終わりと始まりに嗤う

イチ力ハチ力

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 君は、これが夢だったら良かったのにと考えたことはあるだろうか。

 明晰夢であるならば、思い通りに夢を変化させてくれても良いのに。

 どんなにそれを願ったとしても、現世に現れた地獄は消えてくれたりはしなかった。



 ベッドに眠る彌太郎の身体は、どこにも傷がなく全てが揃った状態だった。呼吸音は静かで安定し、穏やかな寝顔を見せていた。見た目には何も変わっていない様に見える彌太郎だが、この時ある夢を見ていた。

 とても理不尽でそれでいて心を躍らす冒険を、仲間と共に挑み戦い抜く。現実の世界では決して出会うこのない怪物や、この世のものとは思えない幻想的な光景。そしてとても大切な人との別れは、夢とは思えない苦しさを心に与えた。その苦しさに耐えきれず、彌太郎の瞳は自身の想いを表す様に夢から醒めようと、無理矢理に開いたのだった。

「おはよう、彌太郎君。とは言うものの、もう昼な訳だが。見ていた夢は、哀しい物語だったのかな」

 目を覚ました彌太郎がベッドの上で上半身をゆっくり起こすと、聞き覚えのある女の声が聞こえた。哀しい物語だったのかと問われ呆けたが、瞳から流れる涙に気づくと更に彌太郎は放心し、暫くの間言葉を発することなく、止めどなく流れる涙をただただ自由にさせる他なかった。

 彌太郎に声をかけた女は、部屋の椅子に座って誰かの生徒手帳を黙って見ていた。そしてそれ以上に特に何か話しかける訳でもなく、静かに何もすることなくその場に居るだけであった。

「……誰?」

「私の名は、エヴァ・コールマンだ。しかし、感傷に思う存分浸らせてやったというのに、随分と横柄な態度をとるじゃないか。私が既に君の主人マスターになっていることを、あの半分しかなかった頭では覚えられなかったのかい」

 涙を拭うと彌太郎は、じっと自分を見ていたエヴァと名乗った女に目を細めながら誰かと尋ねた。その声に警戒心を多分に乗せていたが、エヴァは余裕のある笑みを見せていた。彼女の言葉に何かを思い出したかの様な表情をみせた彌太郎は、深く息を吐くと気持ちを落ち着かせ再度口を開いた

「どうせ、ここから逃げることも出来ないんだろ。それに今の俺の力じゃ……マスターに敵わないのだから、この拘束術を解いてくれ」

「今の状況に動じず、自分を縛るそれ・・に気が付いたと言うことは、向こうの世界の記憶と力は、ちゃんと覚醒されたと言うことで良いのだね」

 エヴァは、彌太郎の瞳の奥にある何かを覗き込むように、真っ直ぐ自分の瞳を彌太郎に向けていた。彌太郎の身体は、魔力を扱える者にか視えない鎖で繋がれていたのだ。
 
 彌太郎もまたエヴァの視線から瞳を逸らすことなく、己の瞳で真っ向からエヴァの視線を受け止めていた。エヴァの問いかけに、数秒の間を置いた後に、肯定との意思を伝えるように無言で頷いた。

「それならば、安心した。君の頭は、だいたいが潰れていたからな。よくそんな状態で生きているって感じだったぞ。それが、君の“神からの贈物チートなのか?」

「……確かマスターと俺の契約は、『主人マスターたるエヴァ=コールマンの盾となり、主人マスターの命を護り、矛となり命を賭して主人マスターの敵を滅せ』だったな」

「あぁ、そうだ。素敵だろ? 私の騎士ナイト様というわけだ、彌太郎君は。何、心配する事はない。君は、私に危害を加えることが出来ず、且つ私の呼び出しを拒否する事が出来ず、私を害する全ての者達が自身の敵になる。ただそれだけの事。それに、別段それらの事を破ったらどうなるかを考える必要ない。それらの事を“決して破れない”という契約なのだから」

 長く伸びる脚を組み替えると、魔性の微笑みと言わんばかりの表情を彌太郎に向けるエヴァだったが、契約内容を無表情のままで目も逸らさずに、淡々と自分の言葉を聞く彌太郎に内心では驚いていた。大抵の場合、性別に関わらずここまで魔力的に無防備な状態であれば、自分の魅惑チャーム抵抗レジストされた事はなかったからだ。しかし、彌太郎の表情や纏う魔力の流れにも、エヴァの魅惑チャームが効いている様子が全く見られなかった。

