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第5章:真実の手前。声を越えて(高校三年生)
第33話「千歳が学校を休んだ日」
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次の朝、目覚ましが鳴っても、千歳は起き上がれなかった。
目は覚めていたのに、体が動かなかった。
布団の中で小さく丸まって、息を潜めていた。
(あんな顔、柊くんに見せたくなかった……)
昨日、放送室で話したこと。
自分の家のことを、はじめて他人に話したこと。
知られたくなかった。でも、知られてしまった。
優しくされた。
受け入れてくれた。
なのに、その優しさが、余計に苦しくなった。
(僕なんかが、“一緒にいたい”なんて、言っちゃいけなかった)
ずっと、恥ずかしかった。
部屋のドアを開けっぱなしにされるのも、机の引き出しを勝手に漁られるのも。
母の前では何も言えない自分も。
……だけど、それが“おかしい”と気づいたのは、昨日が初めてだった。
――だからこそ、柊に知られたことが、たまらなく恥ずかしい。
(僕は、きっと嫌われた)
心が、ぐしゃぐしゃに潰れていくようだった。
その朝、千歳は制服に着替えることができなかった。
制服の袖に手を通そうとしたけれど、途中で動きを止めてしまう。制服のボタンに手をかけたまま、動けなくなっていた。
鏡の前の自分が、まるで「なにかをやらかした子ども」に見えた。
目は覚めていた。熱もなかった。ただ、体の奥に冷たいものが沈んでいる気がした。
(……どうして、こんなに恥ずかしいんだろう)
昨日、放送室で柊と話したことが、ずっと胸の奥に残っていた。
ちゃんと想いを伝えられた。柊も、拒絶しなかった。
なのに――帰ってから、千歳は何度も、鏡の前で立ちすくんだ。
「……本当に、僕……恥ずかしいな」
ぽつりとつぶやいた声が、あまりにも情けなくて、自分で目を伏せたくなった。
昨日の会話の中で、自分がどれだけ“わかったふり”をしていたか、今になって痛いほどわかる。
(僕……、恥ずかしいやつだ)
あのときは、わかったふりをした。
自分の家庭の異常さも、境界感覚のなさも、過干渉に支配されていた日々も。
でも、本当は何もわかってなかった。
“ノートなんか勝手に見ない方がいい”
“ちゃんと人の気持ちを守れ”
柊は、正しいことを言っただけなのに。
なぜか、それが胸に刺さって抜けなくて――
(柊くんは、優しかった。怒ってもよかったのに、傷つける言葉は言わなかった。
なのに……僕は、どうして……)
『……なんでそんな簡単に人のノート、見られるんだよ』
柊が言ったあの一言。
それは怒りじゃなかった。ただの当たり前の感覚だった。
――でも、千歳にはその“当たり前”が、ない。
(だって、僕の母は……いつも勝手に見るし)
日記も、手紙も、机の中も、ゴミ箱の中身すらも。
昔からずっと、全部、勝手に“見られるもの”だった。
(ずっと……嫌だった。けど、そういうもんだと思ってた)
他の家がどうかなんて、知らなかった。
「お母さんには隠し事しないのよ」「感謝しなさい」「心配してるだけでしょ」
――そう言われ続けて、ずっと飲み込んできた。
でも、柊の何気ない言葉で、世界がぐらりと傾いた。
(僕……変だったのかな)
柊のノートを、勝手に見てしまったこと。
それを、柊は優しく受け止めてくれた。責めずに、たしなめるように。
だけど、千歳は気づいてしまった。
「俺だからよかったけど、普通なら……」
――そう。自分は、ちゃんと“傷つけていた”のだ。
誰かの大切なものに、無自覚に土足で踏み込んでいたかもしれない。
女子にモテなかったのも、嫌われていたのも――もしや、そのせいだったのでは?
(僕、気づかないうちに、人を嫌な気持ちにさせてたのかも)
知らないことが、罪になることもある。
知らないまま大人になっていくことが、こんなに苦しいなんて、思いもしなかった。
制服のボタンを留める手が、ぶるりと震えた。
(こんなんで、柊くんの隣に立てるの……?)
