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35. 愛情表現は婉曲に。ハルデンマルクの現状
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「おはようございます、ブラッドリー」
毎朝恒例となっている運動ルーティンを終えたブラッドリーには、ここ最近で新しい日課が加わった。
分厚いカーテンの閉まる部屋で、愛しい人の寝顔を鑑賞することだ。
秋も終わりに差しかかる頃になると太陽が顔を出す時間は日に日に遅くなっていくが、夜目が効く筋肉バカにはそんなこと関係ない。
ベッドに横たわりながら溶けそうなほどに満面の笑みで、眠る皇子を眺めている。
「主、ご起床の時間でございます」
扉の外から家令の呼びかけがある。
「主……主、お目覚めの時間でございます……ブラッドリー様、お手伝いをお願いします」
二度三度と声を掛けたのでは全く足りない。
そんなことで夢の世界から帰ってきてくれる皇子ではない。
それを分かっている家令は早々に降参し、隣にいるであろう護衛騎士へと助けを求めた。
「殿下、朝です。おはようございます。起きてください」
「んん……」
髪の散らばる肩を揺すって覚醒を促す。
二度三度と繰り返しただけでは全く足りない。
それを承知でブラッドリーは、根気強く皇子の眠気を吹き飛ばすことに注力した。
本当に、今まで一体どうやって起こしていたんだろう。
クインテ元師団長も苦労したんだろうか。
苦笑いしながらそんなことを思う。
「んんん……あ……おはようございます、ブラッドリー」
「おはようございます、殿下。さぁ、起き上がりましょうね」
横たわる背中に腕を差し込んで、一気にその身体を起こす。
抵抗は一切ない、されるがままだ。
紫シルバーの瞳は見えない。
瞼は未だに固く閉じられている。
「殿下、起きてください。ジュディスが待っていますから、隣まで移動しなければいけません」
「運んで……」
シェルエンは空中に腕を差し出した。
それは恋人同士になってから日課になったやりとりだ。
想いを繋げ合う前はどうにかこうにか自分の足で歩いていたのだが、関係性が変わってからはその努力は跡形もなく消えてしまった。
ぽやぽやとした空気を纏いながら甘えるシェルエンが可愛すぎるので、ブラッドリーには拒否する気持ちなど微塵もない。
「俺に連れて行ってほしいですか?」
「ほしいです」
「連れて行ったら、ご褒美の口づけを頂けますか?」
戯れのつもりで訊いた。
寝起きで頭も回っていないだろう、と。
すると、突然目を開けたシェルエンは、両腕をブラッドリーの首に回して引き寄せた。
「っ……!」
そのまま唇が重なる。
やわらかく当たったその感触は、けれど何もなかったようにすぐに離れていった。
「殿下、これは……」
「前払いにしました。そうすれば、やる気が漲って丁寧な運搬になるでしょう?」
未だにまどろみを引きずる瞳は、幼さの中に大人のずるさも滲ませていて。
それがあまりにも魅力的で。
ブラッドリーは思わず身を寄せた。
昨日身体を繋げたのに、欲望は限界知らずで溜まっていく。
花の香りのする口元へ近づいていく。
あと一歩というところで、ブラッドリーの唇はシェルエンの手の平によって蓋がされてしまった。
睨む護衛騎士だが、主人は首を振るだけだ。
「前払いは完了しています。追加料金は、あなたの働き次第です」
上手だ。
恋愛経験などないと言っていたのに、生まれながらの皇子は人心掌握に長けている。
甘えて、揺さぶって、突き放すのが何とも上手い。
ブラッドリーはいつもその手の平で転がされているのを、ひしひしと実感する。
けれど、それが楽しい。
