鳴成准教授は新しいアシスタントを採用しました。実は甘やかし尽くし攻めの御曹司でした。

卯藤ローレン

文字の大きさ
21 / 109
一章

16. メレンゲクッキーと金刺繡の三日月②

しおりを挟む
 サラダニソワーズ
 マッシュルームとゴルゴンゾーラのミニタルト
 季節野菜のテリーヌ
 さつまいものポタージュ
 スズキのポワレ
 みつせ鶏のコンフィ
 牡蠣のホワイトソースガレット

 を、弾む会話と共に堪能した。
 最後のデセールとして、月落は生ハムと半熟卵のガレットを、鳴成は洋梨のソルベを各々楽しんでいる。

 いつもと変わらず、会話は途切れることを知らない。
 月落は食後のコーヒーを炭酸水に変えた傍らで、鳴成はストレートティーと共にソルベをゆっくりと味わっている。

「お腹はいっぱいになりそうですか?」
「はい、ここのガレットが美味しすぎてハマりそうです。料理の種類も多いので、飽きずに長く通えそうなところも気に入りました」
「季節のガレットは春夏秋冬で素材が変わるので、足を運ぶ度に新しい味に出会えると思います」
「それは制覇したい気持ちが俄然強くなりました。先生、今度は春にまた来ましょう?」
「ええ、新学期が始まったら、また来ましょうね」

 先日、年明け早々に来年度の契約更新があり、月落は望み通り鳴成のTAとしての任期を1年延長した。
 僅か半年で大学職員としての仕事を辞める気などさらさらないと知っている家族からは一言も反対意見はなく、鳴成においてはさも当然とばかりに契約書を出してきたので、何ともあっさりした契約延長だった。

 薄紅に染まる麗らかな季節の中を、想いを寄せる人の隣で過ごせると思うだけで月落の表情は溶け崩れる。
 さらに今夜、プライベートでの約束も取りつけられたとあれば口元が緩むのを止められないけれど、もはや致し方ないと早々に諦めた。
 それでも一応は繕うように、ガレットを口へと放り込む。

「そういえば先生って、ご家族から史くんって呼ばれているんですね」
「……なぜそれを?」

 眉間にくっきりと皺を寄せた、今までに見たことのない険しい顔をした鳴成に睨むようにされたため、月落は内心焦る。
 立ち入り禁止区域に突っ込んだのならば早めの応急処置を、と急いで理由を捲し立てた。

「さっき別れ際にお母様がそう呼んでいらっしゃったので、家限定の呼び名かなと思って」
「…………ナチュラルすぎて気づきませんでした」

 持っていた銀のスプーンを置くと、鳴成は額に手を当てて明らかに落ち込んだ様子になる。
 そんなにも聞いてはいけない話題だっただろうか?

「先生、どうしました?」
「40のおじさんが、幼少期からずっと続く呼び名で呼ばれているなんて知られてしまって、とても動揺しています。秋史と呼び捨てにして欲しいと思春期の頃に申し出たんですが、それは叶わず。20歳からイギリスに渡って家族とあまり会う機会がなくなってしまったため、呼び方は全く直らないまま今に至ってしまって……」
「先生って20歳からイギリスに行かれたんですね。てっきり大学入学を機になのかと思ってました」

 すっかり手の止まってしまった鳴成の手にスプーンを握らせる。
 気分転換に、と水の入ったグラスも手前に寄せた。

「中高の6年間をインターで過ごして、日本の大学に進学しました。2年通って20歳になった時にイギリスの大学に入り直して、博士終了まで7年間学び、35歳まで在英でした」
「だから授業は全てアメリカ英語なんですね」
「ええ。父がアメリカ英語話者で母がイギリス英語話者なので、幼い頃から割とどちらの特徴も掴んで喋れてはいたんですが、インターにいた6年間で圧倒的にアメリカ側に傾きました。母が悔しげにハンカチを噛み締めていたのを今でも憶えています。15年間イギリスで過ごしたので、今は偏りはなくなりましたが」
「イギリス英語ってアクセントが細分化されてるって聞いたことがあるんですが、先生のはどれですか?」
「標準的と呼ばれている、RPですね」

 イギリス英語を喋る鳴成の声も聴いてみたい。
 抑揚の少ない整然とした響きはきっと、上品さにノーブルさが上乗せされてとても心地良く聴こえるに違いない。
 今からでもイギリスのアクセントを特訓して対等に話せるようになろうか、と月落は頭の片隅で悩む。

「日本語、英語、ドイツ語、フランス語だとどれが一番喋りやすいですか?」
「これを言うと意外だと思われることが多いんですが、私の第一言語は日本語です。気分によって英語の方が楽な時もありますが、脳内で考え事をする時は大概日本語ですね」
「分かります」
「きみも英語ネイティブですが、内言語は日本語なんですね」
「反射で出るのは断然日本語です。夢は登場人物によって言語が変わるので、起きると若干混乱する時もありますけど」
「きみの韓国語や中国語も聴いてみたいですね」
「先生のフランス語も聴いてみたいですよ?」
「一人で喋るのは虚しいので、勉強してくれるなら良いですよ」
「先生、少し時間をください。とりあえずフランス語習得アプリをインストールするところから始めるので」

 イギリス英語よりもフランス語を勉強する方が先に来るなんて、思いもよらなかった。
 共有できる言語が増えるのは単純に嬉しいので、時間を作って短期集中で身につけるのも手だ。
 周りにフランス語に精通している人間がいなかったか、猛スピードで身内及び知人検索を開始する。

「そろそろ行きますか?」
「はい、ご馳走様でした」
「ご馳走様でした」

 誘ったのは自分だから、と支払いをカードで済ませた鳴成と共に店を出る。
 時刻は20時前。
 美味しい食事でぬくぬくになった身体で、車を停めた駐車場まで肩を並べて歩く。

 本当は密着して歩きたいけれど、きんと冷えた冬の空気が冷静さを失わせるのを許してくれない。
 アルコールを飲んでいない月落の理性はきちんと正常に働いてしまうため、互いの間に若干の距離があるのが恨めしい。
 そっと、視線を夜空に向けた。

 漆黒のキャンバスと縫い針に似た木の枝、金刺繍の三日月。

 すれ違う人のいない、走る車もない道の上。
 静まり返った空間に、吐き出した白い息だけが流れる。

 こういう時に恋愛ドラマならば、心情に寄り添う音楽がムードを演出して、その回一番のハイライトへと場面展開するのだろうけれど。
 あいにく、現実はそう簡単には行かない。
 抱き締めたり、手を繋いだり、告白をするなんて、まだ時期尚早。
 勝手に盛り上がって相手を顧みずに突っ走るのは、恋に恋する年頃までだ。
 いきなり境界線を飛び越えるのは、してはいけない。

 本当は、本音は、今すぐにでも手に入れてしまいたいけれど。

 しない。
 こうして大学の外でプライベートな時間を共有できた、得がたい奇跡に出会えた。
 それだけで、とても素敵な日だったと思おう。
 首にぐるりと巻いたマフラーに半分ほど顔を埋めた鳴成の姿も、とても可愛いし。

「先生、いつもは一回り小さめサイズのマフラーですよね?あれは仕事用ですか?」
「そうです。スーツ着用の際はフォルムの邪魔にならないように、コンパクトサイズのマフラーを着用するようにしています。実はとても寒がりで」
「じゃあ、大学では結構我慢してるんですね」
「ええ、だいぶ。きみは冬に強そうですね?」

 厚めのネイビーのチェスターコートに手袋まで嵌めている鳴成とは違って、月落はタートルネックの上にキャメルのバージンウールコートを羽織っているのみだ。
 寒そうな見た目は月落だが、実際に寒がっているのは鳴成の方で、そのちぐはぐさが面白い。

「冬にも強いですし、意外と夏にも強いですね。気温に上手く対応できる属性のようで」
「正しく恒温動物だ……」
「先生は変温動物タイプな気がします」
「正解です。熱すぎるのも寒すぎるのも苦手で、日本に春と秋しかなくなってしまえばいいと思ったことは何度もあります」
「花粉症はないんですか?」
「ありません。杉の脅威から15年離れていたので、ゲージがいっぱいになっていないんだと分析しています。きみは?」
「うーん、少しだけですね。時々、目が痒くなる程度です」
「それだけですか?」
「はい」
「残念。ぐしゅぐしゅになっているきみを、春に見られるかと期待したのに」
「あ、ひどい。悪魔がいる」

