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一章
07. 幼馴染と小料理屋で①
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10月後半、授業のない水曜日、18時。
ネイビーのフーディにアイボリーのツイードパンツを合わせた月落渉は、赤坂見附にあるこじんまりとした建物の前に立っていた。
黒漆喰の壁と木製の引き戸。
店名の表記は一切なく、尾びれの長い金魚を象った提灯だけがぶら下がる外観。
知らない人は素通りしてしまうであろうそこは、実は隠れた名店の小料理屋だ。
月落が通い慣れた様子で扉を開けると、そこには入口の小ささとは相反したゆったりとした空間が広がっている。
「渉、こっちこっち」
向かって左側のテーブル席をざっと見渡したあと、右側のカウンター席に目を移そうとした時に自分の名を呼ばれた。
カウンター席には一段高くなった場所に大皿が幾つも並んでいて、その間からひょこりとブルーグレーのカラーレンズ眼鏡を掛けた男が顔を覗かせている。
アッシュグレーの髪を緩く立ち上げた男のそばへと足早に近づくと、月落は隣に座った。
「待たせた?」
「いや、さっき来たとこ」
と言いつつ、その男の前に置かれているグラスはほとんど空も同然の様子で。
席に着くとすぐさまカウンターの中から、おしぼりとビールの入ったグラスが2杯出てきた。
見上げると、久しぶりに会うのに全く印象の変わらない、割烹着を着た女将が懐かしい笑みで出迎えてくれた。
「小梅さん、ご無沙汰してます」
「ええ、本当に。創太坊ちゃまはよくお顔を見せてくださいますけど、渉坊ちゃまはお足が遠のいていらっしゃいましたねぇ。確か、アメリカに行ってらしたと」
「はい。この前帰国したばかりで」
「小梅さん聞いてよ、こいつひどいんだよ。いきなり連絡よこしたと思ったら、これからアメリカ行ってくる、帰ってくるの2年後って言葉だけ残してそのまま飛行機でビューンだよ?無情にも程がない?」
「時々、休み合わせてこっち戻ってきてただろ?」
「ほぼ長期休みの時だけな。飛行機で12時間なんて寝てりゃ着くのに、俺らよりニューヨークの生活を優先して」
「ごめん。とりあえず乾杯、お疲れ」
泡の踊るグラスを無造作に隣の男のグラスと合わせると、月落はごくごくと半分ほどを飲み干した。
「しかも2年経って帰ってきたら帰ってきたで、何の相談もなしに大学職員になってるし。幼稚園からの大親友だと思ってたのは俺だけだったのかな?つらすぎ寂しすぎ」
「お前、相変わらず暑苦しいな」
「渉、ひどすぎ」
「お陰でビールが旨い」
「ありがとう。え、褒めてる?褒められてる?」
目の前には、漆塗りや古伊万里の大皿が並ぶ。
そこに並々乗った茄子の煮びたしや白和え、金目鯛の煮つけを、女将が勝手知ったる分量で取り分けて渡してくれる。
礼を言いつつ受け取って、月落はしみじみと舌鼓を打ちながらグラスを傾ける。
久しぶりに会う男の小言も、酒の肴にして。
「で、お前は何でいきなり大学職員なんかになってんの?」
チャラい見た目と言葉数の多さに似合わないきちんとしたマナーで、月落と同様に食事を楽んでいるこの男。
自身も言っていたように幼稚園時代からの幼馴染である。
『訊きたいことは遠慮なく訊かなきゃ躊躇っている時間がもったいなさすぎる』が持論で、いつも単刀直入な言葉をスマッシュする思い切りの良い性格だ。
「あーまぁ、ちょっとした成り行きで?」
「はぁ?大学職員なんて成り行きで選ぶ職業選択の中に絶対ないやつだろ」
「確かに。お前はどうなの、最近。最新版ハイブリッド和菓子の制作は順調そう?」
「あ、そうそう。これ、お前に。試作最終版でさっき作ってきた」
そう言って男が差し出したのは、卯の花色の地に金箔が散った紙袋だ。
右下には流れる文字で『はこゑ』と小さく印刷されている。
袋を受け取った月落が中から取り出したのは、きめ細かな白い生地の上に淡い黄色のクリームが線状に何重も掛けられた生菓子だった。
「薄い琥珀糖を挟んだカステラ生地の上に、クリームチーズとさつま芋の餡を乗せたやつな」
「相変わらず、綺麗なものを作るな」
