指導係は捕食者でした

でみず

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 僕がうろたえて言葉も出ずにいると、獅堂さんは小さく笑った。そう、あれは笑みと呼べるものだった――いつも一切感情を表に出さない彼が、確かに唇の端をわずかに上げたのだ。部下を見下すような冷酷な笑みというよりは、何かを愛おしんでいるような、そんな温度のある表情だった。

「……もちろん、無理にとは言わない。嫌なら遠慮なく拒否してもらっていい。けど、できれば……少しでもいいから、俺に時間を割いてくれないか。たとえば食事に行ったり、週末に散歩したり、友人同士でやるようなことで構わない」
「……そ、そんな、でも……」
「怖がらせてすまない。けど、このまま黙っていると俺の気持ちがつらいんだ」

 その言葉に、僕は息を呑んだ。まさか彼の口から“つらい”という感情が語られるとは思わなかった。まるで鋼鉄のように冷たく硬い印象の彼が、そんな人間らしい悩みを抱いているというのは意外だった。僕は混乱しながらも、

「わかりました……」

 と、ただそれだけ答えた。答えというよりは、その場をやり過ごすための弱々しい返事だ。でも、いまの僕にはそれが精一杯だった。強面の教育係に告白され、戸惑い以外の何者でもない。すべてを断りきるだけの度胸も理由もない。関係を壊したら、ますます仕事がしづらくなる。結局、流されるままに「嫌です」と言えないまま、僕たちはそれぞれのコーヒーに口をつけた。
 それからの数日は、正直まったく仕事に集中できなかった。プライベートで会う話が、社内で周囲にバレることはあるだろうか。そもそも会社での上下関係がある相手と、仕事終わりや休日に連絡をとり合うなんて考えられない。ましてや狙われているのは僕。頭の中では幾度となく断るシミュレーションをする。が、勇気が湧かない。
 “同じ部署で指導をしてもらっている”という強い縛りが、僕の言葉を奪うのだ。仕事のことでわからないところがあれば、彼に相談しないといけないし、彼が評価を書き込む書類もある。忖度だとしても、反抗すれば自分の首を絞める結果になりかねない。そういう打算を頭に巡らせてしまう自分に、嫌悪感すら覚える。まるで現実味のない夢を見ているようだ。
 しかしながら、獅堂さんはそれ以上、僕を仕事の場では追い詰めてこなかった。まるで何事もなかったかのように、以前と同じように指導を続けている。彼が感情をコントロールできる人であることはわかっていたが、この状況でここまで完璧に切り替えられるとは驚きだった。それはそれで怖い。何を考えているのか掴めず、好意を隠したまま普段通りに接してくる。それによって、仕事中は余計に神経をすり減らし、プライベートの時間も彼からの連絡が来ないかとビクビクしてしまう始末。
 そんなある日の夕方、ちょうど定時を迎えたころ、僕のスマホにメッセージが届いた。送信元を見るまでもなく、獅堂さんからだと直感した。実際、開いてみると案の定で、そこにはわずか数行、まるで業務連絡のような短い文章が並んでいた。

「明日の夜、よければ俺と食事に行かないか。用事があるなら遠慮なく断ってくれ」

 断りたい、けれど断れない。身体は強張り、胃がきしむ。だが、ありきたりな言い訳をひねり出すのも気が引ける。仕事の関係を考えると、今後何度も誘いを受ける可能性がある。「断る」という行為が、自分にとってどれほどのリスクを伴うのかを天秤にかけているうちに、返信文が打てなくなる。そうして逡巡した挙げ句、結局「わかりました」とだけ書いて送ってしまった。
 こうして、僕と彼の“プライベートな時間”は、唐突に決まった。
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