「命を救われる代償として、契約の内容に関しては仕方ないと納得しているが、俺の固有ユニークスキルのことをマスターに教える義務は無いはずだ」

 まるで刃物の切っ先を突きつけられているかのような鋭い彌太郎の声に、エヴァは微笑みを消した。代わりにエヴァは、自分から一瞬でも目を離せばその瞬間に首と胴体が永遠の別れを告げると言わんばかりの空気を纏うと、彌太郎に対して魔力的にも圧力をかけ始めた。そして、先ほどの優しく安心させるような声色でなく、対象を圧倒し屈服させる意思を乗せた声で、彌太郎に向かって言葉を発するのだった。

「勘違いしてはならない。君の生と死の境界線は、私の前では曖昧だということを。それは私と交わした契約の話ではなく、今現在の力関係の話だ。君の身体を拘束しているその鎖は『Quartering』という術だ。例え英語が苦手だったとしても、『言語文字理解』の力を持っているのだから意味はわかるだろう?」

「Quartering……八つ裂きの刑か」

 彌太郎の言葉に、エヴァは再び微笑むと無言のまま彌太郎を見ていた。その瞳に、彌太郎は見覚えがあった。目の前にいる女の瞳は、自分の目的の為には手段を選ばず、例え人から非道だと思われる行為であったとしても、その者にとっての正義であれば、簡単且つ作業的に人の命を奪える者のそれだった。

 国会議事堂の参観ロビーで自分を助けたのも単なる人助けではない事は、今のエヴァを見ていれば誰の目にも明らかであり、彌太郎はまたしても命の選択を迫られていた。

 圧倒的強者が弱者に選択させるものなど、いつだって理不尽なものでしかないのだ。だがしかし、例え選択した結果の先に地獄が待っていても、その理不尽を越えようとする者が弱者の中にも存在する。

「だとしても、信頼出来ない相手に自分の力を教える筈がないだろがぁあ!?」

 彌太郎の絶叫が十二畳程の部屋一杯に広がり、叫び声と共に彌太郎の両腕両足が絡まっていた鎖によって四方に強く引かれていた。肩や股関節からは軋むような音が鳴り、その音が尋常ならざる力で鎖が弥太郎の身体を裂こうとしているかを物語っていた。そして微笑みを崩さぬままエヴァは、彌太郎を眺めていた。

 割と短い時間で弥太郎の肩は限界を迎え、顔を顰めるような鈍い音がすると彌太郎の肩の関節が外れていた。それでもエヴァの表情は何一つ変わらないように見えたが、次の瞬間に仮面のように変えなかった微笑みが消えた。

 先ほどまで全くと言っていいほど感じなかった彌太郎の魔力が、思わずエヴァが自らの魔力を解放し自分と彌太郎の間に防御障壁を無詠唱で展開してしまう程に爆発的に上昇し、彌太郎から溢れ出す魔力が意思を持ってエヴァへ敵意として向けられていたのだ。

 エヴァが防御障壁の内側から彌太郎に向かって手を向けると、更に彌太郎の両腕両足に巻かれた鎖が、獲物の四肢をもごうと更に四方へと引く力が強くなり、とうとう両腕の肩の皮膚が裂け血飛沫を上げた。

 雄叫びとも咆哮とも言えるような声を彌太郎が上げると、魔力が叫び声に呼応するかのように彌太郎の内部から爆発的に溢れ出すと、彌太郎の眼が緋色へと変化した。すると彌太郎は無理矢理力任せに、両腕両足に巻き付いていた鎖を引きちぎったのだった。

「綺麗な緋色の眼だな」

「……自分の術が破られたってのに、その感想が眼の色か。変わってるな、あんた」

「あんたではない。きちんと私のことは、マスターと呼ぶことだ。主人をしっかり敬う事が、新人“式鬼シキ”の彌太郎君が一人前の式鬼になる第一歩だぞ」

『Quartering』の鎖を引き千切り八つ裂きの刑から逃れた彌太郎に対し、エヴァが興味を持ったのは緋色に染まる彌太郎の眼だった。現在の彌太郎の実力は未知数でありエヴァも正確には把握していないが、崩れた参観ロビーでの彌太郎の放っていた魔力の存在感オーラに比べれば、今の状態はエヴァは脅威とは感じていない。

 しかし、先ほどの魔力を感じなかった時と比べれば、無防備で対峙しては危険だと感じるほどには彌太郎の放つ魔力は優しくはなかった。

 彌太郎に引き千切られた『Quartering』の鎖は、単に対象者を力任せに八つ裂きにするように引っ張るだけのものではなく、拘束された者の魔力を封じる術でもあり、『Quartering』の鎖が巻き付いている限り本来魔力を解放する事など出来ない筈だった。“解呪”の力でも持っているのでなければ、これほど簡単に逃れられるものではない。

 それほどに強力な術の為に発動時にも無詠唱では発動せず、相手が既に抵抗出来ない状態でしか掛けることの難しい術だった。それを完全に術が発動されている状態で、更には八つ裂きの刑が執行されてから力任せに破ることが出来た事実が、彌太郎の能力の一端であることを雄弁と物語っていた。

