『水槽』 武闘派ヤクザ×失声症の青年

葦原

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 ふと目を覚ました蓮は、ベッドの上でゆっくりと半身を起こした。
 青白く光る水槽に一度目を向けた後、薄暗い室内をざっと見渡す。嘉島の姿は何処にも無い。
 彼が戻って来たのは夢だったのかと考えた瞬間、微かな痛みを下肢に感じて、思わず眉根を寄せた。
 鈍痛や疲労感が残るあたり、何度も抱かれたのは夢では無いなと考え、記憶を探ってみるが、行為の最中に気絶してしまったのか、嘉島に何度も貫かれて追い上げられた後のことは、何も覚えていない。

 嘉島の姿を求めて再び視線を走らせると、隣室との仕切り戸が視界に入る。
 扉が少し開いている所為で、隣室からの明かりが差し込み、床を淡く照らしていた。
 暫くそれを眺め、蓮はベッドから静かに下り、何も纏わぬまま進み出す。
 扉の前まで近付き、隙間からそっと隣室を覗き見れば、ソファに腰掛けて煙草を燻らせている嘉島の姿が目に映った。

 隙の無い、端整で男らしいその顔には、明らかに不機嫌そうな色が浮かんでいる。
 嘉島のその表情から、抗争はまだ終わった訳では無いのだと察し、蓮の気は重くなった。

 ――蓮、知ってるか。ヤクザは、いつ死んでもおかしくねぇんだ。
 以前、嘉島が笑いながら放った言葉が不意に、頭の中に響き渡った。
 俺が死ねば抱き人形の身から解放されるかもな、と言われた当時は、そうなって欲しいと本気で思っていた。
 でも今は……抗争、と耳にすれば、この心はいつだって焦燥感や強い不安でいっぱいになる。
 嘉島を好きになってからは、絶対に死んで欲しくないと強く、願ってしまう。

 ……本当に、馬鹿だな。
 蓮は微かに目を伏せ、胸中で自嘲した。
 好きにさえならなければ、己を苦しめずに済んだのに……自分は本当に馬鹿で、そして単純だ。

 残忍で冷酷、と言われていた嘉島のもとへ、実の親から借金の形として差し出されるのだと知った当時は、震え上がった。
 身体を切り裂かれたり臓器を売られたりするのかと、当時は本気で思って怯えていたし、初めて抱かれた時は、強い恐怖や嫌悪感に苛まれたのに……優しさを稀に向けられて、どんどん惹かれていった。

 普段、冷たい態度やひどい仕打ちを受けている分、不意に優しくされると心は激しく揺れ動いてしまう。
 あの煙草だってそうだと、蓮は嘉島が咥えているそれへ視線を注ぎ、すぐに目を伏せる。

 嘉島が自分の近くで煙草を吸ったのは過去に一度きりだ。
 彼のもとへ差し出されて間もなかった当時、煙にせた自分に向けて、吸った事が無いのかと嘉島は尋ねて来た。
 身体に悪いので有りませんと答えると、嘉島は直ぐに火を消し、それ以来自分の近くで吸わなくなったのだ。
 その優しさとも呼べる行為を前にして、聞いた通りの人じゃないのかも知れないと考えたけれど、彼を良く知る者たちからすれば、それはとても信じ難い行為だと教えられた。
 あの組長が、そんな馬鹿な。と、田岡に驚かれて以来、嘉島のことが気になり始めて……いつの間にか、彼の言葉一つ一つに痛みを覚えるほど、好きになっていた。
 優しさに惚れてしまうなんて、単純過ぎるにも程が有るだろうと、蓮は微かに苦笑する。

「蓮、起きたのか……こっちに来い、」
 暫く目を伏せたままでいると、不意に、嘉島の声が耳に響く。
 伏せていた双眸を緩やかに上げて再び嘉島に向ければ、鋭い瞳と視線が絡み合う。
 思わず一歩後退った蓮は肩越しに振り向いて室内を見回し、着る服を探し出す。
 蓮の様子に気付くと、煙草を灰皿の上で揉み消しながら嘉島は大きな舌打ちを零した。
「そのままで良い。早くしろ、俺を待たせるな」
 苛立ちの篭もった言葉を掛けられると蓮は諦め、躊躇いがちに嘉島のもとへ向かう。

「おまえ、最近飯をろくに喰っていなかったらしいな。……調子でも悪いのか、」
 困惑の表情をしながら目の前まで近付いて来た蓮の、その裸体をじっくり眺めながら嘉島は尋ねた。
 嘉島の視線に身体が単純にも熱を上げたが、冷ややかな声音で問われると、蓮はかぶりを振って見せる。

「だったら何だ? 飯が不味かったとでも云う気か、」
 慳貪な物言いに蓮は怯み掛けたが、やはり本音を打ち明ける事は無く、ただかぶりを振るだけだった。

 ……あなたの事が心配だったから、食欲も無かった。
 そんな事を伝えた所で、どうにもならないと考え、蓮は目を逸らす。
 目を合わそうとしない蓮を見ていると、嘉島の胸の内では苛立ちが増し、無意識に舌打ちが零れた。
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