菩提樹の猫

無一物

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11章 小島から脱出せよ

20 死闘の末に

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◆◆◆◆◆


 バルトロメイを斬ったのがフィリプだと知り、レネは虚脱感に襲われ立つこともできないままだ。
 誰かに助け起こされその人物の顔をみるが、発熱のせいか焦点を絞ることができず、ぼんやりとしか顔が見えない。

(これは……願望が見せる幻影だろうか……?)

 別れの言葉も告げられぬまま旅立ってしまった男に見える。
 あの頃はまだ少年の面影を残していた。
 もう三年近くたつので、もしかしたら全く別人のようになってしまっているかもしれない。

 見張りの騎士たちと同じ格好をしているし、全くの別人かもしれないが、その名を呼ばずにはいれなかった。


「……ヴィート」

「——ただいまレネ。そして遅くなってごめん」
 

 懐かしい声が聴こえると、強い力で抱きしめられる。

 
「……本物だ……」

 でもなんでここにいるのかわからない。

 ここ数日の……自分の周辺で目まぐるしく起こる出来事についていけない。
 抱きしめられ、ヴィートの胸の鼓動が伝わって来る。

 
(ああ……コイツは嘘を吐いてない)

 
 今ごろになって気付くが、自分は……信じられる相手の腕の中だけ、身を委ねることができる。
 散々な目に遭って気付いたが、自分の本能はなにかを嗅ぎ取っていたのだ。
 
 再会の余韻に浸りたかったのだが、今はそれどころでない。
 すぐに顔を上げ、バルトロメイの方を振り返った。

「バートが……」

「相手も相当な腕だな」

 ヴィートがレネに肩を貸して、レネの身体を死闘が繰り広げられている方向へと向ける。
 
 そこではバルトロメイとフィリプが、血塗れになりながら戦いを繰り広げていた。
 バルトロメイは廊下の突き当りを背に、フィリプの背後にはレネに肩を貸しているが短刀から刀に持ち替えたヴィートが構えている。

 お互いに逃げ場はない。
 
 レネの知っているフィリプだったなら、バルトロメイは既に勝利を収めているはずだ。
 しかし本当のフィリプの実力は違った。
 動きに一分の隙もなく、容赦なくバルトロメイを仕留めようと急所を狙っている。
 
 両者の実力はほぼ互角だ。
 
 もつれ合いながら床に転がると、馬乗りになったバルトロメイが剣でフィリプの首を掻き切ろうとする。
 しかし馬乗りになったまま刀身の長い剣を相手の首に当てるまでにもたつき、その隙にフィリプはバルトロメイの右腰に差したナイフを奪いその太腿を刺した。

「ぐぅっっ」
 
 バルトロメイが傷付けられ、レネはまるで自分のことのように辛かったが、名前を叫びそうになるのを必死に我慢する。
 戦いのときは周囲がうるさくとも集中しているので気が散ることはないが、もし自分がバルトロメイの邪魔をしたら嫌だった。

 この状態では剣を振り回すよりもナイフで攻撃した方が有利だ。
 バルトロメイは不利な状態から抜け出すために、馬乗りの体勢から立ち上がる。
 
 両者再び立ち上がり、間合いを取って見合った。
 
 フィリプは先ほどもつれ合った時に、自分の剣が相手の背後に転がったので、そのままバルトロメイから奪ったナイフで戦うことになる。
 ナイフで刺されたバルトロメイの太腿からは血が流れ続けている。
 
 どちらが有利ともつかない状況だ。

 しかし、レネは知っている。
 本当の殺し合いは強い方が勝つのではなく、殺意の強い方が勝つのだ。
 

 上段の構えを見せるバルトロメイは、傷を負っているにも関わらず姿勢を乱さない。
 正統派の騎士然とした美しい姿勢なのにも関わらず、彼が身に纏う空気は禍々しいほどに赤く燃えていた。

 見ているだけで魂を喰われそうになるほど美しい。
 死の淵から蘇り、レネを取り返しにここまでやってきた。
 

(——これが……俺の騎士……)

 


 
 全ての気迫を込めたかのような一撃で、戦は終わった。

 迷わず敵の心臓に剣を突き刺し、血まみれの剣をその胸から抜き取る。


「——地獄へ墜ちろ」

 バルトロメイが唸る様に低い声でささやいた。

 ごぷっという音とともにフィリプの口から大量の血液が零れると、鈍い音を立てて床にその身体が倒れる。
 生きている時とは違う、肉塊が堅い床に落下する音だ。


——終わった。


 全てを破壊しつくしさんばかりの怒りに燃えた瞳が、レネを捉えた瞬間に……慈愛の色に変わる。
 何度も夢に見た存在が、真っすぐと……目の前にやって来る。

「バートっ……」

 レネはその大きな身体を抱きしめた。
 汗と血に濡れ、熾烈な戦いを終えたばかりの弾む息に、熱い胸板が激しく上下している。

 人づてに聞いてはいたが……本当に生きていた。


「——遅くなってすまない」

 手袋を取った双手が頬を包み、そっとレネの額に口付けを落す。
 たった数日間に起こった嵐のような出来事は、二人だけにしかわからない。
 
 バルトロメイは生死を彷徨う大怪我を、レネは心に大きな傷を負ったが、こうして再びお互いの熱を確かめ合うことができた。



「おいっ! 駄目だこんな状態で力を使うんじゃない」

 レネが刺された太腿に触れると、バルトロメイは慌ててその手を離した。

「イヤだ……お前の傷はオレが全部癒したかったのに……」

 しかしレネは再び太腿に触れ、傷を癒す。
 バルトロメイがこれだけ動けたということは、フィリプに斬られた背中の傷をどこかで癒して来たのだろう。
 
 知らない癒し手にレネは激しい嫉妬を覚えていた。
 引き離されたとしても、本来なら一番に癒すべき我が騎士を放置して、あろうことかその傷を作った犯人に癒しの力を使っていたのだ。
 それも治療させてもらうために、レーリオの出した条件を受け入れて……