「うん、俺そういうの大好きだかんね」
そう、何を隠そうこの男、歴とした和菓子職人である。
箱江創太。
元麻布に総本店を構える老舗菓子匠『はこゑ』の六代目。
幼少期より祖父と父に師事し、早くからその才能を開花させた若き天才。
高校卒業と共に和菓子作りの道に邁進するだろうという周囲からの期待を翻し、月落と同じ国立大学経済学部に入学、経営の知識もしっかりと身に着けた異色の経歴を持つ。
『はこゑ』の菓子は、脈々と受け継がれる独自の繊細さを守りながらも時代に合った今どき感を存分に取り入れているのが、競合他社と一線を画すところである。
それをさらに飛躍させたのが箱江創太だ。
彼は、和と洋の異素材を組み合わせた和菓子をハイブリッド和菓子としてさらに進化させたことで、一気に業界内での注目を浴びた。
伝統的な和菓子と、令和の時代に誕生したハイブリッド和菓子の2本柱で、いま世間から絶大なる人気を得ている。
さらに、それまで店舗といえば路面店や百貨店の既存店だけだったが、箱江発案の元で昨年初めに駅の中に出店したことが奏功し売上は右肩急上がり。
若手経営者としても経済界から注目を浴びている。
「甘いの苦手なお前でも食べられるとは思うけど、無理そうだったらおばさん達にあげて」
プラスチックケースに入った可憐な菓子を手の中で回しながら、月落の脳裏は本人の意思に構わず勝手にある人物を思い描き始めていた。
今まではこうして試作品を貰っても、親友には悪いと思いつつ、少し摘まんであとは右から左へと流してきた。
嫌いな訳では決してないが、甘さへの耐性がほとんどない。
甘党の世界線と自分は、一生涯交わらないだろうと思っていた。
そんな己のスマホの検索履歴を、数々のスイーツの名前で埋め尽くさせた人。
休息の時間に月落が差し出すおやつを、微笑みながら嬉しそうに食べる姿。
それを思い出すだけで、液晶画面の上を滑る手が止まらなくなる。
今までは洋菓子メインで出していたが、こういうのも一風変わって良いかもしれない。
「……創太、これって紅茶にも合うか?」
「合う合う、全然合う。あっさり和風チーズケーキっぽいのイメージで作ったから、アールグレイのストレートとかおすすめよ」
「消費期限は?」
「明日いっぱい。てか、なにその質問。だいたいお前、紅茶なんか飲まないでしょ」
「それが最近飲むようになってさ」
「へぇ、どういう心境の変化なわけ?恋人につくづく尽くしはするけど、趣味嗜好は一切影響されなかった渉くんなのに」
「関係なくないか、それ」
「なくなくないっしょ。この年齢になれば自分の世界ってほぼ完成するじゃんか。それが変化するっていうのは、外側からこじ開けられた扉から吹く新しい風によってのみ起こる現象だ、と俺は思ってるわけ。あ、てことはお前もしかして、新しい彼氏でも出来たか?」
彼氏、と即座に言うところに、月落と箱江の関係性の深さと長さが窺える。
「出来てない」
「え、じゃあ何、もしや片思いなわけ?あの月落渉が?中3のバレンタインに、うちの学校だけじゃなく他校の生徒もチョコ持ってきて大騒ぎになったせいで、翌年からバレンタイン禁止令を学校側に唱えさせたお前が?バリバリの野球部員だったゴリラ先輩を、目が合っただけでハムスターに変えたお前が?高校の卒業式で制服のボタンだけじゃなくジャケットもネクタイも靴下まで剥ぎ取られたお前が?」
「お前、ほんとによく喋るな。というか、片思いじゃない」
「気になる、どんな人よ?アメリカで会った人?てことは、お前史上初めての外国人彼氏か?」
矢継ぎ早に飛んでくる質問に半ば答える気が失せて、月落は残っていたビールを一気に煽った。
うるさいと言ってもめげない親友の口にポテトサラダを詰め込んで封じてやろうかと本気で考えていると、テーブルの上に出していたスマホにメッセージが表示される。
『休日に申し訳ない。きみがこの前出してくれた、ピスタチオと塩バニラのパウンドケーキはどこのお店のものですか?』
表示名は、鳴成秋史。
ほぼ毎日会うせいで連絡自体ほとんどやり取りしたことのない相手からのメッセージに、月落は驚きながらも喜びが全面に押し出た表情で一目散に返信する。
一旦、親友のことは視界からシャットアウトだ。
