菩提樹の猫

無一物

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3章 バルナバーシュの決断

9 団長の愛人

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◆◆◆◆◆


(違う……)

 トーニは落胆の溜息を吐く。

 護衛を引き連れて本屋に入ったミロシュを追って、すれ違いざまに瞳の色を確かめたが、黄緑色ではなく、少し緑がかったヘーゼルだ。

 伝承ではペリドットのような綺麗な黄緑色だといわれている。

 あれは『契約者』ではない。
 残念ながら、今回も外れだったようだ。
 もうミロシュに貼り付く必要もなくなったので、トーニはあの部屋からも引き上げてレーリオに報告へ行くことにした。


 ミロシュのいる屋敷を見張るために、斜め向かいの共同住宅の空き部屋の鍵を開けて勝手に使っていたのだが、そこから自分の荷物を纏め出た頃には、既に外は暗くなっている。

 レーリオのいる下町通りの家へと向かおうとしていた時、通りからこちらにサーコートを着た青年が歩いて来る。
 暗がりではっきりした色は見えないのだが、あれはリーパ護衛団のサーコートだ。
 その青年はミロシュを護衛していた四人の団員たちとは違う人物のようだ。

 すれ違いざま、月明りに照らされ髪が銀色に反射し、瞳が黄緑色に光った。

(——まさかっ!?)

 動揺を悟られないようにそのまますれ違い、すぐにある曲がり角へ進んで姿を隠し、気付かれないよう気配を消して、青年を振り返ると、大通り近くの家の中へと入って行った。

(あそこに住んでるのか?)

 しかし一傭兵がこんな高級住宅街に住めるとは思えない。
 ただの傭兵ではない。

 あの青年について情報を集める必要があるようだ。



 レーリオに報告を済ませた後、歓楽街にある肉体労働者が集う飲み屋で、トーニはあの青年についてなにか訊き出せないかと情報を集めていた。
 
 酒を奢ると男たちは気分よく、なんでも喋ってくれる。

「だからな『赤い奴等』なんてなんの役にも立たねえってんだよ」
「そうだよなぁ」
「なんでも屋に金だして頼んだ方がマシだ」

 打ち解けるための雑談を経て、肝心の話題へとトーニは移った。

「そういや、リーパ護衛団に灰色の髪の団員はいるか? 従弟がなんかその青年に助けてもらってどうしても礼がしたいからって探してるんだよ」

「だったら、直接リーパに行けばいいじゃねえか」

 隣の男の一言で、問題は解決されてしまった。
 確かにおっしゃる通りだ。あんまり安易な作り話だったかもしれないとトーニは反省しながら、話を続ける。

「いや、それがさ、訪ねて行ってもそんな団員いないって言うんだよ」
「なんだそりゃ……そいつ本当に団員だったのか?」

 話を聞いている男たちはそれぞれ怪訝な顔をする。
 
「あの松葉色のサーコートを着てたから間違いねえって言うからさ」

 トーニも如何にも困った顔をして頭を掻く。

「あ? リーパ護衛団? 灰色の髪?」

 一人の男が、考え込むように首を捻っている。

「なんか思い当たることでもあるのか?」

 トーニの胸は期待に高鳴る。

「誰かからちょろっと聞いた話だけど、あの色男の団長さんの愛人が、灰色の髪をした美青年だって言ってたな」
「あーー、馬に相乗りしてたってやつか」

 その話を思い出したのか、他の男たちも騒ぎ出す。

「そうそう、それだよ」
「あの女好きの団長が、男に鞍替えするってことは、よっぽどの美青年なんだろうなって話題になってたな」
 
(そんな話があったのか……)