「っ……」

「ほらっ、無理するなって言っただろ」

 思い出しただけで眩暈がし、癒しの力を使ったからと勘違いしたバルトロメイが、レネの身体を支える。
 変装していたカステロ騎士団の紺色のマントを外すと、レネの身体を頭から包み横抱きにする。

「なっ……!?」

「戦力外はじっとしてろ。ヴィート、お前に頼んでいいか?」

 バルトロメイから戦力外勧告をされる。
 確かに逃げる時に走ることもままならない人間がいると足手纏いになるので仕方ない。

 しかし男としては、背負われる方が羞恥心は少なくて済む。
 少し前だったら全力で拒否していただろうが、今は素直に受け入れる。
 横抱きは走行性を殺してでも、守りたいものを運ぶ時の抱き方だ。

 
——騎士が剣を捧げた相手を守らずして他になにを守る?

 
 アラッゾで自分たちの関係を再確認した時に、レネは開き直っていた。
 我が騎士が移動しやすいよう、逞しい首に両手を回し縋りつく。

 これでいいのだ。


「チッ……美味しいとこだけ持って行きやがって。お前ら俺のこと完全に忘れてただろ」
 
(あ……)
 
 頭で思っていることがすぐに顔に出てしまうレネを見て、ヴィートはいっそう眉間の皺を深くする。
 ヴィートとは三年ぶりの感動の場面だったのに、バルトロメイとフィリプとの死闘に意識を持っていかれ、流れてしまったままだった。
 後でゆっくり再会を喜び合おう。

 面白くなさそうにフンと鼻を鳴らすと、ヴィートは三白眼にギンと力を込めて周囲を警戒しながらすぐ横にある階段を下りていく。


 屋敷を出ると、夜なのに島の周囲は明るい夜光石の光に照らされていた。
 これでは身を隠すこともできない。
 最初は同じ騎士の格好をしている二人を警戒していなかった見張りたちも、バルトロメイの腕に抱かれるレネの姿を見て、事態を悟る。

「侵入者が客人を攫ってるぞ!」

 警戒の笛が鳴り、わらわらと見張りの騎士たちが集まってきた。


「そのまま波止場まで突っ走るぞっ!」

 二人は高台にある屋敷から波止場まで一気に駆け下りるが、剣を抜いた騎士たちが行く手に立ちはだかった。

 カステロ騎士団は領主であるレーリオから命を受けているだけあって『復活の灯火』とは違う。
 直接の敵ではないが、剣を抜いて前を阻む者は容赦なく斬った。
 ヴィートは徹底してそれを行う。
 そこに少しでも躊躇があったら、死が待ち受けている。

 レネの知っている駄犬はすっかりどこかへ行ってしまった。

 殺気をまき散らし、周囲を威圧するレネやバルトロメイのやり方とは違う。
 闇を背負い、自分のテリトリー内に入ってきた敵は全て消す、そんなどこか得体の知れぬ恐ろしさがある。


(——濃墨さんだ……)

 スロジットの峠で初めて見た、濃墨の戦い方を彷彿とさせる。
 
 たった三年足らずで、お日様の下で遊んでいるのが似合っていた子犬が、ここまで変わるものなのか……。
 一見全くタイプの違う二人に見えるが、濃墨とヴィートの相性の良さもあったのだろう。


 千歳国独特の刀を使った剣法に騎士たちは翻弄され、三人はあっという間に波止場までやって来た。
 カステロ侯爵家のエンブレムの入った赤い舟は大小あって、幅の狭い小さな舟に乗り込む。
 
「わかってると思うが、これはパドルだからな」

 両端に水かきの付いた棒をヴィートに渡す。
 パドルといってもアラッゾのゴンドラのものとは形が違う。

「おいおい、港街育ちを馬鹿にすんじゃねえぞ」

 ヴィートは慣れた手つきでパドルを受け取った。

 後で聞いた話だが、前に進むものと後ろに進むものがあるらしい。
 内陸にあるメスト育ちのレネには全くわからない話だ。

 レネを真ん中に置いて剣をパドルに持ち替えた男たちは、まるで訓練された水兵のように舟を漕ぎ始める。
 小さな舟を選んだのは、座ったまま舟を漕ぐことで的になりにくく、外部からの攻撃を受けにくいからだ。

 海の上は真っ暗だ。
 少しずつ島を遠ざかると、島での騒ぎが嘘みたいに静かで、波音しか聴こえない。

 舟に揺られ、今までなんとか保っていた意識が遠のいていく。
 
 最後に見た島は、暗闇の中……まるで燃えている様にオレンジ色に光っていた。
 

 
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