548 / 663
12章 恐怖を克服せよ
2 傀儡の王(5)
しおりを挟む夜になり寝室へと移動すると、既に若い女官が室内に控えていた。
(……むっ……)
レナトスの身の回りの世話係は王太子時代から変わらないベテランの女官で、就寝時には三騎士の誰かと交代する。
そこに若い女官が立っているものだから、いきなりの変化に戸惑う。
「人の気配があると眠れん。我が呼ぶとき以外は控えの間から出てくるでないぞ」
夜着への着替えが終わると、レナトスは着替えを手伝っていた女官を追い払う。
宮廷女官は出所のはっきりしている貴族の娘しかなることができない。
王の御手付きになる可能性を狙い、どの家も美しい娘たちを差し出してくるが、王付きになれるのはごくわずかだ。
ついこの間、女の恐ろしさというものを知ったばかりのレナトスは、できるだけ側に近寄らせたくはない。
この国で一番権力のある王ともあろう自分が、小娘ごときに動転しておるのだと活を入れる。
(……我は筆おろしも済ませておる……動揺するでない……)
つまらぬことを持ち出し自分を鼓舞する時点で既に気圧されていることに、レナトスは気付いていない。
どうしても妊娠の可能性のある女と同じ空間で夜を過ごすということに圧を感じるのだ。
レナトスの血が後世に引き継がれたら、必ずいつか自分のように五柱全ての力を操れる者が生まれてくる。
そんなことがあれば、また多くの人間の血が流れてしまう。
闘神の力は人間には手に余る代物だ。
なので世継ぎを残すことを躊躇しているのだ。
レナトスももうすぐ二十四になり、結婚し子どもがいてもおかしくない年齢だ。
許嫁がいるのにも関わらず結婚に踏み切れないのは、この有り余る力を自分の代で止めたいからだ。
王でなかったならここまで悩まずに独身を通せばいいだろうが、国を背負う王が世継ぎを作らないわけにはいけない。
どうしても無視できない問題にレナトスは頭を痛めていた。
レナトスは女官に気をとられ、いつもとは違う香りがすることにまで気が回らなかった。
女官がいることで、一番安らぎを覚えるはずの寝室がどこか別の場所へと変わったような錯覚を覚え、その変化に気付かなかった。
◇◇◇◇◇
白いヴェールを被った女が、レナトスの座る寝台の近くまでやって来る。
他の女官たちと同じ服装だが女官は普通ヴェールで顔を隠さない。
レナトスの住まう五芒宮で顔を隠すということは、顔を見られると疚しい者か王から夜伽を命じられた者だけだ。
前者は侵入者として捕らえられ、後者は王の寝室に招き入れられる。
王から夜伽を命じられた者は、白いヴェールを着けるという決まりがあった。
「——レナート国王陛下であらせられますか」
女がか細い声でレナトスに問いかける。
声からしてまだ十代の少女だ。
被っているヴェールが緊張のため震えているのだわかる。
「そうだ。そう怖がるでない、どれ顔を見せてみろ」
恐る恐る娘がヴェールを取ると、薄明りに照らされても輝きを失わない真っすぐな銀髪に、ラベンダー色の瞳の印象的な美しい顔立ちが露わになる。
「——オルガと申します」
「ほう、なかなかの器量よしではないか。いいだろう」
レナトスは娘の手を取ると、自分のいる寝台へと引き摺り込んだ。
◆◆◆◆◆
朝目覚めると、いつもとなにかが違う。
微かに残る甘い香りに眉を顰める。
(なんだ……この香りは……)
自分が入浴の時に使う香油とは全く違う香りだ。
女官のつけている香水の残り香だろうか?
「……ロラ、女官は香水をつけるものなのか?」
少年時代にレナトスが起こした事件で乳母が辞め、新しく世話係として来たのがロラだ。
王太后である実母と年はそう変わらないはずだが、随分とふくよかな身体つきをしており、見ているだけで幸せな気持ちになるようなフォルムをしていた。
ロラの存在はレナトスにとって癒しといっても過言ではない。
「場合によりますけれども、レナトス様は強い香りをお好みではないので、控えるように通たちしてありますが、なにか気になることでもございました?」
「——いや……」
女官たちの管理は王太后の仕事だ。
ロラも元々は母が実家から連れてきた侍女で、良家の娘でもない。
息子の特性をよく理解した母がレナトスの世話係として抜擢しただけで、王付きといっても特に大きな権限を持っているわけではない。
これ以上訊いても意味がないと、レナトスは話を切り上げる。
夜になって、直接女官たちに注意するのが一番だろう。
(……?)
