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小学生編
十四(2020、秋)
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運動会の日は薄曇りだった。
晶は、朝からクラスメイトに遠巻きにされているのを感じていた。
理由は明白だった……
いじめられていた隼太を庇い、しかも職員室に呼び出されたからだ。視聴覚室送りになったことも、ひょっとしたら知れ渡っているのかもしれない。誰も晶とは目を合わさず、事務的なことで声をかけても、誰も返事を返さなかった。隼太は欠席していた。
ダンスのフォーメーションに並ぼうとして、晶は、愕然とした。
――自分のスペースが残されていなかった。
翼を広げるためには手が触れ合わないだけの距離が必要だというのに、前後の生徒がきっちりと並んでしまっているために自分の場所が確保できない。
「おい、なんで……」
晶が声に怒りをにじませた時、音楽が始まった。
全員が、翼化していく。タイミングを見失い、晶は出遅れた。音楽に合わせて、さっとクラスメイトたちが地を蹴り、飛び立った時、その土ぼこりの中に晶は取り残された。
目に土ぼこりが入り、涙が滲んだ。
(そうか。それがおまえたちのやり方か)
音楽が美しく鳴り渡った時、晶は、心を決めた。高まっていく音に合わせて、誰よりも美しく翼を形作っていく。規定のぎりぎりまで大きく伸びやかに。誰にも責められず、誰にも真似のできない完成度で、彼の翼は伸びた。
音楽の高まりとともに、彼は飛び立った。観客席のどよめきが聞こえた。彼は群れて飛ぶクラスメイトを追い越し、かるがると、空高く舞い上がった。
誰も追いつけない高さまで飛び上がり、決められた演技を最高の水準で見せつける。大きく回転すると、眼下にぎこちなく飛ぶクラスメイトが見えた。
(おまえたちはそこにいればいい。
いつまでもそうしていればいい。
……俺は、別のところへいく)
涙で濡れた顔に、ひりひりと冷たい風がしみた。
音楽が終わり、クラスメイトが着地していく。晶が、ゆっくりと地上に降り立ち、翼をたたんだ時、観客席からどっと歓声が起こった。
鳴りやまぬ拍手の中、晶は振り返り、担任席で棒のように立ち尽くしているるみこ先生を睨みつけた。
*
その日から、教室で晶に話しかけてくる生徒はいなくなった。
隼太もまた、教室で孤立していた。せめて彼と話したいと思って、晶は話しかけたが、隼太もまた彼によそよそしかった。
実際問題、隼太は誰とも話していないようだった。受血もしていないらしく、保健掛に「次も三十七度台だったら、謹慎ね」と冷たく言われる姿も見られた。
そしてそれは、他人事ではなく、受血の相手を失った晶も同様だった。肉親からの受血は、一時しのぎにしかならない。毎日の検温で、じわじわと体温が上がってくる。樹とも平日は会うことができず、晶は身を切られるような孤独を味わっていた。
ある放課後、一人足早に夕暮れの道を帰ろうとする隼太に、晶は追いついた。
「おい……隼太。ちょっと待てよ」
アノラックの袖を掴む。木枯らしが、隼太の伸びすぎた前髪を寒々しく吹き払った。それは、いつか樹と出会った田んぼ沿いの道だった。
晶は押し殺した声で言った。
「何で俺のこと避けるわけ?」
無言で、隼太は晶の手を振り払った。どこか遠くで焚き火をしているのか、冷たい風には灰の匂いが混じっていた。「おい、隼太! 俺、なんかおまえにした!?」
隼太は、ランドセルを鳴らして立ち止まった。のろのろと振り返る。晶を見返したとき、彼の顔は歪んだ。
「俺と……一緒にいないほうがいいよ」
「なんで!」
