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一章
17. 閑話・両家身辺調査①
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「それでは、ご報告を始めさせていただきます」
時は遡ること1か月半前、11月中旬。
ようやく秋の気配が漂い始めた頃である。
舞台の場所は、東京都渋谷区松濤にある高級住宅街の一角。
地上からではその広大さが一望できないほど長い塀に囲われた敷地の中に、その洋館は建っている。
ビアンコカラーラを全面に使用した外壁が太陽の光を優美に跳ね返すその邸の一室には、ニヴォラのソファとアームチェアに座る3つの人影。
「そうしてくれ」
「お願いします」
「あら、久しぶりの調査依頼じゃないの」
「そうなんですよ、お義理姉さん」
「スパイダー?それともスネーク?」
「今回はスパイダーだな」
「わくわくするじゃない。誰についてなの、それ」
声の主は、月落渉の父である衛、母である梢、そして伯母の弓子。
色づき始めた紅葉の様子が大開口窓からライブ映像で届く、『こじんまり』と表現するには謙遜甚だしい応接室。
午後のティータイムを楽しむ三名は、直立不動でタブレットを持つ男性へと視線を向けた。
TOGグループには、情報収集を行う諜報組織が秘密裏に存在する。
人物に関する情報はスパイダーチームが、企業に関する情報はスネークチームが担当し、調査の依頼主と情報共有を望んだTOGグループ所属の役員へと速やかに報告される仕組みだ。
諜報組織の統括は細身にスーツを纏うこの男、萩原——衛の第一秘書だ。
彼は静かに口を開いた。
「このたび衛様にご依頼された調査対象者は鳴成秋史様、逢宮大学外国語学部で准教授を務めていらっしゃいます」
「ちょっと待って、大学の准教授って言った?予期せぬご職業なんだけど、誰と関係があるの?蛍?」
「渉だ」
「渉?珍しいじゃない、もっとわくわくして来たわ」
「萩原、続けてくれ」
「はい。鳴成様は世田谷区成城のご出身、現在は南青山在住です。3月14日生まれ、40歳、魚座、血液型はO型。私立小学校を卒業後、6年間をインターナショナルスクールで過ごされていらっしゃいます」
「私立の小学校に通っていたのにそのまま持ち上がらなかったか。附属中学がないところか?」
「いいえ、違うようです。経緯を詳しく調べますか?」
「……いや、今はいい」
「18歳で私立大学国際教養学部に進学されています。20歳で渡英、ランカスター大学芸術社会科学部入学、そのまま大学院に進まれました。27歳の時に博士号を取得。大学院在学中から翻訳の分野に携わり、卒業後は文芸翻訳家として主に書籍の翻訳を行っておられます」
「准教授となった今も翻訳家でいらっしゃるの?」
「はい。日英日、英独英で翻訳をされています。さらに、フランス語話者でもあるようです」
「翻訳家先生がどうして大学の准教授になったんだ?相互関係の薄いジャンルだろう?」
衛が紅茶を飲み終わると、萩原とは反対側に控える執事が素早くティーポットから追加を注ぐ。
それを見ていたメイドが、音もなく扉を開けて部屋を出て行った。
「柿野玄人先生のベストセラーが7年前にイギリスで発売となった際、英語訳を担当されたのが鳴成様でした。人物の感情描写の素晴らしさに感銘を受けた逢宮大学外国語学部の学部長が熱烈オファーを送り、准教授として招聘したとのことです。ルート無視の一発准教授、ゼミを持たない准教授と異例尽くしの好待遇で迎えられたと」
「特例の准教授か……逢宮大学で働き始めたのはいつからだ?」
「5年前からです」
「2年かけて口説き落とされたか。学部長の苦労が窺えるな」
「その学部長が感銘を受けたっていう本も気になるわ。日下部」
弓子が呼ぶと、小さな丸眼鏡を掛けた青年がどこからともなく現れた。
「オリジナル版と日本語版のどちらも入手しておきます」
「そうしてちょうだい」
「日下部さん、2冊お願いできる?私も読んでみたいから」
「承知いたしました」
「ママ、読んだら俺に回してくれ」
「3日で読んでサマリー書いておくから、忙しかったらそれ確認して」
「助かる」
