クズは聖女に用などない!

***あかしえ

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第一部

43話 【ジャン】その2

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 周囲、そして己の身に何が起きたのか、一瞬分からなかった。

 床に押さえつけられていた体が、突如吹き荒れた突風と共に自由になっている。周囲の状況を確かめるため視線を彷徨わせれば、一部の貴族や衛兵が後方の壁に寄せ集められたかのように折り重なって気絶しているのが見えた。

 彼等に何があったのか、近づき確かめようとして、手に何か温かい動物の体温のようなものを感じた。振り返ると、大きな黒い馬が俺の直ぐ側にいる。

 金色の長く鋭い角、黒い枯れ枝のような不気味な羽根、靄のように揺れるたてがみ
 しかし、目の前の存在から感じるのは慈愛ではなく――破滅。
 怒りにも憎しみも一切何も感じさせないのに、対峙しているだけで圧倒的な恐怖と絶望がつま先からせり上がる。
 ……これが精霊?! まるで破壊神の化身……!

 ――これが、精霊だとしたら、モニカ嬢は?!



 壇上には国王陛下や教皇、そして殿下のみがいる。つい先程まで、そこにモニカ嬢がいたはずなのに……?!

「じっ、邪悪ですわっ!!! ほらご覧なさい!! 皆様見て! あれがあの娘の本性ですわっ!!!」
 明後日の方角から、震える姉の声が聞こえ振り返れば、声の主である姉上の前に、モニカ嬢がいた。
 そしてその傍らには――。

 ――黒く長い髪を床まで垂らし妖艶に微笑む、背中に蝶の様な羽根を持った見た目二十代半ばと思しき、全身黒ずくめの女性。
 ――全長二メートル以上はありそうな巨体に、獰猛な本性を連想させる鋭い鉤爪と、口元から覗く大きな金色の牙を持った、黒い狐。
 ――無数に虚空を舞う、大小様々な大きさの黒い四つ足の狼のような、何か。

 見た事も聞いたことも無いそれらを従えるようにして、モニカ嬢は姉上を一瞥した。だがそれだけだ。
 直ぐに興味を失ったように、また視線を彷徨わせる彼女に対し、姉上は見て分かるほどに、彼女に対し怯え取り乱している。なのにユーグ卿とフラン卿を盾にしながら、彼女に向かって尚も食ってかかる。

 姉上には、盾にされている二人が、恐怖のあまり失神寸前だということすら分からないのか。『真の友情で結ばれた正しき仲間』ではなかったのか。

「……かしましい」
 モニカ嬢は興味なさげにそう呟くと、埃を払うようにゆっくりと手を払った。同時に狼のような何かが姉上達に襲いかかる!


「止めろ!!!」
 ひとまず姉達の前に立ち、狼擬きの暴走を止めることには成功したが――。
「今更何のようだ、裏切りも――――――うわぁぁぁっ!」
「きゃあっ! ユーグ!」
 背後から連続で、間抜け且つ意味不明な罵声が上がったと思ったら、静かになった。ブローチを着け直していたからが起きたらしい……もう面倒見切れない。

「いやあ! 誰か! その子を!!! ――ひっ!!!」

 一番大きな狼が、姉上の首を今にもかみ切りそうにしていたので、俺が姉上に剣を突きつけた。
「ジ、ジャン? アンタどういうつもり?!」
 俺が相手で少しは勝ち気が戻ってきたようだ。だが、もう立ち上がるだけの気力は残っていないらしい。しかも『真の友』は二人とも既に夢の中だ。

「貴女は、少しは周囲の人間達を見て、状況を読み取る力を身につけた方が良い。
 ……があるならばの話ですが」
 姉上はそれきり何も言わなくなった。そう言えば、と思い出して上座におられる方々を見ると、教皇は祈祷、陛下は銷魂しょうこん、殿下は困却こんきゃくという…………。

 狼擬きは標的を姉上から俺に変えるかと思ったが、そうはならなかった。モニカ嬢の表情から、際だった感情の変化を読み取ることはできない。彼女はここにいる集団のを探るように、ゆっくりと視線を動かしている。
 彼女が従えているも、彼女と同じ様に周囲に目線を送っていた。

「へっ陛下! あれこそ邪悪! 神に仇なす者!」
 姉上が片付いたと思ったら、今度は製造元が粗相をしはじめた! どうやってるんだ我が家は!!!

【世ノ光成リシ者ヨ、――混沌ヨリ出デシ汝ガ敵ヲ……撃チ滅ボセ】

 モニカ嬢が神聖魔術を放った! うっかり殺りたくなる気持ちは分かるけれど、落ち着いてもらわないと。このまま感情に任せ、取り返しの付かないことをさせるわけにはいかない!
 ……我に返った後、彼女が何も感じないはずはないから。

 ――本能がもたらした予測だったのか――彼女が放つ神聖魔術は、聖剣で吸い取ることが可能なようだ! 危機が去れば再度、戯言を抜かし始める父をで眠らせ、モニカ嬢へ向き直る。


「モニカ嬢! しっかりして下さい! 一体どうしたんです?!」
「…………」

 正気を失っていると思ったわけじゃない。
 ただ、いつもと違う、激しく怒っている、己の無力を嘆いていると思った――――の俺のように。
 だから思わず彼女の腕を両手で掴み、至近距離で縋るように叫んでしまった。だが、直ぐに放さなければという思いと、放したら何をしでかすか分からない不安がせめぎ合い、結局動けなくなってしまった。

「姉上と父が、貴女に見当違いな痛罵つうばを浴びせたことは謝罪します。止められなかった俺の責任です、どんな責めも負います。だから、落ち着いて下さい!
 信じて下さい、貴女のことは、これからも俺が必ず守りますから……!」







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