生まれる前から一緒の僕らが、離れられるわけもないのに

トウ子

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打算的なオメガはお嫌いですか?

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「こちらへどうぞ」

当然のような顔で僕を先導する使用人に、僕もまた何食わぬ顔でついていった。
なんとなく、分かっていた。
こうなるのだろうということは。

「いらっしゃい、悠さん」

バスローブ一枚だけを身に纏い、グラスを片手にしどけなくソファに腰掛けるのは、先ほど不機嫌に退室したはずの十和子だ。
今はとても満足げに、そして、当然のように笑っている。

「もう、待ちくたびれてしまいましたわ。アルファを待たせるなんて、いけないオメガですこと」

躾けてあげなくては、と嘯いて、十和子は僕に微笑む。
普通の人間ならきっとうっとりと、見惚れてしまいそうなほどに綺麗な笑みだ。
僕は、諦念を深めただけだったけれども。

「こちらへいらっしゃい」

グラスを持っていない方の手で、まるで犬を呼ぶかのように招かれて、素直に足を進める。
ここまできて拒んだり、渋ったりするのは、愚かにもほどがある。
世の中、諦めと引き際が肝心だ。

「ふふ、最初からおとなしく、そうしていればよかったのに」

上機嫌に笑みを深めて、十和子は僕の手を掴んで引き寄せた。
引かれるままに柔らかな胸の中に倒れ込めば、十和子の肌からは甘い石鹸の香りがした。
肌にまとわりつく髪は、まだしっとりと湿っていて色めかしい。
そして、ふわりとたちのぼる、興奮したアルファのフェロモン。
先ほどまで浴びていた雪那のフェロモンに勝るとも劣らない純度と濃度に、『アルファとしての格』という言葉を思い出す。
けれど、それだけではない。
僕の脳髄に侵食し、本能を剥き出しにさせる暴力的なほどのこの芳香は、特別に異常なもの。

これがお前の番だという刻印が、僕の運命に焼き付けられているのだ。
この体を炎で焼き尽くしたとしても、きっとこの本能は燃え尽きやしないのだろう。
なんとも絶望的なことだ。

「十和子さんは、悪い薬みたいな、頭がおかしくなる匂いがしますね」
「酷い比喩ですこと」

愉快そうに声を上げて笑って、十和子は陶然と目を細める。

「私も、こんなに甘くておいしそうな坊や、初めてよ。一度でも牙を立てたら、とたんに中毒になりそうだわ」
「わぁ、痛そう」
「痛みも快感のうちよ」

嗜虐的な愉悦を感じさせる十和子のじんねりとした眼差しに、僕はふっと笑った。

「それは楽しみですね」

獲物を見る目で僕を見る十和子に、僕は食われることを望んでいるのかもしれない。
いっそ魂まで噛み砕いてくれたら良い。
そうすれば、もう一度生まれる前からやり直せるのに。

失いつつある理性の中で、破滅的な思考が浮かんでは消えていく。

「本当になんて……なんておいしそうなのかしら」

高揚したような震え声で、熱い息を吐く十和子が、僕の前髪をかき上げようとする。
焦らすように十和子の指先をかわして、柔らかな体にしなだれかかるように体をよせ、女性にしてはしっかりとした肩に頭を乗せた。

「あれ?僕は醜いのでは?汚い傷など、見たくないでしょう?」

つい最近、十和子に言われた言葉を蒸し返すと、十和子は「うふふ」と舌舐めずりするような声で笑った。

「この醜い傷と綺麗な肌のコントラストが、味わい深いようにも思えてきたわ」
「それは……随分と、趣味の悪い」
「ふふっ」

嘲笑うように吐き捨てた僕に、十和子が笑う。
余裕のない目の奥には、明らかな発情と興奮。

「早く味合わせてちょうだいな、私のワンちゃんぼうや
「……お望みのままに、飼い主マスター







深く沈み込むベッド。
開いたままのカーテン。
性急に剥ぎ取られた衣服。
巻き付けられたままの包帯。
透き通るような肌に走る傷の跡。
純白のシーツの上に散らばる黒髪。
恥じらいもなく部屋を照らす蛍光灯。

服を着込んだままの十和子に寝台に押し倒された僕は包帯以外を身につけていない。
酷く倒錯的だな、と頭の片隅で嗤う声がする。

「甘い肌だこと」

涙と汗を舐めとる分厚い舌は、肌が溶けそうな熱さで、獲物を喰らった後の狼のように赤々としている。

「オメガというのは、ずいぶんとたくさんの蜜を溢すのねぇ……」

笑いまじりの声が僕の体の反応を揶揄しながら、あらゆる場所から快楽の種を無理矢理に芽吹かせる。

「ココだけは綺麗なままで良かったわ……」
「あっ」

声をあげまいと堪えていても、うなじを舐められた時だけは、どうしても耐えきれなかった。

恐れと、怒りと、諦めと、そして、わずかな期待。

無理矢理に誘発されたヒートの、思考を放り出したくなるような圧倒的な欲情と興奮の中で。
入り乱れる様々な感情を押し隠し、僕は十和子を挑発するように笑った。

「これからどうせ歯型がつくのにに、気になるんですか?」
「ええ、もちろん。汚い傷跡なんてあったら、噛む気が失せるじゃない?」

ぺろり、ぺろりと噛む場所を選ぶように、舌が肌の上を蠢く。
噛みつかれる前の、番なしでいられた僕は、少なくともこの時は、固く決意していた。

「私の牙の痕以外は、つけちゃダメよ?」
「……ええ、僕も、本当は綺麗な肌が好きなので」

いつかこいつの歯型を皮膚ごと剥ぎ取ってやると。





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