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一章
03. 黄色い声と初めての授業
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外国語学部教員の研究室が集まる棟を出た鳴成と月落は、講義教室があるエリアへと歩いて行く。
これから2年生のスピーキングの授業を行うためだ。
「このキャンパスは文系専用なんですか?」
「そうです。文、経済、商、法、文化政策、そして外国語の6学部の学生が通っています。八王子にあるのが理工、スポーツ科学、環境デザインの3学部専用のキャンパスです。あちらは大型の実験場や陸上競技ができる運動場等もあって土地が広大なので、『逢宮の森』と密かに呼ばれていたりもします」
「そういうネーミングって何故か脈々と受け継がれて、結局全校生徒が知るところになりますよね」
「ええ、面白いです。きみの通っていた大学にもありましたか?」
「ありました。必修科目にも関わらず容赦なく学生を落単させる法学部の教授がいて、卒業の危うい暗鬱な生徒で溢れ返ったことから、法学部自体が『監獄』と呼ばれてました」
「それは……想像しただけで地獄絵図ですね」
南エリア17号館、全面ガラス張りの建物に入り5階までエスカレーターで上る。
月落は視線を動かして周りを確認した。
研究棟から移動している間もそうだったが、ここに着いてからも、鳴成を見るとまるで時間が止まったかのように全モーション全停止してしまう学生がとても多い。
「え、鳴成准教授だー!相変わらずの美人!」
「鳴成先生!かっこいいし綺麗だし素敵だしスーツ似合いすぎてて本当に眼福。朝から眼福、ありがとう神様」
「先輩、あの外国の血が絶対に入ってそうな美麗な人は誰ですか?一体全体誰ですか?ねぇ、先輩、誰?」
「イギリスのランカスター大の院卒で日英独のトリリンガル、文芸翻訳家、5年前にいきなり空から降ってきた鳴成秋史准教授なんだけど知らないの?知らないとかある?」
「え、やば、スペックが凄すぎて語彙力が追いつきません、先輩!」
「あああー!なんで私は鳴成准教授の抽選に外れたんだぁぁぁ!!!悲運!不運!厄年!?」
黄色い声も非常に多い。
この世代の女性の声は高めで聞き取りやすいのだが、だからこそひそひそと喋っているのにも関わらず、空気に乗って予想以上に遠くまで届いてしまう。
バラエティに富んだ褒め言葉の嵐に月落が唇を噛んで笑いを堪えていると、エスカレーターで前に乗っていた鳴成が段差に伴い少し高い位置から見下ろしながら、眼差しを向けてきた。
何とも冷たい眼差しだ。
「何を笑っているんです?」
「すみません。学生の皆さんがパワフルだなと思いまして。先生、人気者ですね」
「この見た目なので注目を浴びるのは承知しているんですが、教員生活を5年過ごしても全く慣れませんね」
そう言う鳴成の耳の縁はほのかな朱に染まっている。
色白だから、それがまた目立ってしまう。
「え、やだ、鳴成さんの耳赤くない?照れてる?可愛い!」
それさえも女子学生にはときめきのスパイスになるようだ。
けれど、それもそうだろう。
鳴成秋史は出会えば目が離せなくなる、眉の動きひとつ睫毛の羽ばたきひとつ軽い微笑みひとつ見逃したくないと思わせる、魅力に溢れる男性だ。
「ちらっと聞こえましたけど、先生ってどことのミックスですか?」
「イギリスに母方の遠縁がいます。だいぶ血は薄まってるはずなんですが、隔世遺伝なのか私はその特徴が濃く出たようです」
センターパートに分けたヘーゼルの柔らかい髪、同じくヘーゼルの涼しげな瞳、それを飾る豊かな睫毛、薄い唇、陶器のような肌、高身長、スーツを着こなす体格。
月落が大学生だった頃の教員には決していないタイプであり、きっと現在でも稀なタイプだろう。
騒がれないわけがない。
遠くの方でぼーっと見惚れている男子学生も散見される。
「大変ですね」
「ええ、今までは孤独で大変でした。けれどこれからは、それを分かち合ってくれる強い味方が登場してくれたことを、とても嬉しく思います」
「え?」
エスカレーターを降りて教室へと歩く間、額ひとつ分低い鳴成はその綺麗な顔にからかいの表情を乗せながら、振り返ってこう言った。
「気づきませんでした?先ほどの黄色い声の中に、月落くんへの熱烈な声援も多く入ってましたよ?」
「……は?」
鳴成が教室のドアを開けた。
そこには白い正方形のテーブと青い椅子が等間隔で並んでおり、既に16名ほどの学生が座って待機していた。
女子と男子の比率が4:1なので、パワーバランスの崩壊が激しい。
