【中編版】裏の裏の裏を読む伯爵家子息と、裏のない公爵家子息

卯藤ローレン

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10. 幾千星河祭

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「凄い人だね」
「まだ本番前だから、日没後にはもう少し賑わいが増すよ」
「わぁ……」

 そう聞かされたステファンは、小さな口を開けて感嘆した。
 こんなにも人でひしめく場所には生まれてこの方来たことがなかったのに、さらに増えるとは。

「はぐれないように、手を繋いでいようね」

 初秋の黄昏時、ステファンとベルジュードは王都一の広さを有する広場を訪れていた。
 王城の目と鼻の先のそこでは今日、幾千星河祭いくせんせいがさいという大きな祭りが行われる。
 星型が浮かぶように闇色に塗ったランタンを天に飛ばし、今後一年の健康や心願成就を祈るものである。

 かつて友好関係を結んだ隣国から伝わり、何十年も定着しているイベントだ。
 王都においても何箇所かに分散して、王都以外の都市でも大勢集まれる場所で同じような光景が繰り広げられる、国民総出の祝日。
 皆、友人や家族、恋人と参加している。

「ベルジュードのご家族もどこかにいらっしゃるの?」
「今年は鏡橋に行くと言ってたよ。ステフのご家族は?」
「毎年、うちは湖に行ってる。広いのにほどよく空いてるから。あの気球が飛んでる辺りかな……?」

 暮れゆく遠くの空には、カラフルな球体が幾つも浮かんでいる。
 およそ百年前に考案された熱気球は、催事のたびに大空を雄大に彩るアイテムとして重宝されている。

 熱気球よりも手前の空で風に靡いているのは、大きな鳥の形をした凧だ。
 フクロウ、鷲、鷹という強面なチョイスは、国王陛下御自らが成されたらしく。生まれた幼子でさえ文句は言えない。
 もっと可愛いのが見たい、と泣く少女の涙はきっと、涼しい風にたちまち連れ去られるだろう。

「なにか食べるかい?」
「確か、王城広場はスパイシーなソーセージパイが名物なんだよね?」
「そうだね。鏡橋はスイーツ系で湖は魚のフライ、ここはソーセージ系だね。ホットチョコレートは、きっと君のお気に入りになるはずだよ」
「楽しみ。お腹を空かせて来たから、沢山食べる予定。ベルジュードは絶対に食べたいものはある?」
「君の食べたいものが私の食べたいものだよ。何なら、君自身を食べたっていい」
「僕自身……?」

 ステファンは立ち止まって考える。
 首を傾げて数秒。

「ベルジュード、危ない! 見ないで、倒れちゃう!」

 そう言うなりベルジュードの両目を手の平で隠したステファン。
 そのまましばしの沈黙が流れる。

「大丈夫だよ、ステフ。君を食べたいとは言ったけれど、私は人間の生き血が必要なドラキュラではないから、十字架を見ても弱らないよ」

 王城の尖塔には十字架が幾つも設置されている。
 裏の裏の裏を読んで友人をドラキュラ設定にしたステファンは、彼に弱点となるものを見せないように視界を塞いだけれど、どうやら読みすぎたようだ。

「でも、僕を食べたいって……あ、キスをしたいってこと?」
「あながち間違っていないところが君らしいね。そんなことをそんな純粋な瞳で尋ねるのは、君くらいだよ」
「あ……」

 ステファンは失言に気づいたけれど遅い。
 僅かの間で素早く近づいて来た彼に、まんまと接触されてしまった。
 己の唇を覆い隠すステファンに微笑みを向けながら、そのガードを軽く外したその人は、もう一度短いキスをする。

「外。ベルジュード、ここは外だよ」
「うん、そうだね。ここは外だ」

 慌てるステファンとは対照的に、ベルジュードに焦る様子はない。
 いつもキスを仕掛けてくる時は密室か人のいない場所限定だったのに、今日の彼は一体どうしたのだろう?
 よく見ると、楽しそうに笑う顔にはいつもの大人びた色は見受けられない。
 無邪気だ。

「楽しいの、ベルジュード?」
「うん、ステフと出かけるのはとっても楽しい。意外かも知れないけれど、好きな子とランタンを飛ばすのは私の夢だったんだ」

 どきり、とステファンの胸は叩かれた。
 直球で『好きな子』と表現されるのは、嬉しくて、恥ずかしくて……とびきり嬉しくて。
 大型犬に襲われた日から、自分の中で何かが変わってしまった。

 それまでも予兆のようなものはあったけれど。
 ベルジュードが『友人』という枠に収まりきらなくなって来ていることには気づいていたけれど。
 確実に変化している。
 ベルジュードに対する気持ちが。
 それはもうきっとそうだと、認めなければならないところまで。

 彼に、伝えなければならないところまで。

「さて、ステフ。歩きながら色々と見てみようか」
「うん、そうする。お土産も見ていい?」
「もちろんだ。珍しい草花があれば、君にプレゼントしよう」
「ありがとう。本もあるかなぁ」

 隙間なく肩を寄せ合う出店には食べ物だけでなく、雑貨や陶器、布なども売っている。
 区画を作るように並んだその中を歩く手を繋ぐ青年たちの背中は、すぐに人ごみに紛れて見えなくなった。




―――――――――――――――




 パイを食べてホットチョコレートを飲んで、金の箔押しがされたカードをお揃いで買って、古書を物色して。
 人ごみのなか、どこからともなく現れたランディス家の使用人に荷物を預かってもらっている内に日が暮れた。

