71 / 73
大学二年生
暮らすってこと。同棲初日。
しおりを挟む
柊が、千歳の部屋に泊まるようになったのは、気づけば自然な流れだった。最初は「終電逃したから」とか、「朝イチの授業があるから」とか。けれど最近は、何も理由を言わなくても、玄関の鍵がまわる。
今日も、そんな音がした。
「ただいまー……って、あっつ……」
「……おかえり」
千歳はソファに座ったまま、文庫本から視線を上げる。柊はエアコンのリモコンを探しながら、「冷房弱くない?」と文句を言う。その言い草が、もう“ここが自分の部屋”だと思ってるみたいで、千歳は少しだけ笑った。
冷蔵庫を開けて、麦茶を取り出して、コップを使う。キッチン横の棚には、柊専用のマグカップがある。脱いだTシャツはいつものように、ソファの背もたれに引っかけられた。
——全部、千歳のものじゃないのに、全部、千歳の部屋にある。
「……ねぇ、柊くん」
「ん?」
麦茶を飲みながら振り返った柊に、千歳は言う。
「いつから、泊まりっぱなしなんだっけ」
柊はコップを置いて、少し考えるふりをしたあと、
「んー……先月?」
と、曖昧に答えた。
「もっと前でしょ」
「じゃあ、先々月」
「適当だな」
千歳がため息混じりに言うと、柊がゆっくりこちらに歩いてきて、ソファの隣に腰を下ろした。暑さでうっすらと汗で湿った腕が、すこしだけ触れる。
「でもさ」
「うん」
「そろそろ“泊まり”じゃなくて、“住む”ってことでいいんじゃない?」
さらりと、そんなことを言うから、千歳は一瞬言葉を失った。
「……柊が、そう思ってるとは思わなかった」
「思ってるよ? ずっと前から」
「でも、何も言わなかったじゃん」
「千歳の方から言ってほしかったんだよ」
ちょっと不満げに、でもどこか拗ねたように、柊は言った。
子供みたいだと思う反面、そう言ってもらえたことが、ただ嬉しかった。
千歳が立ち上がって、クローゼットを開ける。中には、柊のシャツが3枚、靴下の束、ドライヤー。洗面所には2本目の歯ブラシ、コンタクトケース、ヘアワックス。
全部、柊が“ここにいる”ための物だった。
「……冷蔵庫も、2人分の食材になってきたな」
「千歳が俺の分も買ってくるんだよ」
「文句ある?」
「ない。むしろ最高」
柊が、千歳の後ろからそっと抱きしめてくる。少し湿った髪が首筋に触れて、くすぐったい。しかも半裸……。熱い体温が直接伝わってくる。
(僕はいいけど、暑がりな柊くんは、余計、暑いんじゃない? いいの?)
と冷静なことを考えて、ドキドキをしずめようとする。
「住民票、移してもいい?」
と、柊が耳元で聞く。
「……は?」
「いや、免許の更新とかあるし」
「なんでそういうのから入るの」
「だって、そういうのが“暮らす”ってことでしょ?」
笑いながら、でも本気のような声で、柊は言った。千歳は目を伏せて、少しだけ顔が熱くなった。
「……正式にするなら、大家さんに言わないと。一人暮らしで契約してるから」
当たり前のことを言ったはずなのに、口にした瞬間、頬がじんわり熱を帯びた。自分で言いながら、妙にドキドキしているのがわかる。
「じゃあ言おう。広いから許されるんじゃない?」
柊は迷いもなく言ってのける。その真っ直ぐさに、胸がざわめく。柊は、まるで当たり前みたいに言うから余計に心臓に悪い。
「まあ、友達とシェアってことでね」
“友達”を強調して、わざと軽く笑ってみせる。けれど――。
「恋人と、じゃなくて?」
すぐさま切り返されて、息が詰まる。顔が熱い。耳に落ちたその言葉で、鼓動が跳ねた。
慌てて目を逸らす。けれど、横でじっと見てる気配がする。
「そこまで言わなくても……」