二人が入室するや否や、教室内が一斉に話し声で溢れかえる。
「鳴成准教授、お会いしたかったぁ。今日も今日とて麗しいぃぃぃ」
「同じ空間で息を吸える喜びを嚙み締められる後期、人生で一番最高の期間だわ」
「ちょっと待って、一緒に入ってきた激烈イケメンは誰よ?あんな人いた?」
「背高!肩幅!筋肉!顔立ちはっきり!爽やかイケメンがかっこいい服着て歩いてるんだが、何者?」
「誰?鳴成先生と色素真反対なのに、なぜか逆にペアに見えるあの人は誰なの?ねえ、誰?」
光のスピードで紡がれる囁きの、何とか掴んだ一端を頭の中でリピートする。
大人という仮面を被った社会人集団の一員になってから遠のいていた『群れの囀り』に、月落は懐かしさを憶えつつ、そのあまりの勢いに困惑する。
若者の威勢は大波のようだ。
苦笑いをしていると、横からやわらかな低さの声が響いた。
「皆さんおはようございます。これから行うのは後期のCommunication Skill、スピーキングの授業です。間違えている方はいらっしゃいませんか?」
いません!と各所で元気な声がする。
「皆さんは1年生での基礎英語、2年前期での応用英語をきちんとこなされていると思いますので、このスピーキングの授業はより高度な内容で、皆さんの意見や思想を言葉にするトレーニングを行う場にしたいと考えています。こちらで毎回テーマを設定し、チームに別れてディベート形式で自由に発言する授業にしていく予定です。よろしいですね?」
はい!とこれまた元気な声がする。
「本題に入る前に、皆さんが授業よりも気になっている方をご紹介しましょう。月落くん、こちらへ」
手の平で示された鳴成のすぐ隣へ月落が並ぶ。
「月落渉さんです。前期まで私を助けてくださっていた篠井さんが急遽退職されましたので、本日より代わりを務めていただきます。私の全ての授業でTAとしてご協力いただきますので、皆さんご承知おきください。月落くん、自己紹介をどうぞ」
「月落渉です。この学校の卒業生ではありませんしTAは未経験で至らない点も多いかと思いますが、皆さんの勉学のお手伝いが出来るように最善を尽くします。よろしくお願いします」
「アメリカのビジネススクール出身なので、本場の英語もよくご存じです。思う存分何でも質問してください」
月落がちらりと鳴成を見遣る。
『いきなりハードルを上げましたね?』という声が聞こえてきそうな顔で月落に見られた鳴成は、気づいているのにどこ吹く風といったさらりとした表情で学生の方へ向き直った。
「TA?!え、TAなの?!イケメン二人を眺めながら授業できるなんて!」
「一人でも最上級なのにそれが二人もいるなんて、私は前世で一体どんな徳を積んだんだ?ありがとう前世の私!」
きゃあきゃあという文字が空中に飛散するほど盛り上がる学生を前に、月落は鳴成に向かって声を掛けた。
「先生、何だか前途多難な気がします」
「ん?」
甲高い喧噪で聞こえなかったのか、鳴成が顔を寄せる。
月落が目の前の耳元に唇を近づけると、より一層の悲鳴が轟いた。
「驕りじゃなければあと5コマ、同じ光景が繰り広げられる気がします」
「そうですね。きっと授業だけでなく、食堂や事務室など行く先々でこうなるでしょうから、1か月ほどは我慢してください」
「はぁ……覚悟しておきます」
「きみの見た目が極上なのが悪いんですよ?」
「それ、褒められてますよね?」
「ええ、とても」
「今まで聞いてきた褒め言葉の中で一番嬉しいです」
「それは良かった」
顔を離すと、二人の眼は同じ色の光を称えていた。
味方を見つけた、とでも言いたげに輝く。
特に鳴成のヘーゼルの瞳は一層煌めいている。
容姿について数多の言葉を言われてきた自分と同じ境遇を経験したであろう年下の青年。
面接をした段階でこうなることは予想済みだったが、現実そうなり、眉を下げて困る姿は見ていて純粋に可哀想で可愛い。
この青年がそばにいれば自分への過度な賞賛も幾らかは減るだろうか、と内心ひどいことを考えつつ鳴成が時計を見ると授業開始から既に10分経っていた。
本来ならば極少人数で行いたかった授業だが、人気がありすぎて応募が殺到しているので人数を倍に増やしてくれと大学側に押し切られてしまった。
押しに弱いのが昔から治らない欠点だな、と思いながら失くした時間を取り戻すべく、鳴成は前を向き声を上げた。
「それでは、授業を始めます。月落くん、このプリントを配ってください。皆さんには今日、簡単に将来の夢を語っていただきます」
―――――――――――――――