そうやってじゃれているのが楽しい。
ブラッドリーは仕返しとばかりに、勢いよく体勢を低くした。
シェルエンの腹部に肩を差し込んで、荷物のような二つ折りの格好でその身体を持ち上げた。
恋人同士になってからはやっていなかった。
「わ、あ! ……あぁ、懐かしいですね、この格好」
「意地悪をする主人に、せめてもの抗議です」
「ふふふ、いじけないでください。きちんと連れて行ってくれれば、ご褒美をあげますから」
「超特急で参ります」
「あはは、乱暴ですね」
シェルエンの笑い声が室内に響く。
彼らが通った地面の上には道案内をするように、ホワイトパールの花がひとつ、またひとつ、と落ちていた。
∞∞∞∞∞∞∞
その日の午後は、第三皇子であるカイザックの訪問があった。
先日と同じように、護衛二名を引き連れて応接室へと入ってきた。
「兄様、もうそろそろ朝晩は本格的に冷え込むようになったけど、風邪なんか引いてない?」
「ええ、問題なく過ごしています。私よりもカイザックの方が体調を崩しやすいでしょう? 季節の変わり目はいつも寝込んでいるとヴィヴィアン様に聞いています」
「なんだ、知られてたか。母様ってば、私の格好悪い情報ばかり兄様に流すんだから」
伽羅色の髪の皇子は、相変わらず砕けたものの言い方をする。
様々な思惑の人間が密集する皇城や宮殿内で生まれ育った生粋の皇族が、ここまでオープンな態度を実現できるのは珍しい。
とはいえ、シェルエンの護衛騎士になってから何度かこのカイザックと会う機会があったため、ブラッドリーは既に気づいている。
この皇子は意外と策士だ。
草食動物のような見た目をしているが、その実、草食動物に擬態している肉食動物に他ならない。
周りを油断させて情報を集め、計略をめぐらす。
狙った獲物は必ず仕留めるタイプだ。
シェルエンに対しては謀はなく、純粋な好意のみを抱いていると分かるので、ブラッドリーは特に警戒していない。
「カイザック、今日はどうしました?」
「もうそろそろだよ、と知らせに来たんだ。狼煙が上がるのは二週間以内と見込んでる。大公と結託した隣国の船が夜を徹してハルデンマルクに集結してるって。国の大臣の半数以上が、大公派に寝返ったらしい」
「国王の容体は?」
「危篤状態。一週間が山だって」
「大公と王太子の戦力差はどれくらいですか?」
シェルエンとカイザックの会話に割り込んだのはブラッドリーだ。
皇族同士の会話に割り込んだ彼を、対面するカイザックの護衛騎士が凍りついた眼差しで見つめているが、当の皇族本人たちは無礼だと憤る様子もない。
「大公優勢だね。王太子側から続々と寝返っているという噂だよ」
「勝てる見込みの大きい方に味方するのは当然ですからね……負ければ、一族郎党は全て斬首でしょうし」
「もうひとつ質問があります。大公側には、殿下の奇病についての情報は渡ってしまっているんですか?」
「うん、既にね。何としても兄様を王太子から奪って、自分たちのものにしたい、と考えてるみたい」
「殿下は王太子のものではありません。さらに言えば、第二妃や第二皇子のものでもありません」
「へぇ……じゃあ、正確に言えば誰のものだと?」
挑発的な顔になったカイザックとブラッドリーの視線が空中でぶつかる。
弾けた稲妻が部屋の四方に飛んで壁を貫くようだ。
「殿下は誰のものでもありません。ご自身のものです。誰かの所有物になっていい方ではありません」
「なんだ、つまらない。殿下は俺のものだ、とか言い出すのかと思ってたのに」
「はい?」
「え?」
「「……え?」」
驚きの声を発したのは、カイザック以外の四名だった。
「兄様、何をそんなに驚いてるんです? 騎士と恋仲になったんでしょう?」
「……カイザック、一体どこからその情報を?」