着替えのために寝台から立ち上がるが、なんだか腰が怠い。
遠乗りの後などにこのような症状が現れるが、最近は腰を酷使する運動もしていない。
(身体が鈍っておるな……)
後で、誰かに相手をさせ剣の稽古でもしようと、頭の中で今日の日程の隙間時間を探し出す。
レナトスがその日に注意したこともあってか、すぐにあの甘ったるい匂いがすることはなくなったが、どうも腰の怠い日がある。
腰は怠いのに、不思議と妙な爽快感があるのだ。
それ以外には特に不調はないので、レナトスは誰にも相談することなく月日が流れて行った。
◆◆◆◆◆
「おめでとうございます。ご懐妊です」
奥の部屋から主治医と少し恥ずかしそうに俯いたオルガが出てきた。
「でかしたぞっ!」
「まあっ!」
待ちに待った知らせに、控えの間で待っていたパスカルは妻と手を取り合って喜んだ。
これで男児が生まれたら王位継承権の第一位が先王の弟から、グリシーヌ家も安泰だ。
スタロヴェーキで婚前交渉は禁じられていない。
オルガはレナトスの許嫁なので、妊娠したということは逆に喜ばしいことでしかなかった。
正式に懐妊したことを発表すれば、レナトスも妃としてオルガを娶るしかないのだ。
レナトスが寝所にオルガを呼んだことは、女官たちが証明してくれる。
処女であった証拠の血痕も、初日に宰相であるパスカルと最高神祇官のアベラールが確認済みだ。
少々強引な手を使ったが、これはレナトスのためでもある。
『レナトス陛下の中に初代国王陛下が眠っておられます。我々は初代国王陛下を呼び出すことに成功しました』
最初にアベラールからこの話を持ち掛けられた時は、どうするか悩んだが『レナトス』と言う名前通り、初代王レナートの生まれ変わりとしてその名が付けられた。
『レナート陛下は神の力を使うことに積極的でいらっしゃいます』
この言葉を聞いた時、パスカルの心は決まった。
全ての神から祝福を受けながらも、なかなか力を使おうとしないレナトスを心配していたのだ。
使者としディシェ帝国に赴き殉死した父のために、レナトスは今までにない大きな力を使った。
父の突然の死は悲しかったが、レナトスが父のために大いなる力で帝国軍を圧倒したことは、なによりも嬉しかった。
だがそれ以来、レナトスは自分の大いなる力に思い悩み、癒しの力以外を使うことを拒んでいる。
ディシェ帝国は亡き皇帝の忘れ形見である皇子が、仇をとるべくスタロヴェーキに攻め入る準備をしている。
各国にも援軍の要請を出しており、これを機に帝国へ反旗を翻す国もチラホラでてきているが、その数は最初の十万を超えるだろうと予想される。
あの時のようにレナトスの偉大なる力がどうしても必要だった。
身近でレナトスを見て来たので、彼がどういった時に大いなる力を発揮できるかパスカルはよく知っていた。
レナトスは大いに気持ちが昂った時ほど大きな力が発現する。
力を使うことを拒否している今の状態では、前回のように帝国軍を殲滅させることなどできない。
そんな時にアベラールの提案があり、パスカルの中に一筋の光が差す。
実際にレナトスの身体を借りたレナートと言葉を交わし、それは大きな希望の光として輝いた。
それからというもの、秘密裏にアベラールと結託してレナトスに薬を使い、レナートを出現させるようになった。
——全てはこのスタロヴェーキのために。
都合のいいことに、まだそのことにレナトスは気付いていなかった。
63
あなたにおすすめの小説
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
「自由に生きていい」と言われたので冒険者になりましたが、なぜか旦那様が激怒して連れ戻しに来ました。
キノア9g
BL
「君に義務は求めない」=ニート生活推奨!? ポジティブ転生者と、言葉足らずで愛が重い氷の伯爵様の、全力すれ違い新婚ラブコメディ!
あらすじ
「君に求める義務はない。屋敷で自由に過ごしていい」
貧乏男爵家の次男・ルシアン(前世は男子高校生)は、政略結婚した若き天才当主・オルドリンからそう告げられた。
冷徹で無表情な旦那様の言葉を、「俺に興味がないんだな! ラッキー、衣食住保証付きのニート生活だ!」とポジティブに解釈したルシアン。
彼はこっそり屋敷を抜け出し、偽名を使って憧れの冒険者ライフを満喫し始める。
「旦那様は俺に無関心」
そう信じて、半年間ものんきに遊び回っていたルシアンだったが、ある日クエスト中に怪我をしてしまう。
バレたら怒られるかな……とビクビクしていた彼の元に現れたのは、顔面蒼白で息を切らした旦那様で――!?
「君が怪我をしたと聞いて、気が狂いそうだった……!」
怒鳴られるかと思いきや、折れるほど強く抱きしめられて困惑。
えっ、放置してたんじゃなかったの? なんでそんなに必死なの?
実は旦那様は冷徹なのではなく、ルシアンが好きすぎて「嫌われないように」と身を引いていただけの、超・奥手な心配性スパダリだった!