頭の中に浮かぶのは、彼の目だった。
まっすぐで、嘘のない瞳。言葉はぶっきらぼうでも、その奥にあるものはいつも透き通っていた。
(僕なんかが、あの人の“好き”に応えられるんだろうか)
涙が込み上げた。
息が苦しくなって、千歳はそのままベッドに倒れ込んだ。
制服の袖は、まだ半分も通せていなかった。
カーテンの隙間から、まばゆい朝の光が差し込んでいた。しかし光が降り注いでいる窓の向こうの世界は、自分が出ていけない遠い場所のように感じられた。
その日、千歳は学校を休んだ。
母には「ちょっと熱っぽい」とだけ言った。
体温計を渡されても、37度に届かない数字に気づかれないよう、そっと額に手を当ててごまかした。
ベッドの中で、何度も天井を見つめた。
柊に会いたかった。声を聞きたかった。
でも、同時に――どうしても、顔を合わせる勇気が出なかった。
彼に拒絶されたわけではない。むしろ受け入れられた。
なのに、こんなにも自分が恥ずかしくて、いたたまれなくて……。
(自分のことを話すって、こんなに……怖いんだ)
自分の家庭が“普通じゃなかった”ことを、柊に知られてしまった。
知られてしまった自分を、恥ずかしいと思う自分が、さらに恥ずかしかった。
“いい子”として育てられた千歳にとって、それは自己否定に近い痛みだった。
目は覚めていたのに、体が動かなかった。
布団の中で小さく丸まって、息を潜めていた。
(あんな顔、柊くんに見せたくなかった……)
昨日、放送室で話したこと。
自分の家のことを、はじめて他人に話したこと。
知られたくなかった。でも、知られてしまった。
優しくされた。
受け入れてくれた。
なのに、その優しさが、余計に苦しくなった。
(僕なんかが、“一緒にいたい”なんて、言っちゃいけなかった)
ずっと、恥ずかしかった。
部屋のドアを開けっぱなしにされるのも、机の引き出しを勝手に漁られるのも。
母の前では何も言えない自分も。
……だけど、それが“おかしい”と気づいたのは、昨日が初めてだった。
――だからこそ、柊に知られたことが、たまらなく恥ずかしい。
(僕は、きっと嫌われた)
心が、ぐしゃぐしゃに潰れていくようだった。
その朝、千歳は制服に着替えることができなかった。
制服の袖に手を通そうとしたけれど、途中で動きを止めてしまう。制服のボタンに手をかけたまま、動けなくなっていた。
鏡の前の自分が、まるで「なにかをやらかした子ども」に見えた。
目は覚めていた。熱もなかった。ただ、体の奥に冷たいものが沈んでいる気がした。
(……どうして、こんなに恥ずかしいんだろう)
昨日、放送室で柊と話したことが、ずっと胸の奥に残っていた。
ちゃんと想いを伝えられた。柊も、拒絶しなかった。
なのに――帰ってから、千歳は何度も、鏡の前で立ちすくんだ。
「……本当に、僕……恥ずかしいな」
ぽつりとつぶやいた声が、あまりにも情けなくて、自分で目を伏せたくなった。
昨日の会話の中で、自分がどれだけ“わかったふり”をしていたか、今になって痛いほどわかる。
(僕……、恥ずかしいやつだ)
あのときは、わかったふりをした。
自分の家庭の異常さも、境界感覚のなさも、過干渉に支配されていた日々も。
でも、本当は何もわかってなかった。
“ノートなんか勝手に見ない方がいい”
“ちゃんと人の気持ちを守れ”
柊は、正しいことを言っただけなのに。
なぜか、それが胸に刺さって抜けなくて――
(柊くんは、優しかった。怒ってもよかったのに、傷つける言葉は言わなかった。
なのに……僕は、どうして……)
『……なんでそんな簡単に人のノート、見られるんだよ』
柊が言ったあの一言。
それは怒りじゃなかった。ただの当たり前の感覚だった。
――でも、千歳にはその“当たり前”が、ない。
(だって、僕の母は……いつも勝手に見るし)
日記も、手紙も、机の中も、ゴミ箱の中身すらも。
昔からずっと、全部、勝手に“見られるもの”だった。
(ずっと……嫌だった。けど、そういうもんだと思ってた)
他の家がどうかなんて、知らなかった。
「お母さんには隠し事しないのよ」「感謝しなさい」「心配してるだけでしょ」
――そう言われ続けて、ずっと飲み込んできた。
でも、柊の何気ない言葉で、世界がぐらりと傾いた。
(僕……変だったのかな)
柊のノートを、勝手に見てしまったこと。
それを、柊は優しく受け止めてくれた。責めずに、たしなめるように。
だけど、千歳は気づいてしまった。
「俺だからよかったけど、普通なら……」
――そう。自分は、ちゃんと“傷つけていた”のだ。
誰かの大切なものに、無自覚に土足で踏み込んでいたかもしれない。
女子にモテなかったのも、嫌われていたのも――もしや、そのせいだったのでは?
(僕、気づかないうちに、人を嫌な気持ちにさせてたのかも)
知らないことが、罪になることもある。
知らないまま大人になっていくことが、こんなに苦しいなんて、思いもしなかった。
制服のボタンを留める手が、ぶるりと震えた。
(こんなんで、柊くんの隣に立てるの……?)
頭の中に浮かぶのは、彼の目だった。
まっすぐで、嘘のない瞳。言葉はぶっきらぼうでも、その奥にあるものはいつも透き通っていた。
(僕なんかが、あの人の“好き”に応えられるんだろうか)
涙が込み上げた。
息が苦しくなって、千歳はそのままベッドに倒れ込んだ。
制服の袖は、まだ半分も通せていなかった。
カーテンの隙間から、まばゆい朝の光が差し込んでいた。しかし光が降り注いでいる窓の向こうの世界は、自分が出ていけない遠い場所のように感じられた。
その日、千歳は学校を休んだ。
母には「ちょっと熱っぽい」とだけ言った。
体温計を渡されても、37度に届かない数字に気づかれないよう、そっと額に手を当ててごまかした。
ベッドの中で、何度も天井を見つめた。
柊に会いたかった。声を聞きたかった。
でも、同時に――どうしても、顔を合わせる勇気が出なかった。
彼に拒絶されたわけではない。むしろ受け入れられた。
なのに、こんなにも自分が恥ずかしくて、いたたまれなくて……。
(自分のことを話すって、こんなに……怖いんだ)
自分の家庭が“普通じゃなかった”ことを、柊に知られてしまった。
知られてしまった自分を、恥ずかしいと思う自分が、さらに恥ずかしかった。
“いい子”として育てられた千歳にとって、それは自己否定に近い痛みだった。
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