邸で働く人間に、シェルエンについての情報を漏らす者はいないはずだ。
忠誠心の塊と言い切っていいほどに皆、シェルエンを無限大に敬っている。
ならば、潜むことを生業としている諜報を、誰かが飼っている以外に考えられる選択肢はない。
それが第三皇子の配下か、それとももっと上に座る存在の駒かは分かり得ない。
分かり得ないのならば、ブラッドリーがすべき行動はただひとつ。
事実という折れぬ剣で、牽制という一太刀を誰の前にも閃かせておくことだ。
シェルエン・ファン・エリウッドの後ろには必ず自分がいると示しておくことは、暗闇から奇襲を仕掛けようとしている幾つかの剣を事前に砕くことに繋がる。
「はい。恋仲となりました」
「ブラッドリー?」
振り返ったシェルエンに一瞬だけ微笑んだブラッドリーは、すぐに無表情に変わり、そのままカイザックと対峙した。
「へぇ、聞きしに勝る度胸だな。そうなったからには兄様へのどんな攻撃も防ぐと?」
「防ぎます」
「こう言ってはなんだけど、その事実がどこぞに漏れて、お前自身も命を狙われるようになるかもしれないよ」
「ご心配には及びません。根こそぎ倒せばいいだけですので」
「あはは、本当に……代々猛者揃いの第一騎士団の中でも、過去に十数名しか持つことを許されなかった二つ名。それをその若さで得ただけはあるな。兄様、凄いのに捕まったね」
些か同情を含む視線をシェルエンへと投げかけるカイザック。
誤解があるな、とブラッドリーは瞬時に思った。
訂正は厭わない。
「俺が捕まりました。捕まえたのは殿下です」
「捕まえたなんて、私はそんなに不届きなことをした憶えはありませんが……間違いではないですか?」
「全くもって間違いではありません。俺は殿下のものですので」
「私は誰のものでもないと先ほどあなたは言っていましたよね? であるならば、あなたもあなた以外のものにはならないのではないですか?」
「いいえ、なります。俺の何もかもを掌握しているのは、殿下ですから」
「そうなんですね……大きすぎてひとりでは持てなさそうですね」
「兄様の護衛騎士は身体が大きいからね。両手でも抱えられなさそうだよね」
両手を広げてなぜか降参のポーズをしているカイザック。
呆れられる要素はどこにもないはずだが、お手上げというならば見て見ぬ振りをしておこう。
「そうですね。私がブラッドリーを持ち上げたらきっと、その場で力尽きてへたり込むと思います」
「殿下、ご安心ください。そうならないように俺が殿下を抱き上げますから」
「んんん? あなたを持つのは私なのに?」
「俺の心だけ持ってくだされば十分です。あとの何もかもは俺が片付けます」
矛盾だらけの甘い雰囲気に、ついには目を閉じて首を振り始めたカイザック。
何も可笑しいことは言っていないはずだが、どうしてそんなリアクションをされるのか、至って不思議だ。
「兄様、今ならまだ間に合うから逃げた方がいいかもしれないよ。護衛騎士の愛が重すぎて、いつかふたりして身を滅ぼす気がする」
「ブラッドリーと共に星屑になるならば、それも受け入れましょう」
「天空で、時間の概念に捉われることなく殿下と寄り添いたいです」
上流階級の人間は、「好き」や「愛している」という直截な愛情表現をしない。
婉曲かつ美しい言い回しで愛を伝えてこその教養だ、と驕っているからである。
想いになんの装飾をせずに口から出すのは、ある種品を欠く行為だと冷笑される。
好きだ。
愛している。
それは庶民のみが使う、素朴で明け透けな表現だ。
シェルエンの言い回しは最上流に位置する身分としては噛み砕かれているが、やはり遠回しな傾向にある。
思春期を貴族学校の寮で過ごし、風情など塵と化した騎士団に長年身を置いていたブラッドリーには、その婉曲が少しだけむずむずする時がある。