28歳で結婚後しばらしくて退職した梢だが、以前はTOGグループ内の銀行で働いていた。
今で言うバリキャリ街道まっしぐらの女性だった。
何でも手に入る人生に嫌気が差して大学卒業後に逃亡生活を送っていた衛が心機一転で実家に戻った際、最初に配属されたのが梢のいた支店だった。
OJTとして指導係をしたのをきっかけに、二人は恋に落ち永遠の愛を誓う仲となった。
出会いが職場だったせいか、同い年でありながら先輩後輩、そして時に同期のような雰囲気もあり、普通の家庭内連絡が業務連絡の様子を帯びることも未だに多い。
『戦友夫婦だ』と両者は気負いなく話す。
「翻訳を担当されたイギリスのミステリー小説『翡翠の涙を流す少女』が10年前に日本で販売され、その頃から既に日本の一部界隈では絶大なる人気を得ていたようです」
「あら、私読んだことあるわよ、その本。主人公の女の子が泣きながら殺人を自白する部分が毒々しくも悲痛で切なくてね。泣きながら本を読んだのなんて、それが初めてだったわ。そう、あの本は鳴成さんが翻訳されたのね」
「日下部さん、その本もお願いできる?」
「承知いたしました」
「ちなみに、柿野先生ですが、自著が英訳される折には必ず鳴成准教授をご指名されるとのことです。他にも複数の有名作家から厚い信頼を得ていると」
「ご活躍は何よりだけど、読みたい本が沢山あって困っちゃいそう」
「梢ちゃん、手分けしましょ。弟たちにも配って読ませるわ」
「ありがとうございます、お義理姉さん!」
日下部は素早く必要冊数を頭の中で計算する。
秘書の中でも回し読みされるだろうことを鑑みて概算するのを忘れない。
「で、鳴成先生の人となりはどうだ?」
「品行方正、真面目で温和ですがその反面、芯の強い部分もあるようです。教員としても優秀で、鳴成様の授業を受けた学生は漏れなく英語運用能力が段違いで上がると評判です。1年生の必修英語以外は人気がありすぎて受講学生の抽選が行われるのですが、その倍率の高さから学生の間ではプレミアムチケットと呼ばれているそうです」
「翻訳家としても優秀、教員としても優秀か……」
「交友関係は派手ではありませんが、絆の強いご友人を日英仏独に数名ずつお持ちです。現在恋人はなし。恋愛には消極的なようで、今までの交際は全て相手側からの積極的な働きかけでどうにか発展したものが多いようです。結婚を考えるほど親密なお付き合いをされたことはありません。余談ですが、恋愛対象は女性でした、今までのところは」
無表情を崩さぬまま訳知り顔でそう付け加えた萩原に、弓子がにやりと口角を上げる。
そのまま紅茶を飲み干すと、同時に開いた扉からティーポットを持ったメイドが帰ってきた。
それを受け取った執事が、新しい紅茶で三名のカップを満たす。
「ねぇ、萩原。プライベートな面を抜かすと、何だか短所がなさすぎるように思うんだけど?」
「はい。調べたスパイダー数名も、『まるで漫画の主人公』と口を揃えて申しておりました」
「渉に頑張れと言うしかないな」
「外見はぴったりお似合いだと思うんだけどね。何と言っても渉は、パパに似てイケメンだから」
「同性同士なら顔の造形は関係ないわよ、梢ちゃん。肝心なのは心意気よ。人間は懐の深さと優しさ、そして決断力があるかで魅力的かどうかが決まるから」
「全部持ってるな、渉は」
「それは親の贔屓目でしょう?まだ30だから足りないところも沢山あるし、ちょっと心配」
「鳴成様と渉様の関係は概ね良好との報告が上がっております」
「あいつ、頑張ってるな。今度帰ってきたら話聞いてあげなきゃな」
うんうん、と頷きながら三名は茶菓子に手を伸ばす。
「これ美味しい」と呟いた梢の言葉を聞き逃さなかった執事は、消費期限が長いようであれば邸に常備しようと心に留めた。
「さて、ここからはご家族についてのご報告をさせていただきます」
「待ってちょうだい、もうその範囲まで広げるの?付き合うかどうかもまだ分からないのに?」
「渉が結構本気っぽいんです、お義理姉さん。ただの母親の勘なんですけど」
「梢ちゃんの勘は鋭いから、きっと当たってるわ。そうなの、ここ数年浮いた話のなかった渉がね……」
「何もないとは言えないのが今の世の中だからさ、万が一の時には月落の名で守れるようにしたいんだ」
