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第5章:真実の手前。声を越えて(高校三年生)
第30話「放送室で」
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ある日の昼休み。
千歳は一人で校舎を歩いていた。
どこかへ向かっているようで、どこにも向かっていないような足取りだった。
柊に話しかけることも、もうできなかった。
“ひぃ”の配信も、あれから更新されていない。
教室にいても落ち着かず、演劇部の部室も今は空いている。
何かがぽっかりと空いたまま、穴埋めのできない時間が流れていた。
ふと、視界の先に目立たない扉があった。
放送室。
(……開いてる?)
部外者は入ってはいけない場所。けれど、ドアがわずかに開いていた。
中からは何の音も聞こえない。人気もない。
躊躇いながらも、千歳はそっと扉に手をかけた。
「……失礼します」
誰もいないと確かめるように小さく声をかけ、足を踏み入れる。
ひんやりとした空気。整然とした卓上機材。録音マイク。
そして、壁際の小さな棚に、ノートが数冊積まれていた。
その中に、ひときわ目を引く、青いゴムバンドで留められたノートがあった。
手が勝手に伸びていた。
(勝手に触っちゃダメ……)
そう思いながらも、もう戻れなかった。
そのノートを開いた瞬間、千歳は言葉を失った。
《BGM案:静かな雨音/寝る前の声/10分以内》
《台詞:今日もおつかれさま/君の声が聴けて嬉しかった》
《声の色=少し低め/言葉に“あたたかさ”を入れること》
まるで台本のような、配信に向けた準備メモだった。
丁寧な文字。ところどころに書き込まれた消し跡と付箋。
“ひぃ”の録音は即興ではなかったのだ。
どの言葉を選ぶか、どんな間を置くか、感情の含ませ方まで……すべて緻密に設計されていた。
そして、ページをめくった先に、千歳の名があった。
《千歳くんが泣いた日、声をかけられなかった》
《“大丈夫?”って、ひぃとしてしか言えない自分が、悔しい》
《演技でしか自分を出せない彼に、本音で届く言葉って、あるのかな》
(……柊くん……)
呼吸が乱れていく。手が震える。
もう確信に変わっていた。
“ひぃ”は、柊だった。
そして彼は、千歳のことを、ずっと見ていた。
ただの受信者ではなく、声の向こうで誰かに寄り添おうと、必死だった。
ノートの奥、付箋がたくさん貼られたページには――
《千歳へ》
《君が、僕の声を好きだと言ってくれた夜。どうして涙が止まらなかったんだろう》
《君が誰かを信じるたびに、僕も少しだけ自分を信じられるような気がした》
《君が、僕を見てくれる日が来るなら。
そのときは、“柊”の声で、君に好きだと言いたい》
千歳はそのページに手を当てたまま、声も出せず立ち尽くした。
ノートを棚に戻し、千歳は小さく深呼吸をした。
目が赤くなっている。制服の袖で、そっと目元を拭った。
そして扉に背を向けたそのとき。
ガチャン、と別の音がして、背筋が凍った。
廊下に、誰かいた。
「……千歳?」
柊だった。
驚いたように立ち止まり、息を呑んだまま動かない。
千歳も、声が出なかった。
咄嗟にノートの話をするわけにもいかない。けれど――。
「……ごめん。勝手に入って」
柊は何も言わなかった。ただ、視線をそらして、ほんの少し顔をしかめた。
その沈黙が、苦しかった。
「“ひぃ”の、声……好きだったよ」
ようやく出た言葉は、かすれていた。
柊は、それでも目を合わせない。
けれど、指先が、微かに揺れた。
そのまま、二人は言葉も交わせないまま、放送室を出た。
廊下に残ったのは、戸惑いと痛みだけだった。
だけど千歳は、知ってしまった。
柊の声も、心も、ずっとそばにあったことを。
もう、引き返すつもりはなかった。
千歳は一人で校舎を歩いていた。
どこかへ向かっているようで、どこにも向かっていないような足取りだった。
柊に話しかけることも、もうできなかった。
“ひぃ”の配信も、あれから更新されていない。
教室にいても落ち着かず、演劇部の部室も今は空いている。
何かがぽっかりと空いたまま、穴埋めのできない時間が流れていた。
ふと、視界の先に目立たない扉があった。
放送室。
(……開いてる?)
部外者は入ってはいけない場所。けれど、ドアがわずかに開いていた。
中からは何の音も聞こえない。人気もない。
躊躇いながらも、千歳はそっと扉に手をかけた。
「……失礼します」
誰もいないと確かめるように小さく声をかけ、足を踏み入れる。
ひんやりとした空気。整然とした卓上機材。録音マイク。
そして、壁際の小さな棚に、ノートが数冊積まれていた。
その中に、ひときわ目を引く、青いゴムバンドで留められたノートがあった。
手が勝手に伸びていた。
(勝手に触っちゃダメ……)
そう思いながらも、もう戻れなかった。
そのノートを開いた瞬間、千歳は言葉を失った。
《BGM案:静かな雨音/寝る前の声/10分以内》
《台詞:今日もおつかれさま/君の声が聴けて嬉しかった》
《声の色=少し低め/言葉に“あたたかさ”を入れること》
まるで台本のような、配信に向けた準備メモだった。
丁寧な文字。ところどころに書き込まれた消し跡と付箋。
“ひぃ”の録音は即興ではなかったのだ。
どの言葉を選ぶか、どんな間を置くか、感情の含ませ方まで……すべて緻密に設計されていた。
そして、ページをめくった先に、千歳の名があった。
《千歳くんが泣いた日、声をかけられなかった》
《“大丈夫?”って、ひぃとしてしか言えない自分が、悔しい》
《演技でしか自分を出せない彼に、本音で届く言葉って、あるのかな》
(……柊くん……)
呼吸が乱れていく。手が震える。
もう確信に変わっていた。
“ひぃ”は、柊だった。
そして彼は、千歳のことを、ずっと見ていた。
ただの受信者ではなく、声の向こうで誰かに寄り添おうと、必死だった。
ノートの奥、付箋がたくさん貼られたページには――
《千歳へ》
《君が、僕の声を好きだと言ってくれた夜。どうして涙が止まらなかったんだろう》
《君が誰かを信じるたびに、僕も少しだけ自分を信じられるような気がした》
《君が、僕を見てくれる日が来るなら。
そのときは、“柊”の声で、君に好きだと言いたい》
千歳はそのページに手を当てたまま、声も出せず立ち尽くした。
ノートを棚に戻し、千歳は小さく深呼吸をした。
目が赤くなっている。制服の袖で、そっと目元を拭った。
そして扉に背を向けたそのとき。
ガチャン、と別の音がして、背筋が凍った。
廊下に、誰かいた。
「……千歳?」
柊だった。
驚いたように立ち止まり、息を呑んだまま動かない。
千歳も、声が出なかった。
咄嗟にノートの話をするわけにもいかない。けれど――。
「……ごめん。勝手に入って」
柊は何も言わなかった。ただ、視線をそらして、ほんの少し顔をしかめた。
その沈黙が、苦しかった。
「“ひぃ”の、声……好きだったよ」
ようやく出た言葉は、かすれていた。
柊は、それでも目を合わせない。
けれど、指先が、微かに揺れた。
そのまま、二人は言葉も交わせないまま、放送室を出た。
廊下に残ったのは、戸惑いと痛みだけだった。
だけど千歳は、知ってしまった。
柊の声も、心も、ずっとそばにあったことを。
もう、引き返すつもりはなかった。
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