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1章 君に剣を捧ぐ
24 菩提樹の木の下で
しおりを挟む◆◆◆◆◆
どうやらあのまま気を失ったみたいで、自分のベッドの上で目が覚めたが、シーツも取り替えてあり、服も着替えさせられていた。
決闘の時に限界を越えていたのに、怪我の治療もせずに興奮したままバルトロメイを部屋に担いで連れ帰り、犯すという暴挙に出のだ。
未だに自分のどこにそんな体力がのあったのか……。
とにかく色々と体力を使い過ぎた。
気を失うまでのできごとが現実だったのか、まだ実感が湧いてこない。
辺りは薄暗い、時計を確認すると夜明け前のようだ。
(——とりあえず風呂に入ろう……)
あれから、バルトロメイはどうしたのだろうか?
湯に浸かりながら、レネは昨日の一連のできごとを振り返る。
いくらレネが決闘で勝利したと言っても、あんなことをしたのだ、もう団員ではないのだしここを去ってしまっている可能性もある。
もしそうなっていたとしても、一切の後悔もない。
レネ・セヴトラ・ヴルクとして、男の矜持を守るために本能がそうしろと告げていたのだから。
しかし、レネには妙な自信があった。
自分の気持ちがちゃんと伝わっているなら、もうあの男は逃げたりしない。
風呂から上がり身支度を整えていると、すっかり朝食の時間になっていた。
(はぁ……憂鬱だ……)
あの二人と顔を合わせて食事をすると考えただけでも溜息が漏れる。
レネは、まるで処刑台の階段を上るように、私邸の階段を下ると、食堂の重い扉を開けた。
「——おはようございます」
「おはよう」
仏頂面のバルナバーシュが挨拶を返す。
「おはようございます。昨日はよく眠れたみたいですね」
ルカーシュが副団長の顔でニッコリと笑う。
丁寧な言葉が余計に白々しく感じられた。
これは間違いなくなにかを企んでいる時の顔だ。
(そう言えば……借りてた剣がいつの間にかなくなってた……)
あの後ボリスと一緒に、部屋の中に入って来たのだろう。
「レネはこれ。朝から副団長さんがわざわざあなたのために用意されたのよ」
使用人として私邸で働くヤナが、ワゴンを押して食事を運んで来ると、目の前に蓋つきの陶器のボウルが置かれる。
「え……?」
他の二人は、いつも通り目玉焼きとベーコンだ。
副団長という言葉を聞いただけで、なんだか嫌な予感しかしない。
ガラガラとヤナがワゴンを押して食堂を出て行くと、二人の視線がレネに向けられる。
「昨日は勝手に騒ぎを起こして申し訳ありません」
立ち上がってバルナバーシュに頭を下げた。
「掟違反じゃないにしろ、今度からはあんな無鉄砲なまねはよせ。わかっていると思うが、自分の行動には責任を持てよ。……もういい、さっさと飯を食うぞ」
「——はい」
(あれ?)
思っていたよりもあっさりと終わり、レネは拍子抜けする。
席に着いて、気になっていたボウルの蓋を開ける。
「うっ……」
中に入っていたのは、茹で汁に浸かった特大の白ソーセージだ。
ご丁寧に両サイドの上の方には殻をむいただけの丸い茹で卵が二つ。
(こ…これは……)
「昨日は頑張ったんだ。精が付く物を食わないとな」
ルカーシュがニヤリと嗤う。
実は、この朝食が用意されたのは今回で二度目だ。
以前は、童貞喪失事件の翌朝。
(クソ……完全にコイツから遊ばれてる)
澄ました顔でパンを齧るルカーシュを睨む。
昨日は、なにも言わなくともレネの気持ちを汲み取り、自分の大切な剣まで貸してくれるいい師匠だと思ったのに。
気を取り直し、ソーセージを皿に取りナイフで皮を剥きながら、レネはもう一度バルナバーシュへと視線を向ける。
「……あの、あれからバルトロメイはどうなったんです?」
「ボリスからケツの治療を受けて——いって、なにすんだよ!」
言葉を遮るようにバルナバーシュにぺちっと頭を叩かれ、ルカーシュが抗議する。
ざまあみやがれ、とは思うものの叩き方が少し優し過ぎはしないか? つい穿った見方をしてしまう。
「朝飯にする話題じゃねえだろ……ったく。——あいつのことはじきにわかる」
(じきに?……なんだそれ……?)
