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16章 メストへの帰還
6 晴れの舞台
しおりを挟む◆◆◆◆◆
四の月に入り、メストは花の都に様変わりする。
色とりどりの花が街のいたるところで咲き、うっとりとする甘い香りが街全体に広がる。
沈んでいた人の心も春の訪れと共に一気に花開き、路上ではあちこちで花売りの娘たちがチューリップやラナンキュラスの入った籠を持って、小鳥のさえずりのように美しい声で通行人に声をかけていた。
ドゥーホ川とそこから分岐した堀に囲まれた中島は高台になっており、花の都を見下ろす位置にある。
中島にはドロステア王の住まう王宮と貴族たちの邸宅が立ち並び、島へと入る橋では検問が行われ、通行証がないと橋を渡ることはできない。
そんな王宮の中で、いま一人の騎士が誕生しようとしていた。
謁見の間の玉座には既に王が着席しており、王族や招待客たちが両脇に並んで、今日の主役がやって来るのを待っていた。
その中に、黒い礼服と深紅のマントに身を包んだ騎士が二人並んでいた。
春を意識し煌びやかに着飾った王族や貴族たちの華やかな装いとは違い、そこだけ厳かな空気が漂っている。
一人は黒い眼帯を嵌めた禿頭の老人だ。
その厳めしい顔に刻んだ皺から八十近い年と推測できるが、ピンとまっすぐに伸びた背筋はとても老人のものとは思えなかった。
隣に並ぶのは四十後半の男で、鋼のような鍛え上げられて身体が、黒い騎士の礼装の上からでもよくわかる。
彫りの深い整った顔立ちは男性的な美しさがあり、狼を思わせる鋭い瞳は隣の眼帯の老人と似ている。
この二人が揃って公の場に現れることなどほとんどない。
一部の熱狂的な人々がこの場に居合わせたならば、涙を流して歓喜しただろう。
なんせ親子二代で同じ二つ名を持つ、先の大戦の英雄なのだから。
それを物語るように二人の胸元には、戦で特別大きな戦果をおさめた者だけに贈られるコウペル勲章が輝いていた。
「叙任されるのは『紅い狼』の息子だと聞いたが、やはり若い頃の彼にそっくりなんだろうか?」
「いや、息子といっても養子で血のつながりはないようだ」
「なんでもその息子は、王宮へ盗みに入ったあのお尋ね者の生首と、そいつが所属していた秘密結社を殲滅し、首領を生け捕りにして来たって話じゃないか」
「おお……きっと鬼神のように恐ろしい男なんだろう」
王が謁見の間に到着してからは皆姿勢を正し私語を慎んだが、皆これからやってくる人物に興味津々だ。
入口付近に整列していた近衛軍楽隊が、ファンファーレを演奏する。
いよいよ叙任式の始まりだ。
◆◆◆◆◆
「さあ、中へ」
叙任式の段取りを一通り説明してくれた近衛兵が、レネの背中を押した。
華々しいファンファーレを合図に、レネは謁見の間へと入っていく。
レネの入場と共に見学者からざわめきが起こる。
見学者たちに混じるようにバルナバーシュとオレクの姿もあった。
レネはこの日のために、騎士の礼装を仕立てた。
仕立屋は『柔らかなお顔立ちなので白がお似合いです』と何度も勧めていたが、同席していたバルナバーシュは頑なに『黒だ』と譲らなかった。
なんでもヴルク家は、代々深紅のマントに黒の騎士服という伝統があるらしい。
なぜその組み合わせなのかと尋ねたら『返り血を浴びても目立たないようにだ』と返ってきた。
礼装でさえも実戦を想定して仕立てるヴルク家のしきたりに、レネは自分がその末席に名を連ねるのを誇らしく思った。
血は繋がらないが、父や祖父と同じ狼の家紋を身に纏い、子供の頃から憧れてやまなかった騎士になる。
しかしレネの心中は複雑だった。
通常王宮で行われる王宮での叙任式は年に二回だ。
五の月と九の月に王国騎士団の士官候補が、まとめて叙任式を行う。
今回のように一人だけの叙任式は珍しい。
王族や貴族ならまだしも、レネはただの平民で、ついこの間まで祖国へ帰ることも許されなかった身だというのに。
それも直接王から叙任を受けるとは異例といってもいい。
レネは出国していたので全く知らなかったのだが、聖杯を王宮から盗み出したレーリオはお尋ね者になり、ドロステアはレーリオに高い懸賞金をかけていた。
そのせいでこの出来事は、世間を騒がせていたのだ。
指名手配犯は、古代王朝を復活させ西国三国の国家転覆をたくらむ『復活の灯火』という秘密結社の一員だった。
ドロステアでも鷹騎士団の小隊が全滅させられ、十数年前には雑貨店を営む夫婦が殺害されていた。
国民たちは『復活の灯火』がどういった方法で古代王朝の復活を試みようとしていたのかまでは知らない。
しかし指名手配犯の貼り紙と共に『復活の灯火』という恐ろしい組織があるという噂だけが独り歩きしていた。
年が明け、レネがレーリオの首とカムチヴォスを捕らえて連れ帰ると事態は大きく動き、巷にもその噂はすぐに広まった。
レーリオの首が王宮の宝物庫へ盗みに入った犯人として大通り広場に晒され、その後『復活の灯火』の首領も斬首刑に処される。
王宮の公式な発表によると『復活の灯火』は壊滅し、王宮から盗まれた品も無事に返ってきたという。
十数年前に両親を殺された少年が大人になり、親の仇をとるために組織を殲滅させた。
そしてその少年を養子にし鍛え上げたのが、大戦の英雄であるバルナバーシュ・ラディム・ヴルクだとわかると、民衆は一気に沸き立った。
中にはその青年を見るためにと、わざわざリーパ護衛団に依頼をしてくる物好きもいた。
しかし、誰も青年の顔を知る者はいない。
熱心に噂話する人々の前をレネが通っても、誰も気付く者はいない。
なので今まで通りに、普通に護衛の仕事をした。
だがなぜ、一部の者しか知らない話が広まったのだろうか?
意図的に誰かが話を広めているようにしか思えなかった。
王宮での叙任式の話が来て、レネは全てを悟った。
巷に流れている噂は嘘ではないが、都合のいい部分だけを取り上げて美談に仕立ててある。
仲間の協力がなければ、レネは組織を殲滅させるどころか死んでいた。
それなのに自分だけが取り上げられ、騎士の称号が与えられることになった。
——その意味とは……。
国王から叙任を受けるということは、国王に直接剣を捧げるということだ。
スタロヴェーキ王朝の直系が、ドロステア国王に跪き剣を捧げる。
この形をとらせて、二度と古代王朝の復活などという馬鹿な真似をしないようにと戒めておきたいのだ。
レネとて古代王朝復活を一度も望んだことなどない。
それどころか命がけで阻止した。
だから国王に剣を捧げ、騎士の称号を得ることは大変喜ばしい出来事だ。
だがやはり、裏の事情を知ると、素直に喜んでいいことなのかわからない。
玉座の前まで来ると国王が立ち上がり、レネはそのまま左膝を立てて跪いた。
「——レネ・セヴトラ・ヴルクよ、汝は我が騎士として永遠の忠誠を誓うか?」
「はい、誓います」
レネはそう答えると、今度は両膝立ちとなり腰に差していた祭礼用の剣を王に差し出した。
国王はレネの肩を剣の刃で軽く叩き、こう述べた。
「建国の父ナタナエルの名において、我汝を騎士とす。——勇ましく、礼儀正しく、誠実に、そして美しくあれ」
思いがけない名を聞きレネは射貫かれたように動きを止めたが、剣を目の前に向けられ、その刃に口づけをした。
(……こんな所で繋がっていた……)
自分が護るこの国は、ナタナエルが土台を作った国なのだ。
ふわふわと根無し草のように浮いていた身体が、ストンと地に足が付いたような、安堵感に包まれる。
(オレの居場所はこの国だ)
ここしかない。
「——有難き仕合せに存じます」
自然と一筋の涙がこぼれていた。
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