鳴成准教授は新しいアシスタントを採用しました。実は甘やかし尽くし攻めの御曹司でした。

卯藤ローレン

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二章

14. 「渉、あんたお見合いしなさい」②

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 そして、土曜日当日、正午。
 『図らずも事情を把握してしまった外野としての義務、そしてこういう場には私のような人間が最適』という鶴の一声で、月落には伯母の弓子が付き添って約束の場所へと到着した。
 その知らせを聞いて、長峰側も母の聖子と娘のえれなだけで見合いに臨むという返事を寄こした。
 留守番となった祖母ペアは、平屋の邸でパティシエが用意した特製のアフタヌーンティーに舌鼓を打っている。

「それにしても、あちらはてっきり断ってくると思ったけれど、それでも会いたいなんてよほど渉にご執心なのね」

 先日やっと遅い梅雨入りとなった関東では前夜に大雨が降ったが、今朝は月と共に眠りに就いたかのような快晴となった。
 奇跡的に湿度は低く風にも恵まれて、三つ揃えを纏う月落を癒すかのようである。

「全く望んでないんだけどね」
「我が甥っ子ながら、大変ね」

 赤坂のホテルが誇る壮大な庭園の中には、石畳が案内する小道がある。
 弓子の手を取りながらゆっくりと進む月落の後ろを、小さな丸眼鏡を掛けた青年も続く。

「美代様の喜寿をお祝いするパーティーにご出席なさった際に、渉様を初めてお見かけしたそうです」

 弓子の秘書である、日下部という男性だ。

「喜寿って、10年も前じゃない?」
「はい。その当時、先方にはお付き合いされていた方がいらしたので、特にアクションは起こされませんでした。ですが、恋人とお別れになる度にご友人には、本当は渉様が本命なのだと毎回零していらっしゃったようです。今回は先方も30歳間近ということもあり焦っておられるようで、このような強行突破となりました」
「渉一筋というよりは、結ばれる可能性がゼロじゃないカードを搔き集めた中で、一番の好条件になりふり構わず突進してきただけのように聞こえるわね?」
「はい、概ね正解です。高身長高学歴でやばすぎ、見た目がドタイプ、お金持ちだから宝石でもバッグでも島でも何でも買ってくれそう、友達に自慢しまくれちゃう、というのが先方が決まって口にする渉様への賛辞のようです」
「賛辞ねぇ……ずいぶん軽率なお嬢さんね?ね、日下部?」
「弓子様、同意を求めるのはお止めください。私からの発言は控えさせていただきます」

 緑萌ゆる波間を抜けていくと、大きな数寄屋造りの平屋が現れた。
 ふんだんに使用したガラス戸に反射する木々と建物の檜が美しく融合したその場所は、思わず深呼吸してしまいたくなる空気の濃さである。
 暖簾をくぐるとそこには、手ぼかし染めの小紋を着こなす女性が立っていた。

「弓子様、渉様、本日はようこそお越しくださいました」
「女将、ご無沙汰してるわね」
「お出迎えをありがとございます」
「ひのき野一同、ご両名様をお迎えできる日を心待ちにしておりました」
「ありがとう。もう少しここに来る機会を作りたいんだけど、今は新しく着工予定の複合施設にかかりきりなのよ」
「ご所望とあらばお弁当もお届けさせていただきますので、是非お気軽にお申し付けください」
「あら、お弁当なんてやってた?」
「あ、それはあれだ。先生と俺が研究室に缶詰めになってる時に作ってもらった、特製のやつ」
「ああ、あの時のね。日下部、比較的ゆっくり昼食を摂れそうな日をリストアップして、女将に送ってちょうだい」
「かしこましました」
「女将、もしあとで時間があれば料理長にお会いできますか?先日作っていただいたお弁当のお礼を、直接お伝えしたいので」
「はい、お伝えしておきます」
「さて、行こうじゃないの」

 広大な敷地内に、個室が一軒一軒独立した建物として造られている中を進み、一番奥に佇む数寄屋造りへと入る。

「先方は?」
「20分ほど前にご到着でございます」
「それはまた、気合が入ってるわ」

 格子戸の前で立ち止まった日下部は、一旦ここで場を離れる。
 終わる頃合いを見計らって、弓子を迎えにくる予定だ。
 月落様がお越しでございます、という女将の言葉と共に襖が開けられると、そこにはテーブルに既に着席している母娘の姿があった。

 小リスのような顔立ちのよく似た親子は、すぐに席を立つと綺麗な角度でお辞儀をする。
 「ママ、ママ、相変わらず超かっこいい!美形!王子様!あれが私の旦那様になるなんて夢みたい!」と何やら興奮したソプラノが聞こえてくる。
 月落姓の面々はそれを聞いて早々に辟易した。

「渉、あちらはだいぶ本気のようね」
「そうなの?」

 表情を崩さずに口元だけを僅かに動かして会話をする。

「あんな真っ白で繊細なドレス、勝負服の中でも相当気合が入ってる類のものよ。お母さん、ちゃんと和子さんに渉にその気はないって伝えたのかしら」
「どうしよう、弓子伯母さん、今すぐにでも逃げたい」
「災難だけど我慢してちょうだい。この奈落を切り抜けたらご褒美があるから」
「楽しみにしてる。で、ひとつ疑問なんだけど、この方はどちら様?」
「私も初めてお会いしたわ」

 月落が軽く会釈をして席に着くと長峰も座り、下座の誕生日席にいた見知らぬ中年の女性も座った。

「本日はこういった場でございますので、お邪魔になりませぬよう、特別なランチメニューに変更しております。どうぞ会話をお楽しみになりながら、ごゆるりとお過ごしください」

 女将がそう説明している最中、一糸乱れぬテキパキとした動きで鶯色の着物を着たスタッフが部屋へと入り、先付から造りまでが載った半月盆を各人の前に置いて去る。
 初夏に合う爽やかな盛り付けの小さな小皿の一団は、日頃であれば心弾むものであるのに、今日に限ってはその感動も薄い。
気乗りしないというのは、健啖家の舌をも鈍らせるようだ。
 月落は、注がれたペリエの泡をぼんやりと眺める。

「さてここで少しお時間をいただいて、ご挨拶申し上げたいと思います」

 食前酒として出された梅酒で喉を潤した面々を眺めていた中年女性が、そう言葉を発した。

「私は、エマ・渡邉わたなべと申します。ここにいらっしゃる長峰聖子様からご依頼を頂戴しまして、本日は仲人としてこの場を取り仕切らせていただきたく存じます。お嬢様のえれな様は今回が初めてのお見合いで慣れていらっしゃらないため、魅力を存分にお伝えするお手伝いとしての役を仰せつかりました。どうぞよろしくお願いいたしますわぁ」

 ガラス張りの壁を突き抜けて苔庭の遥か彼方まで届くのでないかと思わせるほどに、直線で突き抜けるような女性の声。
 恭しく低頭する仕草で、キャットアイフレームの眼鏡につけられたパールのストラップがじゃらりと音を立てた。
 喜劇の案内人を連想させる所作に、月落の隣に座る弓子が、ふんと鼻を小さく鳴らす。

「さてさて、ここからは本日の主役でいらっしゃる月落渉様からご挨拶を頂戴したいと思います。月落様、ご準備はよろしいでしょうか?」

 分厚い手帳片手に、まるでマイクでも持っているような素振りで名司会ぶりを発揮し始めたエマに、月落は頬が引き攣るのをどうしても止められなかった。
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