白と黒

河野マサ

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深層

暗転と変転

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 清川きよかわ瀬奈せなの足取りを鈍らせるのは、最悪な未来を想像してしまう自分自身の頭だった。
 予め不測の事態を想定し、凡ゆる打開策を講じておくことの有用性はしかし、反面に行動意欲の妨げにも繋がってしまう。加えて、瀬奈は良くない想定を捻り出すことに困らない才覚を持ち合わせていた。
 敵対する魔術組織の全体像は未だ掴めずにいる。把握している以外の魔術師が存在した場合、対魔術師戦に於いてこちらの勝算は限りなく零に等しくなるのは自明の理。それにこちらは孤立無援。自らが望んだこととは言え、後悔が先に立つことはない。後になってから悔いることこそが後悔なのだから。
 不毛とも思える思考の巡りは、樹津市の隣りに位置する字網じもう市の字網駅を降りて以来ずっとの事。しかし、続いた住宅街の道を抜けて暫く行った先に広がりだした工業地帯を機に、瀬奈の思考はある一考へと絞られた。
 呪詛である。自身でもそう揶揄してしまう程に、瀬奈は魔術師を相手にしなければならない場面に直面する度、繰り返し心の内で唱え続ける言葉がある。

「私の家族を奪ったんだ……私の家族を奪ったんだ」

 幼い日の光景が脳裏にフラッシュバックする。暗室。二人の死体。暗がりの向こうに見える小さな人影。
 忌まわしき日の記憶は、今も瀬奈の脳裏に褪せることなく鮮明に刻まれ続けていた。忘れた日は愚か、忘れた瞬間すらも存在はしない。
 見上げて然るべき白璧の倉庫やらが立ち並ぶ細い歩道を進む。時折、すぐ横を抜けて行く大型のトラックのけたたましさも、今ばかりは有難い。騒音に気を向けると幾らか不安が薄まる。
 やがて、横目を過ぎて行く白璧の建物たちの数が減って行く。それに伴いトラックの間隔もだいぶ長くなる。道幅が増えてきた。その時、心拍が急速に早まる。
 先日、半ば強引な手法で問い質した野良魔術師から聞いた特徴に合致する建物が視界に映ったからだった。工業地帯に溶け込むようにして建つネズミ色の外壁に書かれた『旭野あさひの第一倉庫』の文字。間違いはなかった。
 急く思いとは裏腹に、歩速は緩めて神経を尖らせる。些細な変化も見逃さないように倉庫とその周囲を眺め見ながら近付いて行く。
 入り口の鉄門は閉ざされていたが、乗り越えるのは容易な高さ。中の駐車場には一台の黒い車が停まっている以外、他になにもない。塀に身を被せ、周囲を確認する。
 工業地帯のかなり深いところまで進んできた為、車道も歩道もひと気は皆無だった。幸いに思ったのも束の間、瀬奈は駆け出した際の勢いを活かして門の上部に手を掛けて飛び越える。
 着地と同時に周辺へ気を向かわせる。人影は依然としてない。三つある搬入口のシャッターはいずれも閉め切ったまま経年劣化した様子が見受けられる。倉庫として使われなくなって久しいのだろう。
 車の方へ近付く。ベンツだろうか。黒いボディには新車のような高級感漂う光沢が備わる。停めきりに遭っている様子はなく、先刻まで乗られていたであろうことが分かる。
 ノッカーの人間か、それとも別口の人間か。いずれにせよ、今この倉庫内に忌むべき相手がいる。身体中の血液が高熱を帯び始めた。


  *


 在りし日の記憶に埋没しかけた宇津木の自意識は、獲物が餌にかかったことを報せる右腕のチクリと針を刺したような鋭痛によって呼び戻される。やれやれ。気怠げに席を立った。頼みますよ。
 宇津木の声に呼応するように、暗室に明かりが灯る。白色の人工灯は寿命が近いのか、未だ長い間隔で明滅を繰り返す。明暗の境に照らし出されるのは、血気盛んを絵に描いたような、艶やかな色調のスーツを着崩した猪首の男が三人。

