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10章 娼婦たちを護衛せよ
22 訪問者
しおりを挟む休憩室を出ると、先ほど話題になっていた二人が顔を寄せ合って会話を交わしている。
店では常時、楽士たちの演奏する音楽が流れており、人々の会話をやんわりと包み込み隠す役割を担っていた。
音源の近くに立っているバルトロメイとカッサンドラは、相手の耳元で喋らないと会話が成り立たない。
そうだとわかっていても、さっきの話を聞いてからだと、穿った目で二人を見てしまう。
二人が抱き合っていたというけれど、この雰囲気ならおかしくない。
(——あれ……?)
湧き上がってくる、焦燥感と歯痒さはいったいなんなのだろうか?
これは嫉妬なのだろうか?
いくら自分の騎士だからと言って、レネにバルトロメイの行動すべてを束縛する権利はないはずだ。
逆に、自分だってバルトロメイから口出しされることを嫌っている。
バルトロメイが自分の身体を求めているのは知っている。
だが、レネは自分の身体を差し出したりしない。
レネは男に興味はないし、主従関係は恋愛感情で結ばれるものではないと思っているからだ。
だったら、バルトロメイが誰と寝ようとも、自分に咎める権利などないのでは?
当たり前だと思っていたことが、一つ綻びを見せただけで、次々となにが正しいことなのかわからなくなってくる。
自然と、真っすぐと姿勢よく立つバルトロメイの方へ、助けを求めるように視線を向けるが、目が合ったのは隣にいるカッサンドラだ。
レネの揺れる気持ちを嗅ぎ取ったかのように、カッサンドラは逞しい腕へと手を這わせ、勝ち誇った笑みを浮かべた。
「おい、お前さんに客が訪ねて来とるぞ」
昼前に起き、寮のある二階から一階の食堂へと降りていくと、まだ仕込み中の親仁が厨房からレネに声をかけて来た。
「へっ? オレ?」
「ゆっくり喋りたいのなら、どっか違うとこに行ってきな」
いつも通り煙草を銜えながら、親仁がレネを一瞥すると、大きな鍋の中をオタマで掻きまわす。
開店すると、朝食を求めてやって来る客で込み合うので、邪魔だと言いたいのだろう。
「うん、わかった」
(オレに客って、誰?)
もしかして追手ではないかとレネは身構える。
「お~~~元気してたか~~~」
聞こえてきた陽気な声に、レネは一気に肩の力を抜いた。
「フィリプ……どうしてここが?」
働く店の名前は教えていたが、別れて半月、まさかフィリプの方がやって来るとは思わなかった。
「なんだよ、店へ行ったらこっちにいるって言うから、わざわざ会いに来てやったんだぞ。嬉しくないのか?」
こっちに来いよとばかりに、両手を広げレネを待ち構える。
まだ半月しか経っていないが、フィリプの人のよさげな笑顔が、レネの荒んだ心に優しく染みわたる。
「嬉しいに決まってるだろ! あんまりいきなりだったんで吃驚したんだよ」
レネは素直にフィリプの腕の中に収まりハグを交わすと、あまり高さの変わらない目を合わせる。
フィリプは両手で頬を包みレネの顔を覗き込んだ。
「お前さ……なんか疲れた顔してんな。……それに……目が……どうした?」
わざわざフィリプが訪ねて来てくれたことは嬉しいが、このタイミングで顔を見られるのは、恥ずかしい。
夕方、店に行く前には元通りになるだろうと踏んでいたが、まだ寝起きで、泣き腫らした瞼は重いし、目も充血したままだ。
「なんでもないって。もうすぐ他の護衛の奴の降りて来るから、場所変えようぜ。昼飯は?」
同僚に詮索されるのも嫌だし、ここはさっさと場所を移った方が得策だろう。
「まだだけど……お前……大丈夫か?」
「なにがだよ、飯が美味いって教えてもらった店があるから行こう」
心配そうにフィリプはレネのことを見ているが、別に心配するようなことではない。
レネの心は穏やかに凪いでいる。
少し行ったところに、この時間でも開いている食堂兼飲み屋がある。
以前、アーダと街中へ出かけた時に、早い時間に一軒だけ店を開けていたので、珍しがって見ていると、『ここは酒よりも食事をしにくる客の方が多いくらい美味いぞ』と教えてくれたのだ。
外は雨上がりで、道のあちこちに水たまりが残っている。
まだ空はどんよりと曇っており、太陽の姿は見えない。
狭い通りには、紺色のサーコートを着た騎士らしき男たちをチラチラ見かける。
治安維持のために地元の騎士団が見回りにでも来ているのだろうか?
高級娼館であるカッサンドラの店は、『娼館通り』と呼ばれている裏通りからは客は入ってこない。
見覚えのある赤い看板が見えてきた。
今日も既に開店しているようだ。
「ほら、あそこの赤い看板のところ」
「ウシレって店か」
「そうそう。オレは行くの初めてだけど飯が美味いって言ってた」
雲の間から顔を出した太陽の光が、ちょうど店の前にできた水たまりへと映り込み、キラキラと光っていた。
曇っていた心を、光が明るく照らす。
まるでひょっこりと自分の元を訪ねて来たフィリプみたいだと思った。
店に入ると、二人で日替わりメニューを頼んで、出て来たパスタをつつきながら、近況を報告しあう。
最近よく食べる機会があるせいか、クルクルとフォークに巻いて食べるのは苦手だったレネも、随分と手慣れてきた。
「うわ、これうま……」
ミネラレ川の源流は、ファスティーデオ山のふもとにあり、山に含まれる特殊な鉱石が溶けだして、独自の生態系を築いているらしい。
パスタにゴロゴロと入っていたピンク色をした二枚貝も、ミネラレ川にしか生息しない特殊な貝だという。
今まで味わったことのないような、独特の風味を持った貝の出汁が麺と絡まり、一度食べたら癖になる味だ。
こんなに飯の美味い店が近くにあるのなら、気分転換にお昼はここに通うのもいいかもしれない。
「——へえ……じゃあ、お前とバートは同じ店にいても、ずっとまともに話す暇もないんだな」
「あのおばさん、出かけることも多いしな。オレは店と寮を往復するだけの生活だよ」
開店前は、仕事の打ち合わせや、店の宣伝など、カッサンドラは意外と忙しく出かけているようだ。
繁盛しているのは娼婦たちの質もあるが、こうした努力によるものが大きいと護衛の一人が話していた。
下手すれば営業時も、贔屓の客と食事や芝居見物に出かけているので、必ずお供としてついて行くバルトロメイとは、ほとんど話す暇もない。
レネの話を聞くと、フィリプは顔を曇らせる。
「特殊な場所だし、店に入らないとお前を探すのも難しそうだから、追手も見つけにくいかもしれないけど、もしお前になにかあったら誰が守るんだ?」
「自分の身くらい自分で守れるって。ここって意外と安全なんだぜ?」
レネは心配ないと笑う。
実際に、客以外と従業員以外と顔を合わせることは殆どない。
カッサンドラの店は特殊な環境で川からしか客は入れないし、店の中の護衛は目立たない所に立っているだけだ。
寝起きしている寮も、店からは離れていない。
ただそこを毎日往復する生活を繰り返している。
レネをこの街で捜し出せるのは、店の顧客か、まだ明るい昼の時間に歓楽街をうろついている特殊な人間だけだろう。
それに治安を守るためなのか、地元の騎士団がかなり巡回しているので、変な真似はできない。
「そんなこと言うけど、お前がそんな顔してても、あいつは護衛対象のおばさんに付きっ切りなんだろ?」
「…………」
誤解しているようだが、こんな目をしているのは、ここの生活が辛くてメソメソと夜中に泣いていたからではない。
だがフィリプが言うように、バルトロメイはレネなんかに構っている暇はない。
「なあ……こんなとこなんか辞めて、俺と一緒に来ないか?」
真摯な目がレネを見つめる。
フィリプが本気で言っていることがわかる。
それは、甘い蜜を孕んだ言葉だった。
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