「…and in the future, I want to work for a non-governmental organization in a developing country and address poverty issues. That's why I entered the Faculty of Foreign Studies. Thank you.」
「Wonderful. The use of 'address' shows that you've been studying well. If I could make one suggestion, it would be to replace 'I want to' with 'I am determined to.' This would convey a stronger sense of determination and make your statement even more impactful.」
「I see. Thank you.」
16名の学生全員の発表を聴き終えた時点で、授業終了のチャイムが鳴った。
「ちょうど時間ですね。皆さん、お疲れさまでした。次回のテーマは大学HPの私のページに掲載されてますので、予習されても結構です。それでは、また来週お会いしましょう」
月落は鳴成と共に教室を出る。
時計の針は12時10分を指している。
「お昼の時間ですね。月落くん、今日は食堂を案内します。明後日以降は持参した食事を研究室で食べるも良し、キャンパス外で食べるも良しです」
「先生はいつも食堂でお召し上がりになるんですか?」
「実は行ったことはほとんどありません」
「食堂がお嫌いですか?それとも、食にあまりご興味がなかったりしますか?」
「興味はあります。食べること自体は好きなんですが、自宅以外で独りで食事するとなると一気に優先順位が下がってしまって」
「もしや、食べないこともあるんですか?」
「ええ、夕方になって気付けばその日は朝食しかきちんと食べていなかったということもあります。合間合間で紅茶と甘いものを適宜摘まんでいる、というのも原因のひとつだと思いますが」
「もしかして、普通の食事より甘いものの方がお好きだったりして?」
「どうでしょう……そんなことはないと断言したいところですが、口にする総合的な比率で言えば半々かもしれません」
前を歩いていた鳴成を大きな数歩で追い越した月落は、10cmほど下にある色素の薄い眼を見上げるように少し屈んだ。
立ちはだかるように覗きこまれ、鳴成は足を止める。
「不健康ですから、これからお昼は一緒に食べましょうね?先生が時間を忘れないように、僕がTAの他にアラーム機能も司りますので」
「あはは、随分と大きなアラームですね」
「スヌーズはなし、気づいて停止を押してくださるまで、けたたましく鳴りますのでお気をつけください」
「善処します。ただ、私の集中は度が過ぎるようでして。大学生の頃に寮内で火災報知器が誤作動したんですが、私は一切気づかず、焦った友人がドアを蹴破ったことがありました」
「火災報知器にも反応しないのは相当ですね」
「ええ、もしけたたましく呼んでも駄目だったら、お昼は諦めて月落くん一人で食べてください」
「もしそうなったら、全部を投げ捨てて僕が先生を担いで外に連れ出すのでご安心ください」
「……お昼の話をしていますよね?」
小首を傾げた鳴成に、月落はうんうんと首を縦に振った。
「……困りました。きみは有言実行そうですし、そうならないように努力します」
「お願いします」
「さて、食堂に行きましょう」
「承知しました」
-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-
「将来、私は発展途上国のNGOで働いて貧困問題に取り組みたいです。だから外国語学部に入学しました」
「素晴らしいです。addressという単語を使ったことは、とてもよく勉強している証拠です。私からひとつ提案するとしたら、『I want to』のところを『I am determined to』に替えてみましょう。思いの強さを伝えられますし、影響力のある発言にすることが出来ます」
「分かりました。ありがとうございます」
これから2年生のスピーキングの授業を行うためだ。
「このキャンパスは文系専用なんですか?」
「そうです。文、経済、商、法、文化政策、そして外国語の6学部の学生が通っています。八王子にあるのが理工、スポーツ科学、環境デザインの3学部専用のキャンパスです。あちらは大型の実験場や陸上競技ができる運動場等もあって土地が広大なので、『逢宮の森』と密かに呼ばれていたりもします」
「そういうネーミングって何故か脈々と受け継がれて、結局全校生徒が知るところになりますよね」
「ええ、面白いです。きみの通っていた大学にもありましたか?」
「ありました。必修科目にも関わらず容赦なく学生を落単させる法学部の教授がいて、卒業の危うい暗鬱な生徒で溢れ返ったことから、法学部自体が『監獄』と呼ばれてました」
「それは……想像しただけで地獄絵図ですね」
南エリア17号館、全面ガラス張りの建物に入り5階までエスカレーターで上る。
月落は視線を動かして周りを確認した。
研究棟から移動している間もそうだったが、ここに着いてからも、鳴成を見るとまるで時間が止まったかのように全モーション全停止してしまう学生がとても多い。
「え、鳴成准教授だー!相変わらずの美人!」
「鳴成先生!かっこいいし綺麗だし素敵だしスーツ似合いすぎてて本当に眼福。朝から眼福、ありがとう神様」
「先輩、あの外国の血が絶対に入ってそうな美麗な人は誰ですか?一体全体誰ですか?ねぇ、先輩、誰?」
「イギリスのランカスター大の院卒で日英独のトリリンガル、文芸翻訳家、5年前にいきなり空から降ってきた鳴成秋史准教授なんだけど知らないの?知らないとかある?」
「え、やば、スペックが凄すぎて語彙力が追いつきません、先輩!」
「あああー!なんで私は鳴成准教授の抽選に外れたんだぁぁぁ!!!悲運!不運!厄年!?」
黄色い声も非常に多い。
この世代の女性の声は高めで聞き取りやすいのだが、だからこそひそひそと喋っているのにも関わらず、空気に乗って予想以上に遠くまで届いてしまう。
バラエティに富んだ褒め言葉の嵐に月落が唇を噛んで笑いを堪えていると、エスカレーターで前に乗っていた鳴成が段差に伴い少し高い位置から見下ろしながら、眼差しを向けてきた。
何とも冷たい眼差しだ。
「何を笑っているんです?」
「すみません。学生の皆さんがパワフルだなと思いまして。先生、人気者ですね」
「この見た目なので注目を浴びるのは承知しているんですが、教員生活を5年過ごしても全く慣れませんね」
そう言う鳴成の耳の縁はほのかな朱に染まっている。
色白だから、それがまた目立ってしまう。
「え、やだ、鳴成さんの耳赤くない?照れてる?可愛い!」
それさえも女子学生にはときめきのスパイスになるようだ。
けれど、それもそうだろう。
鳴成秋史は出会えば目が離せなくなる、眉の動きひとつ睫毛の羽ばたきひとつ軽い微笑みひとつ見逃したくないと思わせる、魅力に溢れる男性だ。
「ちらっと聞こえましたけど、先生ってどことのミックスですか?」
「イギリスに母方の遠縁がいます。だいぶ血は薄まってるはずなんですが、隔世遺伝なのか私はその特徴が濃く出たようです」
センターパートに分けたヘーゼルの柔らかい髪、同じくヘーゼルの涼しげな瞳、それを飾る豊かな睫毛、薄い唇、陶器のような肌、高身長、スーツを着こなす体格。
月落が大学生だった頃の教員には決していないタイプであり、きっと現在でも稀なタイプだろう。
騒がれないわけがない。
遠くの方でぼーっと見惚れている男子学生も散見される。
「大変ですね」
「ええ、今までは孤独で大変でした。けれどこれからは、それを分かち合ってくれる強い味方が登場してくれたことを、とても嬉しく思います」
「え?」
エスカレーターを降りて教室へと歩く間、額ひとつ分低い鳴成はその綺麗な顔にからかいの表情を乗せながら、振り返ってこう言った。
「気づきませんでした?先ほどの黄色い声の中に、月落くんへの熱烈な声援も多く入ってましたよ?」
「……は?」
鳴成が教室のドアを開けた。
そこには白い正方形のテーブと青い椅子が等間隔で並んでおり、既に16名ほどの学生が座って待機していた。
女子と男子の比率が4:1なので、パワーバランスの崩壊が激しい。
二人が入室するや否や、教室内が一斉に話し声で溢れかえる。
「鳴成准教授、お会いしたかったぁ。今日も今日とて麗しいぃぃぃ」
「同じ空間で息を吸える喜びを嚙み締められる後期、人生で一番最高の期間だわ」
「ちょっと待って、一緒に入ってきた激烈イケメンは誰よ?あんな人いた?」
「背高!肩幅!筋肉!顔立ちはっきり!爽やかイケメンがかっこいい服着て歩いてるんだが、何者?」
「誰?鳴成先生と色素真反対なのに、なぜか逆にペアに見えるあの人は誰なの?ねえ、誰?」
光のスピードで紡がれる囁きの、何とか掴んだ一端を頭の中でリピートする。
大人という仮面を被った社会人集団の一員になってから遠のいていた『群れの囀り』に、月落は懐かしさを憶えつつ、そのあまりの勢いに困惑する。
若者の威勢は大波のようだ。
苦笑いをしていると、横からやわらかな低さの声が響いた。
「皆さんおはようございます。これから行うのは後期のCommunication Skill、スピーキングの授業です。間違えている方はいらっしゃいませんか?」
いません!と各所で元気な声がする。
「皆さんは1年生での基礎英語、2年前期での応用英語をきちんとこなされていると思いますので、このスピーキングの授業はより高度な内容で、皆さんの意見や思想を言葉にするトレーニングを行う場にしたいと考えています。こちらで毎回テーマを設定し、チームに別れてディベート形式で自由に発言する授業にしていく予定です。よろしいですね?」
はい!とこれまた元気な声がする。
「本題に入る前に、皆さんが授業よりも気になっている方をご紹介しましょう。月落くん、こちらへ」
手の平で示された鳴成のすぐ隣へ月落が並ぶ。
「月落渉さんです。前期まで私を助けてくださっていた篠井さんが急遽退職されましたので、本日より代わりを務めていただきます。私の全ての授業でTAとしてご協力いただきますので、皆さんご承知おきください。月落くん、自己紹介をどうぞ」
「月落渉です。この学校の卒業生ではありませんしTAは未経験で至らない点も多いかと思いますが、皆さんの勉学のお手伝いが出来るように最善を尽くします。よろしくお願いします」
「アメリカのビジネススクール出身なので、本場の英語もよくご存じです。思う存分何でも質問してください」
月落がちらりと鳴成を見遣る。
『いきなりハードルを上げましたね?』という声が聞こえてきそうな顔で月落に見られた鳴成は、気づいているのにどこ吹く風といったさらりとした表情で学生の方へ向き直った。
「TA?!え、TAなの?!イケメン二人を眺めながら授業できるなんて!」
「一人でも最上級なのにそれが二人もいるなんて、私は前世で一体どんな徳を積んだんだ?ありがとう前世の私!」
きゃあきゃあという文字が空中に飛散するほど盛り上がる学生を前に、月落は鳴成に向かって声を掛けた。
「先生、何だか前途多難な気がします」
「ん?」
甲高い喧噪で聞こえなかったのか、鳴成が顔を寄せる。
月落が目の前の耳元に唇を近づけると、より一層の悲鳴が轟いた。
「驕りじゃなければあと5コマ、同じ光景が繰り広げられる気がします」
「そうですね。きっと授業だけでなく、食堂や事務室など行く先々でこうなるでしょうから、1か月ほどは我慢してください」
「はぁ……覚悟しておきます」
「きみの見た目が極上なのが悪いんですよ?」
「それ、褒められてますよね?」
「ええ、とても」
「今まで聞いてきた褒め言葉の中で一番嬉しいです」
「それは良かった」
顔を離すと、二人の眼は同じ色の光を称えていた。
味方を見つけた、とでも言いたげに輝く。
特に鳴成のヘーゼルの瞳は一層煌めいている。
容姿について数多の言葉を言われてきた自分と同じ境遇を経験したであろう年下の青年。
面接をした段階でこうなることは予想済みだったが、現実そうなり、眉を下げて困る姿は見ていて純粋に可哀想で可愛い。
この青年がそばにいれば自分への過度な賞賛も幾らかは減るだろうか、と内心ひどいことを考えつつ鳴成が時計を見ると授業開始から既に10分経っていた。
本来ならば極少人数で行いたかった授業だが、人気がありすぎて応募が殺到しているので人数を倍に増やしてくれと大学側に押し切られてしまった。
押しに弱いのが昔から治らない欠点だな、と思いながら失くした時間を取り戻すべく、鳴成は前を向き声を上げた。
「それでは、授業を始めます。月落くん、このプリントを配ってください。皆さんには今日、簡単に将来の夢を語っていただきます」
―――――――――――――――
「…and in the future, I want to work for a non-governmental organization in a developing country and address poverty issues. That's why I entered the Faculty of Foreign Studies. Thank you.」
「Wonderful. The use of 'address' shows that you've been studying well. If I could make one suggestion, it would be to replace 'I want to' with 'I am determined to.' This would convey a stronger sense of determination and make your statement even more impactful.」
「I see. Thank you.」
16名の学生全員の発表を聴き終えた時点で、授業終了のチャイムが鳴った。
「ちょうど時間ですね。皆さん、お疲れさまでした。次回のテーマは大学HPの私のページに掲載されてますので、予習されても結構です。それでは、また来週お会いしましょう」
月落は鳴成と共に教室を出る。
時計の針は12時10分を指している。
「お昼の時間ですね。月落くん、今日は食堂を案内します。明後日以降は持参した食事を研究室で食べるも良し、キャンパス外で食べるも良しです」
「先生はいつも食堂でお召し上がりになるんですか?」
「実は行ったことはほとんどありません」
「食堂がお嫌いですか?それとも、食にあまりご興味がなかったりしますか?」
「興味はあります。食べること自体は好きなんですが、自宅以外で独りで食事するとなると一気に優先順位が下がってしまって」
「もしや、食べないこともあるんですか?」
「ええ、夕方になって気付けばその日は朝食しかきちんと食べていなかったということもあります。合間合間で紅茶と甘いものを適宜摘まんでいる、というのも原因のひとつだと思いますが」
「もしかして、普通の食事より甘いものの方がお好きだったりして?」
「どうでしょう……そんなことはないと断言したいところですが、口にする総合的な比率で言えば半々かもしれません」
前を歩いていた鳴成を大きな数歩で追い越した月落は、10cmほど下にある色素の薄い眼を見上げるように少し屈んだ。
立ちはだかるように覗きこまれ、鳴成は足を止める。
「不健康ですから、これからお昼は一緒に食べましょうね?先生が時間を忘れないように、僕がTAの他にアラーム機能も司りますので」
「あはは、随分と大きなアラームですね」
「スヌーズはなし、気づいて停止を押してくださるまで、けたたましく鳴りますのでお気をつけください」
「善処します。ただ、私の集中は度が過ぎるようでして。大学生の頃に寮内で火災報知器が誤作動したんですが、私は一切気づかず、焦った友人がドアを蹴破ったことがありました」
「火災報知器にも反応しないのは相当ですね」
「ええ、もしけたたましく呼んでも駄目だったら、お昼は諦めて月落くん一人で食べてください」
「もしそうなったら、全部を投げ捨てて僕が先生を担いで外に連れ出すのでご安心ください」
「……お昼の話をしていますよね?」
小首を傾げた鳴成に、月落はうんうんと首を縦に振った。
「……困りました。きみは有言実行そうですし、そうならないように努力します」
「お願いします」
「さて、食堂に行きましょう」
「承知しました」
-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-
「将来、私は発展途上国のNGOで働いて貧困問題に取り組みたいです。だから外国語学部に入学しました」
「素晴らしいです。addressという単語を使ったことは、とてもよく勉強している証拠です。私からひとつ提案するとしたら、『I want to』のところを『I am determined to』に替えてみましょう。思いの強さを伝えられますし、影響力のある発言にすることが出来ます」
「分かりました。ありがとうございます」
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☆ノベマ!の青春BLコンテスト最終選考作品に加筆&新エピソードを加えたアルファポリス版です。
ふつつかものですが鬼上司に溺愛されてます
松本尚生
BL
「お早うございます!」
「何だ、その斬新な髪型は!」
翔太の席の向こうから鋭い声が飛んできた。係長の西川行人だ。
慌てん坊でうっかりミスの多い「俺」は、今日も時間ギリギリに職場に滑り込むと、寝グセが跳ねているのを鬼上司に厳しく叱責されてーー。新人営業をビシビシしごき倒す係長は、ひと足先に事務所を出ると、俺の部屋で飯を作って俺の帰りを待っている。鬼上司に甘々に溺愛される日々。「俺」は幸せになれるのか!?
俺―翔太と、鬼上司―ユキさんと、彼らを取り巻くクセの強い面々。斜陽企業の生き残りを賭けて駆け回る、「俺」たちの働きぶりにも注目してください。
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