必死にごまかしているのに、声が震える。
「じゃあ、イチャイチャするときは、静かにね」
イチャイチャって……! 一気に頭に血が上る。冗談めかした調子なのに、不思議と胸に残る。
「イチャイチャとかしないし……」
声が裏返りそうになって、さらに恥ずかしい。口では否定しながらも、心の奥では“もし”を思い描いてしまう。
「へえ~、そうなんだぁ?」
わざとらしい相槌に、耳まで熱くなる。柊の視線が熱を帯びている気がして、顔を上げられない。
「なに、期待してるの? 柊のエッチ」
やけくそで口走ったら――勇気を振り絞って言い返したはずなのに――。
「千歳くんは、期待してないの?」
目を逸らさずに問われて、胸がぎゅっと締めつけられる。反撃が鋭すぎる。
「ノーコメント」
もうそれ以上は耐えられなくて、それ以上は言えなくて、小さく呟いて、ぷいっと顔を背ける。
「ふふふっ」
柊の笑い声が追いかけてきて、ますます逃げ場がない。なのに――嫌じゃない。むしろ、嬉しいなんて。自分でも困る。からかうように笑い声も、なぜか優しく感じる。――その笑顔に触れたくて、心臓の鼓動が大きく響く。
そんなやりとりが、心地いい。もう、“泊まりに来てる”だけじゃない。ふたりは、暮らし始めている。
それが、恋人としての未来なのか、家族のはじまりなのか、今はまだ、言葉にするのは早すぎるかもしれない。
でも確かに、冷蔵庫の中には、柊の好きなグレープフルーツのゼリーが入っていた。
今日も、そんな音がした。
「ただいまー……って、あっつ……」
「……おかえり」
千歳はソファに座ったまま、文庫本から視線を上げる。柊はエアコンのリモコンを探しながら、「冷房弱くない?」と文句を言う。その言い草が、もう“ここが自分の部屋”だと思ってるみたいで、千歳は少しだけ笑った。
冷蔵庫を開けて、麦茶を取り出して、コップを使う。キッチン横の棚には、柊専用のマグカップがある。脱いだTシャツはいつものように、ソファの背もたれに引っかけられた。
——全部、千歳のものじゃないのに、全部、千歳の部屋にある。
「……ねぇ、柊くん」
「ん?」
麦茶を飲みながら振り返った柊に、千歳は言う。
「いつから、泊まりっぱなしなんだっけ」
柊はコップを置いて、少し考えるふりをしたあと、
「んー……先月?」
と、曖昧に答えた。
「もっと前でしょ」
「じゃあ、先々月」
「適当だな」
千歳がため息混じりに言うと、柊がゆっくりこちらに歩いてきて、ソファの隣に腰を下ろした。暑さでうっすらと汗で湿った腕が、すこしだけ触れる。
「でもさ」
「うん」
「そろそろ“泊まり”じゃなくて、“住む”ってことでいいんじゃない?」
さらりと、そんなことを言うから、千歳は一瞬言葉を失った。
「……柊が、そう思ってるとは思わなかった」
「思ってるよ? ずっと前から」
「でも、何も言わなかったじゃん」
「千歳の方から言ってほしかったんだよ」
ちょっと不満げに、でもどこか拗ねたように、柊は言った。
子供みたいだと思う反面、そう言ってもらえたことが、ただ嬉しかった。
千歳が立ち上がって、クローゼットを開ける。中には、柊のシャツが3枚、靴下の束、ドライヤー。洗面所には2本目の歯ブラシ、コンタクトケース、ヘアワックス。
全部、柊が“ここにいる”ための物だった。
「……冷蔵庫も、2人分の食材になってきたな」
「千歳が俺の分も買ってくるんだよ」
「文句ある?」
「ない。むしろ最高」
柊が、千歳の後ろからそっと抱きしめてくる。少し湿った髪が首筋に触れて、くすぐったい。しかも半裸……。熱い体温が直接伝わってくる。
(僕はいいけど、暑がりな柊くんは、余計、暑いんじゃない? いいの?)
