【完結】君の声しか届かない〜癒し系配信者は、不器用な美形同級生でした⁉〜

リリーブルー

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第2章:想いの始まり

第10話「放送室の沈黙」

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 昼休み。

 千歳は、迷いながら放送室の前に立っていた。

 ひぃの声が、どうしても頭から離れなかった。

 もし、あの声の持ち主が柊だったら。

 そんなはずないと思いながらも、なぜか確信に近いものも一方であった。

 柊は、機材の扱いも、音に対するこだわりも、他の誰よりも繊細だった。

 そして、あの配信――“ひぃ”の音声もまた、聴く者の心をほぐす、細やかな工夫に満ちていた。

 同じ人が作ったと考えるのは自然だ。

 でも、確かめることはできない。

 柊は、近づけば近づくほど冷たくなる。

 そのくせ、目をそらすタイミングだけがやけに遅い。

 千歳は、そんな彼をもっと知りたくなっていた。

「……よし」

 意を決して、ノックをする。

「失礼します」

 ドアを開けると、室内には無機質な静けさが漂っていた。

 防音材の貼られた壁、ブラインドの下りた窓。音を吸う空間に、柊の存在だけが沈んでいる。

 彼は一瞬、顔を上げた。

「あ……」

 千歳が声をかけかけたその瞬間、柊はそっけなくモニターの方へ視線を戻した。

「用事なら、手短に」

 ぶっきらぼうな言い方だった。

 千歳は一歩だけ中へ進む。

「あの、昨日の台本、確認してもらおうと思って……。音の入り、変えた方がいいって、前に言ってたので」

「置いといて。あとで見る」

 柊は視線を合わせないまま言った。

 それだけで、千歳の喉が少し詰まった。

(……やっぱり違う。あの優しい、ひぃが、こんな冷たい言い方するはずない)
 
 柊の素っ気ない応対に傷つきながら千歳は思う。

 ひぃは、もっと柔らかくて、優しくて――。

 いや、もしかしたら、柊は照れ隠しで冷たくしてるだけかもしれない。

 千歳はそう思い直して、机に台本を置いた。

「あの、こないだの調整、すごく助かりました。……ありがとう」

 せっかく思い直してお礼も言ったのに、それにすら、返事はなかった。

 沈黙が、放送室を満たしていく。酷い。返事くらいしてくれたっていいのに。どういたしまして、とかいう決まり文句だっていい。それが礼儀だろう? 人としてのマナーだろう? それすらないの? そう、それすらしないのが、柊だよ。こんな人だよ、柊は。期待しちゃだめだ。ひぃとは違う。ひぃみたいな優しい応答を期待したら、失望するだけ。

 千歳は自分の爪先を見つめた。言葉を続けるべきかどうか、迷っていた。

 柊は、まだ何か作業しているふりをしていたが、手元のカーソルは微動だにしていなかった。

(もしかして……意識してる?)

 千歳は、心の中にふと生まれたその可能性に驚いた。

(でも、なんで?)

 考えがまとまらないまま、ふと柊の机の隅に置かれた小型マイクに目がとまる。

 その形状と、音質にこだわった特徴的な機材――

(……見たことある。あの配信で、“ひぃ”が使ってるって言ってたのと同じ……このマイクがいいですって言ってたから、調べたから知ってる)

 息を飲みそうになるのを、喉の奥で止める。

 もしかして、本当に――いや、待てよ、そういう性能のいいマイクなら、音に敏感な人なら、誰でも使ってるんじゃない? それが、ひぃと柊が同一人物っていう証拠にはならない――と思ったのに、

「柊くん」

 と、千歳は思わず柊の名前を呼んでいた。

 柊の肩が、ほんの少しだけ揺れた。

 でも、彼は顔を上げない。

「何」

 低く、抑えた声だった。

「その……、放送って、いつ頃からやってるの?」

 唐突な質問に、柊はやや怪訝そうな顔をした。

「中一のときから。……なんで?」

「ううん、なんとなく。……すごいなって思って」

 柊は、また黙る。

 その無言が、千歳には拒絶のように感じられた。

(今は、何も、話したくないのかもしれない。ううん、僕とは、話したくないのかも。話すことなんかないって思ってるのかも)

 千歳は、哀しみをこらえて、無理に少しだけ笑顔を作った。

「じゃあ、これだけ。……さっきの言い方、ちょっとだけ怖かった」

 冗談めかして言ったつもりだった。

 でも、柊の顔がほんの少し、曇ったように見えた。

「……悪かった」

 それだけを呟いて、視線を逸らした。
 
(まさかの……謝ってくれた!)

 その瞬間、千歳は確信した。

 やっぱり――柊は優しい人だ。いや、ただ悪かったって言っただけで、それだけで優しい人って判断するのはどうかしてるかもしれない。だけど、このときは、すごく、失望して悲しくて切なかったから、その、いいところに、すがりついたのかもしれない。好きになってしまった人を、いい人だって思いたかっただけかも。依存の始まり、なだけかも。

 だけど、僕は、その一言だけでも嬉しかった。

 柊は、本当は優しい人。ただ、それをどう表に出せばいいのか、わからないだけで。そう思える一言をもらえただけで。また今日を生きていける。

「ありがとう。また、あとでね」

 そう言って、千歳は放送室を出た。

 閉じたドアの向こう、何か言いかけたような気配があったけれど――

 届く前に、放送室の静寂に吸い込まれていった。

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