菩提樹の猫

無一物

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11章 小島から脱出せよ

13 洗脳

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◆◆◆◆◆


「俺、暫く普通に女だけねえわ……性癖歪んだかも」
 
 訓練と称する虐待を、途中から覗いていたジルドが、溜息を吐きながら虚空を見つめた。

「なに言ってる、お前は最初から歪んでるだろうが。……あれを目の前で見て抱けねえのがこの仕事の辛いところだ」

 やっと、例の薬が使える状態までレネの精神を追い詰めることができた。
 よっぽど堪えたのか、レネは意識を失っている今でもガタガタと身体を震わせている。
 魘されるように『出して……お願い……もう許して……』と、意識がある時は決して言わなかった言葉を聞いた時には、頭が破裂しそうになった。
 これで手出しができないとは、地獄でしかない。

「たまんねえな……」

 美しい青年が怯える姿を見ていると、胸に抱いて優しくしたいのかもっと虐めたいのかわからない感情が湧いてくる。
 胸が疼く様な、切ない気持ちになるのだ。
 ここまで追い詰めたのは自分なのに、優しく抱きしめてやりたくなる。

 
 目だった外傷はないが、内出血になったところなどを癒し手に治療させている。
 神から愛される存在に傷を残してはいけない。
 無骨な男たちが集まる傭兵団で育ったにも関わらず、レネの身体は傷一つない綺麗なものだった。
 きっと姉の夫である癒し手が、毎回綺麗に傷を治療していたからだ。
 普通の美的感覚を持ち合わせていれば、こんな身体に傷を残すのを忍びなく思うのは当然だ。

 
「終わったか?」

「はい。連日の疲労からでしょうか、少し発熱しています。今は無理をさせない方が……」

 癒し手としては、せっかく治療した相手なので安静にしておいてほしいのだろう。
 これからまだなにか始める気配のレーリオたちに不安な表情を浮かべている。

「チーロ熱が出ても支障ないだろ?」

 レーリオは後ろに控える男を振り返る。
 フードを目深にぶりこちらからは青白い顔色と口許しか見えないが、洗脳を得意とする幻術師そのままのイメージだ。

「ええ。意識が朦朧としていた方が逆に都合がいいくらいです」
 
 ゾランが滞在している間になんとしても言質を取らなければいけない。
 カムチヴォスから許可された例の薬を使って、レネを洗脳状態に持っていければ、すぐにでも彼の満足いく答えを引き出すことができるはずだ。

 予定では明日までの滞在となっている。
 五日間という短い滞在期間から考えるに、ゾランも多忙の身なのだろう。
 少しでも時間を無駄にしないため、目的さえ果たせばすぐにこの島から立ち去るはずだ。

 ゾランは一度だけ、レネの訓練に同席した。
『猫の扱いを心得ている』と自負していた通り、レーリオ相手だとあんなに身を硬くしていたレネが、南国人の腕に抱かれただけでくったりと脱力しその身を委ねた。

 それを見てからというもの、レネに対する独占欲のようなものがレーリオの中で湧き起こり、なにかと理由を付けて訓練に同席したいというゾランの申し出を拒んでいた。
 レーリオはこれ以上レネにゾランを近付けたくない。
 さっさとゾランの願いを叶えて、この場から去らせたかった。


「よし、じゃあさっさと始めるか」

 レーリオはサイドテーブルに置いてある蒸留酒を口に含み、顔をゆがめたまま意識を失っているレネの唇を奪い無理矢理それを飲ませた。

 神との『契約者』であるレネをレーリオが抱くことはできない。
 抑えがきかなくなるので、できるだけこうした触れ合いは避けてきたのだが、対抗心なのかゾランと同じことをしてみたくなった。

 
「げほっ……」

 気付け薬代わりに飲ませた強い酒が効いたのか、レネはすぐに意識を取り戻す。
 すぐさま横たわっていた身体を抱き起こし、楽なように枕を背中の間に入れてやった。


「目を覚ましたかお姫様?」

 ぼんやりとペリドットの双眸が開き、覗き込むレーリオの顔に向けられた。
 焦点が合った途端に、レネはビクッと身体を震わせ硬直する。

「私が代わりましょう」

 レーリオに対し明らかな怯えを見せるレネに、幻術師のチーロが間に入る。

「よっぽどアレが堪えたらしいな……」

 さっきまで行われていた光景を思い出すだけでも、レーリオは口許が緩んでしまう。

 神との契約を結び、レネが西国三国を再び統一する王となったとしても、この躾を忘れることはできないだろう。
 レーリオを見ただけで身体が反応し、この呪縛から逃れることができないのだ。