「俺のこと、助けたからじゃん……おまえ、酷い怪我をして……なのに、俺、何もできなくて。視聴覚室送りになったって聞いた」
隼太の両手は硬くジャージを握りしめ、震えていた。「俺のせいじゃん、全部……」
「おまえのせいじゃないよ!」
晶は鋭く言った。「啓介だろ、悪いのは」
「それでもさ……俺に関わらなきゃ、おまえ、今みたいにハブられてないだろ……俺に構わなきゃ、また元通りになるよ。だから、ほっとけよ」
「何いってんだよ、おまえ……」
晶は眉を寄せた。「そもそもおまえ、誰とも受血してないんじゃないの。保健掛に目をつけられてるぜ」
「いいんだ、もう……」
そう言った、隼太の眼は昏かった。「俺なんて、多分一生受血の相手なんて現れない。さっさとおしまいにしたほうがマシだ」
「は?!」
「飛べない陰キャ、友達ゼロ……なんて、ゴミだろ」
彼は低く嘯いた。「みっともなくあがいてみたって、どうせ、おそかれ早かれ、俺みたいなやつはうそりよだかに食われるだけなんだ……みんな、俺を忘れて、どうせ、何もなかったことにされるなら……それなら、せめて自分でそれを決めたいんだよ」
「おまえ、本気で言ってるのかよ」
怒りに、晶の声は歪んだ。「それじゃ、俺がおまえにしたことは、正真正銘ただのおせっかいだったってわけか」
「そうだよ!」
隼太は叫んだ。その眼に涙がきらめき、声は引き攣れた。
「もう、俺に構うなよ――これ以上、俺を惨めにしないでくれよ!!」
その時、風が、止んだ。
何か、甲高い……耳鳴りのような音が、空気を満たしている。
「うわっ……」耳を押さえて、隼太はうずくまった。
空は薄紫に黄昏れ、遠く、薄墨色に筑波山が霞んでいる。
影が覆いかぶさってくる。見えているものは普段の光景と何ら変わりないというのに、視界に紗がかかったように薄暗い。
「な……なに? 夜蟲?」
「いや……」
手足が冷え、呼吸が浅くなる。
見られている。
狙われている、何かに――
隼太が、小さく唾を飲み込んだ。
晶は、朝からクラスメイトに遠巻きにされているのを感じていた。
理由は明白だった……
いじめられていた隼太を庇い、しかも職員室に呼び出されたからだ。視聴覚室送りになったことも、ひょっとしたら知れ渡っているのかもしれない。誰も晶とは目を合わさず、事務的なことで声をかけても、誰も返事を返さなかった。隼太は欠席していた。
ダンスのフォーメーションに並ぼうとして、晶は、愕然とした。
――自分のスペースが残されていなかった。
翼を広げるためには手が触れ合わないだけの距離が必要だというのに、前後の生徒がきっちりと並んでしまっているために自分の場所が確保できない。
「おい、なんで……」
晶が声に怒りをにじませた時、音楽が始まった。
全員が、翼化していく。タイミングを見失い、晶は出遅れた。音楽に合わせて、さっとクラスメイトたちが地を蹴り、飛び立った時、その土ぼこりの中に晶は取り残された。
目に土ぼこりが入り、涙が滲んだ。
(そうか。それがおまえたちのやり方か)
音楽が美しく鳴り渡った時、晶は、心を決めた。高まっていく音に合わせて、誰よりも美しく翼を形作っていく。規定のぎりぎりまで大きく伸びやかに。誰にも責められず、誰にも真似のできない完成度で、彼の翼は伸びた。
音楽の高まりとともに、彼は飛び立った。観客席のどよめきが聞こえた。彼は群れて飛ぶクラスメイトを追い越し、かるがると、空高く舞い上がった。
誰も追いつけない高さまで飛び上がり、決められた演技を最高の水準で見せつける。大きく回転すると、眼下にぎこちなく飛ぶクラスメイトが見えた。
(おまえたちはそこにいればいい。
いつまでもそうしていればいい。
……俺は、別のところへいく)
涙で濡れた顔に、ひりひりと冷たい風がしみた。
