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17.ジャレッド皇子
しおりを挟む馬車に揺られながら、エヴァは目の前にいるレンに、「どうして馭者席に座らないんだ?」と聞いた。
「ロベリオ様からの命令で、エヴァ様の身体に傷ひとつでも付けたら命は無いと言われましたので、身近で見守らせて頂きます」
「は……、過保護もいいところだな……」
「愛されている証拠ですねぇ……」
レンの恍惚とした顔に苛っとさせられるのは何故だろうか? とエヴァは目の前の男を馬車から蹴落としてしまいたい衝動を必死で抑える。
「ですが、調べ物なんて珍しいですね」
「ん、ああ……、我が家にはない本なんだ」
「へぇ、因みにどのようなことをお調べに……?」
「夫婦についてだ」
はて? と小首を傾げるレンを見て、その首をそのままへし折ってやりたいと思う。
「エヴァ様、お言葉ですが、夫婦について書いてある本は世界中を探してもない気がしますが……」
「そうなのか?」
「はい、夫婦なんて千差万別ですよ。仲が良い時もあれば悪い時もありますし……」
それはそうだろうが、実際にエヴァが知りたいことは少し違う。
――いっそ、レンに聞いて見るか? いや、それは駄目だな、俺が勃たないことを暴露するようなもんだ……。
どうして、こんなくだらないことで悩まなくてはいけないのだろうか? と馬車に揺られながらエヴァは何だか馬鹿らしくなってくる。
そもそも、今朝あんな体験をしてなければ、こんなくだらないことを調べる気になんてならなかったのだ。
未だにロベリオの熱く硬いモノが自分の背中に張り付いている感覚が残っている。つまり、それだけ衝撃的なことだったと言える。
――衝撃? いや羨ましいのか?
エヴァは憂鬱な気分を押し込めると、小窓から目的地の方へ目を向けた――――。
一時間半ほどで目的の場所に辿り着いたが、図書館の前で数人が揉めているのが目に留まる。
レンも同じく気になったようで、「何かあったんでしょうかね?」と興味あり気な声を出した。
「気にしないでおこう。変なことに巻き込まれたらロベリオが煩いからな」
「分かってらっしゃるなら、屋敷を出ないようにして下さい」
息巻くレンに、「何処に行こうが俺の勝手だろ」とエヴァは突き放すように言い放った。
「いいえ、分かってませんね、私の命が掛かっているのですよ! エヴァ様に忠実な従者の命がいつ消えるか分からないのですよ?」
「……安心しろ、代わりはいくらでもいる」
「酷いです!」
くすっと笑みを浮かべると、エヴァは図書館の受付へ向かう。
丁度、揉め事の横を通り過ぎる形になり、数人に囲まれている半獣と目が合った。
――珍しいな、銀狼か……?
実はこの国に住んでいる銀狼の数は少ない。その理由はこの国の気温は銀狼に向いていないからだった。
けれど、それにしても、変だなと思う。何故なら銀狼の身体能力は、人間の数倍であり、あんな風に取り囲まれて挙動不審な態度を取るなど普通では考えられないのだ。
どちらにしても、同族は放っておけないと思ったエヴァは、「君、待たせてしまったね」と声を掛けた。
半獣を囲んでいる人間達が、こちらを一斉に見ると、ぎょっとした顔を見せる。
皆の顔が恐怖を表しているのを見て、ん? と小首を傾げていると自分の背後から、「これは、これは、こんな所で〝癒しの花〟に、お目にかかれるとは」と聞いたことのある男の声が聞えてくる。
この声はまさか……? と振り返れば、予想した通りの男が立っており、どうりで皆が凍り付いてるはずだと納得した。
「お久しぶりです。ジャレッド皇子、先日は祝いの品をありがとうございました」
「いやいや、出来れば結婚式の君の晴れ姿を目にしたかったが、ロベリオが許してくれなくてな……」
そう言って、皇子は実に楽しそうに笑う。それにしても、相変わらず派手な人だとエヴァは目を細める。皇族の衣装が煌びやかなのは当然だが、それ以前に彼自身が派手好きなのだ。
普通の男は髪飾りなどしないが、彼は長い髪の両脇に金細工を施した飾りを巻き付けており、それが良く似合っていた。
無駄にキラキラと輝きを放つ髪飾りをエヴァが見ていると、皇子が口端を優艶に広げ――、