と冷静なことを考えて、ドキドキをしずめようとする。
「住民票、移してもいい?」
と、柊が耳元で聞く。
「……は?」
「いや、免許の更新とかあるし」
「なんでそういうのから入るの」
「だって、そういうのが“暮らす”ってことでしょ?」
笑いながら、でも本気のような声で、柊は言った。千歳は目を伏せて、少しだけ顔が熱くなった。
「……正式にするなら、大家さんに言わないと。一人暮らしで契約してるから」
当たり前のことを言ったはずなのに、口にした瞬間、頬がじんわり熱を帯びた。自分で言いながら、妙にドキドキしているのがわかる。
「じゃあ言おう。広いから許されるんじゃない?」
柊は迷いもなく言ってのける。その真っ直ぐさに、胸がざわめく。柊は、まるで当たり前みたいに言うから余計に心臓に悪い。
「まあ、友達とシェアってことでね」
“友達”を強調して、わざと軽く笑ってみせる。けれど――。
「恋人と、じゃなくて?」
すぐさま切り返されて、息が詰まる。顔が熱い。耳に落ちたその言葉で、鼓動が跳ねた。
慌てて目を逸らす。けれど、横でじっと見てる気配がする。
「そこまで言わなくても……」
必死にごまかしているのに、声が震える。
「じゃあ、イチャイチャするときは、静かにね」
イチャイチャって……! 一気に頭に血が上る。冗談めかした調子なのに、不思議と胸に残る。
「イチャイチャとかしないし……」
声が裏返りそうになって、さらに恥ずかしい。口では否定しながらも、心の奥では“もし”を思い描いてしまう。
「へえ~、そうなんだぁ?」
わざとらしい相槌に、耳まで熱くなる。柊の視線が熱を帯びている気がして、顔を上げられない。
「なに、期待してるの? 柊のエッチ」
やけくそで口走ったら――勇気を振り絞って言い返したはずなのに――。
「千歳くんは、期待してないの?」
目を逸らさずに問われて、胸がぎゅっと締めつけられる。反撃が鋭すぎる。
「ノーコメント」
もうそれ以上は耐えられなくて、それ以上は言えなくて、小さく呟いて、ぷいっと顔を背ける。
「ふふふっ」
柊の笑い声が追いかけてきて、ますます逃げ場がない。なのに――嫌じゃない。むしろ、嬉しいなんて。自分でも困る。からかうように笑い声も、なぜか優しく感じる。――その笑顔に触れたくて、心臓の鼓動が大きく響く。
そんなやりとりが、心地いい。もう、“泊まりに来てる”だけじゃない。ふたりは、暮らし始めている。
それが、恋人としての未来なのか、家族のはじまりなのか、今はまだ、言葉にするのは早すぎるかもしれない。
でも確かに、冷蔵庫の中には、柊の好きなグレープフルーツのゼリーが入っていた。
10
あなたにおすすめの小説
転生したら親指王子?小さな僕を助けてくれたのは可愛いものが好きな強面騎士様だった。
音無野ウサギ
BL
目覚めたら親指姫サイズになっていた僕。親切なチョウチョさんに助けられたけど童話の世界みたいな展開についていけない。
親切なチョウチョを食べたヒキガエルに攫われてこのままヒキガエルのもとでシンデレラのようにこき使われるの?と思ったらヒキガエルの飼い主である悪い魔法使いを倒した強面騎士様に拾われて人形用のお家に住まわせてもらうことになった。夜の間に元のサイズに戻れるんだけど騎士様に幽霊と思われて……
可愛いもの好きの強面騎士様と異世界転生して親指姫サイズになった僕のほのぼの日常BL
【完結】父を探して異世界転生したら男なのに歌姫になってしまったっぽい
御堂あゆこ
BL
超人気芸能人として活躍していた男主人公が、痴情のもつれで、女性に刺され、死んでしまう。
生前の行いから、地獄行き確定と思われたが、閻魔様の気まぐれで、異世界転生することになる。
地獄行き回避の条件は、同じ世界に転生した父親を探し出し、罪を償うことだった。
転生した主人公は、仲間の助けを得ながら、父を探して旅をし、成長していく。
※含まれる要素
異世界転生、男主人公、ファンタジー、ブロマンス、BL的な表現、恋愛
※小説家になろうに重複投稿しています
異世界転移で、俺と僕とのほっこり溺愛スローライフ~間に挟まる・もふもふ神の言うこと聞いて珍道中~
兎森りんこ
BL
主人公のアユムは料理や家事が好きな、地味な平凡男子だ。
そんな彼が突然、半年前に異世界に転移した。
そこで出逢った美青年エイシオに助けられ、同居生活をしている。
あまりにモテすぎ、トラブルばかりで、人間不信になっていたエイシオ。
自分に自信が全く無くて、自己肯定感の低いアユム。
エイシオは優しいアユムの料理や家事に癒やされ、アユムもエイシオの包容力で癒やされる。
お互いがかけがえのない存在になっていくが……ある日、エイシオが怪我をして!?
無自覚両片思いのほっこりBL。
前半~当て馬女の出現
後半~もふもふ神を連れたおもしろ珍道中とエイシオの実家話
予想できないクスッと笑える、ほっこりBLです。
サンドイッチ、じゃがいも、トマト、コーヒーなんでもでてきますので許せる方のみお読みください。
アユム視点、エイシオ視点と、交互に視点が変わります。
完結保証!
このお話は、小説家になろう様、エブリスタ様でも掲載中です。
※表紙絵はミドリ/緑虫様(@cklEIJx82utuuqd)からのいただきものです。
イケメン後輩のスマホを拾ったらロック画が俺でした
天埜鳩愛
BL
☆本編番外編 完結済✨ 感想嬉しいです!
元バスケ部の俺が拾ったスマホのロック画は、ユニフォーム姿の“俺”。
持ち主は、顔面国宝の一年生。
なんで俺の写真? なんでロック画?
問い詰める間もなく「この人が最優先なんで」って宣言されて、女子の悲鳴の中、肩を掴まれて連行された。……俺、ただスマホ届けに来ただけなんだけど。
頼られたら嫌とは言えない南澤燈真は高校二年生。クールなイケメン後輩、北門唯が置き忘れたスマホを手に取ってみると、ロック画が何故か中学時代の燈真だった! 北門はモテ男ゆえに女子からしつこくされ、燈真が助けることに。その日から学年を越え急激に仲良くなる二人。燈真は誰にも言えなかった悩みを北門にだけ打ち明けて……。一途なメロ後輩 × 絆され男前先輩の、救いすくわれ・持ちつ持たれつラブ!
☆ノベマ!の青春BLコンテスト最終選考作品に加筆&新エピソードを加えたアルファポリス版です。
【完結】アイドルは親友への片思いを卒業し、イケメン俳優に溺愛され本当の笑顔になる <TOMARIGIシリーズ>
はなたろう
BL
TOMARIGIシリーズ②
人気アイドル、片倉理久は、同じグループの伊勢に片思いしている。高校生の頃に事務所に入所してからずっと、2人で切磋琢磨し念願のデビュー。苦楽を共にしたが、いつしか友情以上になっていった。
そんな伊勢は、マネージャーの湊とラブラブで、幸せを喜んであげたいが複雑で苦しい毎日。
そんなとき、俳優の桐生が現れる。飄々とした桐生の存在に戸惑いながらも、片倉は次第に彼の魅力に引き寄せられていく。
友情と恋心の狭間で揺れる心――片倉は新しい関係に踏み出せるのか。
人気アイドル<TOMARIGI>シリーズ新章、開幕!
心を閉ざした元天才ピアニストのルームメイトの氷を、寮長の僕が絶対溶かしてみせる。
水凪しおん
BL
全寮制の名門・蒼葉院学園の寮長である東雲晶のルームメイトになったのは、人形のように美しい転校生・雪村結。しかし、結は一切の感情を見せず、誰にも心を開こうとしない。
太陽のような晶の明るさも、結の凍てついた心には届かない。寮長としての義務感から始まった関係は、やがて結が抱える過去のトラウマに触れ、大きく動き出す。
心を閉ざした元天才ピアニストと、完璧な仮面を被った優等生。互いの弱さに触れた時、二人の世界は色づき始める。
302号室の月明かりの下で紡がれる、不器用で切ないヒーリングラブストーリー。
人気アイドルグループのリーダーは、気苦労が絶えない
タタミ
BL
大人気5人組アイドルグループ・JETのリーダーである矢代頼は、気苦労が絶えない。
対メンバー、対事務所、対仕事の全てにおいて潤滑剤役を果たす日々を送る最中、矢代は人気2トップの御厨と立花が『仲が良い』では片付けられない距離感になっていることが気にかかり──
俺の幼馴染が陽キャのくせに重すぎる!
佐倉海斗
BL
十七歳の高校三年生の春、少年、葉山葵は恋をしていた。
相手は幼馴染の杉田律だ。
……この恋は障害が多すぎる。
律は高校で一番の人気者だった。その為、今日も律の周りには大勢の生徒が集まっている。人見知りで人混みが苦手な葵は、幼馴染だからとその中に入っていくことができず、友人二人と昨日見たばかりのアニメの話で盛り上がっていた。
※三人称の全年齢BLです※
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる