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始動
水底の住人
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昔から人付き合いは苦手な方だった。上手く話せないで億劫に思うようになった訳ではないものの、考えてもみれば今まで他人の気を逆撫でてばかりいる自分がいた。
どうにも上手くこなせなていない事実から目を背けたい。そんな思いばかりではなく、独りごちに浸るしかなかった移動が終わりを告げたのだった。
樹津郊外の都市開発跡地には、以前のような活気が戻っていた。しかし路肩を埋めるのは工事業者の重機ではなく、報道各局のロケ車ばかり。中途半端に整備された街路を埋めるのも記者がほとんど。大仰なカメラを担いだ男たちが頻りに映そうとしているのは例の廃ビルばかり。
沙羅はそんな人集りを避けるように反対の歩道を歩き進める。似たような小ぶりの街路樹が立ち代わり視界を遮る途中、その目は注意深くビルの様子を伺う。
最終的には十数階かそれ以上を計画されていたであろう廃ビルも、今は八階部分までしかその原型を留めず、それよりも上は骨組みの鉄骨が思い思いに天を目指すのみ。それ以上に悲惨なのは、やはり一階部分だった。
元より廃材が置きっ放しになっていたであろう吹き抜けの空間には、あちらこちらに変形した鉄骨やら木材の破片が飛散している。コンクリートの柱は所々に亀裂が走り、中には半壊も同然の姿の物まであった。
危険ですので。どこかの局員がさらに近付いた画を撮ろうとしたのだろう。現場を見張っている警官の怒号がこちらの方まで聞こえてくる。局員の例に倣ってではないが、沙羅も少々の落胆を覚える。
何ら手掛かりもなく始めることを余儀なくされた反社会魔術組織の調査は、出だしから難色を強めている。万里子から聞いた話では、白黒と衝突した魔術師は元々ノッカーと繋がっていたらしく、現場に赴けば何らかの取っ掛かりを得られるだろうと踏んでいた為、どうにもこの喧騒は望むところではなかった。
途方に暮れたいところではあるが、ここへ赴いたのにはもうひとつの理由が沙羅にはあった。
賑わいを見せていた場所から少し歩くと、記憶にある品の良さを未だ保ちつつそのマンションは在った。大理石調のエントランスが待ち構えるその前、歩道と車道とを隔てたガードレールに手を触れる。
「懐かしいな……アイツ、締め出されてここに座ってたっけ」
空虚な胸の隙間に風が通った。愁いの情が沙羅の目頭を熱くさせる。が、目は潤むことを許さない。今はまだ、その時ではない。哀愁に浸る権利を得ていない現状、自分にはその感情を吐き出すことなど到底に出来ようもない。悲痛さは糧となり、沙羅の足をエントランスへと運ぶ。
オートロック式のガラス戸を開ける番号は当然に心得ている。今も尚、番号は変わることはなかった。微小な稼働音と共にガラス戸が左右へとスライドして行く。
高級ホテルのロビーを思わせるエントランスを抜け、エレベーターへと至った沙羅は慣れた所作で最上階である十八階のボタンを押す。こんな感覚にもいちいち懐かしさが付いて回る。
エレベーターが目的の階へ着き、沙羅は濃紺のカーペットが敷かれたエレベーターホールを後にしてドアが列挙する廊下を進む。目的の場所はこの最奥に位置する。
大仰に過ぎない金の枠に縁取られた黒いドアを開けると、やや埃くささが混じる懐かしい匂いが鼻先を掠める。
「ただいま」
聴き手が居ないと分かってはいても暫くドアを開けた状態で待ってしまうのは、時間の逆行という有り得る余地もない奇跡を願ってのことだったのか。そんな思慮を鼻で笑い、沙羅は玄関へ進んだ。
リビングへと続く短い廊下のフローリングには、その先から射る光に当てられて表出した薄い埃の層が悪目立ちをする。が、構いもせずに沙羅は突き進む。その先に待つであろう手掛かりを求めて。
リビングへ至った沙羅は、代わり映える筈もないその様相にどこかホッと息を吐き、目的の箇所へと一直線に迫る。テレビ台と収納とを兼ねた黒一色のインテリアへと。
一見すると単なる台でしかないそれは、右側面に備わる隠れたスイッチを押すことによって正面の板が自動で開く仕組みになっている。本当に隠匿したい物を隠すにはややお粗末にして陳腐な代物に過ぎないが、沙羅にとっては同居人を欺く働きさえこなしてくれれば構わなかった。
開き切った先にはさらに黒革のフォルダケースが収まる簡素な箱が収められており、沙羅はその箱を取り出して中のフォルダケースの内のひとつを無作為に摘まみ出し、中に収まる数枚の紙束の一枚目だけに目を通す。「違う」
そんな作業を二、三回と続けた後、求めていた代物と邂逅を果たした。書面の右上には顔写真が印され、左にはその写真に写る人物の簡易的なプロフィールが記されている。
煤井叶恵。元はフランス人形のように大きいであろう二つの目は鋭くこちらを睨むように細められている。シャープな輪郭を覆うように縁取られた黒髪はボブに近い。レイアウトが履歴書に近しい形を取られているのも合わさり、このままどこかの芸能事務所にでも送れば充分に返事のひとつは期待できるであろう美人に違いなかった。
沙羅はそのまま下へと続く文章を読み進める。
魔術組織ノッカー在籍の魔術師。数年前から警察に殺人の容疑を向けられるも、証拠不十分で不起訴を繰り返す。組織内では殺人に関する依頼を主に引き受けていると思われる。主要な方陣術式の詳細は不明。過去に対魔術師戦を行った際、発火系の発現を目撃したとの情報あり。
魔術組織ノッカー概要。所属魔術師の総数は不明。幹部と思しき三人は宇津木翔人、森里拓真、煤井叶恵の三名。北関東中心に活動していたが、最近になり南関東へと拠点を移した模様。テロや殺人などの依頼を外部から受注する形での活動を主としている。尚、我が社の魔術師が森里拓真を処理した経緯もあり、現在は主だった活動を見せていない。
書面をひと通り目にした沙羅は鬱屈とした気分のまま顔を上げた。胸に嫌な感覚が宿るのは、この部屋の埃っぽさばかりではないのだろう。立ち上がると、煤井叶恵に関する書類が収まるフォルダケースだけを残して後は元通りに戻す。
行きの際に無意識に避けていた廊下の途中にある木扉がふと目に付いてしまう。閉め切ったままの扉の前で足を止め、ドアノブに手を掛ける。ひと呼吸おいてドアを開けると、ここで誰かが生活していたのが信じ難い程に殺風景で空虚な空間が広がる。
部屋の隅に綺麗に畳まれた布団の塊。彼女の為に拵えた小ぶりな書斎机の上には数冊の本と写真立てがひとつあるのみ。壁際に掛かったままのハンガーが余計に沙羅の内の空虚さを膨張させる。
「ごめん」
その場に崩れ落ちそうになる衝動を謝罪の言葉に変え、なんとか踏み止まる。
こんな一言では到底に収まるような事態でないことを承知で、しかしそれ以外の方法も見当たらず、沙羅は小さな呟きだけを残して懐かしさばかりが溢れ返る部屋を後にするのだった。
*
煤井叶恵の消息は暫く前から掴めない。聞いた話では別組織の魔術師に消されたらしい。それならそれで構わない。煤井叶恵を消した魔術師共々、私が捕まえてやるだけのこと。午後の柔い陽射しとは裏腹に、樹津市内のオフィス街を行く清川瀬奈の心中は対して穏やかさとは無縁だった。
寮から駅まで続く道を行くには嫌でもこのオフィス街を抜けて行くしかなく、先刻の出来事を経た瀬奈にとって、些細であっても他人と接点を持ってしまうのは煩わしい事この上ないものに違いなかった。
向こうからやって来るレディスーツ姿の二人の女性らが、互いに微笑を浮かべながら談笑を楽しんでいるのがふと目に付く。
相棒だし。そのとき何故か脳裏によぎった沙羅の顔を思考から追い出すように、瀬奈は軽く目を瞑ってその女性たちとのすれ違い際を視界から排した。
孤独を愛する人間でなくとも、付き合う相手を選ぶ自由は誰にでも備わる権利である。例え属する組織の指示であったとしても、絶対遵守は憚れて然るべきだ。瀬奈の歩速がやや早まる。
駅まで着くとそのまま財布をかざして改札を抜ける。雑踏や雑音が集中する場所は決して好みではない。が、目的遂行の為であればこそ、拒んでいる場合ではない。
電車がホームに辿り着くまでの数刻、瀬奈は自身の犯している咎の裁量を測って過ごした。協会への忠誠は人並みにあれど、忠犬には至らない。喩え尻尾を生やしていようとも、決して振ることはない。それが自分のスタンスだ。そう嘯く瀬奈はノッカーに関する重要な情報を得ていたにもかかわらず、その報告を上司である万里子へあげていない。故意に怠ったのである。
万里子への不信感は少し前から募っていた。職務への怠惰な姿勢は時折に覗く程度。そこは素直に尊敬もしている。が、決定的に自身の指標とズレている箇所があった。その最たるものこそが白河沙羅の勧誘。
使える人材を見出す行為自体を悪とは断じない。しかし誰彼構わずあまつさえ、あの様に魔術師である自覚を著しく排している人間を組織に引き入れることを正しいとは認め難い。故も知れない野良の魔術師であれば、過去にどんな行為に及んでいたのかも、想像するに余りある。
詰まる所、瀬奈は万里子への信頼感を完全に失くしていたのだった。
電車がホームへ侵入して来ようとするアナウンスを耳にした瀬奈は、閉じていた目を開け、それまでの思考をほんの少しの間だけ頭から外した。
今し方に行なっている行為が協会への裏切りであるのであれば、それと同じように万里子も罰せられるべきである。喩えこちらに正義が無くとも、この悪を以って不正を行った上司を道連れに出来るのであれば、これは必要悪に違いない。
大義名分という名の気休めを胸の内に秘め、視界を過って行く電車が停止するのを待ち、乗り上げる。
ここより先に待つのが賞賛でなくとも構わない。悲願の一片でも遂げられるのであればそれ幸いに。遂げるに至らずも、その後を誰かが継いでくれれば良い。私は私の正義を貫く。ただ、それだけだ。
どうにも上手くこなせなていない事実から目を背けたい。そんな思いばかりではなく、独りごちに浸るしかなかった移動が終わりを告げたのだった。
樹津郊外の都市開発跡地には、以前のような活気が戻っていた。しかし路肩を埋めるのは工事業者の重機ではなく、報道各局のロケ車ばかり。中途半端に整備された街路を埋めるのも記者がほとんど。大仰なカメラを担いだ男たちが頻りに映そうとしているのは例の廃ビルばかり。
沙羅はそんな人集りを避けるように反対の歩道を歩き進める。似たような小ぶりの街路樹が立ち代わり視界を遮る途中、その目は注意深くビルの様子を伺う。
最終的には十数階かそれ以上を計画されていたであろう廃ビルも、今は八階部分までしかその原型を留めず、それよりも上は骨組みの鉄骨が思い思いに天を目指すのみ。それ以上に悲惨なのは、やはり一階部分だった。
元より廃材が置きっ放しになっていたであろう吹き抜けの空間には、あちらこちらに変形した鉄骨やら木材の破片が飛散している。コンクリートの柱は所々に亀裂が走り、中には半壊も同然の姿の物まであった。
危険ですので。どこかの局員がさらに近付いた画を撮ろうとしたのだろう。現場を見張っている警官の怒号がこちらの方まで聞こえてくる。局員の例に倣ってではないが、沙羅も少々の落胆を覚える。
何ら手掛かりもなく始めることを余儀なくされた反社会魔術組織の調査は、出だしから難色を強めている。万里子から聞いた話では、白黒と衝突した魔術師は元々ノッカーと繋がっていたらしく、現場に赴けば何らかの取っ掛かりを得られるだろうと踏んでいた為、どうにもこの喧騒は望むところではなかった。
途方に暮れたいところではあるが、ここへ赴いたのにはもうひとつの理由が沙羅にはあった。
賑わいを見せていた場所から少し歩くと、記憶にある品の良さを未だ保ちつつそのマンションは在った。大理石調のエントランスが待ち構えるその前、歩道と車道とを隔てたガードレールに手を触れる。
「懐かしいな……アイツ、締め出されてここに座ってたっけ」
空虚な胸の隙間に風が通った。愁いの情が沙羅の目頭を熱くさせる。が、目は潤むことを許さない。今はまだ、その時ではない。哀愁に浸る権利を得ていない現状、自分にはその感情を吐き出すことなど到底に出来ようもない。悲痛さは糧となり、沙羅の足をエントランスへと運ぶ。
オートロック式のガラス戸を開ける番号は当然に心得ている。今も尚、番号は変わることはなかった。微小な稼働音と共にガラス戸が左右へとスライドして行く。
高級ホテルのロビーを思わせるエントランスを抜け、エレベーターへと至った沙羅は慣れた所作で最上階である十八階のボタンを押す。こんな感覚にもいちいち懐かしさが付いて回る。
エレベーターが目的の階へ着き、沙羅は濃紺のカーペットが敷かれたエレベーターホールを後にしてドアが列挙する廊下を進む。目的の場所はこの最奥に位置する。
大仰に過ぎない金の枠に縁取られた黒いドアを開けると、やや埃くささが混じる懐かしい匂いが鼻先を掠める。
「ただいま」
聴き手が居ないと分かってはいても暫くドアを開けた状態で待ってしまうのは、時間の逆行という有り得る余地もない奇跡を願ってのことだったのか。そんな思慮を鼻で笑い、沙羅は玄関へ進んだ。
リビングへと続く短い廊下のフローリングには、その先から射る光に当てられて表出した薄い埃の層が悪目立ちをする。が、構いもせずに沙羅は突き進む。その先に待つであろう手掛かりを求めて。
リビングへ至った沙羅は、代わり映える筈もないその様相にどこかホッと息を吐き、目的の箇所へと一直線に迫る。テレビ台と収納とを兼ねた黒一色のインテリアへと。
一見すると単なる台でしかないそれは、右側面に備わる隠れたスイッチを押すことによって正面の板が自動で開く仕組みになっている。本当に隠匿したい物を隠すにはややお粗末にして陳腐な代物に過ぎないが、沙羅にとっては同居人を欺く働きさえこなしてくれれば構わなかった。
開き切った先にはさらに黒革のフォルダケースが収まる簡素な箱が収められており、沙羅はその箱を取り出して中のフォルダケースの内のひとつを無作為に摘まみ出し、中に収まる数枚の紙束の一枚目だけに目を通す。「違う」
そんな作業を二、三回と続けた後、求めていた代物と邂逅を果たした。書面の右上には顔写真が印され、左にはその写真に写る人物の簡易的なプロフィールが記されている。
煤井叶恵。元はフランス人形のように大きいであろう二つの目は鋭くこちらを睨むように細められている。シャープな輪郭を覆うように縁取られた黒髪はボブに近い。レイアウトが履歴書に近しい形を取られているのも合わさり、このままどこかの芸能事務所にでも送れば充分に返事のひとつは期待できるであろう美人に違いなかった。
沙羅はそのまま下へと続く文章を読み進める。
魔術組織ノッカー在籍の魔術師。数年前から警察に殺人の容疑を向けられるも、証拠不十分で不起訴を繰り返す。組織内では殺人に関する依頼を主に引き受けていると思われる。主要な方陣術式の詳細は不明。過去に対魔術師戦を行った際、発火系の発現を目撃したとの情報あり。
魔術組織ノッカー概要。所属魔術師の総数は不明。幹部と思しき三人は宇津木翔人、森里拓真、煤井叶恵の三名。北関東中心に活動していたが、最近になり南関東へと拠点を移した模様。テロや殺人などの依頼を外部から受注する形での活動を主としている。尚、我が社の魔術師が森里拓真を処理した経緯もあり、現在は主だった活動を見せていない。
書面をひと通り目にした沙羅は鬱屈とした気分のまま顔を上げた。胸に嫌な感覚が宿るのは、この部屋の埃っぽさばかりではないのだろう。立ち上がると、煤井叶恵に関する書類が収まるフォルダケースだけを残して後は元通りに戻す。
行きの際に無意識に避けていた廊下の途中にある木扉がふと目に付いてしまう。閉め切ったままの扉の前で足を止め、ドアノブに手を掛ける。ひと呼吸おいてドアを開けると、ここで誰かが生活していたのが信じ難い程に殺風景で空虚な空間が広がる。
部屋の隅に綺麗に畳まれた布団の塊。彼女の為に拵えた小ぶりな書斎机の上には数冊の本と写真立てがひとつあるのみ。壁際に掛かったままのハンガーが余計に沙羅の内の空虚さを膨張させる。
「ごめん」
その場に崩れ落ちそうになる衝動を謝罪の言葉に変え、なんとか踏み止まる。
こんな一言では到底に収まるような事態でないことを承知で、しかしそれ以外の方法も見当たらず、沙羅は小さな呟きだけを残して懐かしさばかりが溢れ返る部屋を後にするのだった。
*
煤井叶恵の消息は暫く前から掴めない。聞いた話では別組織の魔術師に消されたらしい。それならそれで構わない。煤井叶恵を消した魔術師共々、私が捕まえてやるだけのこと。午後の柔い陽射しとは裏腹に、樹津市内のオフィス街を行く清川瀬奈の心中は対して穏やかさとは無縁だった。
寮から駅まで続く道を行くには嫌でもこのオフィス街を抜けて行くしかなく、先刻の出来事を経た瀬奈にとって、些細であっても他人と接点を持ってしまうのは煩わしい事この上ないものに違いなかった。
向こうからやって来るレディスーツ姿の二人の女性らが、互いに微笑を浮かべながら談笑を楽しんでいるのがふと目に付く。
相棒だし。そのとき何故か脳裏によぎった沙羅の顔を思考から追い出すように、瀬奈は軽く目を瞑ってその女性たちとのすれ違い際を視界から排した。
孤独を愛する人間でなくとも、付き合う相手を選ぶ自由は誰にでも備わる権利である。例え属する組織の指示であったとしても、絶対遵守は憚れて然るべきだ。瀬奈の歩速がやや早まる。
駅まで着くとそのまま財布をかざして改札を抜ける。雑踏や雑音が集中する場所は決して好みではない。が、目的遂行の為であればこそ、拒んでいる場合ではない。
電車がホームに辿り着くまでの数刻、瀬奈は自身の犯している咎の裁量を測って過ごした。協会への忠誠は人並みにあれど、忠犬には至らない。喩え尻尾を生やしていようとも、決して振ることはない。それが自分のスタンスだ。そう嘯く瀬奈はノッカーに関する重要な情報を得ていたにもかかわらず、その報告を上司である万里子へあげていない。故意に怠ったのである。
万里子への不信感は少し前から募っていた。職務への怠惰な姿勢は時折に覗く程度。そこは素直に尊敬もしている。が、決定的に自身の指標とズレている箇所があった。その最たるものこそが白河沙羅の勧誘。
使える人材を見出す行為自体を悪とは断じない。しかし誰彼構わずあまつさえ、あの様に魔術師である自覚を著しく排している人間を組織に引き入れることを正しいとは認め難い。故も知れない野良の魔術師であれば、過去にどんな行為に及んでいたのかも、想像するに余りある。
詰まる所、瀬奈は万里子への信頼感を完全に失くしていたのだった。
電車がホームへ侵入して来ようとするアナウンスを耳にした瀬奈は、閉じていた目を開け、それまでの思考をほんの少しの間だけ頭から外した。
今し方に行なっている行為が協会への裏切りであるのであれば、それと同じように万里子も罰せられるべきである。喩えこちらに正義が無くとも、この悪を以って不正を行った上司を道連れに出来るのであれば、これは必要悪に違いない。
大義名分という名の気休めを胸の内に秘め、視界を過って行く電車が停止するのを待ち、乗り上げる。
ここより先に待つのが賞賛でなくとも構わない。悲願の一片でも遂げられるのであればそれ幸いに。遂げるに至らずも、その後を誰かが継いでくれれば良い。私は私の正義を貫く。ただ、それだけだ。
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