「まあ、結婚してしまったものは仕方ないが、今からでも考え直して私の元へ嫁いで見てはどうだ? ロベリオと円滑に離縁させてやるぞ?」
「……」
「くっ、冗談だよ。ヤツから君を奪えば廃人になるのは目に見えているからな」
ジャレッド皇子は目を眇めると、「ところで図書館に何の用事だ?」と聞いて来る。
「ええ、彼と待ち合わせを……? あれ……?」
揉めていた数人の人間と半獣は姿を消しており、エヴァは説明が出来ず困ってしまう。
「皆、何処かへ行ったようだな」
「ええ、そう見たいですね」
「あまり余計なことに足を突っ込むとロベリオが心配する。ほどほどにな」
確かに……、とエヴァがなうずくと、ジャレッド皇子は、「さっきの半獣は、この図書館の管理職員だ」と言う。
「そうなんですか……」
「元々は騎士を目指していたんだが、ちょっとわけありでな」
遠い目をするジャレッド皇子は彼の話をし始めた。
どうやら、銀狼なだけに彼の身体能力は群を抜いており、騎士団の試験も問題なく通過したが、入団前に事件を起こしてしまったと言う。
「母親を医者に見せるための医療費を奪われそうになって、それを阻止したんだが、その相手が死んでしまってね」
「え……」
「もちろん正当防衛だった。相手は剣を振り回していたという目撃証言もあったからな、けど、本人は騎士になるのを辞めたんだ」
どうやら、皇子は彼の正当防衛が認められたあと、何度も騎士の再試験を受けるように彼を説得したが、頭を縦に振らなかったと言う。
「人を殺したという事実が大きく付き纏っている。元々が優しい性格なのだろうな、訓練や試験では実力が発揮出来ても、実践で役には立たないと自分で見限ったようだ」
「ああ……、どうりで銀狼の半獣なのに変だと思ってたら、そういう理由なんですね」
半獣が人間に取り囲まれる図が奇妙に見えたし、何よりも彼は真っ青な顔をしていた。
「先程の者達は、城に勤務している物資の管理者だ。難癖でも付けて、彼で憂さ晴らしでもしていたのだろう」
なるほど、とエヴァは納得した。ふと、銀狼のことが気になり、「彼の名前は何と言うのです?」と聞いた。
「ん、ルーク・ゴルドだが……、君は干渉するなよ?」
「何故です?」
「ああ、忘れていたよ。君が無自覚なせいでロベリオが苦悩を味わっていることを……」
「急に、何を仰って――っ」
ジャレッド皇子はエヴァの顎を軽く摘まむと、目尻を軽く下げ――、
「ほら、そうやって小首を傾げる姿に、学園中の誰もが〝癒しの花様は今日も可憐で美しい〟と惑わされ、ああ、私のために花を生んでくれないだろうか……、と皆が願っていたはずだ」
何を言っているのかとエヴァは溜息を吐きながら、「お言葉ですが、学園では初年度以降、俺が癒しの花だと気が付く者も少なかったと思いますよ」と答えると、くすくすと皇子は笑う。
「確かにな、けれど陰では皆分かっていたと思うぞ、そもそも教皇教会へ出向く姿を見れば、普段が仮初の姿だと誰だって気が付くものだ」
それは確かにそうだけど……、と、うっかり尖りそうになる唇を抑え込む。
教皇教会へ行く時は城の門から城下町へ向けて盛大な見送りがあるのに、みすぼらしい格好など出来るわけもないし、母にどれだけ怒られるかを考えれば、なすがままに着飾る方が楽なのだ。
「とにかく、君はロベリオ以外に目を向けるのやめるんだ」
「目を向けるなんて……、まるで俺が浮気者のような言い方するのは止めて下さい」
エヴァはキっと目を吊り上げて皇子を見た。ふと、口元を緩めた彼が軽い吐息を吐くと――、
「ああ、言い方を変えよう、誰にでも施しを与えようとするな。君は自分が〝癒しの花〟だという自覚があるせいで命の危険に遭遇したことがあるだろう?」
あの時のことを持ち出され、エヴァは一瞬で理解し、カァっと身体が熱くなった。
「施しが悪いことだとは言わないが、自分の生命を削るような真似はやめるんだ。それでなくとも、君に優しくされるだけで勘違いをする者も多い。分かったか?」
「……はい」
ジャレッド皇子の言うことは正しい。あの時、ロベリオがいなければ自分は、こうして生きてないのだから――、と当時のことを思い出し、素直に皇子の言葉にうなずいた――。
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