朝の鍛練を行うため、レネは鍛練場に顔を出す。
既にたくさん集まっていた団員たちが、歩いてきたレネの方へ一斉に顔を向け、さっと潮が引く様に道を開けた。
(なんだ……いったい)
「あのっ、レネさん! 昨日の決闘すごくカッコよかったです。男惚れしました」
私邸の一階で暮らすヴィートの同期、アルビーンが顔を真っ赤にして声を掛けに来た。
「お……俺も、見ていて痺れました。二刀流だったんですね」
隣にいたエミルにも声を掛けられる。
そして堰を切ったように他の団員たちもレネの側に寄って来た。
それぞれに昨日の決闘を賛辞され、レネはどう対応していいのか困惑する。
(こんなこと初めてだ……)
「あっ、バートだ」
誰かが、私邸の方からやって来るバルトロメイの姿を指さす。
自分の剣を腰から提げレネの方へと向かってやって来るが、昨日のこともあって、どういう顔をしてバルトロメイと顔を合わせたらいいのかわからない。
団員たちも緊張した面持ちで、黙ってその様子を見守る。
そして、珍しくバルナバーシュとルカーシュが鍛練場に顔を出す。
もしかしたら、また何か起こるのかと心配で様子を見に来たのかもしれない。
(まさか、昨日の仕返しに決闘を申し込まれるのか……?)
バルトロメイがちょうど菩提樹の下にいたレネの前で止まり、正面から向き合う。
屈辱を感じて悔しがっているだろうと思っていたのに、その表情は神妙なのだが、どこか晴れやかとしていた。
左膝を立てて地面に跪き、バルトロメイは戦意がないことを意思表示する。
「バルトロメイ・テサク——貴殿に、我が命であるこの剣を捧げたい」
真冬の快晴の空の下に紡ぎ出される言葉が、汗と血の染み込んだこの鍛練場を、まるで神聖な場所へと変える。
今度は両膝をついて、剣を抜くとレネに差し出した。
剣を捧げるということは、即ちレネを主《あるじ》とし、騎士として仕えるという意味だ。
狼の瞳と視線が絡み合い、魂の奥に忘れられていた想いが、光と共にあふれ出でくる。
キラキラと黄金に輝く想いは、中身を言語化することが不可能な純度の高いものだった。
(なんだ……この気持ちは……)
「どんな時でもオレの心と共にあるか?」
レネも知らない記憶の引き出しに、しまってあった言葉が自然と口から出てくる。
「——はい」
返事を聞き、迷うことなく……それがさも当然とばかりに、レネは剣を受け取る。
「オレの心は常にこの菩提樹と共にある」
そう言うと、レネは右手で剣を掲げ、左手で菩提樹の巨木を指す。
団長への忠誠を示すために、これだけは皆に知らしめなければいけなかった。
「共に菩提樹を護ろう」
「この命、燃え尽きるまでお供いたします!」
はらはらと涙を流すヘーゼルの瞳を見下ろし、レネは一度頷くとバルトロメイの左右の肩を剣で叩く。
語らずとも、これが哀しみの涙でも、屈辱の涙でもないことがわかる。
「——我、汝を騎士に任命す」
「……ありがたき幸せ」
心の高ぶりを懸命に抑えながらバルトロメイが、レネの足に傅き、つま先にキスをした。
突然周囲から、拍手喝采が起こり、二人の間に沢山の人垣ができていた。
「これで後継ぎもはっきりしたな」
「すげえっ……猫がどっかの王様みたいに見えて鳥肌が立っちまった」
「美しいを越えて、神々しい……」
「あの威厳はどっから出て来るんだ? 信じらんねえ……別人みたいだ」
突然のできごとだったはずなのに、驚くこともなく、まるで必然のような態度で粛々と対応する自分自身が、レネは信じられないでいた。
(どうしたんだ……オレ?)
「ほら、早く拭いて下さいよ」
少し離れた場所で、ルカーシュが隣にいるバルナバーシュにハンカチを渡す。
「……ああ」
渡されたハンカチでバルナバーシュが素直に涙を拭く姿を見て、ルカーシュは吹き出した。
「本当に、涙もろいんだから……」
そう言うルカーシュの青茶の瞳も、心なしか潤んでいた。
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