菩提樹の猫

無一物

文字の大きさ
504 / 663
10章 娼婦たちを護衛せよ

14 サロン・カッサンドラ

しおりを挟む

 着飾った娼婦たちが、一階にある会議室のような所に集まって来る。
 昼間のだらしのない格好をした時とは別人のように、女たちは綺麗に化粧を施し、美女へと変身していた。

 カッサンドラが新しい専属の護衛を引き連れて入って来ると、今までザワザワと騒いでいた女たちが一斉に静まり返る。
 皆、カッサンドラの横に立った男の姿に釘付けだ。

 伸びて来た前髪を後ろになでつけ、雄々しい野性味と鋭さ、そして甘さが、絶妙なバランスで配置されている顔。
 見事な筋肉に覆われた肉体を持っているのに、長い手足と引き締まった腰が身体にメリハリをつけている。
 雄牛や猪のような粗野な厳つさを感じないのは、彼が肉食獣の洗練された美しさを持っているからだ。
 
 シンプルな袖なしのシャツから露出した鍛え上げられた腕には、大小の傷があり、カッサンドラが外見だけを気に入り選んできたわけではないことが判る。
 
「紹介するわ。彼の名前はバルトロメイ。わたしの専属でついてもらう新しい護衛よ。アーダの怪我が治るまでの期間限定だけどね」

 沢山の男を見て来た娼婦たちでさえ、一斉に黙り込み、その姿に見入っていた。
 質問攻めにされた自分の時とは大違いだ。
 一瞬で、女たちを雌の目へと変えるバルトロメイに比べたら、レネなど玩具でしかない。

(すげえ……)

 詰襟で袖のないほぼ黒に近い暗緑色のリネンシャツと、動きやすそうな股の深いゆったりとしたパンツに、黒い皮のスリッポン。短めのパンツの裾から覗く足首が涼し気だ。
 南国の戦士といった格好だが、一般人が買えるような値段ではないはずだ。

 午前中にバルトロメイを仕立屋に行かせたと言ってたが、この服は間に合わせで、数日後にはちゃんとした服が出来上がってくるのだろう。

 長い貧乏旅でバルトロメイの外見は野性味を増していたが、磨くとここまで変わるのかと、レネは新たな発見をする。
 見慣れているはずのレネでさえ、あまりの男振りにたじろいでしまうぐらいだ。

(……オレなんか最悪なの着せられてるってのに……)

 レネは我が身を見下ろしため息を吐く。
 バルトロメイは新しい服を仕立ててもらい、自分は借りものを着ている。
 自ら働かせてくれと頼みこんだので境遇の違いに文句を言うつもりもないが、この格好を見ていると、我が身が情けなくなった。


「いい男でしょ? だからって、手を出したら許さないわよ」

 自分のものだから手を出すなとばかりに、逞しい肩に手を置き、そのままゆっくりと腕の撫でる。
 カッサンドラはバルトロメイの首筋に、唇が触れるくらいまで近付き口許に笑みを浮かべた。

 バルトロメイは嫌な素振りなど一切見せない。
 本人も言っていたが、大金を稼ぐ仕事なのだから仕方ないことだ。
 でもどうして、こんなに心の中がモヤモヤとするのだろうか?

 普段だったら気にもしないはずなのに、微妙に開いた二人の距離が、レネの心に不安を与えていた。


 
◆◆◆◆◆



『サロン・カッサンドラ』は、今夜も大勢の客で賑わっていた。

 一階のサロンは、貴族の邸宅といっても差し支えないような豪華な造りをしており、ローズピンクの光を灯す豪華なシャンデリアが、少し妖しい空気を演出していた。
 ニンフと人間の男たちの夜の営みを描いた淫猥な絵が部屋中に飾られているのは、娼館ならではの光景かもしれない。

 その中を優雅な仕草で歩き回るのは、露出の多いドレスを身に纏った女たちだ。
 
 テーブルの上には果物と、酒のつまみが豪華に盛り付けたあり、三段重ねのアフタヌーンティースタンドには、宝石のように美しい菓子が盛り付けてあった。

 まるで夢の世界に迷い込んだ男たちは、酒を飲みながら今夜の相手を物色し、二階の個室へと消えていくのだ。
 しかしここに来たからといって、必ず二階へ行く必要はない。

 先代の女主人の時から通っているという老人は、三日に一度は此処に酒を飲みに訪れ、馴染みの客と世間話を楽しみながら、娼婦たちの美しい肢体を眺めて目を細めているのだった。
 
 選りすぐりの女たちが集まることで有名な『サロン・カッサンドラ』は、アラッゾでも一二位を争う様な人気の店だ。
 娼婦たちを買うには会員になる必要があったが、一階のサロンで酒を飲むだけだったら、誰でも入ることができた。
 結局は何度も通う内に、気に入りの娼婦と夜を共にしたくなり、大金を払うことになる。
 

 玄関ホールの入り口の両端には、黒い服を着た男たちが客を出迎える。
 鍛え抜かれた身体つきの護衛たちは、微動だにしないせいか、街のあちこちに飾られている彫像のようだ。
 既に泥酔していたり、店の雰囲気にそぐわない客が来た時だけ、男たちが動き出す。

 それは店の中も同じで、目立たない所に立って、店の大切な商品である娼婦たちに妙なマネをする輩はいないかと目を光らせているのだ。

 二階で行為に及んでいる時も、無茶をするような客がいえば娼婦たちは呼び鈴を鳴らすだけで護衛役の男たちが飛んで来るというシステムになっていた。


「——シニョーラ、あの子は一晩いくらだい?」

「申し訳ありません、シニョーレ。彼は売り物ではありません。今日から入った護衛です」

 今日何度目になるかわからない質問に、カッサンドラは内心苦笑いをする。
 この店では、護衛たちには黒いお仕着せを纏わせ、目立たないよう暗い店の隅に立たせている。
 
 今日が初仕事のレネはいきなりだったため、護衛に相応しい服装を準備することができなかった。
 黒い服を持っていないというので、近くにある知り合いの男娼館から慌てて服を借りて来たのがことの始まりだ。

 着替えさせた黒いシャツは、向こう側が見えるほど薄く、セキアではあまり見かけない白磁の肌をより一層浮き立たせる。
 目にした娼婦たちが嫉妬していた薄紅色の飾りもうっすらと透けて見え、よりいっそうこの青年を妖しげなものに見せていた。
 ピッタリとしたズボンは、華奢な身体の線を暴き出して、カッサンドラさえもおかしな気持ちにさせる。

 目立たない店の隅に立たせているにも関わらず、何人かの客からあの青年を買いたいと声をかけられた。

「あの生意気そうな猫の目がいけないのよ」

 客を取られたと不機嫌になる娼婦を宥めながら、目元を隠す夜会用の仮面をレネに着けさせた。
 それがどんな作用をもたらすか、カッサンドラは最初からわかっていた。
 
 印象的な黄緑色の瞳は目立たなくなったが、今度は今まで主張していなかったはずの薄紅色の唇が、艶めいて輝きだす。
 それは飾りっ気がないぶん、口紅を塗って綺麗に整えた女たちの唇よりも生々しく見えた。
 
 結果、その仮面の下を暴きたいと、先ほどよりも余計に男たちの関心を引いてしまうことになる。

 ここが男娼を扱う店だったなら、とんでもない逸材を拾って来たと大喜びするところだろうが、ここは娼婦たちが生きていく女の花園だ。
 男娼なんてこれっぽっちも置くつもりはない。