 それでも尚、エヴァは彌太郎に“主従の契り”が破られていない事を把握していた。

「……このまま従うとでも? あんたの式鬼シキとやらになる契約は、参観ロビーで確かに交わしたが、今もまだその状態とでも思っているのか? 今の俺は、あんたと闘えるぞ」

「あぁ、そのようだね。ただ、これならどうだろうか」

 彌太郎の強い言葉と態度に嘘がないことは、発せられる魔力から読み取っていたエヴァだが、全てが真実ではない事は式鬼とした彌太郎との主従契約が切れていない事からも把握していた。しかし主従契約の楔が彌太郎から外れている感覚もまた有しており、彌太郎が指摘した事にも間違いはなかった。戦闘になる事をある程度覚悟しながらも、その前にひとつ確かめたいことがあり、エヴァは彌太郎に向かって、回復・・魔法を放ったのだった。

「これは……回復魔法か!?」

 エヴァの左手の掌が淡い翠色に光ると、彌太郎の身体もまた同時に優しい光に包まれた。そして『Quartering』を無理矢理破った際に負傷した彌太郎の傷が、瞬く間に癒えていった。直接触れられてもおらず、更には無詠唱で放たれた回復ヒール魔法を彌太郎は避ける・・・ことが出来なかった。

 全く予想だにせずに自分の能力の核心を突かれた事に、彌太郎は思わず顔を強張らせてしまった。その彌太郎の表情に加え、回復度に比例するように自分に対して威嚇していた魔力が萎んでいく様子に、エヴァは彌太郎の能力についてある程度・・・・の予想が間違いでな無かったと確信した。エヴァは彌太郎に向かって展開していた防御障壁の発動を止めると、椅子にゆっくりと腰を下ろすし彌太郎に微笑みかけた

「もう一度聞く。私を呼ぶ時は、どう呼ぶべきなのかな」

「……マスター」

「よろしい。あとできちんとそれは掃除しておくのだな。今のままでは染みになってしまうし、誰かに見られると色々と恥ずかしいぞ」

 彌太郎は、エヴァの言葉に怪訝な表情を見せた。そして改めて自分が今立っている場所がベッドの上であり、更にはシーツに自分の血飛沫で汚れているのを見て、目の前で誰もが見惚れてしまうような妖艶な微笑みを浮かべる美女に対して、彌太郎は残念な目線を送るほかなかった。

「ちょっとした美ジョークじゃないか。そんな目で、主人を見ないでくれるかな」

「そう言うのをこの国では、単なる下ネタって言うんだよ……」

 彌太郎はエヴァの残念な下ネタに気持ちが萎えた様に見えるが、全く警戒心は解いていなかった。異世界『アレルガード』で大抵の経験はしており、敵の手に落ちた際には拷問の類を受けた経験が無いわけでない。自身を縛る契約系統の魔術に関しても、緋色のスカーレットアイズの力で解約出来ないにしても無効に出来ることも分かった為、割と落ち着いている彌太郎だったが、問題はここが元の世界であると言うことであった。

 自分の記憶が確かなら、この世界には魔法なんてものはない筈だと考えており、もしかしたら元の世界に見えているが、また違う異世界に飛ばされたのかと考え始めた頃、エヴァが徐にいつの間にかリモコンを手にしていた。

「先に行っておくが、ここは君のよく知る元の世界だよ。全く同じに見える元の世界とそっくりな並行世界に飛ばされたとか言うオチではなく、君が異世界へと転移し何らかの方法で帰還した元の世界。本来、魔法や魔術、超能力、妖怪変化や怪異なんてものは現実でなく、創作物として物語に出てくるだけの平和な世界……だった場所だ」

 エヴァは、少し悲しそうでそれでいて何か遠いところを眺めるような瞳をテレビに向けると、リモコンでテレビのスイッチを入れた。彌太郎もエヴァに対する警戒心を解く事はなかったが、付けられたテレビに目を向けるとあまりに予想外の映像に、完全に思考が停止してしまった。

 テレビには首相官邸からの映像を放映しており、画面には生中継と表示されていた。しかし大きな問題は画面の中心に映る人物であり、テロップで“狩川正一内閣総理大臣”と表示されている事だ。その名前は、一般知識として彌太郎も当然知っている名前だった。

「やっぱりここは、俺の住んでいた世界じゃないらしい。この国の総理大臣が、勇者コスした高校生ぐらいの奴な訳がないだろ……」

 映像には誰が見ても勇者を想像させる様な格好をしながらも、意志が固く強い決意を全面に押し出す瞳を国民へと向け、雄弁に視聴者に向けて語りかける自分と対して歳が変わらなさそうな青年が映っていたのであった。
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