 トーニは昨年の夏までは隣国のセキアにいたので、メストの話題には明るくない。

「どんな美青年か気になるじゃねえか、誰か顔を見た奴はいねえのかよ?」

 もしかしたら、先ほどすれ違った青年かもしれない。

「それが腕の中に抱かれてたから、誰も顔を見てねえんだよな……」

「そうなのか……」
 
「なんだよ、あんたそっちの趣味があるのか?」

「いや……別にそんなんじゃねえよ、でも女好きの団長が鞍替えするくらいって言うから、やっぱどんな美青年なのか気になるじゃねえかよ」

 いくらそんな趣味はないといっても、色男を夢中にさせたご尊顔を見てみたいと思うのは自然な欲求だろうと、トーニは怪しまれないよう適当に答えを返す。

「そりゃあそうだ。よっぽどな美青年か、あっちの具合がよかったんじゃねえのか?」
「一度男を抱いたらやめられねえって言うよな? そんなにケツの穴の方が締まりがいいのか?」

 下世話な方向に話が進みはじめた。
 知りたい情報は手に入れたし、そろそろ引き上げた方が良さそうだ。
 
 盛り上がりを見せる男たちから、トーニは新しく酒を頼みに行く振りをして、そっとその場を離れて行った。


◆◆◆◆◆


「じゃあ結局襲われることもなかったんだな」

「たぶん護衛についてたんで相手も手が出せなかったんでしょう」

 ヘブルコ伯爵の愛人の護衛が何事もなく終わり、バルナバーシュは執務室でカレルから報告を受けていた。

「なにか怪しい動きはあったか?」

「……気のせいかもしれませんが、店ですれ違った男が、護衛対象の顔を覗き込んでいたような……まあ、それくらいです」

「彼が美青年だからじゃないのか?」

 横からルカーシュが口を挟んで来る。

「……髪が灰色でちょっとだけ目が緑がかっている所は、レネと似てるかもしれませんが……うちの団員たちはみんな目が肥えてるんで……」

「ほう……」

 バルナバーシュは頬杖を突いて、カレルの言葉を咀嚼する。

(偶然か……?)

『復活の灯火』が灰色の髪と黄緑色の瞳の青年を探しているといっていたが……。
 
「他に気になったことは?」

 あんなに伯爵が心配していたのに、なにもなかったとは拍子抜けする。
 よくある愛人の気引き行為だったのか、他になにか意味があるのか?
 答えをだすにはもう少し情報が必要だ。

「あーーそういえば……護衛対象の引っ越し先は……団長のお友人の……ヴィコレニット商会の代表の持ち物だったみたいですよ」

「ピンクの壁の家か?」

「そうです」

「間違いなくハヴェルさんが住んでた家ですね」

 ルカーシュも幼いレネを連れて、よくあの家を出入りしていた。

「懐かしいな。ヘブルコ伯爵が買い上げてたのか」

 親戚の邸宅を相続して現在はお屋敷通りの高級住宅街に住処を移したが、あの家もパトロンを持つ芸術家や貴族の子弟などが多く暮らしている一画にあるので、結構な額だったはずだ。
 伯爵の愛人に対する本気度が窺える。
 
「ロランドの家と近いんで、見張りをしている時に一度すれ違いましたよ」

「そうだった……あいつも同じ通りに家があったな……」

 自分で稼いだ金なのか、それとも誰か援助者がいるのかは定かではないが、一般市民には手が届かないような家に住んでいる。
 まあ団員の中でも一位二位を争う高給取りなので、自腹の可能性も十分あるが。

 そんなことに気をとられていたせいか、カレルが伝えた情報の中に重大な情報が隠れていたのだが、バルナバーシュはこの時まだ点と点が結びついていなかった。

 

