菩提樹の猫

無一物

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12章 恐怖を克服せよ

2 傀儡の王(5)

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 夜になり寝室へと移動すると、既に若い女官が室内に控えていた。

(……むっ……)

 レナトスの身の回りの世話係は王太子時代から変わらないベテランの女官で、就寝時には三騎士の誰かと交代する。
 そこに若い女官が立っているものだから、いきなりの変化に戸惑う。


「人の気配があると眠れん。我が呼ぶとき以外は控えの間から出てくるでないぞ」
 
 夜着への着替えが終わると、レナトスは着替えを手伝っていた女官を追い払う。

 宮廷女官は出所のはっきりしている貴族の娘しかなることができない。
 王の御手付きになる可能性を狙い、どの家も美しい娘たちを差し出してくるが、王付きになれるのはごくわずかだ。
 ついこの間、女の恐ろしさというものを知ったばかりのレナトスは、できるだけ側に近寄らせたくはない。


 この国で一番権力のある王ともあろう自分が、小娘ごときに動転しておるのだと活を入れる。

(……我は筆おろしも済ませておる……動揺するでない……)

 つまらぬことを持ち出し自分を鼓舞する時点で既に気圧されていることに、レナトスは気付いていない。
 どうしても妊娠の可能性のある女と同じ空間で夜を過ごすということに圧を感じるのだ。
 
 レナトスの血が後世に引き継がれたら、必ずいつか自分のように五柱全ての力を操れる者が生まれてくる。
 そんなことがあれば、また多くの人間の血が流れてしまう。
 闘神の力は人間には手に余る代物だ。
 
 なので世継ぎを残すことを躊躇しているのだ。
 レナトスももうすぐ二十四になり、結婚し子どもがいてもおかしくない年齢だ。
 許嫁がいるのにも関わらず結婚に踏み切れないのは、この有り余る力を自分の代で止めたいからだ。

 王でなかったならここまで悩まずに独身を通せばいいだろうが、国を背負う王が世継ぎを作らないわけにはいけない。

 どうしても無視できない問題にレナトスは頭を痛めていた。


 レナトスは女官に気をとられ、いつもとは違う香りがすることにまで気が回らなかった。
 女官がいることで、一番安らぎを覚えるはずの寝室がどこか別の場所へと変わったような錯覚を覚え、その変化に気付かなかった。

 

◇◇◇◇◇



 白いヴェールを被った女が、レナトスの座る寝台の近くまでやって来る。
 他の女官たちと同じ服装だが女官は普通ヴェールで顔を隠さない。

 レナトスの住まう五芒宮で顔を隠すということは、顔を見られると疚しい者か王から夜伽を命じられた者だけだ。
 前者は侵入者として捕らえられ、後者は王の寝室に招き入れられる。

 王から夜伽を命じられた者は、白いヴェールを着けるという決まりがあった。


「——レナート国王陛下であらせられますか」

 女がか細い声でレナトスに問いかける。
 声からしてまだ十代の少女だ。
 被っているヴェールが緊張のため震えているのだわかる。
 

「そうだ。そう怖がるでない、どれ顔を見せてみろ」

 恐る恐る娘がヴェールを取ると、薄明りに照らされても輝きを失わない真っすぐな銀髪に、ラベンダー色の瞳の印象的な美しい顔立ちが露わになる。

「——オルガと申します」

「ほう、なかなかの器量よしではないか。いいだろう」

 レナトスは娘の手を取ると、自分のいる寝台へと引き摺り込んだ。

 

◆◆◆◆◆



 朝目覚めると、いつもとなにかが違う。
 微かに残る甘い香りに眉を顰める。

(なんだ……この香りは……)

 自分が入浴の時に使う香油とは全く違う香りだ。

 女官のつけている香水の残り香だろうか?

