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一章
21. 和菓子茶寮で妹と②
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「どうした?」
「今、心ここにあらずだったよね?何を考えてたのかなぁ?そんなに優しそうに笑っちゃって」
「何も」
「へぇー、あーそう。よし、お兄ちゃん、よく聴いて」
小学校低学年以来のお兄ちゃん呼びに、月落は居心地の悪さを感じる。
共に帝王学を学んだ妹は一筋縄ではいかない。
断片を集めて繋ぎ合わせ正確無比な答を導き出す能力は、一族の中でもずば抜けている。
「月落の情報網に特別関心のない私でさえも、落ちる花びらを掴むことは多々あってね。何をどう解釈しても、気持ちのメーターは完全に真剣交際側に振り切れてる気がするんだけど、もしや自分で気づいてなかったりする?」
「……………」
瞬間、月落は言葉に詰まる。
この場面をもしも幼馴染が見ていたら、きっと彼の方が絶句しただろう。
押し黙るという行為が、時にどれほどリスクのあることかを正しく理解している月落が、それでも言葉を紡げなくなるのは初めてに近いことだから。
「えーっと、沈黙は認めたも同然なんだけど、そういう見解でいい?」
「…………それでいい」
「え、ちょっとやだ、そんな険しい顔しないでよ。何でそんな黙ってんの、珍しくない?」
「真剣交際っていう響きがあまりにも念願すぎて、真剣交際後の先生との未来を思い描いてた」
「うーわ、バカがいる。渉にこんなこと言う日が来るとは思ってもみなかったけど、好きすぎて頭がバカになってるじゃん。大丈夫そ?」
「無理そう。今すぐ先生に会いたい。3月下旬は大学行かないから会えなくなって10日経つけど、禁断症状出そう」
「え、甘すぎて吐きそう。今食べた砂糖全部吐きそう。今まで新しい彼氏ができてもそんなんじゃなかったのに、30にして突然のキャラ変やめてもらえる?」
「メッセージ送ったら嫌がられるかな」
「聞いてる?」
嚙み合わない兄妹の会話、その間を縫うようにして近づいてきた声がひとつ。
「苺クリームと羽二重餅のクレープケーキ、はちみつ柑橘スカッシュです。お待たせいたしました。そして、こちらは六代目特製の白玉クリームあんみつでございます」
ホールスタッフが手慣れた仕草で、空いた皿と持ってきた皿を交換する。
「ありがとうございます」
「お客様、お飲み物のお代わりはいかがですか?」
「じゃあ、珈琲を下さい」
「かしこまりました」
苺クリームの鮮やかなピンク色が綺麗で、蛍が切り崩す前にと月落はそれもすかさず写真に収めた。
唖然とした蛍は、持っていたカトラリーを一旦置く。
うらりと睨む。
「ねぇ、そんなに好きなの?そんなに?スイーツなんて今まで歯牙にもかけなかったのに今ではリサーチに余念がなくて、食べ物の写真なんて撮らなかったのに撮って、メッセージひとつ送るのも躊躇して。紅茶の淹れ方も勉強して、相手が酔ったら迎えに行って、誕生日会するのに事前に何度も打ち合わせまでして」
「よく知ってるな」
「え、実際どれくらい好きなの?最大値100としてどれくらい?」
「5兆くらい」
「小学生みたいなこと言うのやめてもらえる?てか、昔はそんな冗談絶対言わなかったのに、やっぱりキャラ変してるじゃん。恋してキャラ変わるなんて悲劇が、まさか我が兄に起こると思わなかった」
「どっちかって言うと、喜劇なんだけど」
お行儀悪く項垂れながら、蛍ははちみつ柑橘スカッシュを飲む。
幼少期から整った容貌で頭脳も体格もあり得ないほど恵まれて、常に衆目に晒されてきた4つ上の兄。
