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第一部
16話
しおりを挟む結局、殿下の話とは世迷い言だったらしいので、聞かなかったことにしました。それよりも! 最近では、ジャン様に避けられているのではないかと思ってしまうほど、遭遇する機会がありません!
……それに、時間が経てば経つほど、アレは私の願望が見せた勘違いだったのではないかとさえ思えてきてしまいました。
願望?
――――私は、何を願っているのでしょうね…………?
◇◆◇ ◇◆◇
「モニカ嬢!」
探し回っていた彼が捕まったのは、<淑女儀礼>という授業とは名ばかりの御内室方の誣説に付き合うため、教室を移動している最中のことでした。
正しくは、彼に捕まえられたと言うべきでしょうか?
「ジャン様!」
「すみません! ……これから授業でしたか?」
「いえ、大丈夫です!」
……即答してしまいました。茶飲み話を放棄することに、ためらいはありませんけれど。
そのままティールームへ移動しました。本来授業中であるはずの時間帯に、少なくない生徒達がいたことに驚きはしましたが……私も同類なので思うところはありません。
彼の魔術を解くことができないのならば、論理的な解決方法を模索しましょう!
「俺のことを探していらしたと聞いたのですが……?」
私は彼のその質問に、本題を切り出したのですが――。
「……俺のことを心配しているというのは分かるのですが……そうも頑なに『必要ない』と言われると…………」
――――――――――ここで揺らぐから、私は屑を脱却できないのよ!!!
「そういうわけではありません。私でも責めを塞ぐ程度には――」
「無理をしてますよね? 俺がすると言っているのに、無理をする必要があるんですか?」
――無理をしているのはジャン様の方なんじゃ……?
「あーっ!! ここにいたのねジャン! ――モニカってば、またわたしのジャンに迷惑をかけているの? いい加減にしないと怒るよ?」
ご立腹なご様子で現れたのは、例によって例の如く聖女様なのですが、とうとう『わたしのジャン』と言い始めました。
ジャン様にばかりかまけていると、殿下に愛想を尽かされてしまいますよ?
ご存じないかも知れませんが、殿下も結構不穏な台詞を吐いていたのですよ?
「聖女様、今は神学の時間では?」
「わたしは聖女なのよ! あんなもの受ける必要ないわ!」
……聖女様であらせられるのに精霊は見えない神聖魔術は使えないような体たらくなのですから、尚更受けなければならないのでは?
「ねぇジャン! 今週末の舞踏会用のドレスを選ぶのを手伝って欲しいの!」
「殿下から送られてきているのでは?」
「まあ妬いてるのね、ジャンったら! うふふっ! フレデリックのことは、今は気にしないで? 私は、貴方の為にキレイになりたいの!」
――殿下は聖女様ではなく、コーベル嬢と出席されるおつもりのようですが……聖女様はご存じないのでしょうか? 聖女様はどなたと参加するつもりなのでしょうか?
「……あらモニカ、まだいたの? アンタに用はないからもう行っていいわよ」
聖女様は今日も平常運転ですね。しかし……私は、ジャン様にちゃんと話をしなければならないので。
「モニカ? さっさと行ってって言っ――――」
「止めて下さい。俺は彼女と話をしていたのです。貴女ではありません」
「そうよモニカ! わたしとジャンの邪魔をしないで!」
「ガーヌ嬢!」
ジャン様は私をかばって下さいますが、聖女様には届いていないようです。彼女の耳には、何という素敵変換機能が備わっているのでしょうか。人生楽しそうで何よりです。
「聖女様、申し訳ございませんがジャン様は私と先約がありまして……」
「何言ってるのよ、モニカ。わたしは聖女なのよ? 子爵家程度では分からないかもしれないけど、誰よりも優先されるし、愛されて当然の存在なの! ジャンは分かってくれるわよねっ!」
これは、聖女様の資質というよりも、ガーヌ公の極端な教育方針にも原因の一端があるのかもしれません。他におかしな事をしてなければよいのですが――。
「――分かりません」
大声で怒鳴ったわけでも無いのに、ジャン様のその言葉はやけに響いたような気がしました。
「貴女の発言は、甚だ不愉快です。モニカ嬢、行きましょう」
「え? あ、ちょっ……」
許容量の限界を超えたらしいジャン様が、私の手を掴みティールームを出ます。どこへ向かっているのかは不明です。中庭でも教育棟でもギャラリーでもないようです。他に休憩できそうな場所なんてあるのでしょうか。
立ち入り禁止だと思っていた回廊内へと、躊躇うことなくジャン様は足を踏み入れて行きます。
「ここ、入ってもよいのですか?」
「問題ありませんよ。ここは生徒に開放されているスペースなんです。モニカ嬢はあまり来られないんですか?」
「ええ……」
そう言えば、生徒の中には授業が終わった後も交流のため、遅くまで学園で憩いの時間を過ごす方々がいるとか。……というかそう言った方が大半ですが。そう言った方々が使うスペースでしょうか。私は授業が終わったら直ぐに帰宅していましたから。
回廊を通った先にある校舎は普段授業に使っている教育棟と違い、壁紙も柱もまるで離宮のように煌びやかな装いとなっていました。夜会が行われる講堂も回廊と繋がっているらしいです。
「気になりますか? 講堂」
気付かれるような仕草は何一つしていなかったはずです。視線はずっと回廊の煌びやかな装飾と…………とある人に注がれていたので。
「この回廊に人がいないのはガーヌ嬢と同じで、皆装いの準備でもしているのでしょうね」
――ジャン様は、宜しいのですか? こんなところで、油を売っていて……。
「モニカ嬢が俺に何の話があるのかは分かっています。けど、諦めて下さい」
「え?」
「……俺はもう決めてしまったので、貴女は諦めて下さい」
そう言って、ジャン様は笑いました。
久しぶりに見た、年相応の……屈託の無い笑顔で――――――――。
◇◆◇ ◇◆◇
当日、私の下へ現れたのは――ウェルス卿でした。
……いえ、これでよかったのでしょう。ジャン様の立場も責任も、私のわがままで損なうわけには参りません。土壇場で私の魔術が無効化したのかもしれません! ジャン様にご迷惑をおかけする事態にならず、本当によかった。
――これで、よかった………………………………………………。
家を出たのは、日が暮れかけた黄昏時でしたが、気付けば車窓の向こうは、宵の頃を過ぎ闇に暮れ始めていました。
「私がお送りしたドレスはお気に召しませんでしたか?」
「申し訳ございません。諸事情ありまして」
「そうですか。……ですが不思議ですね?