「……ロラ、女官は香水をつけるものなのか?」

 少年時代にレナトスが起こした事件で乳母が辞め、新しく世話係として来たのがロラだ。
 王太后である実母と年はそう変わらないはずだが、随分とふくよかな身体つきをしており、見ているだけで幸せな気持ちになるようなフォルムをしていた。
 ロラの存在はレナトスにとって癒しといっても過言ではない。

「場合によりますけれども、レナトス様は強い香りをお好みではないので、控えるように通たちしてありますが、なにか気になることでもございました?」

「——いや……」

 女官たちの管理は王太后の仕事だ。
 ロラも元々は母が実家から連れてきた侍女で、良家の娘でもない。
 息子の特性をよく理解した母がレナトスの世話係として抜擢しただけで、王付きといっても特に大きな権限を持っているわけではない。
 これ以上訊いても意味がないと、レナトスは話を切り上げる。

 夜になって、直接女官たちに注意するのが一番だろう。
 
(……?)

 着替えのために寝台から立ち上がるが、なんだか腰が怠い。
 遠乗りの後などにこのような症状が現れるが、最近は腰を酷使する運動もしていない。

(身体が鈍っておるな……)

 後で、誰かに相手をさせ剣の稽古でもしようと、頭の中で今日の日程の隙間時間を探し出す。
 

 レナトスがその日に注意したこともあってか、すぐにあの甘ったるい匂いがすることはなくなったが、どうも腰の怠い日がある。
 腰は怠いのに、不思議と妙な爽快感があるのだ。

 それ以外には特に不調はないので、レナトスは誰にも相談することなく月日が流れて行った。



◆◆◆◆◆



「おめでとうございます。ご懐妊です」
 
 奥の部屋から主治医と少し恥ずかしそうに俯いたオルガが出てきた。

「でかしたぞっ!」
「まあっ!」

 待ちに待った知らせに、控えの間で待っていたパスカルは妻と手を取り合って喜んだ。
 これで男児が生まれたら王位継承権の第一位が先王の弟から、グリシーヌ家も安泰だ。
 
 スタロヴェーキで婚前交渉は禁じられていない。
 オルガはレナトスの許嫁なので、妊娠したということは逆に喜ばしいことでしかなかった。
 正式に懐妊したことを発表すれば、レナトスも妃としてオルガを娶るしかないのだ。

 レナトスが寝所にオルガを呼んだことは、女官たちが証明してくれる。
 処女であった証拠の血痕も、初日に宰相であるパスカルと最高神祇官のアベラールが確認済みだ。

 少々強引な手を使ったが、これはレナトスのためでもある。

『レナトス陛下の中に初代国王陛下が眠っておられます。我々は初代国王陛下を呼び出すことに成功しました』

 最初にアベラールからこの話を持ち掛けられた時は、どうするか悩んだが『レナトス』と言う名前通り、初代王レナートの生まれ変わりとしてその名が付けられた。
 
『レナート陛下は神の力を使うことに積極的でいらっしゃいます』
 
 この言葉を聞いた時、パスカルの心は決まった。
 
 全ての神から祝福を受けながらも、なかなか力を使おうとしないレナトスを心配していたのだ。
 使者としディシェ帝国に赴き殉死した父のために、レナトスは今までにない大きな力を使った。
 父の突然の死は悲しかったが、レナトスが父のために大いなる力で帝国軍を圧倒したことは、なによりも嬉しかった。
 
 だがそれ以来、レナトスは自分の大いなる力に思い悩み、癒しの力以外を使うことを拒んでいる。
 
 ディシェ帝国は亡き皇帝の忘れ形見である皇子が、仇をとるべくスタロヴェーキに攻め入る準備をしている。
 各国にも援軍の要請を出しており、これを機に帝国へ反旗を翻す国もチラホラでてきているが、その数は最初の十万を超えるだろうと予想される。

 あの時のようにレナトスの偉大なる力がどうしても必要だった。
 
 身近でレナトスを見て来たので、彼がどういった時に大いなる力を発揮できるかパスカルはよく知っていた。
 レナトスは大いに気持ちが昂った時ほど大きな力が発現する。
 力を使うことを拒否している今の状態では、前回のように帝国軍を殲滅させることなどできない。


 そんな時にアベラールの提案があり、パスカルの中に一筋の光が差す。
 実際にレナトスの身体を借りたレナートと言葉を交わし、それは大きな希望の光として輝いた。

 それからというもの、秘密裏にアベラールと結託してレナトスに薬を使い、レナートを出現させるようになった。
 
 
——全てはこのスタロヴェーキのために。


 都合のいいことに、まだそのことにレナトスは気付いていなかった。



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