音楽が終わり、クラスメイトが着地していく。晶が、ゆっくりと地上に降り立ち、翼をたたんだ時、観客席からどっと歓声が起こった。
鳴りやまぬ拍手の中、晶は振り返り、担任席で棒のように立ち尽くしているるみこ先生を睨みつけた。
*
その日から、教室で晶に話しかけてくる生徒はいなくなった。
隼太もまた、教室で孤立していた。せめて彼と話したいと思って、晶は話しかけたが、隼太もまた彼によそよそしかった。
実際問題、隼太は誰とも話していないようだった。受血もしていないらしく、保健掛に「次も三十七度台だったら、謹慎ね」と冷たく言われる姿も見られた。
そしてそれは、他人事ではなく、受血の相手を失った晶も同様だった。肉親からの受血は、一時しのぎにしかならない。毎日の検温で、じわじわと体温が上がってくる。樹とも平日は会うことができず、晶は身を切られるような孤独を味わっていた。
ある放課後、一人足早に夕暮れの道を帰ろうとする隼太に、晶は追いついた。
「おい……隼太。ちょっと待てよ」
アノラックの袖を掴む。木枯らしが、隼太の伸びすぎた前髪を寒々しく吹き払った。それは、いつか樹と出会った田んぼ沿いの道だった。
晶は押し殺した声で言った。
「何で俺のこと避けるわけ?」
無言で、隼太は晶の手を振り払った。どこか遠くで焚き火をしているのか、冷たい風には灰の匂いが混じっていた。「おい、隼太! 俺、なんかおまえにした!?」
隼太は、ランドセルを鳴らして立ち止まった。のろのろと振り返る。晶を見返したとき、彼の顔は歪んだ。
「俺と……一緒にいないほうがいいよ」
「なんで!」
「俺のこと、助けたからじゃん……おまえ、酷い怪我をして……なのに、俺、何もできなくて。視聴覚室送りになったって聞いた」
隼太の両手は硬くジャージを握りしめ、震えていた。「俺のせいじゃん、全部……」
「おまえのせいじゃないよ!」
晶は鋭く言った。「啓介だろ、悪いのは」
「それでもさ……俺に関わらなきゃ、おまえ、今みたいにハブられてないだろ……俺に構わなきゃ、また元通りになるよ。だから、ほっとけよ」
「何いってんだよ、おまえ……」
晶は眉を寄せた。「そもそもおまえ、誰とも受血してないんじゃないの。保健掛に目をつけられてるぜ」
「いいんだ、もう……」
そう言った、隼太の眼は昏かった。「俺なんて、多分一生受血の相手なんて現れない。さっさとおしまいにしたほうがマシだ」
「は?!」
「飛べない陰キャ、友達ゼロ……なんて、ゴミだろ」
彼は低く嘯いた。「みっともなくあがいてみたって、どうせ、おそかれ早かれ、俺みたいなやつはうそりよだかに食われるだけなんだ……みんな、俺を忘れて、どうせ、何もなかったことにされるなら……それなら、せめて自分でそれを決めたいんだよ」
「おまえ、本気で言ってるのかよ」
怒りに、晶の声は歪んだ。「それじゃ、俺がおまえにしたことは、正真正銘ただのおせっかいだったってわけか」
「そうだよ!」
隼太は叫んだ。その眼に涙がきらめき、声は引き攣れた。
「もう、俺に構うなよ――これ以上、俺を惨めにしないでくれよ!!」
その時、風が、止んだ。
何か、甲高い……耳鳴りのような音が、空気を満たしている。
「うわっ……」耳を押さえて、隼太はうずくまった。
空は薄紫に黄昏れ、遠く、薄墨色に筑波山が霞んでいる。
影が覆いかぶさってくる。見えているものは普段の光景と何ら変わりないというのに、視界に紗がかかったように薄暗い。
「な……なに? 夜蟲?」
「いや……」
手足が冷え、呼吸が浅くなる。
見られている。
狙われている、何かに――
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