「承知でしょうが、くれぐれもすぐに殺すようなことは控えて下さい。どこの組織の人間か確かめる必要があるので」

 宇津木が告げると、土堂会つちどうかいの若頭である阿藤あとうが大して面白げもない様子で言う。「愚問だ」
 結構です。宇津木は内心シラけた気分のまま再び腰を下ろした。得難いことではあるものの、そして今更に願ったところで遅さの過ぎることではある。が、人の死に触れるのには辟易としている。森里の死を目の前にしたショックは、思いのほか甚大だった。
 元は生きて行く為に必要なことのみを行っていければ良かった。指定暴力団からの依頼を受けるのも、テロ組織からの依頼を受けるのも、直接的に人の死に触れない範疇に留めていた。が、いつしか叶恵の制御が利かなくなっていった。
 思えば、初めて出会ったときから叶恵が人間として欠陥品であることは理解していた。大事な部分のパーツが外れているか、壊れているかしていた。だが、恩人である事実に変わりはなかった。それだけが頼みの綱だった。叶恵を同じ人間として接して行く為の。
 いまさらか。倉庫内に設置した監視カメラの映像が映し出されたモニターに目をやりながら、宇津井は目頭を指で押さえた。警戒心を露わにする滑稽なネズミの姿がくっきりとモニターに映っている。
 女か。阿藤の低く地を這うような声が短く響く。次いで阿藤の連れのひとりが下卑た声音で言う。上玉だ。
 宇津木のシラけた気分は加速度を増す。未来ある若い女の命を刈り取らなければならないのか。再度、画面が切り替わったモニターに大映しとなった侵入者の顔を見るや、またしても憂いが募る。叶恵と大差ない歳の頃だった。
 対して見るのはこの女性に失礼かもしれないが、と宇津木は思わずに思慮してしまう。叶恵と違って人らしく生きられるのであれば、どうしてそうしないのか。何故、自らこんな暗部を進むのか。もっと人間らしい生き方を選ぶべきだろうに、何故。
 阿藤が席を立つ。「行くぞ」
 「うしっ」連れのスキンヘッドが息巻きながら首を回す。もう一方の剃り込みの男は寡黙を貫いて腕組みをする。
 頼もしい限りだ。宇津木は気持ちとは裏腹の言葉を吐き捨てた。



  *


 樹津第一支部の三階に位置する魔術師の待機部屋に不穏な空気が蔓延った。今し方にやって来たひとりの女性が原因だった。
 白の長い裾丈のシャツは右の肩口に自ら破いたように見えるダメージ加工が施されており、腹部には可愛らしくデフォルメされたハート型の目をしたドクロが居座っている。シャツの裾尾から伸びた二本の細くて長い素足は艶めかしく、右はすぐに白と黒の横縞のソックスに覆われて隠れてしまうが、左の方はアシンメトリーを意識したデザインなのか、ソックスはブーツの先から僅かに覗く程度で伸び切っている。
 来客の出で立ちは到底、魔術師には見えない。かと言って非魔術師員にも見えない。であるならば、風変わりな魔術師である可能性が高いのだろう。部屋の入り口で両手を腰に当てて仁王立つ女性を見やる桜園さくらぞの美尋みひろは、そう考察した。
 女性の半歩後ろでおずおずとしている男の方には見覚えがある。ここの協会員である生井うぬいだ。

「ノッカーについて情報を持ってる人間がいたら名乗り出て」

 女性は声高にそう告げてから「今すぐに」と付け加える。
 面白そうな子、発見。美尋の悪癖が疼きだす。手を高らかに挙げる。「はーい」間の抜けた自分の声が静まり返った室内に響いた。
 すかさず、女性が早足で近付いてくる。
 「おい」ひとりの魔術師の男が後ろを過ぎて行く女性を呼び止めようと腰を浮かせる。美尋はそれを手で制すると、目前に迫った女性をやや見上げる形で出迎える。「初めまして」

「アナタが仕事に不熱心な魔術師?」

 いきなりの挨拶だ。美尋は想定外の返しに面喰らった。が、それも一瞬の出来事に過ぎない。対峙する女性から溢れ出るバイタリティを見るに、ここへ来るよりも先に支部長室へ乗り込んだのは目に見えていた。しかも、支部長とまともに会話を交わしたであろう事実も今の発言で推察できた。
 いったい何者なんだ。美尋は俄然、目の前の女性への興味が湧いてきた。

