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14章 エミリエンヌ嬢を捜索せよ
28 傀儡の王(6)
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「では始めます」
その人物は見学に来ているレナトスに優雅にお辞儀をすると、祠の前で竪琴を鳴らし唄い始めた。
(あ……)
その旋律はもはや人が表現できるものではなかった。
レナトスは盲目の吟遊詩人——ジュノーが、どのように今の地位を築いて来たかを思い返す。
母である王太后が、気慰みに側へと置くようになったことがきっかけだ。
宮廷内で目が見えないということは、マイナス要素ではない。
余計なものが見えないので、側へ置くものとしてはむしろ都合がいい。
誰と会っていようと、どんな格好をしていようと、気にする必要がないからだ。
こうした秘密を握られることもないので、盲目の吟遊詩人は宮廷内ですぐにその地位を確立した。
しかし盲目という以前に、ジュノーの唄う歌が人々の心に響いたことが大きいだろう。
そんなジュノーが、若かくして王になったレナトスの歌を作りたいと申し出て来た。
歌の影響力は大きい。
文章に残し文字で伝えるよりも、一度に大勢の人間に伝えることができる。
若き王が民衆に親しまれるいい機会だと、自分の歌を作られるのは少々気恥ずかしかったが、レナトスも了承した。
それからというもの、歌の取材のためとジュノーは差し支えのないところでレナトスと行動を共にしている。
今回はその一環として、土地の調査に同行していた。
新たに通す道の工事現場で、足を踏み入れた者たちが次々と怪我をするという奇妙な現象が起き、工事が一時中断している。
国を挙げた大事業のためこのままではいけないと、レナトス自らが調査へ赴くことになったのだ。
本来ならわざわざレナトスが行く必要などないのだが、これも新たな王の力を示すためのデモンストレーションだった。
神々の力は人を殺すためだけのものではないとレナトス自身が示したかったので、この手の公共事業には、できるだけ力を貸している。
五柱の属性に関わるものならばレナトスがその問題を解決できる。
大抵は以前の土地の所有者が、地の結界を張っていることが殆どだ。
今回もそうだろうと思っていたのだが、やって来てみるとどうも違う。
結界の元となっている祠は五柱のどの属性にも属さないものだった。
「これは妖精のものだな。五柱以外の属性は我もお手上げだ」
妖精は神ではないが長寿で不思議な力を持っていた。
普段は森の中で暮らし、気まぐれに人々を誑かして遊ぶ困った存在だ。
「陛下、ここはこのジュノーに任せていただけませんか?」
今まで黙って様子を窺っていた吟遊詩人の申し出にレナトスは驚くが、すぐに合点がいく。
「そうか、妖精たちは歌や踊りが好きだからな」
だが、それだけで結界が解けるとは思えなかった。
レナトスの目から見ても、この地に張られている結界はなかなか強力なものだ。
人の目は心の鏡とも言える。
だからレナトスは、盲目の吟遊詩人が閉じた瞼の下で何を考えているのか全く見当がつかないが、自ら申し出るとはよっぽど自信があるのだろう。
「よかろう。そなたに任せた」
好奇心が手伝って、レナトスは吟遊詩人の申し出を承諾した。
ジュノーの声が、淡い虹色の振動になり身体の中を通り抜けていく。
その振動に導かれるように、祠に留まり結界を張っていた力は、清流にいる繊細なトンボみたいな翅を生やして宙へと浮き上がる。
(結界が……消えた……)
歌で結界を解くとはいったいこの男はどんな力を持っているのか。
魔法使いではないのに、このような力を使いこなすとは只者ではない。
翅を生やした存在はレナトスの前へと移動してきた。
『陛下、この妖精は以前ここにあった大木の化身です。お記憶にないかもしれませんが、過去に陛下と縁の深い関係でございました。天へ帰る前に一言お言葉をかけてやってください』
歌を唄い続けているはずのジュノーが、レナトスの頭の中に直接話しかけてくる。
(……縁の深い?)
本当に記憶にないことなのではてと首を傾げるが、目の前で小さな翅を生やした存在がレナトスにはなむけの言葉をくれとばかりに浮かんでいる。
「天へと旅立つそなたに祝福を与えよう」
この木の化身と相性の良い、癒と地の光を両手に集め、優しく包み込んだ。
するとどうだろうか……木の化身が強く発光し、レナトスの視界が光で埋め尽くされる。
天へと上る光とともに、ある光景がレナトスの中を通り抜けた。
それは……遥か昔の記憶。
自分は天から地上に降りてきては、この木に登っていた。
幹でバリバリと爪を研ぎ、葉や枝にいたずらをして遊んでいたが、この木はまるで自分を守るように包み込んでくれていた。
この木を気に入っていたのは自分ばかりではなかった。
竪琴を持った吟遊詩人が木の根元に座ってよく歌を唄っていた。
自分はいつも枝の上からその吟遊詩人の歌に聴き入っていた。
リズムに合わせ尻尾を振って心地よい音の振動に身を任せる。
ご機嫌な自分の様子を吟遊詩人が見上げる。
その瞳はこれまで見たこともないような不思議な色をしていた。
(あっ!?)
——縁とは……これだったのか。
全てがわかった。
そして我に返った時、一瞬のうちにレナトスはまた全てを忘れ去った。
無事に結界を解くことに成功し、その日の宿泊場所となっている領主の城に着くと、ジュノーを自分の部屋に呼んだ。
人払いし、部屋の中は二人っきりだ。
改めてレナトスは真正面からジュノーを見つめる。
盲目の吟遊詩人といったら軟弱な男を想像しがちだが、この男は違う。
レナトスよりも背が高く、しなやかな筋肉に覆われた肉体を持っている。
美男好きの王太后のお眼鏡に適うほどの容姿の美しさも兼ね備えているのだが、いつも綺麗に整えられた顎髭は、くどくなり過ぎないギリギリのラインで保たれていた。
一見吟遊詩人に見えない少しアクの強い男だ。
(これも母上の趣味なのだろうな……)
母はナヨナヨとした男を嫌うが、勇ましいだけの男も嫌いだ。
どこか粗野な部分を残したまま、美しく磨き上げるのを好む。
ジュノーはいかにも母が好みそうな男だった。
「お主、昼間あの結界を解いたが、逆もできるのか?」
「といいますと?」
「五柱以外の力が使える。お主……人ではなかろう? 我の前では隠す必要はないぞ。目を開けい」
この国は五柱との契約のお陰で、癒・火・水・地・雷の力の恩恵を人間が受けている。
しかし昼間にジュノーが唄った歌は、妖精たちの暮らす森の力を有していた。
この力は人間には扱えない。
気まぐれな妖精たちは、人間と契約を結んだりはしないからだ。
従って、答えは一つ。
ジュノーは妖精だという結論にいきついた。
「やはりお気付きでしたか」
ジュノーが瞼を持ち上げると、何とも言えぬ色合いにレナトスは感嘆する。
七色にきらめく瞳は、ニンフの特徴でもある。
「知識だけはあったが、実物を見るのは初めてだ……美しい……」
異形を表すこの瞳の色を隠すために、ジュノーは盲目の振りをして目を閉じていたのだ。
「陛下は恐ろしがったりなさらないのですね」
「我は子どもの頃から散々化け物扱いされて来たからな。それよりも男の妖精とは聞いたことがない」
たいていの妖精は女で、その土地の池や泉、大木などを宿主にして生息している。
不老長寿だが、先ほどの木の精のように宿主が消滅すれば一緒に死んでしまう。
「男は滅多に生まれません。女と違い森から出て渡り歩くのです。目の色をどうにか隠して人間の中にこっそり混じって暮らしています」
「吟遊詩人とは天職ではないか」
もともとニンフは歌や踊りが大好きだ。
同じ場所に留まるよりも放浪を続けた方が正体もバレにくいだろう。
「私もそう思っております」
「——話は最初に戻るが、確実に我よりも長く生きるお主に頼みごとをしたい」
レナトスは、ディシェ帝国軍を一網打尽にしてからといもの、いつか自分がコントロールできなくなり、力が暴走することを何よりも恐れている。
奇妙なことだが、最近は誰かに身体を乗っ取られたかのように意識がないうちに物事が進んでいることが度々あるのだ。
最悪の方向にことが進む前に、手を打っておかなければならなかった。
「なんでしょう?」
「我が死んだら、王冠を封印してほしい」
神との契約の証である王冠を誰も手の届かない所に隠してしまったら、人が間違いを犯すことはないだろう。
「五柱との契約の証でもある王冠を封印などしたら、王家はどうなるのです」
「人間は、神の力ばかりに頼ったら己の力で生きていけなくなる。特に闘神の力は人には過ぎたものだ、我の身体に流れるこの血が続く限り、沢山の血が流れる。我の代で神との関係を終わらせる」
「……陛下……」
レナトスは初めて、これか行おうとすることを他の誰かに打ち明けた。
三騎士より先にジュノーへ話したのは、この男なら感情や人間界の利欲と関係なく、物事を見ていると思ったからだ。
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