本当は心のままに告げてしまいたい時がある。
好きだ。
愛している。
そう、熱く告白したい時がある。
けれど、しない。
失望されたくないから。
認めてもらいたいから。
シェルエンの図書室から詩集を拝借して、こっそりと学習しているブラッドリーだ。
その姿を目撃した使用人ズ全員から、秘かに応援されているとも知らず。
愛しい人に囁く愛の言葉を、日々、心のメモに書き留めている。
「あぁ、やんなっちゃうな。まさか兄様に恋愛模様を自慢される日が来るなんて、思いもしなかったよ」
「カイザックにも早く運命の人が現れるといいですね」
「唯一を手にした余裕が、そこはかとなく腹の奥を燻すな。兄様相手に悔しいなんていう感情を抱くことがあるなんて、自分でも驚いているよ」
「ふふふ、恋する男子は盲目ですから」
運命の人、唯一、盲目、そんな言葉がブラッドリーの頭を支配した。
麗しい主人にとって、まさか自分がそんな存在になれるなんて。
感動したブラッドリーは顔を手で覆った。
「護衛騎士が自分の世界に入っちゃったけど、まぁ放っておこう。兄様、もう一度言うけど二週間だからね。作戦に変更点はないよ」
「ええ、分かっています。これは絶対にものにしなければならない、絶好のチャンスですから」
皇子ふたりの密談はそれからしばらく続いた。
護衛騎士がその空間できちんと任務を果たせたのかは、次のページで。
毎朝恒例となっている運動ルーティンを終えたブラッドリーには、ここ最近で新しい日課が加わった。
分厚いカーテンの閉まる部屋で、愛しい人の寝顔を鑑賞することだ。
秋も終わりに差しかかる頃になると太陽が顔を出す時間は日に日に遅くなっていくが、夜目が効く筋肉バカにはそんなこと関係ない。
ベッドに横たわりながら溶けそうなほどに満面の笑みで、眠る皇子を眺めている。
「主、ご起床の時間でございます」
扉の外から家令の呼びかけがある。
「主……主、お目覚めの時間でございます……ブラッドリー様、お手伝いをお願いします」
二度三度と声を掛けたのでは全く足りない。
そんなことで夢の世界から帰ってきてくれる皇子ではない。
それを分かっている家令は早々に降参し、隣にいるであろう護衛騎士へと助けを求めた。
「殿下、朝です。おはようございます。起きてください」
「んん……」
髪の散らばる肩を揺すって覚醒を促す。
二度三度と繰り返しただけでは全く足りない。
それを承知でブラッドリーは、根気強く皇子の眠気を吹き飛ばすことに注力した。
本当に、今まで一体どうやって起こしていたんだろう。
クインテ元師団長も苦労したんだろうか。
苦笑いしながらそんなことを思う。
「んんん……あ……おはようございます、ブラッドリー」
「おはようございます、殿下。さぁ、起き上がりましょうね」
横たわる背中に腕を差し込んで、一気にその身体を起こす。
抵抗は一切ない、されるがままだ。
紫シルバーの瞳は見えない。
瞼は未だに固く閉じられている。
「殿下、起きてください。ジュディスが待っていますから、隣まで移動しなければいけません」
「運んで……」
シェルエンは空中に腕を差し出した。
それは恋人同士になってから日課になったやりとりだ。
想いを繋げ合う前はどうにかこうにか自分の足で歩いていたのだが、関係性が変わってからはその努力は跡形もなく消えてしまった。
ぽやぽやとした空気を纏いながら甘えるシェルエンが可愛すぎるので、ブラッドリーには拒否する気持ちなど微塵もない。
「俺に連れて行ってほしいですか?」
「ほしいです」
「連れて行ったら、ご褒美の口づけを頂けますか?」
戯れのつもりで訊いた。
寝起きで頭も回っていないだろう、と。
すると、突然目を開けたシェルエンは、両腕をブラッドリーの首に回して引き寄せた。
「っ……!」
そのまま唇が重なる。
やわらかく当たったその感触は、けれど何もなかったようにすぐに離れていった。
「殿下、これは……」
「前払いにしました。そうすれば、やる気が漲って丁寧な運搬になるでしょう?」
未だにまどろみを引きずる瞳は、幼さの中に大人のずるさも滲ませていて。
それがあまりにも魅力的で。
ブラッドリーは思わず身を寄せた。
昨日身体を繋げたのに、欲望は限界知らずで溜まっていく。
花の香りのする口元へ近づいていく。
あと一歩というところで、ブラッドリーの唇はシェルエンの手の平によって蓋がされてしまった。
睨む護衛騎士だが、主人は首を振るだけだ。
「前払いは完了しています。追加料金は、あなたの働き次第です」
上手だ。
恋愛経験などないと言っていたのに、生まれながらの皇子は人心掌握に長けている。
甘えて、揺さぶって、突き放すのが何とも上手い。
ブラッドリーはいつもその手の平で転がされているのを、ひしひしと実感する。
けれど、それが楽しい。
そうやってじゃれているのが楽しい。
ブラッドリーは仕返しとばかりに、勢いよく体勢を低くした。
シェルエンの腹部に肩を差し込んで、荷物のような二つ折りの格好でその身体を持ち上げた。
恋人同士になってからはやっていなかった。
「わ、あ! ……あぁ、懐かしいですね、この格好」
「意地悪をする主人に、せめてもの抗議です」
「ふふふ、いじけないでください。きちんと連れて行ってくれれば、ご褒美をあげますから」
「超特急で参ります」
「あはは、乱暴ですね」
シェルエンの笑い声が室内に響く。
彼らが通った地面の上には道案内をするように、ホワイトパールの花がひとつ、またひとつ、と落ちていた。
∞∞∞∞∞∞∞
その日の午後は、第三皇子であるカイザックの訪問があった。
先日と同じように、護衛二名を引き連れて応接室へと入ってきた。
「兄様、もうそろそろ朝晩は本格的に冷え込むようになったけど、風邪なんか引いてない?」
「ええ、問題なく過ごしています。私よりもカイザックの方が体調を崩しやすいでしょう? 季節の変わり目はいつも寝込んでいるとヴィヴィアン様に聞いています」
「なんだ、知られてたか。母様ってば、私の格好悪い情報ばかり兄様に流すんだから」
伽羅色の髪の皇子は、相変わらず砕けたものの言い方をする。
様々な思惑の人間が密集する皇城や宮殿内で生まれ育った生粋の皇族が、ここまでオープンな態度を実現できるのは珍しい。
とはいえ、シェルエンの護衛騎士になってから何度かこのカイザックと会う機会があったため、ブラッドリーは既に気づいている。
この皇子は意外と策士だ。
草食動物のような見た目をしているが、その実、草食動物に擬態している肉食動物に他ならない。
周りを油断させて情報を集め、計略をめぐらす。
狙った獲物は必ず仕留めるタイプだ。
シェルエンに対しては謀はなく、純粋な好意のみを抱いていると分かるので、ブラッドリーは特に警戒していない。
「カイザック、今日はどうしました?」
「もうそろそろだよ、と知らせに来たんだ。狼煙が上がるのは二週間以内と見込んでる。大公と結託した隣国の船が夜を徹してハルデンマルクに集結してるって。国の大臣の半数以上が、大公派に寝返ったらしい」
「国王の容体は?」
「危篤状態。一週間が山だって」
「大公と王太子の戦力差はどれくらいですか?」
シェルエンとカイザックの会話に割り込んだのはブラッドリーだ。
皇族同士の会話に割り込んだ彼を、対面するカイザックの護衛騎士が凍りついた眼差しで見つめているが、当の皇族本人たちは無礼だと憤る様子もない。
「大公優勢だね。王太子側から続々と寝返っているという噂だよ」
「勝てる見込みの大きい方に味方するのは当然ですからね……負ければ、一族郎党は全て斬首でしょうし」
「もうひとつ質問があります。大公側には、殿下の奇病についての情報は渡ってしまっているんですか?」
「うん、既にね。何としても兄様を王太子から奪って、自分たちのものにしたい、と考えてるみたい」
「殿下は王太子のものではありません。さらに言えば、第二妃や第二皇子のものでもありません」
「へぇ……じゃあ、正確に言えば誰のものだと?」
挑発的な顔になったカイザックとブラッドリーの視線が空中でぶつかる。
弾けた稲妻が部屋の四方に飛んで壁を貫くようだ。
「殿下は誰のものでもありません。ご自身のものです。誰かの所有物になっていい方ではありません」
「なんだ、つまらない。殿下は俺のものだ、とか言い出すのかと思ってたのに」
「はい?」
「え?」
「「……え?」」
驚きの声を発したのは、カイザック以外の四名だった。
「兄様、何をそんなに驚いてるんです? 騎士と恋仲になったんでしょう?」
「……カイザック、一体どこからその情報を?」
邸で働く人間に、シェルエンについての情報を漏らす者はいないはずだ。
忠誠心の塊と言い切っていいほどに皆、シェルエンを無限大に敬っている。
ならば、潜むことを生業としている諜報を、誰かが飼っている以外に考えられる選択肢はない。
それが第三皇子の配下か、それとももっと上に座る存在の駒かは分かり得ない。
分かり得ないのならば、ブラッドリーがすべき行動はただひとつ。
事実という折れぬ剣で、牽制という一太刀を誰の前にも閃かせておくことだ。
シェルエン・ファン・エリウッドの後ろには必ず自分がいると示しておくことは、暗闇から奇襲を仕掛けようとしている幾つかの剣を事前に砕くことに繋がる。
「はい。恋仲となりました」
「ブラッドリー?」
振り返ったシェルエンに一瞬だけ微笑んだブラッドリーは、すぐに無表情に変わり、そのままカイザックと対峙した。
「へぇ、聞きしに勝る度胸だな。そうなったからには兄様へのどんな攻撃も防ぐと?」
「防ぎます」
「こう言ってはなんだけど、その事実がどこぞに漏れて、お前自身も命を狙われるようになるかもしれないよ」
「ご心配には及びません。根こそぎ倒せばいいだけですので」
「あはは、本当に……代々猛者揃いの第一騎士団の中でも、過去に十数名しか持つことを許されなかった二つ名。それをその若さで得ただけはあるな。兄様、凄いのに捕まったね」
些か同情を含む視線をシェルエンへと投げかけるカイザック。
誤解があるな、とブラッドリーは瞬時に思った。
訂正は厭わない。
「俺が捕まりました。捕まえたのは殿下です」
「捕まえたなんて、私はそんなに不届きなことをした憶えはありませんが……間違いではないですか?」
「全くもって間違いではありません。俺は殿下のものですので」
「私は誰のものでもないと先ほどあなたは言っていましたよね? であるならば、あなたもあなた以外のものにはならないのではないですか?」
「いいえ、なります。俺の何もかもを掌握しているのは、殿下ですから」
「そうなんですね……大きすぎてひとりでは持てなさそうですね」
「兄様の護衛騎士は身体が大きいからね。両手でも抱えられなさそうだよね」
両手を広げてなぜか降参のポーズをしているカイザック。
呆れられる要素はどこにもないはずだが、お手上げというならば見て見ぬ振りをしておこう。
「そうですね。私がブラッドリーを持ち上げたらきっと、その場で力尽きてへたり込むと思います」
「殿下、ご安心ください。そうならないように俺が殿下を抱き上げますから」
「んんん? あなたを持つのは私なのに?」
「俺の心だけ持ってくだされば十分です。あとの何もかもは俺が片付けます」
矛盾だらけの甘い雰囲気に、ついには目を閉じて首を振り始めたカイザック。
何も可笑しいことは言っていないはずだが、どうしてそんなリアクションをされるのか、至って不思議だ。
「兄様、今ならまだ間に合うから逃げた方がいいかもしれないよ。護衛騎士の愛が重すぎて、いつかふたりして身を滅ぼす気がする」
「ブラッドリーと共に星屑になるならば、それも受け入れましょう」
「天空で、時間の概念に捉われることなく殿下と寄り添いたいです」
上流階級の人間は、「好き」や「愛している」という直截な愛情表現をしない。
婉曲かつ美しい言い回しで愛を伝えてこその教養だ、と驕っているからである。
想いになんの装飾をせずに口から出すのは、ある種品を欠く行為だと冷笑される。
好きだ。
愛している。
それは庶民のみが使う、素朴で明け透けな表現だ。
シェルエンの言い回しは最上流に位置する身分としては噛み砕かれているが、やはり遠回しな傾向にある。
思春期を貴族学校の寮で過ごし、風情など塵と化した騎士団に長年身を置いていたブラッドリーには、その婉曲が少しだけむずむずする時がある。
本当は心のままに告げてしまいたい時がある。
好きだ。
愛している。
そう、熱く告白したい時がある。
けれど、しない。
失望されたくないから。
認めてもらいたいから。
シェルエンの図書室から詩集を拝借して、こっそりと学習しているブラッドリーだ。
その姿を目撃した使用人ズ全員から、秘かに応援されているとも知らず。
愛しい人に囁く愛の言葉を、日々、心のメモに書き留めている。
「あぁ、やんなっちゃうな。まさか兄様に恋愛模様を自慢される日が来るなんて、思いもしなかったよ」
「カイザックにも早く運命の人が現れるといいですね」
「唯一を手にした余裕が、そこはかとなく腹の奥を燻すな。兄様相手に悔しいなんていう感情を抱くことがあるなんて、自分でも驚いているよ」
「ふふふ、恋する男子は盲目ですから」
運命の人、唯一、盲目、そんな言葉がブラッドリーの頭を支配した。
麗しい主人にとって、まさか自分がそんな存在になれるなんて。
感動したブラッドリーは顔を手で覆った。
「護衛騎士が自分の世界に入っちゃったけど、まぁ放っておこう。兄様、もう一度言うけど二週間だからね。作戦に変更点はないよ」
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前世が教師だった少年は辺境で愛される
結衣可
BL
雪深い帝国北端の地で、傷つき行き倒れていた少年ミカを拾ったのは、寡黙な辺境伯ダリウスだった。妻を亡くし、幼い息子リアムと静かに暮らしていた彼は、ミカの知識と優しさに驚きつつも、次第にその穏やかな笑顔に心を癒されていく。
ミカは実は異世界からの転生者。前世の記憶を抱え、この世界でどう生きるべきか迷っていたが、リアムの教育係として過ごすうちに、“誰かに必要とされる”温もりを思い出していく。
雪の館で共に過ごす日々は、やがてお互いにとってかけがえのない時間となり、新しい日々へと続いていく――。
呪われ竜騎士とヤンデレ魔法使いの打算
てんつぶ
BL
「呪いは解くので、結婚しませんか?」
竜を愛する竜騎士・リウは、横暴な第二王子を庇って代わりに竜の呪いを受けてしまった。
痛みに身を裂かれる日々の中、偶然出会った天才魔法使い・ラーゴが痛みを魔法で解消してくれた上、解呪を手伝ってくれるという。
だがその条件は「ラーゴと結婚すること」――。
初対面から好意を抱かれる理由は分からないものの、竜騎士の死は竜の死だ。魔法使い・ラーゴの提案に飛びつき、偽りの婚約者となるリウだったが――。
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