それは夢のような

荷稲 まこと

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 僕が危惧していた以上に、激務の日々は続いている。どうやら例の自社製品を、どこぞのインフルエンサーがSNSで大々的に褒めたらしい。困ったものだ。それであなたの広告収入は増えるのかもしれませんがね、こっちの時給はそう簡単に上がらないのですよ。それどころか疲労で自炊ができず、総菜や弁当ばかり買って出費が嵩んでいるんですよ。どう責任取ってくれるんですか。
 しかし、まあ……僕にも利点がないわけではない。友達(仮)に、あれ以来何度か夢の中で会えたからだ。相変わらずあちらが何か言うことはないのだけれど、僕が考えていることを話すだけでも存外すっきりする。夢を見た時は寝不足気味になるのが問題ではあるけれど。

「くあぁ~~っ」

 大あくびをしながらロッカールームに入ると、ふわりと甘い香りに包まれた。夢の中でも時々思い出す、あのいい香りだ。
 あれ? ここって夢の中だっけ? 仕事に来たつもりだったんだけど……。

「タカナシくん?」

 頭上から声をかけられて、びくんっと体が跳ねた。ぼんやりしていた頭が急速に覚醒する。
 夢じゃない……。
 冷や汗をかきながら、僕は視線を上げた。案の定ぶつかりそうなほどの至近距離に、眉尻を下げた困惑顔のフノボリさんが立っていた。

「す、すす、すみません! ぼーっとしてました!」

 後ろに飛び退き、ぺこぺこと何度も頭を下げる。ぼんやりしていたとはいえ、香りに誘われて無意識に近づくとか……僕は虫か?

「いいけど……。タカナシくん、ぼーっとしてること多いよね。寝不足?」

 本当にちっとも気にしていない風に平然と着替えを始めながら、フノボリさんはそう言った。他人に関心がないようで、ちゃんと見ているのだということと、僕を案じるようなセリフが出てきたことに驚きつつ、僕も自分のロッカーに向かう。

「最近夢をよく見るんです。楽しい夢なのでいいんですけど……人に迷惑かけちゃうのは問題ですね」

「すみません」と改めて伝えると、フノボリさんは眉をひそめた。それからしばらくロード画面みたいに固まった後、ロッカーから取り出した物を僕の方に差し出した。

「眠りが浅いなら、アロマとかおすすめ。俺も使ってる。……あ、これは試供品で未使用だから」

 フノボリさんの手には、彼の指よりも短い小さなスプレー容器があった。レトロな花柄のラベルが貼られたそれを受け取り、キャップを取って鼻に近づける。

「あ、この匂い……」

 フノボリさんから香るのと同じものだ。アロマだったんだ。

「……に、苦手だった?」

 控えめなフノボリさんの声が聞こえた。顔を上げて見ると、彼は髪の先を指に巻きつけ、落ち着かなそうにきょろきょろと視線を走らせている。それはまるきり『陰キャ特有の癖』で、フノボリさんに急に親近感がわいた。

「好きな匂いです。ありがとうございます」
「よ、よかった……」

 二人の間に沈黙が流れる。だけど、前のような気まずさや不快感はない。

「え、えっと、その……これ、どこのお店で買えるんですか? 試してみて効果があったら、買いにいこうかなって……」
「あっ、俺の知り合いがバイトしてる店で……どう説明したらいいかな」

 コミュニケーションが苦手な者同士が手探りで交わす会話は、決してスムーズなものとは言えない。それでも、夢の中以外でこんなにもおしゃべりができたことに、僕は大きな喜びを感じていた。
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