「不熱心とは聞き捨てなりませんな。こう見えても、ここの室長補佐って肩書きなんだけど」

 「知らないわよ」ぴしゃりと言い切るや、太々しい表情のまま腕組みをして居直る。「急いでるの」
 そんな取っ付きにくさに、悪癖の疼きは強まる一方だった。「私はそうでもないんだよね」
 すると、女性の顔に分かり易く青筋が浮かんだのが見えた。太々しかった顔つきは鋭さを現し、胸に芽生えた憤りを包み隠さず表出してくる。「喧嘩売ってんの?」
 一触即発の臭いを感じ取ったのか、生井が慌てた様子で女性を制する。「落ち着いて下さい」その様はまるで彼女の付き人も同然に思える。
 美尋はなおも刃先を向けられているような睨みを利かせてくる女性に対して観察を続行しようとしたものの、より面白そうな方向性を見出し、自分から折れることにした。「冗談だって」笑みを浮かべて見せ、とりあえず女性が抜いた刃を納めさせる。話はそれからだ。
 短気ではあるものの、短絡的ではない。こちらの意図を汲み取ったのか、女性の表情から鋭さが薄れる。完全にその鋭利さを消さない辺り、駆け引きにも慣れていると見える。面白い。

「最初に言っておくけどさ、本来のわたしの仕事は主に警察方面からの引き継ぎが大半なんだよ。あっちで裁き切れない魔術絡みの案件を引き継ぐ。それが主な仕事」

 話題の切り口がお気に召さなかったのか、女性の顔に歪さが垣間見える。しかし、口を挟んで来ようとしない。思ったよりも利口だ。それに頭の回転も早い。美尋の内での女性の評価は加速度を増して上がって行く。

「お察しの通りだけど、わたしが貴女に伝えられる情報はヒラの連中の情報。だからこそ職務怠慢には当たらない」

 ヒラ。魔術師界隈を裏と喩えた場合に用いる表社会を表す隠語である。当然、生井にも通じている筈だと思ったのだが、こちらは予想に反して小首を傾げたそうな顔を晒している。
 まあいいか。肝心な来訪者に伝わっていれば問題はない。そう判断して美尋は話を続けた。その際、視線を外して室内の方を一瞥したが、こちらの様子を眺めている魔術師はいなかった。聞き耳を立てている者がいるかどうかの判別まではさすがに叶わないが、聞かれて困るような話をする気は毛頭にない。第一、ヒラの話に興味を持つような輩が居ないことは把握済みだった。

「土堂会と呼ばれる指定暴力団の幹部の中にね、魔術に関して興味を持ってる人間がいる。どこで魔術の存在を知ったかは知る由もないけどね。まあ、指定暴力団なんて呼び方される今の日本での彼らの肩身の狭さは語るまでもないでしょ」

 言わんとすることを汲んだであろう女性は、鼻で一笑した。「魔術なら犯罪を立証できない」
 ああっ。女性の背後で納得したように声を漏らす生井の滑稽さは、そろそろ止まる所を知らなくなってきた。美尋は半ば呆れの情を抱きつつ女性に向き直る。

「件の幹部がよく打ち合わせに使う廃倉庫の場所を幾つか聞いてるんだけどさ。関東圏だけで北に南と数こそ少ないものの、ひとつひとつがいちいち離れてると来てる。無駄に慎重なタイプって奴だね、うん」

 美尋は自身で言って、腕を組んで頻りに頷いてみせる。

「近場から潰していけばいい。ノッカーの活動拠点がこっちに移ってるらしいし」

 最もな意見ではある。美尋は頷きを止めたままの体勢で上目遣いに女性を見やる。「貴女が潰したいのは土堂会?」
 意外な表情を浮かべて女性は固まった。今し方に自分が伝えたのはあくまで土堂会の幹部に関する情報のみである。この情報だけを頼りにノッカーへと至るのは無理な話に違いない。その事実に女性が至らなかったというのは、ややマイナス要素である。

「指定暴力団相手に魔術で無双したいのならまあ、止めはしないけどさ。それが貴女の目的じゃないのであれば、勇み足を踏むには未だ早いんじゃない?」

 こちらの真の狙いに気付いたのか、女性の顔に再び鋭さが露出する。「アンタのテストに付き合ってる暇はない」
  美尋は自身の内に浮上してきた愉快さを口から漏らしながら応える。「安心して」そして笑みを絶やさずに続けた。及第点には達したから。
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