菩提樹の猫

無一物

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15章 業深き運命の輪は回る

22 予兆

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◆◆◆◆◆


(別に取って食いはしないのに……)

 ゼラは無言で、慌てて机の上に置いたせいか少しこぼれたスープを見つめた。
 部屋に食事を運んできた少女は、料理の載ったトレーを置くと脱兎のごとく逃げていった。
 見慣れない南国人が怖いのだろう。
 閉鎖された島なので、肌の色の違う人間を見ることがない。
 この島の住人は混血もなく、色素の薄い髪色と白い肌をしており、ゼラとは対極にある。
 
 久しぶりに味わう感覚だ。
 ゼラは祖国を出てドロステアに来た時のことを思い出す。
 南国大陸のすぐ側にあるセキアと違い、ドロステアではあまり南国人を見かけない。
 沿岸部やメストは、南国大陸から来た船が出入りするのでそこまで驚かれることはないが、内陸部や北部に行くと、先ほどの少女のように大抵は怖がられる。

 盗賊団の用心棒をするようになったのも、逆にこの外見が相手を威圧するからだ。
 リーパに入団してからも同じ理由で指名が付くようになった。
 
 ゼラの中に心の葛藤は既にない。
 護衛をするにあたってこの外見は長所だと思うようになったからだ。
 
 逆にレネのように優し気な外見が護衛に見えないことで悩んでいた人間もいる。
 今ではそのギャップを上手く使い、護衛対象を守る術を身につけた。

 人はそれぞれ自分に対して不満を抱えているが、全てを受け入れた時、それを武器に変える術を身につけるのだ。


 島に『契約者』が帰って来たことで町は騒然となり、レネは住民たちの引っ張りだこだ。
 このポトメクに着いて以来、まともに話もできていない。
 昨日の歓迎の晩餐には一緒に呼ばれたものの、ゼラと船員たちは忘れられた存在のように、こうして食事だけが運ばれてくる。

 村人たちはレネに夢中なので、逆に動きやすくなり船員たちと周囲の状況を探っていた。
 
 不味くはないのだがいまいち味気のない食事を終え、今日集めてきたそれぞれの情報を船員たちと共有しようかと思い立ち上がる。

「……?」
 
 コンコンと閉まったカーテンの外からガラス窓を叩く音がする。
 昨夜もこうして来客があったので、また同じ人物かと思いゼラはカーテンを開けた。

 そこには、野良猫のように部屋の中へ入れてくれとせがむレネの姿があった。
 
「……なんだ……」

 思わず呆れた声を漏らす。
 困った情けない顔をするレネを見ただけで、なぜ扉から堂々と入ってこずに、ここにレネ逃げて来たのかゼラは察しがついた。

(レナトスの時から変わってないな……)
 
 ゼラは前世で、ナタナエルとギーの三人で交代しながら、レナトスの寝室に詰めていた時のことを思い出す。
 窓を開け、フェリペの記憶なのになぜか懐かしい気持ちになりレネを部屋に入れる。


「若い娘から夜這いされたか……」

「ちっ…違うっ!」

 頬を真っ赤にし否定する姿が、肯定の証だ。
 この猫はすぐに顔に出るからわかりやすい。

 秋で二十四になったはずだが、結婚して子どもがいてもおかしくない年齢だ。
『契約者』がまだ未婚だと判明すると、歓迎の宴ノ席で綺麗に着飾った娘たちが競うようにレネに秋波を送っていた。

 しかしある事件のせいでレネは奥手になってしまい、宴の間も気付かないふりをしてやり過ごしていたが、部屋にまでやってこられて対処に困ったのだろう。
 
 いや……これもゼラの憶測でしかないが。
 でもだいたい当たっていると思う。


「——ねえ、今夜ここに居ていい?」

 もじもじしながら少し言い辛そうにレネが口を開く。
 
「なぜ?」

 ゼラの推測はほぼ正解だろうが、あえてレネの口から言わせたいので訊いてみる。

「部屋にいたくないから……」

「好みの娘じゃないのか?」

 男らしくあろうとするのなら、肝心の所で逃げ出すなよと思う。
 もしバルトロメイが聞いていたら怒るかもしれないが、レネは女体に興味がないわけではない。
 ベドジフから猥本を借りているのを何度も見たことがある。
 
「違うって言ってるだろっ!……ただ、女の子たちが押しかけて来て居座ってるから……手洗いに行くふりをして……逃げて来た……」

「ほら、敵前逃亡だ」
 
 また余計に顔を真っ赤にするものだから、こうして揶揄からかわれるのだと、この猫は早く気付いた方がいい。

「……クソっ……」
 
 まだ滞在を許可したわけでもないのに、レネは長椅子にあるクッションへ怒りをぶつけボンボンと殴っている。
 クッションを前足で掴みガスガスと後ろ足で蹴りを入れる猫のようだった。

 船の上で一人、決死の闘いを繰り広げていた人物とはまるで別人だ。
 あの時は流石バルナバーシュの跡継ぎだと思ったものだが、今はこんな奴が果たしてリーパの団長を務められるだろうかと、心配になって来るから不思議だ。

 だが、あれだけ船の上で色々あったせいか、島へ上陸してからもレネの顔から疲労の色は抜けない。
 若い娘たちのことで揶揄ってはみたが、レネはもっと違うことで思い悩んでいることも知っている。
 ここはゆっくり休ませるべきだと、ゼラはチェストの上に畳んで置いてある厚手のブランケットをレネに投げた。

「——ありがとう……」

 受け入れられたことに安心してか、レネは受け取ったブランケットを肩から掛ける。


「昨日、夜遅くに副団長がここに訪ねて来たぞ」

「へっ? ルカが!?」

 ジャロックがレネと戦う時に『お前の師匠のせいで剣を失った』と言っていたのでまさかとは思っていたが、ルカーシュはバルトロメイたちとファロで合流しこの島までやってきていた。
 
 敵に船を提供していたので、ゼラの出方次第では殺すつもりで来たのだろう、殺意を隠さないルカーシュにさすがのゼラも背中に冷たい汗を掻いた。
 
 師匠の登場に、決して表には出さないがレネの中に安堵の色が加わる。
 

「グリシーヌ公爵家の船に乗って来たと言っていたが、バルトロメイとヴィートだけじゃなく、ボリスも島に来ているみたいだ」

「へっ……ボリスがっ? どうしてこんなところに来たんだよっ!」

「メストから副団長と一緒に来たみたいだぞ」
 
 ルカーシュの時とは違い、義理の兄であるボリスまでやって来たことは、どうやらレネの中ではよくないことのようだ。
 
 しかしゼラにとっては、何よりも頼もしい存在だ。
 
 船の上でレネの治療をした癒し手を島に連れてこようとも考えたが、疑心暗鬼のゼラはあの組織の人間を完全に信用しきれずに、結局連れてこなかった。
 
 もしレネに何かあった時、ゼラもフェリペの時と違い癒しの力が使えないので、誰も治癒できる人間がいない。
 それがずっと気がかりだったのだ。


「副団長たちはグリシーヌ騎士団に紛れてこの町に滞在していると言っていた。うちの船員たちが連絡係になってやり取りしている」

「いつの間にっ!?」

「お前と違って俺たちは何もすることがないからな。ここの住人たちは『神との契約』が行われることを心待ちにしている。来月の初めには蝕が来る。その下見をしたいといえば、喜んで遺跡に案内してくれるだろう」

 ルカーシュにこの屋敷の地下に遺跡へ通じる地下道があるらしいと伝えると、早速屋敷を探ってみたようだが、地下にあるそれらしき入り口は特殊な鍵が必要らしく、開けることができないと言っていた。

 レネにそのことを伝えると、もっとがっかりするかと思ったが、何かもっと複雑な表情を滲ませる。


「どうだ、故郷に帰った感想は」

 レネがわざわざ島に上陸したのも、自分の生まれた場所を見てみたいからだと言っていた。

「……軽い気持ちで島に来るんじゃなかったって思ってる……『復活の灯火』と違って悪い人たちじゃないし、今頃になってこんなこと……知りたくなかった……」

 クッションに顔をうずめ、否定するように首を横に振っている。
 どうやらレネは藪をつついて蛇を出してしまったようだ。
 
 
 
「——!?」
 
 突然カタカタと窓ガラスが鳴ったかと思うと、部屋全体が揺れる。
 ゼラは咄嗟にレネへ覆いかぶさった。
 
「わっ……じ…地震っ!? こんなに揺れるのかよ……」

 しばらく続く揺れに、レネは驚きの声を上げる。
 メストで地震が起きたなど聞いたことがないので、吃驚するのも仕方ない。
 ゼラだって、こんな地震は初めてだ。
 
「ここまで大きくはないが、昨日も少し揺れた」
 
 よっぽど気を付けていなければ気付かなかったくらいの小さな揺れだったが、部屋にぶら下がっている物が、一斉に動いていたのであれは気のせいではない。


「地面が揺れるなんてこえーよ。さっさと王冠を人の手の届かない所に捨てて、蝕が来る前にこの島を出ようぜ」

 
 しかし一度回り始めた運命の輪は、レネを簡単に自由にはしてくれなかった。

 
 

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