 濃紺の空が、徐々に天幕を下ろす。
 沈みゆく太陽が、満月に主役の座を明け渡す。

「まもなくランタン飛ばしの時間です! 皆さん受け取りに来てください!」

 ランタンは国からの支給品だ。
 民の平和は即ち国の平和、これから一年の平穏を願う催しに身銭を切ることはさせない、といつの時代も無料で配られる。
 ランタンの素材には特殊加工された紙が採用されていて、星型にくり抜かれたところにペンで願い事が書けるようになっている。

「大きいから、ふたりでひとつでいいかい?」
「うん、いいよ」

 次々と設置されていく作業台。
 ステファンはベルジュードに促されて、賑わいから外れた場所にやって来た。
 宵闇の影が、ひっそりと足元に這う。

「ステフはいつも、どんな願い事を?」
「家族と僕の健康かな。あんまり大それた夢も希望もなくて、漠然とそれを書いてる気がする。ベルジュードは?」
「私も同じようなものだよ。とりあえずの身体健全を、とね。けれど、今年は違う」
「違うの? もしかして夢が出来た?」

 ぱっと明るくなるステファンの瞳。
 願いは未来を望む心だ。
 そこにはいつだって、確固たる光が眠っている。
 それをベルジュードが抱いたことが純粋に嬉しい、そんな喜びを湛えている。

「ステファン、この星河祭は、恋人同士の永遠の愛を叶えるという言い伝えがあるのを知ってるかい?」
「永遠の愛? 聞いたことないかな」
「この夜に告白が成功した恋人同士のランタンが満月まで届けば、そのふたりはずっと離れずに愛し合えると言われてるんだ」
「へぇ……ロマンチックだね」
「私は自力でどうにかする性質だけれど、せっかくならこういうのに頼ってみるのも風流かなと思うから……」
「ベルジュード? どうしたの?」

 向き合ったベルジュードに、両手をそっと掬い上げられた。

 瞬間、離れた場所から、わぁっと歓声が上がる。
 視線を奪われた先には、ひとつのランタンを皮切りに、次々と空へ舞い上がる灯りの群れ。
 夜空を満たす、星屑の河。
 とめどない祈りが夜に旅立っていく。

 心を奪われていたステファンは、ベルジュードに指をそっと撫でられることで意識を取り戻した。
 顔を正面に戻すと、真剣な眼差しの青年がいる。

 薄藍のベールのなか、かすかに頬を照らす街灯り。
 見つめ合う瞳の中にも星の河が流れているようだ。

 逸らせない。
 呼吸の音だけが聞こえる。

「ステフ、大好きだよ。もう何度も伝えてきたけれど、そのどれもが、そのひとつひとつが、心からの私の想いだった。君は私のことをどう想ってる? 聞かせて」

 知っている。
 いつだってベルジュードは真っ直ぐに向き合ってくれた。
 好きだ、と告げるその言葉には純粋な好意しか乗っていないことを。
 もう、知っている。

 そして、自分自身ももう気づいている。
 胸に宿る気持ちに、迷いがないことを。
 ベルジュードは他の誰とも違う、特別だっていうことを。

「母さんが言ってたんだ。最愛とは、この人となら死んでもいいって思えることだって。ベルジュードは、僕となら死んでもいい?」
「……それは少し難しい言い回しだね」

 グレーの瞳は空中を彷徨う。
 不意に零す突拍子もない物言いにも、目の前の人は逃げずに付き合ってくれる。
 それが、とても嬉しい。
 優しくて、嬉しい。

「私の最愛の定義は、大切な人と手を繋いで生きていくことだから。どんな困難にも難題にも共に立ち向かって、望む果てまで生き抜くことだ。たとえ破滅に向かう道のりだとしても、必ずピンチをチャンスに変えて守り抜くよ」
「生き抜く……?」
「愛して愛して、最後の最後まで隣にいる。ステフ、君を愛して生き抜きたいんだ。そうさせてくれるかい?」

 力強い言葉。
 躊躇いのない言葉。
 決意のこもる言葉。

 胸がきつく引き攣って。
 そしてぶわりと、何かが止めどなく溢れる。
 まるであの空に漂う、数多の煌めきのように。

 得体の知れない何か。
 けれどそれは、愛しいという名の感情だということに本能が気づいている。

「うん……うん、僕もベルジュードと生きて行きたい。きっとこれからも困らせちゃうかもしれないけど、受け止めてくれるって分かってるから。僕も何か助けになれることがあれば精一杯力になるから。一緒に未来を生きたい」
「……ステフ、私はとてもハッピーだ!」

 ぎゅうぎゅうに抱き締められた。
 息も苦しいほどに。
 けれど、その苦しささえも幸せの証。

「好きだ、好きだよ、ステフ」
「うん、僕も大好き。ベルジュード……わ、あ!」

 思い余ったベルジュードに身体を持ち上げられて、その場でくるくると回る。
 街灯りも星灯りも幾つもの線となって、ふたりの世界を彩る。
 煌めきの中でひとしきり戯れて、抱き締め合って、キスをして、笑い合って。

 恋の始まりを、ふたりで分かち合う。


 『どんな時も離れずいられますように』
 『永遠の愛を、君と作れますように』


 祈りをこめたランタンが空へと舞い上がる。
 それは沢山の星と共に、満月へときっと届く。
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