だからか、何事からも一歩引いて観察するような、自分が主役の舞台なのに脇役が演技しているのを袖からじっと眺めているような、そんな無関心さがあった。
人生を俯瞰で見すぎて、もはや主観をなくしてしまった。
それが王座を継ぐための宿命なのかと思ったりもしたが、それは妹ながらに無性に寂しくて。
もどかしくて悔しかった。
けれど、今は。
「恋なんて初々しい概念が似合う年齢じゃないっていうのは自分でも分かってるんだけど……片想いだし」
「片想いとかしたことなかったのにね。餌なくても入れ食い状態だったのに。てか、さっさと告白すればいいんじゃないの、そんなに想いが募ってるなら」
「うーん、気持ちは加速してる自覚はあるけど、それを強引に行動に繋げるつもりは正直ないかな。自分勝手に無理に押して、怖がらせる方が断然嫌だから」
「すごい気の遣いようなんだけど、そんな傷つかなくない?大人なんだし」
「好きだからこそ、大切にしてもしすぎるってことはないし。理由なく会えるのは恋人の特権で、そういう親密な関係性にしか許されない特定の事象を先生と共有したいっていう願望は大いにあるけど、焦らず進んで行けたらいいと思ってる。俺は恋愛対象が元々同性寄りだけど、先生は違うから」
「そうだった。月落では誰も気にしないけど、男同士なんだった。あれ?うちってなんでこんなに恋愛に関してオープンマインドなんだっけ?」
「同性と恋に落ちて、でも周りから猛反対されて、結局心中したおばさんが大昔にいたからだって。あまりにも悲しんだ先祖が、月落ではどんな恋愛事情でも受け入れるって宣言して、それが受け継がれてる」
「あー確か、シヅばあちゃんの大恋愛物語、だっけ?」
「そう、それ」
納得したように小さく頷いた蛍は、とろりとしたソースのかかったケーキを、かろうじて上品に見えるギリギリの大きさに切って口に放り込んでいく。
もぐもぐと咀嚼しながら、いま話題に上がっている件の准教授のルックスを思い出していた。
「まぁでも、あの見た目は男性っていうカテゴリーを超越してる感はあるよね」
「写真見た?」
「見た、顔だけだけど。美しすぎてもはや神々しかったわ」
「どんな写真見たか知らないけど、実物はもっと綺麗だよ」
「40だっけ?童顔だよね」
「この前で41になった。童顔で色素薄くて、中低音の声も魅力的だし、スーツ着てても分かるしっかりめの骨格とか上半身の厚みも好みで、毎年担当してる授業で使うスライドは必ずアプデして作り直すところとか、授業中も生徒の進捗には常に気を配って授業後の質問も時間の許す限り付き合うし、忙しいのに翻訳家としても活躍してて、甘いもの好きで食べ方が綺麗で後頭部の丸みも可愛くてでも紳士で、」
「すとーーーーーーーーーっぷ!分かった!十分に分かったから!まだ付き合ってないのに惚気るのやめてもらえる?」
「思い出したらさらに会いたくなったな……どうしよう、先生の好きなファッジ手土産に会いに行こうかな……」
そうぶつぶつと独り言を吐き出す月落のスマホが、メッセージの到着を知らせる。
世界新記録レベルの反射神経でそれを開いた月落は、少しだけ肩を落としながら高速で返信する。
「噂の准教授だったり?」
「全然違った。CBSで知り合った大陸の友人。いま来日中で東京にいるからこれから会えるかって」
「へぇー、ビジネススクール終わった今でも連絡取り合ってるなんて、よっぽど馬が合ったんだ」
「背景と環境がほぼ一緒で、仲良くなるスピードが尋常じゃなかった」
「なるほど、同族経営の一員か」
「そう……ごめん、ちょっと電話してくる。翔がもうすぐ着くはずだから」
「は?」
席を離れる月落とちょうど擦れ違うタイミングで、すぐ上の兄が現れた。
そのまま蛍の隣へと座る。
スーツ姿、どう見ても仕事中だ。
「翔、何でいんの?サボった?」
「得意先行った帰り。早めに終わったから寄ってみた。俺、グルチャで向かうって言ったのに見てない?」
それまで裏返しで置いていたスマホを確認すると未読が40となっていて、蛍は見る気をなくしてそっと同じ向きでスマホを寝かせた。
「こっから会社戻るの?」
「戻んない」
「まだ16時なのにもう帰るってサボりじゃん」
「たまにはこういう日もないとね。あんな美味しそうな写真アップするお前にも罪の一端はあるって。はこゑのお菓子、繭花ちゃんが好きだから買って帰ろうと思ってさ」
繭花とは、翔がおととし結婚した女性の名である。
「繭花お義理姉ちゃん、あんこ大好きだもんね。今日創太くんいるから、後で相談して見繕ってもらったら?」
「あ、ほんと?そうする」
悟、渉、翔の血の繋がった兄に対しては名前を呼び捨てにする蛍だが、悟と翔の結婚相手は『おねえちゃん』と呼ぶ。
兄ばかりの子供時代、とても嫌だった反動らしい。
義理の姉たちにはめちゃくちゃに甘えまくるので、義理の姉たちからもめちゃくちゃに可愛がられ、本当の姉妹のような関係を築いている。
「お待たせしました、珈琲でございます」
「お前の?」
「渉の」
「ありがとうございます、貰っちゃいます。てか、これ第何陣?」
「二陣。良い感じに血糖値上がって大満足」
空いた皿を持って去るホールスタッフと入れ違いで月落が戻ってくる。
「翔、サボり?」
「うーわ、さすが兄妹。同じこと訊いてくるじゃん」
「サボりだよ。今日の業務は既に終了したって」
「お疲れ。蛍、俺一旦家帰って着替えるから、先に出るな」
「あ、そんなちゃんとしたとこに行くの?」
「『霧香亭』と『Stellar』をハシゴしたいらしい」
とりあえずで対面に座った月落は、翔にメニューを差し出す。
珈琲を一口だけ飲んだ。
「料亭と高級バーねぇ……どっちも予約困難だけど、今日の今日で大丈夫なの?」
「霧香亭って、ビルの高層階ぶち抜きで作ったっていう新スタイルで話題になったとこ?」
「そう、そこ。エレベーターの扉が開いた瞬間に鯉が泳ぐ池が現れたり、その先に数寄屋造りの日本家屋が続いてるっていう世界観があまりにも話題になって、数か月待ちとかって看護師の先輩が言ってた気がするんだけど」
「電話したらちょうど空いてるっていうから、個室押さえてもらった」
「空いてるっていうか空けたんだと思うけどね、俺それ」
「どんな魔法使ったら個室まで用意してもらえるんだろうね……我が兄は一体何者なの?」
「翔、ここまでのは払って行くから、ここからのはお前が持ってやって」
「りょうかーい」
「お兄様、ごちそうさまです」
「うわ、気持ちわる」
グーにした両手を顎の下にセットしてきゅるんとした表情を作る蛍に、翔が暴言を吐く。
それを苦笑いで眺めながら月落は席を後にした。
「渉、もう帰んのー?」
「ああ、行くわ」
会計をしてると、後ろのキッチンから幼馴染が顔を出した。
「お前らが来てくれて助かった。入れ替わりでタイプ違いの翔くんが登場したのも、天の贈り物かと思うくらい有難いわ」
「俺たちなんかが来なくても十分繁盛してるだろ?創太がやる店なら間違いないよ」
「え、優しい。どうしたの、渉、優しすぎる。俺、感動しちゃった。抹茶ラテに惚れ薬でも混ざってたかな」
「うるさい奴はシカトするに限る」
入口まで見送ってくれる幼馴染に、ゆらゆらと手を振って別れる。
「あ、そうだ。今度は是非ともお前の准教授と一緒に来いよー!」
「チャンスがあればな」
「男性だけでも入り易いって周知されれば、お客様の層が一気に幅広くなるからー!」
「打算が凄い。さすが、若手やり手経営者」
「やだ、照れちゃう」
「またな」
聳え立つビル群の僅かな隙間にオレンジの夕陽が沈む頃、月落の姿も人ごみに紛れて消えた。
「今、心ここにあらずだったよね?何を考えてたのかなぁ?そんなに優しそうに笑っちゃって」
「何も」
「へぇー、あーそう。よし、お兄ちゃん、よく聴いて」
小学校低学年以来のお兄ちゃん呼びに、月落は居心地の悪さを感じる。
共に帝王学を学んだ妹は一筋縄ではいかない。
断片を集めて繋ぎ合わせ正確無比な答を導き出す能力は、一族の中でもずば抜けている。
「月落の情報網に特別関心のない私でさえも、落ちる花びらを掴むことは多々あってね。何をどう解釈しても、気持ちのメーターは完全に真剣交際側に振り切れてる気がするんだけど、もしや自分で気づいてなかったりする?」
「……………」
瞬間、月落は言葉に詰まる。
この場面をもしも幼馴染が見ていたら、きっと彼の方が絶句しただろう。
押し黙るという行為が、時にどれほどリスクのあることかを正しく理解している月落が、それでも言葉を紡げなくなるのは初めてに近いことだから。
「えーっと、沈黙は認めたも同然なんだけど、そういう見解でいい?」
「…………それでいい」
「え、ちょっとやだ、そんな険しい顔しないでよ。何でそんな黙ってんの、珍しくない?」
「真剣交際っていう響きがあまりにも念願すぎて、真剣交際後の先生との未来を思い描いてた」
「うーわ、バカがいる。渉にこんなこと言う日が来るとは思ってもみなかったけど、好きすぎて頭がバカになってるじゃん。大丈夫そ?」
「無理そう。今すぐ先生に会いたい。3月下旬は大学行かないから会えなくなって10日経つけど、禁断症状出そう」
「え、甘すぎて吐きそう。今食べた砂糖全部吐きそう。今まで新しい彼氏ができてもそんなんじゃなかったのに、30にして突然のキャラ変やめてもらえる?」
「メッセージ送ったら嫌がられるかな」
「聞いてる?」
嚙み合わない兄妹の会話、その間を縫うようにして近づいてきた声がひとつ。
「苺クリームと羽二重餅のクレープケーキ、はちみつ柑橘スカッシュです。お待たせいたしました。そして、こちらは六代目特製の白玉クリームあんみつでございます」
ホールスタッフが手慣れた仕草で、空いた皿と持ってきた皿を交換する。
「ありがとうございます」
「お客様、お飲み物のお代わりはいかがですか?」
「じゃあ、珈琲を下さい」
「かしこまりました」
苺クリームの鮮やかなピンク色が綺麗で、蛍が切り崩す前にと月落はそれもすかさず写真に収めた。
唖然とした蛍は、持っていたカトラリーを一旦置く。
うらりと睨む。
「ねぇ、そんなに好きなの?そんなに?スイーツなんて今まで歯牙にもかけなかったのに今ではリサーチに余念がなくて、食べ物の写真なんて撮らなかったのに撮って、メッセージひとつ送るのも躊躇して。紅茶の淹れ方も勉強して、相手が酔ったら迎えに行って、誕生日会するのに事前に何度も打ち合わせまでして」
「よく知ってるな」
「え、実際どれくらい好きなの?最大値100としてどれくらい?」
「5兆くらい」
「小学生みたいなこと言うのやめてもらえる?てか、昔はそんな冗談絶対言わなかったのに、やっぱりキャラ変してるじゃん。恋してキャラ変わるなんて悲劇が、まさか我が兄に起こると思わなかった」
「どっちかって言うと、喜劇なんだけど」
お行儀悪く項垂れながら、蛍ははちみつ柑橘スカッシュを飲む。
幼少期から整った容貌で頭脳も体格もあり得ないほど恵まれて、常に衆目に晒されてきた4つ上の兄。
だからか、何事からも一歩引いて観察するような、自分が主役の舞台なのに脇役が演技しているのを袖からじっと眺めているような、そんな無関心さがあった。
人生を俯瞰で見すぎて、もはや主観をなくしてしまった。
それが王座を継ぐための宿命なのかと思ったりもしたが、それは妹ながらに無性に寂しくて。
もどかしくて悔しかった。
けれど、今は。
「恋なんて初々しい概念が似合う年齢じゃないっていうのは自分でも分かってるんだけど……片想いだし」
「片想いとかしたことなかったのにね。餌なくても入れ食い状態だったのに。てか、さっさと告白すればいいんじゃないの、そんなに想いが募ってるなら」
「うーん、気持ちは加速してる自覚はあるけど、それを強引に行動に繋げるつもりは正直ないかな。自分勝手に無理に押して、怖がらせる方が断然嫌だから」
「すごい気の遣いようなんだけど、そんな傷つかなくない?大人なんだし」
「好きだからこそ、大切にしてもしすぎるってことはないし。理由なく会えるのは恋人の特権で、そういう親密な関係性にしか許されない特定の事象を先生と共有したいっていう願望は大いにあるけど、焦らず進んで行けたらいいと思ってる。俺は恋愛対象が元々同性寄りだけど、先生は違うから」
「そうだった。月落では誰も気にしないけど、男同士なんだった。あれ?うちってなんでこんなに恋愛に関してオープンマインドなんだっけ?」
「同性と恋に落ちて、でも周りから猛反対されて、結局心中したおばさんが大昔にいたからだって。あまりにも悲しんだ先祖が、月落ではどんな恋愛事情でも受け入れるって宣言して、それが受け継がれてる」
「あー確か、シヅばあちゃんの大恋愛物語、だっけ?」
「そう、それ」
納得したように小さく頷いた蛍は、とろりとしたソースのかかったケーキを、かろうじて上品に見えるギリギリの大きさに切って口に放り込んでいく。
もぐもぐと咀嚼しながら、いま話題に上がっている件の准教授のルックスを思い出していた。
「まぁでも、あの見た目は男性っていうカテゴリーを超越してる感はあるよね」
「写真見た?」
「見た、顔だけだけど。美しすぎてもはや神々しかったわ」
「どんな写真見たか知らないけど、実物はもっと綺麗だよ」
「40だっけ?童顔だよね」
「この前で41になった。童顔で色素薄くて、中低音の声も魅力的だし、スーツ着てても分かるしっかりめの骨格とか上半身の厚みも好みで、毎年担当してる授業で使うスライドは必ずアプデして作り直すところとか、授業中も生徒の進捗には常に気を配って授業後の質問も時間の許す限り付き合うし、忙しいのに翻訳家としても活躍してて、甘いもの好きで食べ方が綺麗で後頭部の丸みも可愛くてでも紳士で、」
「すとーーーーーーーーーっぷ!分かった!十分に分かったから!まだ付き合ってないのに惚気るのやめてもらえる?」
「思い出したらさらに会いたくなったな……どうしよう、先生の好きなファッジ手土産に会いに行こうかな……」
そうぶつぶつと独り言を吐き出す月落のスマホが、メッセージの到着を知らせる。
世界新記録レベルの反射神経でそれを開いた月落は、少しだけ肩を落としながら高速で返信する。
「噂の准教授だったり?」
「全然違った。CBSで知り合った大陸の友人。いま来日中で東京にいるからこれから会えるかって」
「へぇー、ビジネススクール終わった今でも連絡取り合ってるなんて、よっぽど馬が合ったんだ」
「背景と環境がほぼ一緒で、仲良くなるスピードが尋常じゃなかった」
「なるほど、同族経営の一員か」
「そう……ごめん、ちょっと電話してくる。翔がもうすぐ着くはずだから」
「は?」
席を離れる月落とちょうど擦れ違うタイミングで、すぐ上の兄が現れた。
そのまま蛍の隣へと座る。
スーツ姿、どう見ても仕事中だ。
「翔、何でいんの?サボった?」
「得意先行った帰り。早めに終わったから寄ってみた。俺、グルチャで向かうって言ったのに見てない?」
それまで裏返しで置いていたスマホを確認すると未読が40となっていて、蛍は見る気をなくしてそっと同じ向きでスマホを寝かせた。
「こっから会社戻るの?」
「戻んない」
「まだ16時なのにもう帰るってサボりじゃん」
「たまにはこういう日もないとね。あんな美味しそうな写真アップするお前にも罪の一端はあるって。はこゑのお菓子、繭花ちゃんが好きだから買って帰ろうと思ってさ」
繭花とは、翔がおととし結婚した女性の名である。
「繭花お義理姉ちゃん、あんこ大好きだもんね。今日創太くんいるから、後で相談して見繕ってもらったら?」
「あ、ほんと?そうする」
悟、渉、翔の血の繋がった兄に対しては名前を呼び捨てにする蛍だが、悟と翔の結婚相手は『おねえちゃん』と呼ぶ。
兄ばかりの子供時代、とても嫌だった反動らしい。
義理の姉たちにはめちゃくちゃに甘えまくるので、義理の姉たちからもめちゃくちゃに可愛がられ、本当の姉妹のような関係を築いている。
「お待たせしました、珈琲でございます」
「お前の?」
「渉の」
「ありがとうございます、貰っちゃいます。てか、これ第何陣?」
「二陣。良い感じに血糖値上がって大満足」
空いた皿を持って去るホールスタッフと入れ違いで月落が戻ってくる。
「翔、サボり?」
「うーわ、さすが兄妹。同じこと訊いてくるじゃん」
「サボりだよ。今日の業務は既に終了したって」
「お疲れ。蛍、俺一旦家帰って着替えるから、先に出るな」
「あ、そんなちゃんとしたとこに行くの?」
「『霧香亭』と『Stellar』をハシゴしたいらしい」
とりあえずで対面に座った月落は、翔にメニューを差し出す。
珈琲を一口だけ飲んだ。
「料亭と高級バーねぇ……どっちも予約困難だけど、今日の今日で大丈夫なの?」
「霧香亭って、ビルの高層階ぶち抜きで作ったっていう新スタイルで話題になったとこ?」
「そう、そこ。エレベーターの扉が開いた瞬間に鯉が泳ぐ池が現れたり、その先に数寄屋造りの日本家屋が続いてるっていう世界観があまりにも話題になって、数か月待ちとかって看護師の先輩が言ってた気がするんだけど」
「電話したらちょうど空いてるっていうから、個室押さえてもらった」
「空いてるっていうか空けたんだと思うけどね、俺それ」
「どんな魔法使ったら個室まで用意してもらえるんだろうね……我が兄は一体何者なの?」
「翔、ここまでのは払って行くから、ここからのはお前が持ってやって」
「りょうかーい」
「お兄様、ごちそうさまです」
「うわ、気持ちわる」
グーにした両手を顎の下にセットしてきゅるんとした表情を作る蛍に、翔が暴言を吐く。
それを苦笑いで眺めながら月落は席を後にした。
「渉、もう帰んのー?」
「ああ、行くわ」
会計をしてると、後ろのキッチンから幼馴染が顔を出した。
「お前らが来てくれて助かった。入れ替わりでタイプ違いの翔くんが登場したのも、天の贈り物かと思うくらい有難いわ」
「俺たちなんかが来なくても十分繁盛してるだろ?創太がやる店なら間違いないよ」
「え、優しい。どうしたの、渉、優しすぎる。俺、感動しちゃった。抹茶ラテに惚れ薬でも混ざってたかな」
「うるさい奴はシカトするに限る」
入口まで見送ってくれる幼馴染に、ゆらゆらと手を振って別れる。
「あ、そうだ。今度は是非ともお前の准教授と一緒に来いよー!」
「チャンスがあればな」
「男性だけでも入り易いって周知されれば、お客様の層が一気に幅広くなるからー!」
「打算が凄い。さすが、若手やり手経営者」
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