そのドレスは縫い目もなく見た事も無いほどに美しい生地で出来ている。
まるで……人間でないものが誂えた代物のように」
ご推察の通り、今私が身に纏っているのは精霊が作ったドレスです。彼から頂いたドレスは、パーツが多く複雑な構造をしており一人では着ることが困難な代物でした。ミントは自分が作ったドレスを着せたがっていたので、当然手伝いません。かといって奸物な使用人をミントとマクマが大暴れしている室内へ入れたらどうなるか……。
結果、ウェルス卿から頂いたドレスを反故にする形となりましたが、父は最後までそのことに気付きませんでした。手癖が悪すぎる使用人達を既に父は御せなくなっているようです。
大事になる前に、片付けるしかないのでしょうか。あの様子では、只クビにするだけでは後々我が家の醜聞になりかねませんが。
「君は――」
いよいよ彼が本題へ入りそうな雰囲気を醸し出したその瞬間、馬車が急停車をしました。馬が嘶く声が聞こえます。何かあったのでしょうか?
当初、彼は席に座ったまま、馭者とやり取りをしていましたが、埒が明かないと感じたのか、自らも周囲の様子を確認するために馬車を降りて行きました。
すると――。
『ヤな空気ぃ……もっと友好的にできないの? モニカぁ』
ウェルス卿と入れ違いに、椅子からぬっと呆れた様子のマクマが現れました。
「これ、アンタ達の仕業?」
『違います! あの子です!!』
続いて、何かに興奮した様子のミントが、虚空にポンッと現れました。
『モニカ、ちゃんと座ってないと怪我するよ?』
マクマの言葉に、どういう意味? と考える前に――――馬車が走り出しました! ……ウェルス卿と馭者をその場に置いて。
何事かと焦ったのは、一瞬でした。
前科有りなマクマが暢気であること、信頼と実績のあるミントの楽しげな様子、それらを鑑みるに相手は――――。
「強引な真似をしてしまい、申し訳ありませんでした。モニカ嬢」
不意に馬車が止まり現れたのはやはり――――ジャン様でした。
彼は闇に紛れるような、黒いビロードのスーツを身に纏っていました。そのスーツのどこにも派手な装飾はなく、加えて黒いハットを目深にかぶっているその様は、一見すると馭者のようにも見える装いです。
促されて馬車を降りてみればそこは礼拝堂でした。夜会の会場から少し離れた所にある、学園内の施設の一つです。
――なぜこのような場所に……?
「いくら何でも夜におかしな場所へお連れするわけにはいきませんからね。ここなら何かあっても『道に迷った』で済ませられる範囲内ですから」
ジャン様は、最終的にはその言い訳を無理矢理でも通すおつもりのようです。
「これは、何の明かりでしょう?」
「目立たないよう、小さな明かりのみを灯す予定だったのですが……??」
いつの間に礼拝堂の鍵を手に入れていたのか、礼拝堂へ入ると辺り一面が光り輝いていました。この光は何かしら? と思うより早く、大小様々な二足歩行する仔犬達が飛んでいることに気付きました。白やら茶色やらブチやら、大きさだけで無く種類も様々なようです。羽根も無いのに飛んでいますね。
これは……もしや…………。
『あの子は、<宙の光の精霊・パック>だよ。あの子にはね、個という概念がないんだ』
生態はよく分かりませんが……沢山の精霊がいるように見えますが、あくまで<宙の光の精霊>が一体いる、というのが正しい認識のようです。
ジャン様の当初の予定では、もっと小さな明かりの下で時を過ごす予定だったらしく、この明かりを訝しんでいます。
精霊の姿は見えていなくとも、光は見える……どういう原理なのでしょうか?
と思っている間にまた新しい精霊が現れてしまったらしく、周囲に音楽までかかり始めました……。
「――えっ?!」
ジャン様が驚いて周囲を見回しています。不審者を警戒しているのかもしれません……本当に申し訳ないです……なんと説明したらよいのでしょうか……。
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