「シニョーラ、なんであんな格好なんてさせたんです?」
「そうですよ。あたしのお得意さん、あっちばっかりチラチラみて、話しかけても上の空だったんですよ」

 一日の営業が終わり、一階に残っていた娼婦たちが不満げにカッサンドラへと駆け寄って来た。

「うちの護衛たちの服は大きさが合わないし、シルヴァーノの所から借りて来て、一番地味な服があれだったの。明日にはちゃんとした服を着せるから心配しないで」


 娼婦たちには著しく不評だが、それでもカッサンドラは、バルトロメイだけではなく、レネも自分の手元に置いておきたかった。
 ずっと自分の隣で様子を見ていたバルトロメイが、表情には一切出さないが、レネに声がかかる度に、注意を向けているのが伝わって来る。

 カッサンドラは商売上、人の感情の機微を察するのが得意だ。
 落ち着いているとはいえ、バルトロメイはまだ二十五の青年。
 今まで相手にしてきた客と比べたら、まだ年若い男の心の中など、透けて見えるようだ。

(この子の弱点はレネ)

 カッサンドラは心の中でほくそ笑む。
 そこを弄らないわけがない。

「困ったわ……思ったよりも、店の子たちの反発を買ったようね……やっぱり同じ屋根の下で寝起きさせるのは難しいかもしれないわね……今夜から、あの護衛たちと一緒の寮に移ってもらおうかしら。本人もそう望んでいたようだし」

 思わせぶりに護衛の男たちに視線を向ける。
 よからぬことをしようと考えている客たちの抑制になるようにと、店の護衛には厳つい男たちを厳選している。
 そんな中に華奢な美青年を放り込んだら、どうなるのかカッサンドラにもわからない。

 しかしレネも護衛だ。
 同じに扱ってなにが悪い。

「彼も傭兵団にいたんでしょう?」

「ええ」

 年の割にはバルトロメイは頭がいい。
 カッサンドラの決めたことに異論を挟まない。
 反論したら、よけいにレネが窮地に立たされるかもしれないことを、この青年はちゃんと理解している。

(でもやっぱり、レネのことが心配でたまらないのね)

 顔には一切出さなくとも、この青年の心の揺らめきが手に取るようにわかる。
 神経をすり減らし、じわりじわりと滲み出したバルトロメイの苦渋は、どんな美酒よりもカッサンドラを酔わせた。
 
 美しい男たちを、自分の手の平の上で翻弄させたい。
 それは……男たちに身体を捧げ、ここまでのし上がってきたカッサンドラの、仄暗い欲望だった。


しおりを挟む
感想 31

あなたにおすすめの小説

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

「自由に生きていい」と言われたので冒険者になりましたが、なぜか旦那様が激怒して連れ戻しに来ました。

キノア9g
BL
「君に義務は求めない」=ニート生活推奨!? ポジティブ転生者と、言葉足らずで愛が重い氷の伯爵様の、全力すれ違い新婚ラブコメディ! あらすじ 「君に求める義務はない。屋敷で自由に過ごしていい」 貧乏男爵家の次男・ルシアン(前世は男子高校生)は、政略結婚した若き天才当主・オルドリンからそう告げられた。 冷徹で無表情な旦那様の言葉を、「俺に興味がないんだな! ラッキー、衣食住保証付きのニート生活だ!」とポジティブに解釈したルシアン。 彼はこっそり屋敷を抜け出し、偽名を使って憧れの冒険者ライフを満喫し始める。 「旦那様は俺に無関心」 そう信じて、半年間ものんきに遊び回っていたルシアンだったが、ある日クエスト中に怪我をしてしまう。 バレたら怒られるかな……とビクビクしていた彼の元に現れたのは、顔面蒼白で息を切らした旦那様で――!? 「君が怪我をしたと聞いて、気が狂いそうだった……!」 怒鳴られるかと思いきや、折れるほど強く抱きしめられて困惑。 えっ、放置してたんじゃなかったの? なんでそんなに必死なの? 実は旦那様は冷徹なのではなく、ルシアンが好きすぎて「嫌われないように」と身を引いていただけの、超・奥手な心配性スパダリだった! 「君を守れるなら、森ごと消し飛ばすが?」 「過保護すぎて冒険になりません!!」 Fランク冒険者ののんきな妻(夫)×国宝級魔法使いの激重旦那様。 すれ違っていた二人が、甘々な「週末冒険者夫婦」になるまでの、勘違いと溺愛のハッピーエンドBL。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。 今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。 魔法と剣が支配するリオセルト大陸。 平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。 過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。 すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。 ――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。 切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。 全8話 お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c