 笑い声は上げずに、けれど朗らかに微笑む。
 吐き出す息の白さとは相反して、心は温む。

 いつの間にか、間にあった距離は縮まっている。
 肩と肩をくっつけながら歩いていることに、本人たちだけが気づかぬまま進む。


 抱き寄せないけれど。
 手さえ繋がないけれど。
 甘い言葉ひとつないけれど。


 誰よりも満たされて、優しさに包まれて。


 自分たちの声と足音以外は一切ない、閑散とした世界を、二人だけで進む。
しおりを挟む
感想 28

あなたにおすすめの小説

【完結済】「自由に生きていい」と言われたので冒険者になりましたが、なぜか旦那様が激怒して連れ戻しに来ました。

キノア9g
BL
「君に義務は求めない」=ニート生活推奨!? ポジティブ転生者と、言葉足らずで愛が重い氷の伯爵様の、全力すれ違い新婚ラブコメディ! あらすじ 「君に求める義務はない。屋敷で自由に過ごしていい」 貧乏男爵家の次男・ルシアン(前世は男子高校生)は、政略結婚した若き天才当主・オルドリンからそう告げられた。 冷徹で無表情な旦那様の言葉を、「俺に興味がないんだな! ラッキー、衣食住保証付きのニート生活だ!」とポジティブに解釈したルシアン。 彼はこっそり屋敷を抜け出し、偽名を使って憧れの冒険者ライフを満喫し始める。 「旦那様は俺に無関心」 そう信じて、半年間ものんきに遊び回っていたルシアンだったが、ある日クエスト中に怪我をしてしまう。 バレたら怒られるかな……とビクビクしていた彼の元に現れたのは、顔面蒼白で息を切らした旦那様で――!? 「君が怪我をしたと聞いて、気が狂いそうだった……!」 怒鳴られるかと思いきや、折れるほど強く抱きしめられて困惑。 えっ、放置してたんじゃなかったの? なんでそんなに必死なの? 実は旦那様は冷徹なのではなく、ルシアンが好きすぎて「嫌われないように」と身を引いていただけの、超・奥手な心配性スパダリだった! 「君を守れるなら、森ごと消し飛ばすが?」 「過保護すぎて冒険になりません!!」 Fランク冒険者ののんきな妻(夫)×国宝級魔法使いの激重旦那様。 すれ違っていた二人が、甘々な「週末冒険者夫婦」になるまでの、勘違いと溺愛のハッピーエンドBL。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

隣国のΩに婚約破棄をされたので、お望み通り侵略して差し上げよう。

下井理佐
BL
救いなし。序盤で受けが死にます。 大国の第一王子・αのジスランは、小国の第二王子・Ωのルシエルと幼い頃から許嫁の関係だった。 ただの政略結婚の相手であるとルシエルに興味を持たないジスランであったが、婚約発表の社交界前夜、ルシエルから婚約破棄するから受け入れてほしいと言われる。 理由を聞くジスランであったが、ルシエルはただ、 「必ず僕の国を滅ぼして」 それだけ言い、去っていった。 社交界当日、ルシエルは約束通り婚約破棄を皆の前で宣言する。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

悪役令息を改めたら皆の様子がおかしいです?

  *  ゆるゆ
BL
王太子から伴侶(予定)契約を破棄された瞬間、前世の記憶がよみがえって、悪役令息だと気づいたよ! しかし気づいたのが終了した後な件について。 悪役令息で断罪なんて絶対だめだ! 泣いちゃう! せっかく前世を思い出したんだから、これからは心を入れ替えて、真面目にがんばっていこう! と思ったんだけど……あれ? 皆やさしい? 主人公はあっちだよー? ご感想欄 、うれしくてすぐ承認を押してしまい(笑)ネタバレ 配慮できないので、ご覧になる時は、お気をつけください! できるかぎり毎日? お話の予告と皆の裏話? のあがるインスタとYouTube インスタ @yuruyu0 絵もあがります Youtube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます プロフのWebサイトから、両方に飛べるので、もしよかったら! 名前が  *   ゆるゆ  になりましたー! 中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!

【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。 今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。 魔法と剣が支配するリオセルト大陸。 平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。 過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。 すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。 ――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。 切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。 全8話 お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c

【完結】この契約に愛なんてないはずだった

なの
BL
劣勢オメガの翔太は、入院中の母を支えるため、昼夜問わず働き詰めの生活を送っていた。 そんなある日、母親の入院費用が払えず、困っていた翔太を救ったのは、冷静沈着で感情を見せない、大企業副社長・鷹城怜司……優勢アルファだった。 数日後、怜司は翔太に「1年間、仮の番になってほしい」と持ちかける。 身体の関係はなし、報酬あり。感情も、未来もいらない。ただの契約。 生活のために翔太はその条件を受け入れるが、理性的で無表情なはずの怜司が、ふとした瞬間に見せる優しさに、次第に心が揺らいでいく。 これはただの契約のはずだった。 愛なんて、最初からあるわけがなかった。 けれど……二人の距離が近づくたびに、仮であるはずの関係は、静かに熱を帯びていく。 ツンデレなオメガと、理性を装うアルファ。 これは、仮のはずだった番契約から始まる、運命以上の恋の物語。

アプリで都合のいい男になろうとした結果、彼氏がバグりました

あと
BL
「目指せ!都合のいい男!」 穏やか完璧モテ男(理性で執着を押さえつけてる)×親しみやすい人たらし可愛い系イケメン 攻めの両親からの別れろと圧力をかけられた受け。関係は秘密なので、友達に相談もできない。悩んでいる中、どうしても別れたくないため、愛人として、「都合のいい男」になることを決意。人生相談アプリを手に入れ、努力することにする。しかし、攻めに約束を破ったと言われ……?   攻め:深海霧矢 受け:清水奏 前にアンケート取ったら、すれ違い・勘違いものが1位だったのでそれ系です。 ハピエンです。 ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。 自己判断で消しますので、悪しからず。

処理中です...