6 / 12
第6話 疑惑
しおりを挟む
何も変わらないはずだった。
茉莉は今まで通り私に笑いかけて、くだらないスタンプを送りつけてきて、週末には「ごはん行こ~!」と誘ってくる。
一ノ瀬悠翔は、変わらず穏やかで、優しくて、茉莉の彼氏として完璧に振る舞っていた。
だから、私も「何もなかったふり」を続けていた。
あの夜、触れた手。
あの沈黙の中にあった熱。
あれを「なかったこと」にすれば、きっとまた戻れると思っていた。
だけど――。
全てが、ほんの少しずつ、ズレ始めていた。
◇
「ねえ、由紀って最近、悠翔と仲良いよね?」
ある日、ランチの帰り道、茉莉が何気なく言った。
「え?」
私は反射的に立ち止まりそうになる足を、なんとか踏みとどめた。
「ほら、展示会のときもさ、すっごく楽しそうだったって悠翔が言っててさ。なんかいいなって思ったの」
「……うん、楽しかったよ。久しぶりに美術館なんて行ったし」
「だよねー! 由紀って、芸術系とか詳しいもんね」
茉莉は笑っていた。
それは、いつもの無邪気な笑顔。
でも、どこか――ほんの、ほんの少しだけ、その目の奥に、何かが混ざっている気がした。
疑い。不安。もしかしたら、嫉妬。
「……なに?」
「え?」
「今、ちょっと疑ってなかった?」
自分でも、どうしてそんなことを口にしたのかわからなかった。
咄嗟に出たその問いに、茉莉は一瞬驚いた顔をしたあと、首を横に振った。
「まさか。そんなわけないじゃん。由紀のこと、信用してるよ?」
その「信用してるよ」が、やけに軽く聞こえた。
◇
茉莉が疑っている――そう確信したわけではない。
けれど、私の中で「警報」のような何かが鳴り始めていた。
今までは、茉莉が疑うことなんて一度もなかった。
それほどまでに、私は「信頼できる」人間だった。
でもその信頼が、もし少しでも揺らぎ始めたなら。
すべてが崩れるのは、あっという間だ。
◇
それから数日後。
久しぶりに三人で集まったとき。
空気が、明らかに違っていた。
茉莉は、いつも通り楽しそうにしている。
でも、視線がどこか落ち着かない。
ときどき、私と悠翔の間を見るような仕草が混ざる。
その一瞬一瞬が、私の心を刺した。
悠翔も、少しよそよそしかった。
目が合うことが、以前より少なくなった。
まるで、何かを悟られないようにしているかのように。
「……大丈夫?」
帰り道、私はそっと聞いた。
私たち三人で、同じ電車に乗ったあと、茉莉が先に降りていった。
車内に残されたのは、私と悠翔、ふたりだけ。
ドアが閉まり、電車が動き出す。
数秒の沈黙ののち、悠翔は答えた。
「……ちょっとだけ、焦ってる」
「なにに?」
「由紀と俺が、仲良くなりすぎてるんじゃないかって。……茉莉に、そう思われてないかって」
息が詰まった。
悠翔は続けた。
「……ごめん。あの日、俺からだったのに」
「ううん。私も、拒まなかった」
電車の音に紛れて、声が揺れる。
「……また、会いたい」
私がそう言うと、悠翔はゆっくりとこちらを見た。
「由紀、俺……」
言いかけた言葉は、次の駅の到着アナウンスに遮られた。
けれど、その一瞬。
彼の目の奥には、確かに「本当の気持ち」があった。
後ろめたくて、苦しくて、それでも――嬉しくなるような何かが。
◇
その夜、茉莉から届いたLINEには、短い文だけがあった。
『ねえ、由紀。私、何か間違ってるかな?』
その言葉の意味が、まるでクイズのように頭の中を巡った。
「私」が、「何か」を、「間違ってる」。
もしかして――。
もう、気づかれてる?
それとも、まだギリギリ?
私はスマホを握りしめたまま、なかなか返信ができなかった。
やがて震える指で、ひとことだけ打ち込んだ。
『どうしたの、急に?』
あえて、何も知らないふりをした。
そうすることしか、もう私にはできなかった。
茉莉は今まで通り私に笑いかけて、くだらないスタンプを送りつけてきて、週末には「ごはん行こ~!」と誘ってくる。
一ノ瀬悠翔は、変わらず穏やかで、優しくて、茉莉の彼氏として完璧に振る舞っていた。
だから、私も「何もなかったふり」を続けていた。
あの夜、触れた手。
あの沈黙の中にあった熱。
あれを「なかったこと」にすれば、きっとまた戻れると思っていた。
だけど――。
全てが、ほんの少しずつ、ズレ始めていた。
◇
「ねえ、由紀って最近、悠翔と仲良いよね?」
ある日、ランチの帰り道、茉莉が何気なく言った。
「え?」
私は反射的に立ち止まりそうになる足を、なんとか踏みとどめた。
「ほら、展示会のときもさ、すっごく楽しそうだったって悠翔が言っててさ。なんかいいなって思ったの」
「……うん、楽しかったよ。久しぶりに美術館なんて行ったし」
「だよねー! 由紀って、芸術系とか詳しいもんね」
茉莉は笑っていた。
それは、いつもの無邪気な笑顔。
でも、どこか――ほんの、ほんの少しだけ、その目の奥に、何かが混ざっている気がした。
疑い。不安。もしかしたら、嫉妬。
「……なに?」
「え?」
「今、ちょっと疑ってなかった?」
自分でも、どうしてそんなことを口にしたのかわからなかった。
咄嗟に出たその問いに、茉莉は一瞬驚いた顔をしたあと、首を横に振った。
「まさか。そんなわけないじゃん。由紀のこと、信用してるよ?」
その「信用してるよ」が、やけに軽く聞こえた。
◇
茉莉が疑っている――そう確信したわけではない。
けれど、私の中で「警報」のような何かが鳴り始めていた。
今までは、茉莉が疑うことなんて一度もなかった。
それほどまでに、私は「信頼できる」人間だった。
でもその信頼が、もし少しでも揺らぎ始めたなら。
すべてが崩れるのは、あっという間だ。
◇
それから数日後。
久しぶりに三人で集まったとき。
空気が、明らかに違っていた。
茉莉は、いつも通り楽しそうにしている。
でも、視線がどこか落ち着かない。
ときどき、私と悠翔の間を見るような仕草が混ざる。
その一瞬一瞬が、私の心を刺した。
悠翔も、少しよそよそしかった。
目が合うことが、以前より少なくなった。
まるで、何かを悟られないようにしているかのように。
「……大丈夫?」
帰り道、私はそっと聞いた。
私たち三人で、同じ電車に乗ったあと、茉莉が先に降りていった。
車内に残されたのは、私と悠翔、ふたりだけ。
ドアが閉まり、電車が動き出す。
数秒の沈黙ののち、悠翔は答えた。
「……ちょっとだけ、焦ってる」
「なにに?」
「由紀と俺が、仲良くなりすぎてるんじゃないかって。……茉莉に、そう思われてないかって」
息が詰まった。
悠翔は続けた。
「……ごめん。あの日、俺からだったのに」
「ううん。私も、拒まなかった」
電車の音に紛れて、声が揺れる。
「……また、会いたい」
私がそう言うと、悠翔はゆっくりとこちらを見た。
「由紀、俺……」
言いかけた言葉は、次の駅の到着アナウンスに遮られた。
けれど、その一瞬。
彼の目の奥には、確かに「本当の気持ち」があった。
後ろめたくて、苦しくて、それでも――嬉しくなるような何かが。
◇
その夜、茉莉から届いたLINEには、短い文だけがあった。
『ねえ、由紀。私、何か間違ってるかな?』
その言葉の意味が、まるでクイズのように頭の中を巡った。
「私」が、「何か」を、「間違ってる」。
もしかして――。
もう、気づかれてる?
それとも、まだギリギリ?
私はスマホを握りしめたまま、なかなか返信ができなかった。
やがて震える指で、ひとことだけ打ち込んだ。
『どうしたの、急に?』
あえて、何も知らないふりをした。
そうすることしか、もう私にはできなかった。
0
あなたにおすすめの小説
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
今さら泣きついても遅いので、どうかお静かに。
reva
恋愛
「平民のくせに」「トロくて邪魔だ」──そう言われ続けてきた王宮の雑用係。地味で目立たない私のことなんて、誰も気にかけなかった。
特に伯爵令嬢のルナは、私の幸せを邪魔することばかり考えていた。
けれど、ある夜、怪我をした青年を助けたことで、私の運命は大きく動き出す。
彼の正体は、なんとこの国の若き国王陛下!
「君は私の光だ」と、陛下は私を誰よりも大切にしてくれる。
私を虐げ、利用した貴族たちは、今、悔し涙を流している。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
地味な私では退屈だったのでしょう? 最強聖騎士団長の溺愛妃になったので、元婚約者はどうぞお好きに
reva
恋愛
「君と一緒にいると退屈だ」――そう言って、婚約者の伯爵令息カイル様は、私を捨てた。
選んだのは、華やかで社交的な公爵令嬢。
地味で無口な私には、誰も見向きもしない……そう思っていたのに。
失意のまま辺境へ向かった私が出会ったのは、偶然にも国中の騎士の頂点に立つ、最強の聖騎士団長でした。
「君は、僕にとってかけがえのない存在だ」
彼の優しさに触れ、私の世界は色づき始める。
そして、私は彼の正妃として王都へ……
冷遇妃マリアベルの監視報告書
Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。
第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。
そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。
王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。
(小説家になろう様にも投稿しています)
本物の夫は愛人に夢中なので、影武者とだけ愛し合います
こじまき
恋愛
幼い頃から許嫁だった王太子ヴァレリアンと結婚した公爵令嬢ディアーヌ。しかしヴァレリアンは身分の低い男爵令嬢に夢中で、初夜をすっぽかしてしまう。代わりに寝室にいたのは、彼そっくりの影武者…生まれたときに存在を消された双子の弟ルイだった。
※「小説家になろう」にも投稿しています
地味な私を捨てた元婚約者にざまぁ返し!私の才能に惚れたハイスペ社長にスカウトされ溺愛されてます
久遠翠
恋愛
「君は、可愛げがない。いつも数字しか見ていないじゃないか」
大手商社に勤める地味なOL・相沢美月は、エリートの婚約者・高遠彰から突然婚約破棄を告げられる。
彼の心変わりと社内での孤立に傷つき、退職を選んだ美月。
しかし、彼らは知らなかった。彼女には、IT業界で“K”という名で知られる伝説的なデータアナリストという、もう一つの顔があったことを。
失意の中、足を運んだ交流会で美月が出会ったのは、急成長中のIT企業「ホライゾン・テクノロジーズ」の若き社長・一条蓮。
彼女が何気なく口にした市場分析の鋭さに衝撃を受けた蓮は、すぐさま彼女を破格の条件でスカウトする。
「君のその目で、俺と未来を見てほしい」──。
蓮の情熱に心を動かされ、新たな一歩を踏み出した美月は、その才能を遺憾なく発揮していく。
地味なOLから、誰もが注目するキャリアウーマンへ。
そして、仕事のパートナーである蓮の、真っ直ぐで誠実な愛情に、凍てついていた心は次第に溶かされていく。
これは、才能というガラスの靴を見出された、一人の女性のシンデレラストーリー。
数字の奥に隠された真実を見抜く彼女が、本当の愛と幸せを掴むまでの、最高にドラマチックな逆転ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる