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22.決別
しおりを挟む「あの日は……聖女が私に執拗に付き纏ってきました。今までと違う強い匂いの香水を身体中から振り撒きながら。その香水の所為で、私の鼻が利かなくなっていたようです。その時、私自身はそれに全く気が付きませんでした。身体の不調は全く感じませんでしたから」
「……香水……」
「私達獣人は、初めて“番”と出会った時は感覚で分かるのですが、それ以降の判断は『匂い』なのです。“番”の匂いは唯一無二ですから」
「そう……なのですか……?」
「はい。貴女は姿も声もリシーファと違うのに彼女の匂いがしたのは、恐らく彼女の【魂】の匂いを感じ取ったのでしょう。“番”は獣人にとってそれだけ『特別』なのです」
「…………」
(【魂】の匂いですって……? 【魂】に匂いなんてあるの? どれだけすごい鼻をしてるのよ、獣人って――)
「ですが、鼻が一切利かなくなると“番”の判断がつきません。しかし、獣人の鼻が利かなくなる事は通常は有り得ないのです。風邪をひいた時でさえ、少しでも鼻が利けば“番”の匂いはすぐに分かりますから。あの香水に、獣人の鼻の利きを無効化する特殊な何かが入っていたとしか考えられません」
「無効化……」
(……確かにあの時、マライヤさんからは特段きつい匂いがしていたわ……。香水といい【呪術具】といい、彼女はそんな物を一体どこで手に入れたの……?)
「その所為で、私はリシーファの姿になった聖女を彼女本人だと疑わず、必死に訴えてくる聖女の姿になった彼女の言い分を聞かず、聖女の言葉を信じ、憎しみに身を任せ……彼女を……」
そこでラノウィンは言葉を切り、何かを堪えるように奥歯をギリッと噛み締める。
「……リシーファが亡くなる瞬間、彼女の姿が元に戻りました。聖女の姿も同じく。聖女はそれに酷く焦っているようでした。『話が違う』とも言っていましたが、私は自分の愛する妻を自分が殺した事実に頭が真っ白になり、自暴自棄に陥って魔力を暴発させてしまいました。――結果、城を崩壊させてしまい、城にいた者の殆どが死亡しました。聖女もその中の一人でしょう。私は救助に来た隣国の兵に捕らえられ、私以外跡継ぎのいないイドクレース王国は事実上消失し、国民達は他の国へと散り散りに渡っていきました」
「え……」
私は、ラノウィンが語る内容にただただ言葉を失くしていた。
衝撃過ぎる意味で開いた口が塞がらない。
(王国が消失!? お城の人達が殆ど亡くなった……!? 私に良くしてくれた侍女達や兵士達も……? そんな――)
彼女達を想い涙が滲み出てきたけれど、拳を強く握り締めグッと我慢する。
そこでハッと父と母の事を思い浮かべた。
(お父様とお母様は領地にいたから被害は受けていないし、別の国に渡ったって事よね? 私の死後、そんなとんでもない出来事があったなんて――)
「私は戦争の“駒”などなりたくありません。もう誰も殺したくないのです……。この首輪に自死を防止する術が掛けられているので、何も飲まず食べず、餓死で死のうと思いました。――けれど、貴女に会ってしまった。リシーファの【魂】を持つ貴女に」
「…………」
「彼女に……リシーファに謝りたい……。赦されなくてもいいから、彼女に心から謝りたい。彼女が私を憎んでいるなら、彼女に殺されても構わない。寧ろ私はそれを望んで――」
「はっ!? 冗談じゃないわっ! 私を勝手に殺人者にしないでよねっ! そんなの死んでも御免よっ!」
ラノウィンの突拍子もない発言に思わずガッと叫んでしまい、私は慌てて口に手を当てた。
「……と、リシーファの【魂】が泣きながら怒っているように感じましたわ……」
「……そ、そうですよね……。リシーファを殺人者にするなんて……私は何て馬鹿で愚かな事を……。すみません……」
私はシュンと落ち込むように首を垂らすラノウィンを見つめる。
(……鼻が利かなくなって私だと分からなかった、か……。ちょっとした仕草や言い方とか、本人だけの癖があると思うのよね。あれだけ一緒にいたのに、それにも全く気付かなかったの? やっぱり外見と匂いしか見てないって事じゃない。獣人は匂いに頼り切ってる部分はあるけど、やっぱり私は……すぐには赦す事なんて出来ない)
その事を、私は胸に留めず本人に話す事にした。
折角奇跡的に会えたのだから、悔いが残らないようにしたかった。
これでもう……“最後”、なのだから。
「貴方は匂いが利かなかった所為でリシーファだと分からなかったと仰いましたが、それ以外で気付く事は出来なかったのですか? 彼女独自の仕草や癖、言い方を貴方は毎日見ていたし、聞いていたと思います。それに、彼女は貴方の事を『レオ』と呼んだはずです。聖女が知る由もない、貴方のミドルネームを。それに対し違和感を感じなかったのですか?」
「……っ!!」
ラノウィンが黄金色の瞳を大きく見開き、強く噛み締めた口からグルルと唸りが漏れた。
「……やはり貴方は、リシーファの内面ではなく、外見と匂いしか見ていなかったのですね。だから彼女だと全く気付かなかった。挙げ句、彼女が愛する貴方は、目の前で聖女を自ら強く抱きしめた。それを強制的に見せつけられ、彼女がどんな思いでいたか……貴方には想像が出来ますか?」
「……あ……あ……うあぁ……。リシー……リシーファ……!」
堪え切れないといったように、ラノウィンの瞳からボロボロと涙が溢れ出る。
「……けれど貴方は、自身の魔力が暴走するくらい、彼女を殺してしまった事に自責し、後悔したのですね。それはきっと、彼女の心を少しは軽くしたと思いますよ。やってしまった事は決して赦されるものではないですが」
「…………」
「死にたいほど辛いのは分かります。ですが、リシーファは貴方が死ぬ事を望んでいません。それは確かに伝わってきました。だからここから逃げて下さい。戦争の“駒”になんて絶対にならないで下さい。亡くなった城の者達の為にも」
私の顔を、ラノウィンは涙で濡れた黄金色の瞳で見上げる。
「し……しかし、私を逃がしたとなると、貴女が疑われ捕まってしまいます」
「大丈夫ですよ。神殿に入ったら既にもぬけの殻だったと説明しますから。――貴方の謝罪は、リシーファに伝わったと思いますよ。赦すか赦さないかは別ですが」
ラノウィンは身体を一瞬震わせ黙ると、再び口を開いた。
「リシーファがいつ目覚めるのかは……やはり分からないのですか……?」
「……そうですね。今も想いだけが私に伝わってくるだけです。暫くは目は覚まさないでしょう。もしかしたら、このまま一生……。けれど、最後にこうして貴方から話を聞けて良かったと思っていますよ」
「……“最後”……?」
「二週間後、私はまたここに来ますが、それまでに必ず逃げて下さい。出来るだけ遠くへ。貴方の事を誰も知らない国へ。そしてリシーファの分まで生きて下さい。亡くなった城の者達への祈りを忘れないで下さい。彼女もそれを望んでいます」
「…………」
ラノウィンは固く両目を瞑り、暫く思い悩んでいたけれど、やがて微かに首を縦に振った。
私は彼の傍にそっと近寄ると、その頭を優しく撫でる。
彼は泣きながら目を細め、頭を少し屈めると私の掌を静かに受け入れた。
「……それでは、お元気で。貴方の行く末に幸あらん事を」
私は一歩下がり、ラノウィンに向かって深く一礼する。
そしてクルリと踵を返し、歩き始めた。
一度も振り返る事なく。
彼のいない“明日”へと向かって――
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