『広尾にある洋菓子店のもので……』
『ありがとうございます。つい家族に話をしたら、都内にあるなら明日買いに行きたいから連絡して詳細を訊いて欲しい、と駄々をこねられまして』
『ご家族も甘いものお好きなんですね』
『ええ、甘党家族でお恥ずかしいです』
『いえ、先生もご家族もとても可愛いです』
と送信したところで、上司に可愛いはさすがに言ってはまずい言葉だったかと後悔したが、後の祭りだ。
既読がついてしまっては削除しても意味はない。
ぽんぽんとリズム良く投げ合っていたラリーが止まったのを少し寂しく思いながら画面を見つめて待っていると、横からぬぬっとブルーグレーの眼鏡を掛けたニヤけた顔が現れた。
「どうした?気持ち悪い顔して」
「いや、お前がどうした?何なの、その顔。そんなに表情筋動く奴じゃなかったのに、もしかしなくてもそれ片思いの相手だろ」
「…………は?」
「いや、間が物語ってる。全てを物語ってるわ。30年来の友人の新しい一面をまさか今さら知るなんて思ってもなかったわ。俺ちょっと嬉しいんだか悲しいんだか、複雑」
「片思いじゃないって言ってるだろ。勝手に話を作るなって」
「らしくなく焦るところも怪しさ満点だわ。で、誰なんだよそれ。ちらっと見えたけど日本語だったから外国人じゃなさそうだな?それとも日本語喋れる外国人かな?どうなのかな?ん?」
逃げようと離れる肩に腕が回され強引に身を寄せられる。
こうなるとしつこい友人の性格を十分に把握している月落は、ため息を吐いて降参の姿勢を取った。
「片思い、ではない気がする……まだ。気になる程度だし」
「どこの人?」
「先生。俺を雇ってくれた人」
「俺、お前が大学に就職したって聞いてこの前検索したんだよな、写真はなかったけど。准教授だっけ?」
「そう」
「御多分に漏れず身体の厚みしっかりしたタイプ?」
「そう。でも今回は外見はあんまり関係ないっていうか、そこに惹かれてるんじゃないっていうか」
「珍しいな、嫌味なく面食いのお前なのに。もしや今回は綺麗系じゃない?可愛い子猫ちゃんタイプとか?きゅるんな顔としっかりした身体つきのギャップにやられた?」
「いや、顔もドタイプ。人生史上最上級の美人」
「前言撤回しろ、この野郎」
ネイビーのフーディにアイボリーのツイードパンツを合わせた月落渉は、赤坂見附にあるこじんまりとした建物の前に立っていた。
黒漆喰の壁と木製の引き戸。
店名の表記は一切なく、尾びれの長い金魚を象った提灯だけがぶら下がる外観。
知らない人は素通りしてしまうであろうそこは、実は隠れた名店の小料理屋だ。
月落が通い慣れた様子で扉を開けると、そこには入口の小ささとは相反したゆったりとした空間が広がっている。
「渉、こっちこっち」
向かって左側のテーブル席をざっと見渡したあと、右側のカウンター席に目を移そうとした時に自分の名を呼ばれた。
カウンター席には一段高くなった場所に大皿が幾つも並んでいて、その間からひょこりとブルーグレーのカラーレンズ眼鏡を掛けた男が顔を覗かせている。
アッシュグレーの髪を緩く立ち上げた男のそばへと足早に近づくと、月落は隣に座った。
「待たせた?」
「いや、さっき来たとこ」
と言いつつ、その男の前に置かれているグラスはほとんど空も同然の様子で。
席に着くとすぐさまカウンターの中から、おしぼりとビールの入ったグラスが2杯出てきた。
見上げると、久しぶりに会うのに全く印象の変わらない、割烹着を着た女将が懐かしい笑みで出迎えてくれた。
「小梅さん、ご無沙汰してます」
「ええ、本当に。創太坊ちゃまはよくお顔を見せてくださいますけど、渉坊ちゃまはお足が遠のいていらっしゃいましたねぇ。確か、アメリカに行ってらしたと」
「はい。この前帰国したばかりで」
「小梅さん聞いてよ、こいつひどいんだよ。いきなり連絡よこしたと思ったら、これからアメリカ行ってくる、帰ってくるの2年後って言葉だけ残してそのまま飛行機でビューンだよ?無情にも程がない?」
「時々、休み合わせてこっち戻ってきてただろ?」
「ほぼ長期休みの時だけな。飛行機で12時間なんて寝てりゃ着くのに、俺らよりニューヨークの生活を優先して」
「ごめん。とりあえず乾杯、お疲れ」
泡の踊るグラスを無造作に隣の男のグラスと合わせると、月落はごくごくと半分ほどを飲み干した。
「しかも2年経って帰ってきたら帰ってきたで、何の相談もなしに大学職員になってるし。幼稚園からの大親友だと思ってたのは俺だけだったのかな?つらすぎ寂しすぎ」
「お前、相変わらず暑苦しいな」
「渉、ひどすぎ」
「お陰でビールが旨い」
「ありがとう。え、褒めてる?褒められてる?」
目の前には、漆塗りや古伊万里の大皿が並ぶ。
そこに並々乗った茄子の煮びたしや白和え、金目鯛の煮つけを、女将が勝手知ったる分量で取り分けて渡してくれる。
礼を言いつつ受け取って、月落はしみじみと舌鼓を打ちながらグラスを傾ける。
久しぶりに会う男の小言も、酒の肴にして。
「で、お前は何でいきなり大学職員なんかになってんの?」
チャラい見た目と言葉数の多さに似合わないきちんとしたマナーで、月落と同様に食事を楽んでいるこの男。
自身も言っていたように幼稚園時代からの幼馴染である。
『訊きたいことは遠慮なく訊かなきゃ躊躇っている時間がもったいなさすぎる』が持論で、いつも単刀直入な言葉をスマッシュする思い切りの良い性格だ。
「あーまぁ、ちょっとした成り行きで?」
「はぁ?大学職員なんて成り行きで選ぶ職業選択の中に絶対ないやつだろ」
「確かに。お前はどうなの、最近。最新版ハイブリッド和菓子の制作は順調そう?」
「あ、そうそう。これ、お前に。試作最終版でさっき作ってきた」
そう言って男が差し出したのは、卯の花色の地に金箔が散った紙袋だ。
右下には流れる文字で『はこゑ』と小さく印刷されている。
袋を受け取った月落が中から取り出したのは、きめ細かな白い生地の上に淡い黄色のクリームが線状に何重も掛けられた生菓子だった。
「薄い琥珀糖を挟んだカステラ生地の上に、クリームチーズとさつま芋の餡を乗せたやつな」
「相変わらず、綺麗なものを作るな」
「うん、俺そういうの大好きだかんね」
そう、何を隠そうこの男、歴とした和菓子職人である。
箱江創太。
元麻布に総本店を構える老舗菓子匠『はこゑ』の六代目。
幼少期より祖父と父に師事し、早くからその才能を開花させた若き天才。
高校卒業と共に和菓子作りの道に邁進するだろうという周囲からの期待を翻し、月落と同じ国立大学経済学部に入学、経営の知識もしっかりと身に着けた異色の経歴を持つ。
『はこゑ』の菓子は、脈々と受け継がれる独自の繊細さを守りながらも時代に合った今どき感を存分に取り入れているのが、競合他社と一線を画すところである。
それをさらに飛躍させたのが箱江創太だ。
彼は、和と洋の異素材を組み合わせた和菓子をハイブリッド和菓子としてさらに進化させたことで、一気に業界内での注目を浴びた。
伝統的な和菓子と、令和の時代に誕生したハイブリッド和菓子の2本柱で、いま世間から絶大なる人気を得ている。
さらに、それまで店舗といえば路面店や百貨店の既存店だけだったが、箱江発案の元で昨年初めに駅の中に出店したことが奏功し売上は右肩急上がり。
若手経営者としても経済界から注目を浴びている。
「甘いの苦手なお前でも食べられるとは思うけど、無理そうだったらおばさん達にあげて」
プラスチックケースに入った可憐な菓子を手の中で回しながら、月落の脳裏は本人の意思に構わず勝手にある人物を思い描き始めていた。
今まではこうして試作品を貰っても、親友には悪いと思いつつ、少し摘まんであとは右から左へと流してきた。
嫌いな訳では決してないが、甘さへの耐性がほとんどない。
甘党の世界線と自分は、一生涯交わらないだろうと思っていた。
そんな己のスマホの検索履歴を、数々のスイーツの名前で埋め尽くさせた人。
休息の時間に月落が差し出すおやつを、微笑みながら嬉しそうに食べる姿。
それを思い出すだけで、液晶画面の上を滑る手が止まらなくなる。
今までは洋菓子メインで出していたが、こういうのも一風変わって良いかもしれない。
「……創太、これって紅茶にも合うか?」
「合う合う、全然合う。あっさり和風チーズケーキっぽいのイメージで作ったから、アールグレイのストレートとかおすすめよ」
「消費期限は?」
「明日いっぱい。てか、なにその質問。だいたいお前、紅茶なんか飲まないでしょ」
「それが最近飲むようになってさ」