「君を守れるなら、森ごと消し飛ばすが?」
「過保護すぎて冒険になりません!!」
Fランク冒険者ののんきな妻(夫)×国宝級魔法使いの激重旦那様。
すれ違っていた二人が、甘々な「週末冒険者夫婦」になるまでの、勘違いと溺愛のハッピーエンドBL。
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
アプリで都合のいい男になろうとした結果、彼氏がバグりました
あと
BL
「目指せ!都合のいい男!」
穏やか完璧モテ男(理性で執着を押さえつけてる)×親しみやすい人たらし可愛い系イケメン
攻めの両親からの別れろと圧力をかけられた受け。関係は秘密なので、友達に相談もできない。悩んでいる中、どうしても別れたくないため、愛人として、「都合のいい男」になることを決意。人生相談アプリを手に入れ、努力することにする。しかし、攻めに約束を破ったと言われ……?
攻め:深海霧矢
受け:清水奏
前にアンケート取ったら、すれ違い・勘違いものが1位だったのでそれ系です。
ハピエンです。
ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。
自己判断で消しますので、悪しからず。
【WEB版】監視が厳しすぎた嫁入り生活から解放されました~冷徹無慈悲と呼ばれた隻眼の伯爵様と呪いの首輪~【BL・オメガバース】
古森きり
BL
【書籍化決定しました!】
詳細が決まりましたら改めてお知らせにあがります!
たくさんの閲覧、お気に入り、しおり、感想ありがとうございました!
アルファポリス様の規約に従い発売日にURL登録に変更、こちらは引き下げ削除させていただきます。
政略結婚で嫁いだ先は、女狂いの伯爵家。
男のΩである僕には一切興味を示さず、しかし不貞をさせまいと常に監視される生活。
自分ではどうすることもできない生活に疲れ果てて諦めた時、夫の不正が暴かれて失脚した。
行く当てがなくなった僕を保護してくれたのは、元夫が口を開けば罵っていた政敵ヘルムート・カウフマン。
冷徹無慈悲と呼び声高い彼だが、共に食事を摂ってくれたりやりたいことを応援してくれたり、決して冷たいだけの人ではなさそうで――。
カクヨムに書き溜め。
小説家になろう、アルファポリス、BLoveにそのうち掲載します。
ざまぁされたチョロ可愛い王子様は、俺が貰ってあげますね
ヒラヲ
BL
「オーレリア・キャクストン侯爵令嬢! この時をもって、そなたとの婚約を破棄する!」
オーレリアに嫌がらせを受けたというエイミーの言葉を真に受けた僕は、王立学園の卒業パーティーで婚約破棄を突き付ける。
しかし、突如現れた隣国の第一王子がオーレリアに婚約を申し込み、嫌がらせはエイミーの自作自演であることが発覚する。
その結果、僕は冤罪による断罪劇の責任を取らされることになってしまった。
「どうして僕がこんな目に遭わなければならないんだ!?」
卒業パーティーから一ヶ月後、王位継承権を剥奪された僕は王都を追放され、オールディス辺境伯領へと送られる。
見習い騎士として一からやり直すことになった僕に、指導係の辺境伯子息アイザックがやたら絡んでくるようになって……?
追放先の辺境伯子息×ざまぁされたナルシスト王子様
悪役令嬢を断罪しようとしてざまぁされた王子の、その後を書いたBL作品です。
殿下に婚約終了と言われたので城を出ようとしたら、何かおかしいんですが!?
krm
BL
「俺達の婚約は今日で終わりにする」
突然の婚約終了宣言。心がぐしゃぐしゃになった僕は、荷物を抱えて城を出る決意をした。
なのに、何故か殿下が追いかけてきて――いやいやいや、どういうこと!?
全力すれ違いラブコメファンタジーBL!
支部の企画投稿用に書いたショートショートです。前後編二話完結です。
【完結】極貧イケメン学生は体を売らない。【番外編あります】
紫紺
BL
貧乏学生をスパダリが救済!?代償は『恋人のフリ』だった。
相模原涼(さがみはらりょう)は法学部の大学2年生。
超がつく貧乏学生なのに、突然居酒屋のバイトをクビになってしまった。
失意に沈む涼の前に現れたのは、ブランドスーツに身を包んだイケメン、大手法律事務所の副所長 城南晄矢(じょうなんみつや)。
彼は涼にバイトしないかと誘うのだが……。
※番外編を公開しました(2024.10.21)
生活に追われて恋とは無縁の極貧イケメンの涼と、何もかもに恵まれた晄矢のラブコメBL。二人の気持ちはどっちに向いていくのか。
※本作品中の公判、判例、事件等は全て架空のものです。完全なフィクションであり、参考にした事件等もございません。拙い表現や現実との乖離はどうぞご容赦ください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる