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07.バレッタ・エスカルダ
しおりを挟むおろおろするだけのミラー伯爵とは違い、冷静な態度でバレッタは上品にティーカップに口を付け潤すと、わざとらしく腹を擦った。
「バレッタ嬢、身体の具合は如何か?」
「ええ、すっかり良くなりました」
何とも白々しいことを言う女だが、流石は自分を陥れるだけのことはあるなと感心する。けれど自分にも問題があったのだろう。
なぜなら、彼女が持ちかける話の大半はエヴァの話で、今日は――、昨日は――、と毎日のように聞かされる話に踊らされ、落ち込んだり、喜んだり、考えて見れば彼女が教えてくれるエヴァの情報の何処に信憑性があったのか謎でしかない。
ふと、今日の訪問理由を確認するかのように、「ところで――」と彼女の唇が揺れると言葉を続ける。
「ロベリオ様、今日は婚姻の書類に署名して頂けるのですよね?」
「それなんだが」
このあと二人の訪問者が来ると説明しようとしたが、「待たせたな」と豪奢な衣装を身に着けた男と、しゅんと肩を落として落ち込む男が現れた。
ロベリオは立ち上がると、「ジャレッド皇子、わざわざ足を運んで頂き、ありがとうございます」と御礼を述べた。
「いや、他でもない君のお願い事だからな、これで君も私の願い事を聞かざる得なくなっただろう?」
厄介な相手に借りを作ることになったが、彼が介入してくれることで、穏便に物事が進むことを考えれば多少のことは仕方ないな、とロベリオは苦笑いを披露した。
流石のバレッタも顔が青ざめており、何よりもう一人の男の存在が彼女にとっては脅威だろう。
「さて、私がなぜこの場に呼ばれたのか説明をしようか」
ジャレッド皇子が用意された椅子に腰かけると、慌てたようにバレッタが、「お、お待ちください」と割って入って来るが、「バレッタ嬢」とジャレッド皇子の冷やかな声が部屋に響き渡った。
「私の話しが終わるまで、君の発言は許可しない」
ぐっと下唇を噛みしめるバレッタの形相は見ものだが、ガタガタと震えるマイクは気の毒に思えた。
その場を制したジャレッド皇子は淡々と話しをし始める。まず、皇太子が開いた去年のパーティーで休憩用の客室を使用した件だが、マイクとバレッタが部屋に居るのを確認している使用人が数人いたという話だ。
「あの休憩用の客室でマイクはバレッタと一緒に居たんだろう?」
「はい……、そうです」
バレッタが立ち上がると、マイクに向かって、「嘘を言うなんてどういうつもりよ!」と声を荒げた。
「き、君がどうしてもって言うから言う通りにしただけじゃないか、それに嘘を付いているのは君だろ、ジャレッド皇子の前でいい加減なことを言えば罪に問われるんだぞ?」
ぎゃーぎゃーと言い合う二人に、「静かにしたまえ」とジャレッド皇子は冷やかな声で言い合う二人を止めた。
「マイク、詳しい説明をしてもらえるか?」
「は、はい」
どうやらロベリオにアルコールが急速に促進する薬を盛ったとマイクが言う。そういえば、彼から水を渡されて、あれを飲んだあと気分が悪くなり、意識が無くなったことを思い出したロベリオは、「君のせいだったんだな」と睨んだ。
その後ロベリオの意識が無いのを確認した彼はバレッタの言う通り部屋へと運んだと言う。
「それはそうと、バレッタ嬢、妊娠したとどうして嘘の診断書を書かせた? こちらのラッセル医師に大金を掴ませ、診断書を書かせた理由を聞きたい」
「わ、私はそのような医者、見たことも聞いたことも――」
彼女が言い終わる前に、パサっと一枚の紙を投げた。
「それは、君が診断する時に署名した問診書だと思うが……?」
「いいえ! 誰かが、私の名を使って……」
「そんなことして何になるんだ? いい加減にするんだな、法廷に持ち込んでミラー伯爵家を貴族の名から永遠に消してやってもいいんだぞ?」
ジャレッド皇子の冷気が漂う声に、父親であるミラー伯爵は、「も、申し訳ございません」と土下座をした。
おそらく、彼もバレッタが妊娠などしていなかったことを知っていたのだろう。
「バレッタ! 早く謝るんだ」
「……わ、私は……」
彼女のぶるぶると震える肩は恐怖からなのだろうか、顔には反省の色など見えないが、とロベリオがバレッタの様子を伺っていると、はらりと涙を流した。
その姿にぞっと背筋に寒気が走った。
過去の人生で、あの涙をどれだけ見て来ただろうか、心の底から悲しいわけでもないのに、彼女は簡単に涙を流して人を困らせる。
「ごめんなさい。ジャレッド皇子の言う通りです。私はロベリオ様を愛するあまり、人として道を外れてしまいました。どうしても、一緒に未来を歩みたくて……、私は……」
体のいい言葉を並べるのを聞き、改めて凄い女だと思った。
こらを見る皇子にロベリオは小さくうなずくと、口端をあげながら彼女に言った。
「私を愛していると? 今回の件で私は父から勘当を言い渡されている。片田舎の何も無い土地を何とかして来いと言われているんだが、君さえ良ければ一緒に家畜を育てて暮らして見るか?」
「え……、か、勘当……ですって?」
「ああ、結果次第では、公爵家を除籍することになる。まあ、我が家には優秀な弟がいるから問題もないだろう」
ロベリオの話を聞いた途端、バレッタの顔が歪んだ。それなりに美しい部類の顔立ちだが、こんな時の顔は恐ろしい魔物を見るようだった。
実際は、今回の件でロベリオは父親である当主にヴェルナ地域にある領土を任せて欲しいと自ら願い出た。
理由は煩わしいことから離れ、エヴァと二人で穏やかな日々を送り、子供が生まれるのを見守りたいという理由だ。
何故なら過去ではエヴァの子は生まれなかったからだ――、とロベリオが過去の出来事に気を取られているうちに、ジャレッド皇子は、「それでは、今回の件だが――」と話を続けた。
「ミラー伯爵が法的処置を取るというなら、一連の出来事を法廷で多数の貴族が見守る中、今のやり取りをもう一度することになるが? どうしたい?」
その言葉を聞き、ミラー伯爵は青い顔を更に青くさせながら何度も頭を下げる。
「そ、それは、困ります! 出来ればこの件は無かったことに……」
「無かったことか……、当人はどうなのだろうか?」
皇子は意地悪くバレッタに視線を向けた。
「わ、私も、自分がしでかしたことに関しては償うつもりです。ロベリオ様を思うあまり、気がおかしくなってしまったのです。考えて見れば、私のような者がロベリオ様の伴侶などに務まるはずがありませんもの……」
「どうやって?」
「え……」
「償うと聞いたが、どうやって償うのだ?」
まさか、そんなことを聞かれるとは思っても見なかったのだろう。顔を引き攣らせ視線を泳がせるバレッタに、皇子は整った眉尻を器用に片方だけ動かし、「ああ、いい考えがある」と言って微笑する。
「バレッタ嬢には今度行われる聖火祭りの手伝いをしてもらおう」
「せ、聖火祭りですか?」
酷なことを言うな、とロベリオは内心苦笑したが、これまでのことを考えれば、そのくらいのことをしてもらってもいいだろう。
聖火祭りと言えば、ロータスの花が使われる。その花は泥の中で生息しており、当然だが泥の中に入り、花を摘む作業をするのだ。
それだけならいいが、慈善活動に勤しむ貴族達の領土から数百人の庶民が派遣されることになっており、貴族である彼女が庶民に交じり、花を摘むとなれば伯爵令嬢としてのプライドが許せないだろう。
「君も慈善活動でもすれば、心が晴れやかになるだろう」
そう言って笑みを浮かべる皇子の強い押しによって、断るに断れない状況に追い込まれたバレッタは、聖火活動に参加する約束をした――――。
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