「——もしかしたら、ヘブルコ伯爵の愛人を狙っていたのは例の奴等かもしれませんね」

 カレルが部屋から出て行った後、ルカーシュが我慢していたかのように口を開く。

「……俺もそれを思っていた所だ。単なる偶然の一致だといいんだけどな」
 
「もしそれが本当だったらレネの所に辿り着くのも時間の問題では? まだハヴェルさんの所で寝込んでるみたいですが、気になるんで今から連れ帰って来ます」

 レネが戦える状態ならまだ対処できるが、今は動けないので抵抗しようがないだろう。
 こんな時のルカーシュの行動は早い。

「ああ。確かに用心に越したことはない。ここの中が一番安全だからな」

 ここは護衛団の本拠地だ。
 昼夜問わず門には護衛が立っているし、ハヴェルの家に置いておくよりは安全だ。
 それに……ハヴェルまでは巻き込みたくはない。

 ルカーシュは執務室に備え付けてあるクローゼットから外套を取り出すと、サーコートを脱いでさっさと着替えを始める。
 顔も素顔に戻っているので、この男は二階の窓から隣の敷地に入って、こっそりと出かけて行くつもりだ。

「私がいない間、サボらないで下さいよ」

 ルカーシュは外套のフードを深く被って顔を隠し、そう言い残すと部屋を出て行った。
 



 その夜、仕事も終わった時間だというのに、ある人物がバルナバーシュの私室に訪ねて来た。
 
「なんだこんな時間に?」

 レネを連れ帰って来たルカーシュと一緒に応接間で酒を飲んでいたのだが、客人をそっちまで招き入れた。

「夜分に失礼なのはわかっていますが、急いでお二人のお耳に入れておいた方がいいと思ったので」

「ロランド、なにがあった?」

 この男は最初から副団長の素顔を知っているので、ルカーシュはガウン姿で寛いでいる。

「仕事が終わって帰宅していたら、自宅の前で男たちに囲まれて、『お前が団長の愛人か? ……確かに髪の色は灰色っぽいし、目も黄緑色っぽいな……』っと私を見て審議しているのです。ただの破落戸だったので適当に躱して来ましたが、どうも私は人違いされているような気がして、気になったもので」

「まあそこに座れ」

 バルナバーシュは自分たちの向かい側の椅子に座るよう勧めると、改めてロランドの顔を観察する。

「そういえばお前も、灰色ともいえなくはないし、目も黄緑じゃないけど同じ緑だ。暗闇で見たらそう見えても不思議じゃないな」

 昼間、カレルがヘブルコ伯爵の愛人の引っ越し先が昔ハヴェルの家だったということばかりに気がとられていたら、まさかその近所に住んでいるロランドに事件が飛び火するとは予想外の展開だった。

「——ところで、お前はなんと答えたんだ?」

「『そうだけど、だからどうした?』って言いましたけど?」

「…………」

 シレっと凄いことを言われ、バルナバーシュはたじろぐ。
 こんな性格だから団員たちから『狐』と呼ばれ距離を置かれるのだ。


「だったらいっそのことロランドを使って奴らを撹乱するか」

 ルカーシュはそう言うと、陰謀を企む黒幕のような顔をする。
 嫌な予感しかしない。

「お前、まさか……」
 
「そのままロランドに、あんたの愛人の振りをさせるんだよ」

 この男はいつもサラッと凄いことを言ってくる。
『お前はそれでいいのか?』と問い詰めたくなるが、きっとこのコジャーツカ人は、企みを成功させることに夢中なっているので、そんなことどうでもいいのだ。
 
(コイツはそう言う奴だ……)

「——副団長、私がそんなことするんですか?」
 
(ああ……)

 バルナバーシュは『狐』と呼ばれている青年の表情を見て、落胆の溜息を漏らす。
 口では困った風な台詞を吐きながらも、その顔は凄く楽しそうではないか。

 ロランドも、企みごとをして人を追い込むのが大好きだった。
 この二人は妙な所で波長が合う。

 それもそのはず……ロランドをリーパに連れて来たのはルカーシュなのだから、当然なのかもしれない。

「お前ら楽しんでるだろ……」

 どうしたらこの状況を楽しめるのか、二人の心理状態がバルナバーシュには理解できなかった。

「早速、一芝居打って、相手を撹乱させるぞ」

 まるで今から鹿狩りにでも行くように、バルナバーシュを蚊帳の外にしたまま、二人はなにやら計画を立てはじめた。


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