アプリで都合のいい男になろうとした結果、彼氏がバグりました

あと
BL
「目指せ!都合のいい男!」 穏やか完璧モテ男(理性で執着を押さえつけてる)×親しみやすい人たらし可愛い系イケメン 攻めの両親からの別れろと圧力をかけられた受け。関係は秘密なので、友達に相談もできない。悩んでいる中、どうしても別れたくないため、愛人として、「都合のいい男」になることを決意。人生相談アプリを手に入れ、努力することにする。しかし、攻めに約束を破ったと言われ……?   攻め:深海霧矢 受け:清水奏 前にアンケート取ったら、すれ違い・勘違いものが1位だったのでそれ系です。 ハピエンです。 ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。 自己判断で消しますので、悪しからず。

【WEB版】監視が厳しすぎた嫁入り生活から解放されました~冷徹無慈悲と呼ばれた隻眼の伯爵様と呪いの首輪~【BL・オメガバース】

古森きり
BL
【書籍化決定しました!】 詳細が決まりましたら改めてお知らせにあがります! たくさんの閲覧、お気に入り、しおり、感想ありがとうございました! アルファポリス様の規約に従い発売日にURL登録に変更、こちらは引き下げ削除させていただきます。 政略結婚で嫁いだ先は、女狂いの伯爵家。 男のΩである僕には一切興味を示さず、しかし不貞をさせまいと常に監視される生活。 自分ではどうすることもできない生活に疲れ果てて諦めた時、夫の不正が暴かれて失脚した。 行く当てがなくなった僕を保護してくれたのは、元夫が口を開けば罵っていた政敵ヘルムート・カウフマン。 冷徹無慈悲と呼び声高い彼だが、共に食事を摂ってくれたりやりたいことを応援してくれたり、決して冷たいだけの人ではなさそうで――。 カクヨムに書き溜め。 小説家になろう、アルファポリス、BLoveにそのうち掲載します。

ざまぁされたチョロ可愛い王子様は、俺が貰ってあげますね

ヒラヲ
BL
「オーレリア・キャクストン侯爵令嬢! この時をもって、そなたとの婚約を破棄する!」 オーレリアに嫌がらせを受けたというエイミーの言葉を真に受けた僕は、王立学園の卒業パーティーで婚約破棄を突き付ける。 しかし、突如現れた隣国の第一王子がオーレリアに婚約を申し込み、嫌がらせはエイミーの自作自演であることが発覚する。 その結果、僕は冤罪による断罪劇の責任を取らされることになってしまった。 「どうして僕がこんな目に遭わなければならないんだ!?」 卒業パーティーから一ヶ月後、王位継承権を剥奪された僕は王都を追放され、オールディス辺境伯領へと送られる。 見習い騎士として一からやり直すことになった僕に、指導係の辺境伯子息アイザックがやたら絡んでくるようになって……? 追放先の辺境伯子息×ざまぁされたナルシスト王子様 悪役令嬢を断罪しようとしてざまぁされた王子の、その後を書いたBL作品です。

殿下に婚約終了と言われたので城を出ようとしたら、何かおかしいんですが!?

krm
BL
「俺達の婚約は今日で終わりにする」 突然の婚約終了宣言。心がぐしゃぐしゃになった僕は、荷物を抱えて城を出る決意をした。 なのに、何故か殿下が追いかけてきて――いやいやいや、どういうこと!? 全力すれ違いラブコメファンタジーBL! 支部の企画投稿用に書いたショートショートです。前後編二話完結です。

処理中です...