「プランは多いに越したことはないものね。いいわ、萩原、続けて」
かしこまりました、という言葉と共に、萩原はタブレットのスライドさせて新しいページを表示した。
「お父上である昌彦様は有限監査責任法人FZの元理事長で、現在は個人事務所を設立し代表を務めていらっしゃいます。また、鳴成家は代々地主の家系です」
「FZって4大大手のひとつじゃないの。それは結構な御仁だわ。月落の出る幕はあるかしらね?」
「剣と盾は持ってても、攻撃無効化シールドは持ってないかもしれないからな」
「うちはシールドなのね、凄くかっこいい。渉が5歳だったら喜んでたワードね……なんで30歳になんてなっちゃったの……あんな壁みたいにおっきくなっちゃって……」
「梢ちゃん、落ち着いて。月落の男子は例外なくみんな壁だから、諦めなさい」
「褒められてる気がしない、全然褒められてる気がしない」
「続きまして、お母上の利沙様ですが、美容サロン経営者でいらっしゃいます。そして——」
話が脱線して空まで飛んで行ってしまうのは、お喋り好きな月落家の特徴だ。
遥か昔にそれに適応した萩原は意に介さず、報告を続ける。
「イングランド貴族ミッドランズ伯爵家の遠縁に当たります」
「は?」
「え?」
「何ですって?」
それぞれ持っていた、ヘレンドの美麗なカップとソーサーをその手から落としそうになる。
衛のものは萩原が、梢のものは執事、弓子のものは日下部が受け止めたため大事には至らなかったが。
それだけ皆、驚きを隠し切れない。
「萩原、もう一回言って欲しいんだが」
「利沙様のひいおばあ様が、ミッドランズ伯爵家の分家出身でいらっしゃいました。1900年のパリ万博にて、日本人留学生としてフランスに渡っていたひいおじい様と出会い電撃結婚、共に日本に帰国されたそうです。昨年春に行われた、ミッドランズ伯爵家当主の結婚式には鳴成家ご一家で参列なさったようですので、遠縁とは言え疎遠にはなっていない模様です」
開いた口が塞がらない、とはまさにこのこと。
世界的大企業の創業者や財閥、旧華族、中東の王族とも相まみえたことはあったが、まさか由緒正しき血統書付きの貴族とこんなにもお近づきになれる機会が訪れるとは。
誰も想像していなかった。
前もって鳴成秋史の画像だけは数枚確認していたが、印象的だった色素の薄さはその血筋から来るのか、と衛と梢は納得した。
「渉はまた凄い人を捕まえたな……」
「パパ、まだだから。というよりむしろ、捕まったのは渉の方」
「ああ、そうだった。捕まってそのまま、タンクも背負わず海中深く潜って行ってるのはあいつだった」
「子供の時に水泳教室に通わせておいてよかった」
「ママはやっぱり先見の明があるな」
「嬉しい、ありがとう」
戦友夫婦は銀婚式から約10年経った今でもとても仲が良い。
それを眩しく思いながら、弓子は目を伏せて紅茶をそっと飲んだ。
「最後にご令妹の有紗様ですが、お父上と同じ公認会計士であり、3年前に婿養子をとられ今夏にご出産されています。ご夫君も同職、お子様は双子の男の子だそうです」
「それはめでたい。出産祝いを贈った方が良いか?」
「パパ、気が早すぎるでしょ。まだ何の関係もない人間から貰う出産祝いなんて不気味以外の何物でもないから、絶対に贈らないで」
「そうか、分かった。思い止まろう」
「ご報告は以上です。より詳しく調査が必要な項目については、お申し出があれば再度お調べいたします」
萩原が三名の顔を確認するが、それぞれが首を振ることで答とした。
「萩原さん、スパイダーにお疲れ様と言ってください」
「かしこまりました」
「父、妹、その婿が公認会計士で、母は英国貴族の血筋ね……月落も胸やけするほどの大盛設定だけれど、あちらも大概だわ」
「姉さん、何か言った?」
「いいえ、何でもないわ」
時は遡ること1か月半前、11月中旬。
ようやく秋の気配が漂い始めた頃である。
舞台の場所は、東京都渋谷区松濤にある高級住宅街の一角。
地上からではその広大さが一望できないほど長い塀に囲われた敷地の中に、その洋館は建っている。
ビアンコカラーラを全面に使用した外壁が太陽の光を優美に跳ね返すその邸の一室には、ニヴォラのソファとアームチェアに座る3つの人影。
「そうしてくれ」
「お願いします」
「あら、久しぶりの調査依頼じゃないの」
「そうなんですよ、お義理姉さん」
「スパイダー?それともスネーク?」
「今回はスパイダーだな」
「わくわくするじゃない。誰についてなの、それ」
声の主は、月落渉の父である衛、母である梢、そして伯母の弓子。
色づき始めた紅葉の様子が大開口窓からライブ映像で届く、『こじんまり』と表現するには謙遜甚だしい応接室。
午後のティータイムを楽しむ三名は、直立不動でタブレットを持つ男性へと視線を向けた。
TOGグループには、情報収集を行う諜報組織が秘密裏に存在する。
人物に関する情報はスパイダーチームが、企業に関する情報はスネークチームが担当し、調査の依頼主と情報共有を望んだTOGグループ所属の役員へと速やかに報告される仕組みだ。
諜報組織の統括は細身にスーツを纏うこの男、萩原——衛の第一秘書だ。
彼は静かに口を開いた。
「このたび衛様にご依頼された調査対象者は鳴成秋史様、逢宮大学外国語学部で准教授を務めていらっしゃいます」
「ちょっと待って、大学の准教授って言った?予期せぬご職業なんだけど、誰と関係があるの?蛍?」
「渉だ」
「渉?珍しいじゃない、もっとわくわくして来たわ」
「萩原、続けてくれ」
「はい。鳴成様は世田谷区成城のご出身、現在は南青山在住です。3月14日生まれ、40歳、魚座、血液型はO型。私立小学校を卒業後、6年間をインターナショナルスクールで過ごされていらっしゃいます」
「私立の小学校に通っていたのにそのまま持ち上がらなかったか。附属中学がないところか?」
「いいえ、違うようです。経緯を詳しく調べますか?」
「……いや、今はいい」
「18歳で私立大学国際教養学部に進学されています。20歳で渡英、ランカスター大学芸術社会科学部入学、そのまま大学院に進まれました。27歳の時に博士号を取得。大学院在学中から翻訳の分野に携わり、卒業後は文芸翻訳家として主に書籍の翻訳を行っておられます」
「准教授となった今も翻訳家でいらっしゃるの?」
「はい。日英日、英独英で翻訳をされています。さらに、フランス語話者でもあるようです」
「翻訳家先生がどうして大学の准教授になったんだ?相互関係の薄いジャンルだろう?」
衛が紅茶を飲み終わると、萩原とは反対側に控える執事が素早くティーポットから追加を注ぐ。
それを見ていたメイドが、音もなく扉を開けて部屋を出て行った。
「柿野玄人先生のベストセラーが7年前にイギリスで発売となった際、英語訳を担当されたのが鳴成様でした。人物の感情描写の素晴らしさに感銘を受けた逢宮大学外国語学部の学部長が熱烈オファーを送り、准教授として招聘したとのことです。ルート無視の一発准教授、ゼミを持たない准教授と異例尽くしの好待遇で迎えられたと」
「特例の准教授か……逢宮大学で働き始めたのはいつからだ?」
「5年前からです」
「2年かけて口説き落とされたか。学部長の苦労が窺えるな」
「その学部長が感銘を受けたっていう本も気になるわ。日下部」
弓子が呼ぶと、小さな丸眼鏡を掛けた青年がどこからともなく現れた。
「オリジナル版と日本語版のどちらも入手しておきます」
「そうしてちょうだい」
「日下部さん、2冊お願いできる?私も読んでみたいから」
「承知いたしました」
「ママ、読んだら俺に回してくれ」
「3日で読んでサマリー書いておくから、忙しかったらそれ確認して」
「助かる」
28歳で結婚後しばらしくて退職した梢だが、以前はTOGグループ内の銀行で働いていた。
今で言うバリキャリ街道まっしぐらの女性だった。
何でも手に入る人生に嫌気が差して大学卒業後に逃亡生活を送っていた衛が心機一転で実家に戻った際、最初に配属されたのが梢のいた支店だった。
OJTとして指導係をしたのをきっかけに、二人は恋に落ち永遠の愛を誓う仲となった。
出会いが職場だったせいか、同い年でありながら先輩後輩、そして時に同期のような雰囲気もあり、普通の家庭内連絡が業務連絡の様子を帯びることも未だに多い。
『戦友夫婦だ』と両者は気負いなく話す。
「翻訳を担当されたイギリスのミステリー小説『翡翠の涙を流す少女』が10年前に日本で販売され、その頃から既に日本の一部界隈では絶大なる人気を得ていたようです」
「あら、私読んだことあるわよ、その本。主人公の女の子が泣きながら殺人を自白する部分が毒々しくも悲痛で切なくてね。泣きながら本を読んだのなんて、それが初めてだったわ。そう、あの本は鳴成さんが翻訳されたのね」
「日下部さん、その本もお願いできる?」
「承知いたしました」
「ちなみに、柿野先生ですが、自著が英訳される折には必ず鳴成准教授をご指名されるとのことです。他にも複数の有名作家から厚い信頼を得ていると」
「ご活躍は何よりだけど、読みたい本が沢山あって困っちゃいそう」
「梢ちゃん、手分けしましょ。弟たちにも配って読ませるわ」
「ありがとうございます、お義理姉さん!」
日下部は素早く必要冊数を頭の中で計算する。
秘書の中でも回し読みされるだろうことを鑑みて概算するのを忘れない。
「で、鳴成先生の人となりはどうだ?」
「品行方正、真面目で温和ですがその反面、芯の強い部分もあるようです。教員としても優秀で、鳴成様の授業を受けた学生は漏れなく英語運用能力が段違いで上がると評判です。1年生の必修英語以外は人気がありすぎて受講学生の抽選が行われるのですが、その倍率の高さから学生の間ではプレミアムチケットと呼ばれているそうです」
「翻訳家としても優秀、教員としても優秀か……」
「交友関係は派手ではありませんが、絆の強いご友人を日英仏独に数名ずつお持ちです。現在恋人はなし。恋愛には消極的なようで、今までの交際は全て相手側からの積極的な働きかけでどうにか発展したものが多いようです。結婚を考えるほど親密なお付き合いをされたことはありません。余談ですが、恋愛対象は女性でした、今までのところは」
無表情を崩さぬまま訳知り顔でそう付け加えた萩原に、弓子がにやりと口角を上げる。
そのまま紅茶を飲み干すと、同時に開いた扉からティーポットを持ったメイドが帰ってきた。
それを受け取った執事が、新しい紅茶で三名のカップを満たす。
「ねぇ、萩原。プライベートな面を抜かすと、何だか短所がなさすぎるように思うんだけど?」
「はい。調べたスパイダー数名も、『まるで漫画の主人公』と口を揃えて申しておりました」
「渉に頑張れと言うしかないな」
「外見はぴったりお似合いだと思うんだけどね。何と言っても渉は、パパに似てイケメンだから」
「同性同士なら顔の造形は関係ないわよ、梢ちゃん。肝心なのは心意気よ。人間は懐の深さと優しさ、そして決断力があるかで魅力的かどうかが決まるから」
「全部持ってるな、渉は」
「それは親の贔屓目でしょう?まだ30だから足りないところも沢山あるし、ちょっと心配」
「鳴成様と渉様の関係は概ね良好との報告が上がっております」
「あいつ、頑張ってるな。今度帰ってきたら話聞いてあげなきゃな」
うんうん、と頷きながら三名は茶菓子に手を伸ばす。
「これ美味しい」と呟いた梢の言葉を聞き逃さなかった執事は、消費期限が長いようであれば邸に常備しようと心に留めた。
「さて、ここからはご家族についてのご報告をさせていただきます」
「待ってちょうだい、もうその範囲まで広げるの?付き合うかどうかもまだ分からないのに?」
「渉が結構本気っぽいんです、お義理姉さん。ただの母親の勘なんですけど」
「梢ちゃんの勘は鋭いから、きっと当たってるわ。そうなの、ここ数年浮いた話のなかった渉がね……」
「何もないとは言えないのが今の世の中だからさ、万が一の時には月落の名で守れるようにしたいんだ」
「プランは多いに越したことはないものね。いいわ、萩原、続けて」
かしこまりました、という言葉と共に、萩原はタブレットのスライドさせて新しいページを表示した。
「お父上である昌彦様は有限監査責任法人FZの元理事長で、現在は個人事務所を設立し代表を務めていらっしゃいます。また、鳴成家は代々地主の家系です」
「FZって4大大手のひとつじゃないの。それは結構な御仁だわ。月落の出る幕はあるかしらね?」
「剣と盾は持ってても、攻撃無効化シールドは持ってないかもしれないからな」
「うちはシールドなのね、凄くかっこいい。渉が5歳だったら喜んでたワードね……なんで30歳になんてなっちゃったの……あんな壁みたいにおっきくなっちゃって……」
「梢ちゃん、落ち着いて。月落の男子は例外なくみんな壁だから、諦めなさい」
「褒められてる気がしない、全然褒められてる気がしない」
「続きまして、お母上の利沙様ですが、美容サロン経営者でいらっしゃいます。そして——」
話が脱線して空まで飛んで行ってしまうのは、お喋り好きな月落家の特徴だ。
遥か昔にそれに適応した萩原は意に介さず、報告を続ける。
「イングランド貴族ミッドランズ伯爵家の遠縁に当たります」
「は?」
「え?」
「何ですって?」
それぞれ持っていた、ヘレンドの美麗なカップとソーサーをその手から落としそうになる。
衛のものは萩原が、梢のものは執事、弓子のものは日下部が受け止めたため大事には至らなかったが。
それだけ皆、驚きを隠し切れない。
「萩原、もう一回言って欲しいんだが」
「利沙様のひいおばあ様が、ミッドランズ伯爵家の分家出身でいらっしゃいました。1900年のパリ万博にて、日本人留学生としてフランスに渡っていたひいおじい様と出会い電撃結婚、共に日本に帰国されたそうです。昨年春に行われた、ミッドランズ伯爵家当主の結婚式には鳴成家ご一家で参列なさったようですので、遠縁とは言え疎遠にはなっていない模様です」
開いた口が塞がらない、とはまさにこのこと。
世界的大企業の創業者や財閥、旧華族、中東の王族とも相まみえたことはあったが、まさか由緒正しき血統書付きの貴族とこんなにもお近づきになれる機会が訪れるとは。
誰も想像していなかった。
前もって鳴成秋史の画像だけは数枚確認していたが、印象的だった色素の薄さはその血筋から来るのか、と衛と梢は納得した。
「渉はまた凄い人を捕まえたな……」
「パパ、まだだから。というよりむしろ、捕まったのは渉の方」
「ああ、そうだった。捕まってそのまま、タンクも背負わず海中深く潜って行ってるのはあいつだった」
「子供の時に水泳教室に通わせておいてよかった」
「ママはやっぱり先見の明があるな」
「嬉しい、ありがとう」
戦友夫婦は銀婚式から約10年経った今でもとても仲が良い。
それを眩しく思いながら、弓子は目を伏せて紅茶をそっと飲んだ。
「最後にご令妹の有紗様ですが、お父上と同じ公認会計士であり、3年前に婿養子をとられ今夏にご出産されています。ご夫君も同職、お子様は双子の男の子だそうです」
「それはめでたい。出産祝いを贈った方が良いか?」
「パパ、気が早すぎるでしょ。まだ何の関係もない人間から貰う出産祝いなんて不気味以外の何物でもないから、絶対に贈らないで」
「そうか、分かった。思い止まろう」
「ご報告は以上です。より詳しく調査が必要な項目については、お申し出があれば再度お調べいたします」
萩原が三名の顔を確認するが、それぞれが首を振ることで答とした。
「萩原さん、スパイダーにお疲れ様と言ってください」
「かしこまりました」
「父、妹、その婿が公認会計士で、母は英国貴族の血筋ね……月落も胸やけするほどの大盛設定だけれど、あちらも大概だわ」
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これはただの契約のはずだった。
愛なんて、最初からあるわけがなかった。
けれど……二人の距離が近づくたびに、仮であるはずの関係は、静かに熱を帯びていく。
ツンデレなオメガと、理性を装うアルファ。
これは、仮のはずだった番契約から始まる、運命以上の恋の物語。
アプリで都合のいい男になろうとした結果、彼氏がバグりました
あと
BL
「目指せ!都合のいい男!」
穏やか完璧モテ男(理性で執着を押さえつけてる)×親しみやすい人たらし可愛い系イケメン
攻めの両親からの別れろと圧力をかけられた受け。関係は秘密なので、友達に相談もできない。悩んでいる中、どうしても別れたくないため、愛人として、「都合のいい男」になることを決意。人生相談アプリを手に入れ、努力することにする。しかし、攻めに約束を破ったと言われ……?
攻め:深海霧矢
受け:清水奏
前にアンケート取ったら、すれ違い・勘違いものが1位だったのでそれ系です。
ハピエンです。
ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。
自己判断で消しますので、悪しからず。
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