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第3章:距離の揺らぎ
第16話「文化祭前夜」【柊サイド】【千歳サイド】
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【柊サイド】
文化祭の準備は、いよいよ佳境に入った。
舞台装置や衣装、照明の最終チェックが終わり、あとは本番を迎えるだけ。
校舎の中は熱気と疲労とで、どこもざわついた空気に包まれていた。
夜。
部活動許可時間ぎりぎりの放送室。
机に肘をつきながら、柊はマイクの前でひとり、ヘッドホンをつけていた。
演劇部の公演用に、効果音とナレーションの微調整をしている。
録音済みの素材を確認し、波形を揃えてノイズを消す。
細かい作業に集中しながら、ふと、指が止まった。
千歳のセリフの収録。
少し前に録ったもの。
――台本にないアドリブの笑い声が混じっていた。
「……ああ……ここ……」
思わず、千歳の声に聴き入ってしまう。
温度がある。
心がある。
あんなふうに、心から誰かに笑いかけられる声。
(俺の前では……そんなふうに笑わないくせに)
わかってる。
それは、俺が無愛想にしてるからだ。
気まずくなったのは、たぶん、あの一言がきっかけだと思う。
――「……あんた、舞台俳優っていうより、人形みたいだな」
あれは、たしかにひどい言い方だった。人形って、いい意味ばかりとは言えないもんな。操り人形とか、血が通ってないとか、姿形だけきれいで表情のバリエーションがないとか、そんな負の意味にとらえられたら、酷い言葉になってしまう。
でも。そういうつもりじゃなかったんだ。
(あんなきれいなやつ、見たことなかった)
整った顔。
透きとおるような声。
そのすべてが、あまりに完成されていて、胸の奥がざわついた。それで、人形みたいだって、言っただけだったんだけど、その言葉が、傷つけてしまったのかな。もし、そうだとしたら、謝りたいけど、もう、ずいぶん時間が経っているから、今さらだって思われるかもしれない。謝りそびれてしまった。
あまりにきれいで、そして、動揺したあげく、変な言動しかできなくて、恥ずかしくて、自己嫌悪で、もう、どうしたらいいかわからなくて、どんどんドツボにはまって、ぎこちなくなって。いまさら、もう修復不可能で。だから、つい冷たくしてしまった。かっこつけてた、と思う。自分の気持ちを、うまく説明できなくて、謝ることも恥ずかしくて。
そして今さら、取り返しがつかない。
ヘッドホンを外し、柊は一度深く息を吐く。
そして、配信ソフトを立ち上げた。
収録ではない。けれどマイクに向かって座り直す。
配信はオンにしない。
これは“ひぃ”としての放送ではない。
ただ、自分のために、自分の声を録音するだけ。
マイクに、そっと口を寄せる。
指先が震えていた。
「……千歳」
マイクが、小さく反応した。
「……なんで、そんなに……お前ばっか、頭に残るんだよ……」
言葉は途切れ途切れになる。
胸の内にあったものが、声にならずに、喉で詰まる。
「ひぃとしてなら、話せるのに……俺じゃ、柊じゃあ、何も言えない……」
椅子の背に身を預けて、天井を仰ぐ。
明かりが、眩しくて、目を閉じた。
「明日、お前の芝居……ちゃんと、みんなに、観客に、届けるよ」
その言葉を最後に、録音を止めた。
保存はせず、すぐにデータを削除する。
言ってはいけない言葉だった。
知っている。
でも。
(俺の声が、届いたらいいのに)
文化祭の前夜、柊のほかには誰もいない放送室。
柊の声だけが、そこにあった。
【千歳サイド】
翌朝。
千歳は、文化祭の準備で慌ただしく登校していた。
なんとなく、昨晩の“ひぃ”の配信がなかったことが気になっている。
(もしかして……体調悪かったのかな)
スマホを開いても、新着はない。
フォローしている「ひぃ」のアカウントは、静かだった。
“今日の君は、どんな声で笑ってくれるんだろう”
ひぃの過去ログに残っていた一文を見て、胸が温かくなった。
――そうだ。今日こそは、ちゃんと見ていてもらえる気がする。
もし、ひぃが、柊くんなら。
そう思って、校舎に一歩、足を踏み入れた。
文化祭の準備は、いよいよ佳境に入った。
舞台装置や衣装、照明の最終チェックが終わり、あとは本番を迎えるだけ。
校舎の中は熱気と疲労とで、どこもざわついた空気に包まれていた。
夜。
部活動許可時間ぎりぎりの放送室。
机に肘をつきながら、柊はマイクの前でひとり、ヘッドホンをつけていた。
演劇部の公演用に、効果音とナレーションの微調整をしている。
録音済みの素材を確認し、波形を揃えてノイズを消す。
細かい作業に集中しながら、ふと、指が止まった。
千歳のセリフの収録。
少し前に録ったもの。
――台本にないアドリブの笑い声が混じっていた。
「……ああ……ここ……」
思わず、千歳の声に聴き入ってしまう。
温度がある。
心がある。
あんなふうに、心から誰かに笑いかけられる声。
(俺の前では……そんなふうに笑わないくせに)
わかってる。
それは、俺が無愛想にしてるからだ。
気まずくなったのは、たぶん、あの一言がきっかけだと思う。
――「……あんた、舞台俳優っていうより、人形みたいだな」
あれは、たしかにひどい言い方だった。人形って、いい意味ばかりとは言えないもんな。操り人形とか、血が通ってないとか、姿形だけきれいで表情のバリエーションがないとか、そんな負の意味にとらえられたら、酷い言葉になってしまう。
でも。そういうつもりじゃなかったんだ。
(あんなきれいなやつ、見たことなかった)
整った顔。
透きとおるような声。
そのすべてが、あまりに完成されていて、胸の奥がざわついた。それで、人形みたいだって、言っただけだったんだけど、その言葉が、傷つけてしまったのかな。もし、そうだとしたら、謝りたいけど、もう、ずいぶん時間が経っているから、今さらだって思われるかもしれない。謝りそびれてしまった。
あまりにきれいで、そして、動揺したあげく、変な言動しかできなくて、恥ずかしくて、自己嫌悪で、もう、どうしたらいいかわからなくて、どんどんドツボにはまって、ぎこちなくなって。いまさら、もう修復不可能で。だから、つい冷たくしてしまった。かっこつけてた、と思う。自分の気持ちを、うまく説明できなくて、謝ることも恥ずかしくて。
そして今さら、取り返しがつかない。
ヘッドホンを外し、柊は一度深く息を吐く。
そして、配信ソフトを立ち上げた。
収録ではない。けれどマイクに向かって座り直す。
配信はオンにしない。
これは“ひぃ”としての放送ではない。
ただ、自分のために、自分の声を録音するだけ。
マイクに、そっと口を寄せる。
指先が震えていた。
「……千歳」
マイクが、小さく反応した。
「……なんで、そんなに……お前ばっか、頭に残るんだよ……」
言葉は途切れ途切れになる。
胸の内にあったものが、声にならずに、喉で詰まる。
「ひぃとしてなら、話せるのに……俺じゃ、柊じゃあ、何も言えない……」
椅子の背に身を預けて、天井を仰ぐ。
明かりが、眩しくて、目を閉じた。
「明日、お前の芝居……ちゃんと、みんなに、観客に、届けるよ」
その言葉を最後に、録音を止めた。
保存はせず、すぐにデータを削除する。
言ってはいけない言葉だった。
知っている。
でも。
(俺の声が、届いたらいいのに)
文化祭の前夜、柊のほかには誰もいない放送室。
柊の声だけが、そこにあった。
【千歳サイド】
翌朝。
千歳は、文化祭の準備で慌ただしく登校していた。
なんとなく、昨晩の“ひぃ”の配信がなかったことが気になっている。
(もしかして……体調悪かったのかな)
スマホを開いても、新着はない。
フォローしている「ひぃ」のアカウントは、静かだった。
“今日の君は、どんな声で笑ってくれるんだろう”
ひぃの過去ログに残っていた一文を見て、胸が温かくなった。
――そうだ。今日こそは、ちゃんと見ていてもらえる気がする。
もし、ひぃが、柊くんなら。
そう思って、校舎に一歩、足を踏み入れた。
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