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第一章 王子と狼
第10話 トルコ行進曲
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トーク番組の効果は絶大だった。あれからすぐにチョコレートのCM出演依頼が二人の元に来たのだ。
姉という非常に優秀なマネージャーがついている詩音は、彼女の戦略によって「大神響と一緒なら」という条件を突き付けた。
そして響の方はなんのかんの言ってもまだ駆け出しの作曲家だ、仕事を選り好みできる立場にないのだ。受ける以外の選択肢は存在しない。
それにあの大路詩音との共演である。彼と一緒に出演するというだけで自分の商品価値が跳ね上がることは、いくらその辺りの事情に疎い響でも理解できる。大路詩音のネームバリューにあやかっておくのは得策であろう。
撮影は都内のハウススタジオで行われた。響は仕事の度に新幹線で移動しなくてはならないので、移動中にノートパソコンで作曲することが増えた。まだ演奏家でない分、どこでも仕事ができるのは不幸中の幸いと言えた。
衣装に着替えてセットに現れた響を見て、詩音がクスリと笑う。
「普段の服装とあんまり変わった感じがしませんね」
黒いシャツに黒のピタッとした皮パンツ、勿論足元はミドルブーツだがこれも真っ黒。いつものように後ろにザックリと束ねた黒髪から、幾筋か顔の前に零れてきている。恐らくメイクさんの仕業であろう。髪の隙間から覗く切れ長の目が、必要以上の色気を放っている。
「俺もそう思った」
珍しく響が笑った。笑ったと言っても、僅かに口角が上がった程度だ。だが、それだけで詩音は何故か酷く動揺した。
「大路さんもエラい真っ白にされて」
「殆ど嫌がらせにしか感じない衣装なんだけど」
詩音が苦笑すると同時に監督から声がかかる。響がセットの出窓のそばに立たされ、窓辺に寄り掛かるよう指示が出る。窓の外には木の影が揺れる。勿論照明で外の灯りを人工的に作っているのであり、木の影も人の手で揺らしている。
端末のCM撮りの時は、ただ突っ立っているだけでよかったのでさほど問題は無かったが、今回は何やら演技させられるようだ。
詩音はと言えば、窓のすぐそばのピアノの椅子に腰かけて響の方に視線を送るように指示を出された。
「あとは適当に世間話でもしていてください。ピアノの音をBGMに、二人が何か親しげに話しているという絵を撮って後で編集しますので、静かに話したり大笑いしたり、必要なら絡んでもいいので、カメラが回っている間は自然な感じでお願いします。もう回ってますからいつでもどうぞ」
詩音と響は目を見合わせて笑ってしまった。適当に話せと言われて話せるものでもない。こうしてカメラがあれば尚更だ。監督は離れたモニターで眺めているが、セットの中では響と詩音をそれぞれアップで狙うカメラが一台ずつと、引きでずっと撮っている一台の計三台のカメラが二人を追っている。
『萌え袖』というのだろうか、手の甲が半分ほど隠れる長さのボトルネックの白いセーターが詩音に良く似合う。キリッとした目元の響とは対照的に、やや目尻の下がった優し気な眼差しの詩音には、この手の衣装がピタリとはまる。
「監督、結構無茶振りしますね。僕、このピアノ弾いてもいいのかなぁ? ピアノ弾いてもいいなら、それなりに話も弾むような気がするんだけど」
「全日本ジュニアピアノコンペティション、花音さんも出てましたよね」
「えっ?」
突然の問いに、詩音は笑顔が間に合わなかった。慌てて作ったプリンススマイルは、衣装に合わない仮面のようにのっぺりと彼の顔に張り付いた。
「トーク番組の収録の時、司会者が花音さんの話題に触れようとしたら、そこはカットでって言いましたよね。あの後で思い出したんですよ、人形みたいにメチャメチャ可愛い女の子がいたのを。カノンちゃんっていう水色のドレスの女の子やった。あれ、花音さんですよね」
詩音が黙っていると、響が追い打ちをかけるように言葉を継いだ。
「モーツァルトのトルコ行進曲を弾いてた」
自分を真っ直ぐに貫いてくる響の視線に耐えられなくなった詩音は、体ごとピアノの方に向くと、観念したようにクスリと笑った。
「そう、それうちの姉です」
「せやけど、詩音さんのソナチネの前には、彼女のトルコ行進曲はあまりにも印象が薄かって」
「何処へ行っても僕が姉の邪魔をする。僕たち姉弟はナンネルとウォルフガングそのものだったんだ。姉は才能があったのにピアノを辞めてしまったんです」
H-A-Gis-A-C。ゆっくり詩音の右手が動く。トルコ行進曲のメロディであることは、カメラマンや照明スタッフでもわかる。だが、彼らに会話の内容までは聞こえない。
「大路さんが責任を感じるのは違うと思う。それを選んだんは花音さんや」
響が唐突に詩音のすぐ左に顔を出し、トルコ行進曲を弾き始めた。
「オクターヴ上でユニゾン」
「えっ」
一瞬驚いたものの、詩音は響の言った意味をすぐに理解し、メロディを1オクターヴ上で弾き始める。
詩音の顔のすぐ横で響がニヤリと笑う。こんな笑い方をする男だったのか。
メロディが乗ると、今度は伴奏も放棄してしまった。仕方なく詩音は両手でトルコ行進曲を弾き始める。
響が腰でリズムを取り始めた。詩音がまさかと思ったのも束の間、1オクターヴ下でベースが入り始めた。
このコード進行、このリズム。トルコ行進曲がジャズになっている。
勿論詩音もジャズの曲は弾いたことがあるし、それなりの評価も得ている。だが、それは楽譜があったからできた事であり、こうして即興演奏としてジャズを弾くことは全くの未経験だ。どう弾いたらいいのかわからず原曲通りのまま弾いていると、響が顔を寄せてきた。
「力抜いて。なんも考えんと俺の上に乗って」
真っ黒な瞳が詩音を射抜いた。なんという官能的な声を出すのだろうか。詩音は背筋をゾクリと震わせ、鼓動が早くなるのを感じた。
ピアノに向かうと別人になる。先程までは自信無さそうにボソボソと喋る『いつもの』大神響だったのに、ピアノに触れた瞬間から目元に力が漲り、口調や声までも変わったのだ。
そんな彼の隣で半ば呆けたようになりながらも、響に操られるかのように詩音の指は動き続けた。
姉という非常に優秀なマネージャーがついている詩音は、彼女の戦略によって「大神響と一緒なら」という条件を突き付けた。
そして響の方はなんのかんの言ってもまだ駆け出しの作曲家だ、仕事を選り好みできる立場にないのだ。受ける以外の選択肢は存在しない。
それにあの大路詩音との共演である。彼と一緒に出演するというだけで自分の商品価値が跳ね上がることは、いくらその辺りの事情に疎い響でも理解できる。大路詩音のネームバリューにあやかっておくのは得策であろう。
撮影は都内のハウススタジオで行われた。響は仕事の度に新幹線で移動しなくてはならないので、移動中にノートパソコンで作曲することが増えた。まだ演奏家でない分、どこでも仕事ができるのは不幸中の幸いと言えた。
衣装に着替えてセットに現れた響を見て、詩音がクスリと笑う。
「普段の服装とあんまり変わった感じがしませんね」
黒いシャツに黒のピタッとした皮パンツ、勿論足元はミドルブーツだがこれも真っ黒。いつものように後ろにザックリと束ねた黒髪から、幾筋か顔の前に零れてきている。恐らくメイクさんの仕業であろう。髪の隙間から覗く切れ長の目が、必要以上の色気を放っている。
「俺もそう思った」
珍しく響が笑った。笑ったと言っても、僅かに口角が上がった程度だ。だが、それだけで詩音は何故か酷く動揺した。
「大路さんもエラい真っ白にされて」
「殆ど嫌がらせにしか感じない衣装なんだけど」
詩音が苦笑すると同時に監督から声がかかる。響がセットの出窓のそばに立たされ、窓辺に寄り掛かるよう指示が出る。窓の外には木の影が揺れる。勿論照明で外の灯りを人工的に作っているのであり、木の影も人の手で揺らしている。
端末のCM撮りの時は、ただ突っ立っているだけでよかったのでさほど問題は無かったが、今回は何やら演技させられるようだ。
詩音はと言えば、窓のすぐそばのピアノの椅子に腰かけて響の方に視線を送るように指示を出された。
「あとは適当に世間話でもしていてください。ピアノの音をBGMに、二人が何か親しげに話しているという絵を撮って後で編集しますので、静かに話したり大笑いしたり、必要なら絡んでもいいので、カメラが回っている間は自然な感じでお願いします。もう回ってますからいつでもどうぞ」
詩音と響は目を見合わせて笑ってしまった。適当に話せと言われて話せるものでもない。こうしてカメラがあれば尚更だ。監督は離れたモニターで眺めているが、セットの中では響と詩音をそれぞれアップで狙うカメラが一台ずつと、引きでずっと撮っている一台の計三台のカメラが二人を追っている。
『萌え袖』というのだろうか、手の甲が半分ほど隠れる長さのボトルネックの白いセーターが詩音に良く似合う。キリッとした目元の響とは対照的に、やや目尻の下がった優し気な眼差しの詩音には、この手の衣装がピタリとはまる。
「監督、結構無茶振りしますね。僕、このピアノ弾いてもいいのかなぁ? ピアノ弾いてもいいなら、それなりに話も弾むような気がするんだけど」
「全日本ジュニアピアノコンペティション、花音さんも出てましたよね」
「えっ?」
突然の問いに、詩音は笑顔が間に合わなかった。慌てて作ったプリンススマイルは、衣装に合わない仮面のようにのっぺりと彼の顔に張り付いた。
「トーク番組の収録の時、司会者が花音さんの話題に触れようとしたら、そこはカットでって言いましたよね。あの後で思い出したんですよ、人形みたいにメチャメチャ可愛い女の子がいたのを。カノンちゃんっていう水色のドレスの女の子やった。あれ、花音さんですよね」
詩音が黙っていると、響が追い打ちをかけるように言葉を継いだ。
「モーツァルトのトルコ行進曲を弾いてた」
自分を真っ直ぐに貫いてくる響の視線に耐えられなくなった詩音は、体ごとピアノの方に向くと、観念したようにクスリと笑った。
「そう、それうちの姉です」
「せやけど、詩音さんのソナチネの前には、彼女のトルコ行進曲はあまりにも印象が薄かって」
「何処へ行っても僕が姉の邪魔をする。僕たち姉弟はナンネルとウォルフガングそのものだったんだ。姉は才能があったのにピアノを辞めてしまったんです」
H-A-Gis-A-C。ゆっくり詩音の右手が動く。トルコ行進曲のメロディであることは、カメラマンや照明スタッフでもわかる。だが、彼らに会話の内容までは聞こえない。
「大路さんが責任を感じるのは違うと思う。それを選んだんは花音さんや」
響が唐突に詩音のすぐ左に顔を出し、トルコ行進曲を弾き始めた。
「オクターヴ上でユニゾン」
「えっ」
一瞬驚いたものの、詩音は響の言った意味をすぐに理解し、メロディを1オクターヴ上で弾き始める。
詩音の顔のすぐ横で響がニヤリと笑う。こんな笑い方をする男だったのか。
メロディが乗ると、今度は伴奏も放棄してしまった。仕方なく詩音は両手でトルコ行進曲を弾き始める。
響が腰でリズムを取り始めた。詩音がまさかと思ったのも束の間、1オクターヴ下でベースが入り始めた。
このコード進行、このリズム。トルコ行進曲がジャズになっている。
勿論詩音もジャズの曲は弾いたことがあるし、それなりの評価も得ている。だが、それは楽譜があったからできた事であり、こうして即興演奏としてジャズを弾くことは全くの未経験だ。どう弾いたらいいのかわからず原曲通りのまま弾いていると、響が顔を寄せてきた。
「力抜いて。なんも考えんと俺の上に乗って」
真っ黒な瞳が詩音を射抜いた。なんという官能的な声を出すのだろうか。詩音は背筋をゾクリと震わせ、鼓動が早くなるのを感じた。
ピアノに向かうと別人になる。先程までは自信無さそうにボソボソと喋る『いつもの』大神響だったのに、ピアノに触れた瞬間から目元に力が漲り、口調や声までも変わったのだ。
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