鳴成准教授は新しいアシスタントを採用しました。実は甘やかし尽くし攻めの御曹司でした。

卯藤ローレン

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一章

20. 狸との遭遇②

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「おや、そちらにいらっしゃるのは田貫さんではないですか。本日は当ホテルにどのようなご用件で?」

 三人の立ち止まっている横から、別の登場人物がごく自然体な口調で割って入ってきた。
 その人は後ろに数名を引き連れて、ゆったりと歩いてくる。

 気づいたホテル内の従業員全てが30度の敬礼で迎えた。
 月落が振り返って鳴成に、「元漁師の叔父です」と素早く告げる。

「こ、これはこれは、総責任者。いや、何、今日は休憩がてらそこのラウンジに寄っただけでしてな」
「そうですか。お構いもできず申し訳ない。いらしているという連絡が、どこかで神隠しに遭ってしまったようで」

 先ほどまで質量のある腹部を大いに前に出しながら自分勝手な言葉を吐き出していた田貫は、一瞬で精彩を欠いた姿となった。
 月落と同じほどの身長である叔父は岩のごときガタイの良さでスーツを着こなしていて、田貫と並ぶと月とスッポンほどの違いがある。
 年の頃は同じようではあるのに、とても残念だ。

「こちらは古いホテルですからな。そういった霊の仕業もしょうがないでしょう」
「仰る通り。おととしの改装で、スタンダードの客室数を減らして全室ラグジュアリー仕様にしたところ、多くのお客様にご好評頂きまして。人の出入りの増加と共に新しい妖精も増えたのだと思います」
「うぐ……!に、人気が復活されてよかったですな」
「はい。それまでもご予約1か月待ちでしたが、今では平日でも2か月お待ちいただくことになってしまって、従業員一同心を痛めております」

 会話の内容の真相は測りかねるが、田貫は劣勢なのだろう。
 鳴成がちらりと覗いた顔は、どんどん青褪めていく。

「せっかく当ホテルに足をお運びいただきましたので、どうです、これからバーで一杯。今後のホテル事業について語りたいこともありますし」
「い、いや、私はもうお暇するところでしてな。折角のお誘いですが、また今度ということにさせてください」

 その一言と共に、田貫は尻尾を巻いて逃げ出した。
 その後ろ姿を苦笑しながら見送る二名と、きょとんとした顔で見送る一名。
 やっと手を離した月落が、後ろに下がって鳴成と横並びになる。

「先生、ご紹介します。叔父の正志まさしです」
「初めまして、鳴成秋史と申します」
「いつも渉がお世話になっております。渉の叔父でございます」
「本日は私の誕生日祝いのためにお力添えいただいたとお聞きしております。誠にありがとうございました」
「料理長の北園から、ご満足いただけたようだと伺っております。至らぬところもあったかと思いますが、お楽しみいただけて何よりでございました」
「あ、碧酔楼に行ったの?」

 初対面の回りくどい挨拶をしていた鳴成と正志の間に、月落が入ってくる。

「鳴成様、立ち話もなんですから、こちらへどうぞ」

 そのタイミングで、正志がラウンジへと誘導する。
 ゴールドの丸テーブルにホワイトベージュのソファ、ところどころにベルベッドグリーンのアームチェアがアクセントとして置かれている。
 鳴成と月落は横並びに、正志は対面に座った。

「行った行った。そしたら一足遅くて、もう帰ったあとだと言われてな。鳴成様を拝み倒したかったのにお会いできなくて悔しさに打ちひしがれてたら、フロントから連絡が来たんだ」

 途中で何やら自分の名前が出た気がしたが、早口すぎて掴み損なった鳴成は、深く追求せず聞き流した。

「フロントから?」
「渉が田貫に捕まったって」
「とても的確だね」
「お前ならひとりで対処できるって分かってたけど、今日は大切なお客様が一緒だからな。一応参上仕ったってわけだ」
「ありがとう、正志叔父さん。助かった」
「鳴成様には変な輩に遭遇させてしまい、大変申し訳ございませんでした」
「いいえ、私には何も被害はありませんでしたので。あまり見えてもいませんでしたし」
「ああ、渉の身長が役に立って良かったです」

 フロントからの連絡を受けて急いで降りたエントランスホール。
 そこで見た甥の姿を、正志は思い出した。

 まるで、大切なお姫様を敵から守る王子そのものだった。

 甥に久しぶりの心境の変化があったようだと自分の耳にも届いてはいたが、それは実に百聞は一見に如かず。
 予測していたよりもその想いはだいぶ深いようで、正志は正直驚いている。

 喜怒哀楽の起伏は人並みにあるものの、それがありのまま顕在化せず感情が読みにくいと言われてきた兄の子。
 常に冷静沈着であるが故に、何処か人間味の薄かった男。

 それが今、蕩けた微笑みで隣に並ぶ年上の男性を見ているなんて。

 写真に撮って親族のグループチャットに貼りつけようものなら、一族郎党全てが度肝を抜かすだろう。
 海外にいる者は飛行機、地方にいる者は新幹線、近場にいる者は車をかっ飛ばしてその様子を観察しに来るはずだ。
 それほどまでの大事件。

「鳴成様の顔は見られてないな?」
「大丈夫。そういえば、正志叔父さん。あの人の娘さんが俺に連絡先渡したらしいんだけど、知ってる?」
「前にやった創立記念パーティーの話だろう。渉のちょうど真後ろにいた日下部を秘書だと勘違いしたみたいで、紙に電話番号書いて渡したらしい。招待客として呼ばれてた田貫の末娘という立場を慮った日下部が、相談と共に萩原に横流ししたら、その場で破り捨てられてた」
「そうなんだ。だから俺は一切知らなかったのか」
「今どき紙で渡すなんて時代遅れのお嬢様は、時代を切り拓いて行く月落には不釣り合いだってね。その通りだから誰も止めなかったよ」
「先生、日下部さんは会ったことありますよね?弓子伯母さんの秘書です」
「ええ、憶えています。小さい丸眼鏡の」
「当たりです。萩原さんという人は父の第一秘書なんですが、秘書の統括的な立場もしてまして」
「そうなんですね。把握しました」

 説明を怠らないのは、きちんと理解してほしい証。
 ならば、甥の心意気に叔父も参戦するのは当然のことだろう。

「あの田貫というのは、『一等星ホールディングス』という企業が展開しているホテル事業の責任者です。我々は同業として懇親を深めたいと思っているんですが、幾分力足らずでいつも袖にされていまして」
「くっくっくっ……」

 月落が肩を震わせて笑う。
 鳴成でも分かる、これは嘘なのだろう。

「おととしの同じ時期にあちらもこちらもホテルを改装したんですが、気の毒なことにあちら側は客室稼働率が芳しくないようなんです。それを気に病まれてか、責任者御自ら当ホテルに度々足を運んでくださってるようで、勉強熱心で頭が下がる思いです」

 きっと、これも嘘だ。

「改装って言っても確か、内装の一部を替えただけだったよね?」
「カーペットと壁紙、ベッドのグレード、そしてアメニティだな。『新しいを体験して実感する』というコンセプトで、スタイリッシュを追求したものに替えたらしい」
「快適性をアップグレードしたのは戦略的にはありだけど、それだけじゃコスパ重視の現代には足りないかな。うちのホテルみたいに、部屋自体を一新するくらいじゃないと、お客様に真新しさは感じていただけないだろうし」
「そうだな。うちは客室を従来より広くそして特別仕様に造り直したことで、価格を引き上げてもそれ以上の価値があるとお客様にご納得いただけてるからな」
「それをスタンダードタイプの全客室に適応したのが成功の鍵だね。稼働率に一番影響あるのが、最も部屋数の多いスタンダードタイプだから」
「お前、良く分かってるじゃないか。勉強したのか?」
「CBSの卒業生に5つ星ホテルのCFOに就任した人がいて、講演やるっていうから聴きに行った」
「将来、来るか?ホテル部門に」
「やり甲斐は大いにあると思うけど、今は先生と授業するのが何よりも楽しいから先のことは考えないようにしてる」
「はい……?」

 経営者サイドにいる二名の会話を興味深く聴いていた鳴成だが、いきなり自分の名前を呼ばれて驚きを隠せない。

「どうしてそこで私が出てくるんです?」
「僕の実質の雇用者は先生なので、見捨てられたら路頭に迷いますから。最大限尻尾を振っておかなければと」
「きみは犬なの?」
「犬、犬か……もうちょっと勇ましい狼とかの方がいいんですが……あ、もしかして、犬飛び越えてパンダとかの方がいいですか?」
「いえ、そういう問題ではないんですが」

 困りながら眉を下げる鳴成に、月落は無邪気な笑みを零す。
 それを見ていた正志は、グループチャットに投げるのは延期しようと心を改めた。
 やかましい親族の餌食にしてはいけない。

「それで、二人はこれからどうするつもりだったんだ?」
「あ、そうだ。紅茶を買いに行く予定だったんだ」

 時刻は既に17時を回っている。
 思わぬ邪魔者の登場で、余計な時間を浪費してしまった。

「先生、行きましょう?」
「ええ、そうしましょう」

 三人揃って席を立つと、正志がエントランスまで見送りに出てくる。
 ホテルの総責任者がそうしているのに、従業員が倣わないわけにはいかない。
 ぞろぞろと出てきた沢山のスタッフに見守られながら、鳴成と月落はホテルを後にした。
 こっそりと耳打ちし合う。

「お見送りが壮大すぎて気が引けるのは私だけでしょうか」
「先生、絶対に後ろを振り返っては駄目です。ここは前進あるのみです」
「承知しました」




 その日の深夜、弓子のスマホが弟からの着信を受けた。

「正志、こんな遅くに珍しいじゃない。何かあった?」
「姉さん、渉どうしたの」
「どうって?何かあった?」
「すんごいメロメロじゃないか!超絶美人に!」
「あぁ、見たのね。あの子にもやっと春が来たのよ。ヘーゼルの色した、極上に甘い春がね」
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