「へぇ、どういう心境の変化なわけ?恋人につくづく尽くしはするけど、趣味嗜好は一切影響されなかった渉くんなのに」
「関係なくないか、それ」
「なくなくないっしょ。この年齢になれば自分の世界ってほぼ完成するじゃんか。それが変化するっていうのは、外側からこじ開けられた扉から吹く新しい風によってのみ起こる現象だ、と俺は思ってるわけ。あ、てことはお前もしかして、新しい彼氏でも出来たか?」
彼氏、と即座に言うところに、月落と箱江の関係性の深さと長さが窺える。
「出来てない」
「え、じゃあ何、もしや片思いなわけ?あの月落渉が?中3のバレンタインに、うちの学校だけじゃなく他校の生徒もチョコ持ってきて大騒ぎになったせいで、翌年からバレンタイン禁止令を学校側に唱えさせたお前が?バリバリの野球部員だったゴリラ先輩を、目が合っただけでハムスターに変えたお前が?高校の卒業式で制服のボタンだけじゃなくジャケットもネクタイも靴下まで剥ぎ取られたお前が?」
「お前、ほんとによく喋るな。というか、片思いじゃない」
「気になる、どんな人よ?アメリカで会った人?てことは、お前史上初めての外国人彼氏か?」
矢継ぎ早に飛んでくる質問に半ば答える気が失せて、月落は残っていたビールを一気に煽った。
うるさいと言ってもめげない親友の口にポテトサラダを詰め込んで封じてやろうかと本気で考えていると、テーブルの上に出していたスマホにメッセージが表示される。
『休日に申し訳ない。きみがこの前出してくれた、ピスタチオと塩バニラのパウンドケーキはどこのお店のものですか?』
表示名は、鳴成秋史。
ほぼ毎日会うせいで連絡自体ほとんどやり取りしたことのない相手からのメッセージに、月落は驚きながらも喜びが全面に押し出た表情で一目散に返信する。
一旦、親友のことは視界からシャットアウトだ。
『広尾にある洋菓子店のもので……』
『ありがとうございます。つい家族に話をしたら、都内にあるなら明日買いに行きたいから連絡して詳細を訊いて欲しい、と駄々をこねられまして』
『ご家族も甘いものお好きなんですね』
『ええ、甘党家族でお恥ずかしいです』
『いえ、先生もご家族もとても可愛いです』
と送信したところで、上司に可愛いはさすがに言ってはまずい言葉だったかと後悔したが、後の祭りだ。
既読がついてしまっては削除しても意味はない。
ぽんぽんとリズム良く投げ合っていたラリーが止まったのを少し寂しく思いながら画面を見つめて待っていると、横からぬぬっとブルーグレーの眼鏡を掛けたニヤけた顔が現れた。
「どうした?気持ち悪い顔して」
「いや、お前がどうした?何なの、その顔。そんなに表情筋動く奴じゃなかったのに、もしかしなくてもそれ片思いの相手だろ」
「…………は?」
「いや、間が物語ってる。全てを物語ってるわ。30年来の友人の新しい一面をまさか今さら知るなんて思ってもなかったわ。俺ちょっと嬉しいんだか悲しいんだか、複雑」
「片思いじゃないって言ってるだろ。勝手に話を作るなって」
「らしくなく焦るところも怪しさ満点だわ。で、誰なんだよそれ。ちらっと見えたけど日本語だったから外国人じゃなさそうだな?それとも日本語喋れる外国人かな?どうなのかな?ん?」
逃げようと離れる肩に腕が回され強引に身を寄せられる。
こうなるとしつこい友人の性格を十分に把握している月落は、ため息を吐いて降参の姿勢を取った。
「片思い、ではない気がする……まだ。気になる程度だし」
「どこの人?」
「先生。俺を雇ってくれた人」
「俺、お前が大学に就職したって聞いてこの前検索したんだよな、写真はなかったけど。准教授だっけ?」
「そう」
「御多分に漏れず身体の厚みしっかりしたタイプ?」
「そう。でも今回は外見はあんまり関係ないっていうか、そこに惹かれてるんじゃないっていうか」
「珍しいな、嫌味なく面食いのお前なのに。もしや今回は綺麗系じゃない?可愛い子猫ちゃんタイプとか?きゅるんな顔としっかりした身体つきのギャップにやられた?」
「いや、顔もドタイプ。人生史上最上級の美人」
「前言撤回しろ、この野郎」
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