 本来は『復活の灯火』の盟主であるカムチヴォスがなるべき役柄だったのだが、あの臆病な男は、甥であるレネに対し悪役に徹することができなかった。
 レーリオにとっては思ってもいない美味しい役が降ってきたことになる。

「薬を焚きますので、皆さんいったん外に出てください」

 洗脳に使用する秘薬は特殊な香油で、その香りを嗅ぐことにより脳に直接作用する。
 この薬に耐性があるのは、調合した薬師と、幻術師であるチーロだけだ。
 レネと二人を残して、他はいったん部屋を出ることになった。


 
◆◆◆◆◆


 
 一度目を覚ましたはずなのに、レネは膝を曲げてうずくまったままカタカタと身を震わせ自らの殻の中にふさぎ込んでしまった。

 身体は覚醒しているのに、このままでは彷徨える他の魂に肉体を乗っ取られてしまう。
 レナトスは仕方なく自分が外に出ていくことにした。


——チリン……。

 いつものように鈴の音とともに暗闇から一転し、明るい世界へとやってきた。
 寝台の上に上半身だけ起こしている状態で、身体が怠い。
 レネの視点を通しなにが起こったのかを知っていたので、身体が発熱しているのだと気付く。
 

「あれ、レネ殿とは違う方がおいでのようだ。貴方様のお名前は?」

 フードで顔を隠した男が、こちらを覗き込んでおり、きょろきょろと周りを見回すレナトスを見て、口許に笑みを浮かべる。

(——どうしてわかる?)

 先月の満月では上手いことレネに成りすまして自信を得ていたのに、この男にはすぐに別人だと見破られてしまった。

 得体の知れない人物に、わざわざ我が名を告げる必要などないのだが、まるで操られるかのように口が勝手に動き出す。


「——我が名は……レナトス……」

「これはこれは、レナトス陛下。お初にお目にかかります。私の名はチーロ。やはりレネ殿はレナトス陛下と魂を共にするお方のようですね。……でもまさか貴方様にこの薬を使う時がくるとは」

 二千年前に死んだはずのレナトスの名を聞いても、チーロと名乗った男は微塵も驚く様子を見せない。
 そればかりか、魂を共にする存在だということまで知っている。

「この薬?」

 コウモリの羽を模したような扇でぱたぱたと香油を熱している炉をあおぐ。
 風にのってやってきた強烈な匂いが、レナトスの鼻腔を刺激する。

「——あっ……」

 臭覚は、視覚よりも記憶との結びつきが強い。
 レナトスはこれがなんの匂いなのかすぐに気付く。
 
「どうやら二千年前、貴方様にこの薬が使われていたのは真実のようだ」


(——だめだ……これは……)
 

 レネの代わりにここへ出てきたが、二千年前に自分を死の淵へと追いやった薬をここで使われるとは想像してもいなかった。

 レナトスは、ワナワナと震え出した自分の身体を抱きしめる。
 これでは隠れてしまったレネと同じではないかと自分を叱咤するが、震えは一向に止まる気配がない。


「さあ……この中に飼っておられる魔物を解放なさってください」

 どうしたわけか、この男の言うことに逆らうことができない。
 なんでも素直に受け入れてしまう。

 揃えた人差し指と中指でトン……と眉間を叩かれると、視界がぶれ激しい浮遊感に襲われる。



 チリン……。

 視界が暗転し、交代の鈴の音が鳴る。
 
 強制的にいつもの世界に戻されてしまった。
 まだレネは膝を抱えて震えているというのに、いったい誰が出て来るというのだ?


「——どけ」

 レナトスを押しのけ、意識の表面へと立つ場所に誰かが向かう。
 暗いなか一箇所だけ光が当たるその空間に、レネとレナトス、二人と全く同じ容姿をした青年が立っていた。

 男と目が合い、レナトスは戦慄する。
 その動揺を見透かしたように青年はニヤリと笑うと、表の世界へと姿を消した。


(——あれは……)

 初めて……その姿を見た。
 レナトスを蝕み暴走させた黒い感情の正体。
 
 なぜ二千年前に気付くことができなかったのだろうか……。
 

 
 

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