ、エイリがあっけに取られていると、惚けていたホウゲツが警備の者たちに拘束される。ホウゲツは抵抗することなく、まるで全てを計画通りに進めたというように満足感を漂わせながら連れられていった。
「あ、ぇ・・・?」
「エイリ!エイリ!」
「いいから、翼を早くしまってください」
エイリを腕の中に抱きしめ、名前を呼ぶことしかしなくなったヴァルゼウスに、ザルヴァンが呆れたように声をかける。
「えーと、ザルヴァン様、これは」
「お前が昼間に何か企んでいるのはわかっていたからな。ルグランのところに行ってから急にティータイムを取るとか言い出すなど、怪しいにも程がある」
「バレてた」
「そもそも、お前は中途半端に残っている仕事をほっぽり出すようなヤツではないしな」
エイリはここでようやっと肩の力を抜いた。目の前の胸に頭を預け、背中に震える腕を回す。大きく息を吸い込むと、大好きな匂いが胸いっぱいに広がった。
しばらくそうして、緊張が和らいでくると、次は別の意味で心臓が早鐘を打ち始める。周囲の目がある状況に冷静になって、ヴァルゼウスから身を離そうとしてみたが、一層きつく抱きしめられ許されなかった。諦めたエイリが背中に回していた腕を外し、少しだけ顔を上げる。
「あ、あの、ザルヴァン様。助けてくださってありがとうございました」
「むしろ執務室の周囲でルグラン達が邪魔して遅くなった。すまない」
「謝らないでください。命があるだけで感謝してます。・・・ちなみに、ヴァルゼウス様もわかってたんですか?」
「それが、魔王様に伝達する時間がなかったんだ。エイリの動きは追っていたし大事にはならないだろうと思っていたが、さっきの魔王様の魔力暴走でだめかと焦ったぞ」
「あはは・・・やっぱあれマジだったんだ」
エイリの肩に顔を埋めたままヴァルゼウスは何も言わない。
「ヴァルゼウス様、酷いことを言って傷つけたり、薬を飲ませて危ない目に合わせたりして、本当にすみませんでした」
「・・・」
「あのー、あれはルグランを探っていたら見つかって、殺されそうだったところを魔王反対派だって適当に誤魔化したらこんなことになっちゃったからで・・・」
「エイリ」
「いやマジでヴァルゼウス様のことを憎いとか、世界滅亡しろとかは一ミリも思ってないんです!」
「エイリ、番になろう」
「だから・・・え?」
今何かが聞こえたような。聞き間違いだろうか。
エイリの目が大きく見開かれ、尻尾がピンと立った。
「エイリも私と番いたいと言っていただろう?今すぐに番おう。ほら、私の部屋に行くぞ」
「え、何?!なんで?!助けてザルヴァン様!」
「私以外の男に縋るな」
「何、何?ぎゃ~~~!!」
ヴァルゼウスにまるで米俵のように肩に担がれ、そのまま運ばれていく。扉が閉まる前にザルヴァンを見ると、肩を落として首を横に振っていた。
「魔王様が予定していた今晩の会食は中止だ。出席者に連絡を。あと、式典の内容が変更になるだろう。あと2日だが間に合わせるぞ。お前達の力を貸してくれ」
ザルヴァンが政務を担当している職員達にそう告げる。一瞬驚きと戸惑いがその場に満ちるが、優秀な彼らはすぐにスケジュールの見直しに着手し始めた。ザルヴァンもその中心に混じり的確に指示を出しながら、ずっと側で支えてきた魔王に思いを馳せる。あの冷酷非道と呼ばれた魔王が、番を持つ日が来るとはーー。
(あの二人には明日から馬車馬のように働いてもらうぞ。・・・いい式典にするために。)
ザルヴァンはフッと小さく笑みをこぼし、手元の資料に目をやった。
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