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第十八章 静かな異変
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第十八章 静かな異変
ひよりの家のリビングは、夕暮れの光が差し込んで、ほんのりとオレンジ色に染まっていた。
昼間の用務員室での出来事が、まだ全員の胸に重くのしかかっている。
テーブルの上には、ひよりの母が出してくれた麦茶とお菓子が並んでいたが、誰も手をつけようとしなかった。
「……どうする? このままじゃ、いくらなんでも不利すぎる」
響が低くつぶやく。
「考えなきゃな、次の手を。……でも、なんか頭まわんねぇ」
佑真も、どこか放心したような顔で、ソファにもたれている。
誰もが焦っていた。
そして、怖れていた。
次に何が起こるのか、それが自分に及ぶのか。
そのとき――
「……っ!」
駿のスマホが突然震えた。
全員がその音に反応して、一瞬、空気が張り詰めた。
駿は画面を見て、眉をひそめる。
「母さんから……」
言いながら応答し、立ち上がって部屋の隅に移動する。
「……うん……うん、わかった。どこの病院?……うん……すぐ行く」
短いやりとりのあと、駿は沈んだ顔で戻ってきた。
「どうしたの?」
ひよりが不安そうに尋ねた。
「……親父が会社で倒れたって。救急車で運ばれたらしい。意識はあるけど、検査で入院するって。今、母さんがついてる」
「……え、大丈夫なの?」
佑真と響も心配そうに顔を上げた。
「まだ詳しくわかんない。けど……とにかく、行ってこようと思う。母さん一人だし」
「そりゃそうだ。行ってやれよ」
ひよりの母親がすっと立ち上がった。
「駅まで送ろうか?」
「いえ、大丈夫です。 駅近いんで走っていきます。……ごちそうになってすみません」
「そんなのいいの。また戻ってきなさいね」
「……ありがとうございます」
駿は深く頭を下げ、玄関に向かった。
ひよりたちは、その背中をただ黙って見送った。
ドアが閉まる音が、やけに大きく響いた。
響がぼそっと言う。
「結城くんの親父さん……大丈夫かな」
「そうだな、心配だけど…駿がついてれば…」
佑真がつぶやく。
「うん……でも、なんか……」
ひよりは言葉を切った。
「なに?」
「……ううん。なんでもない。きっと、大丈夫」
誰も、その時点では気づいていなかった。
“あの駿”が、ほんとうに――**最後の“駿”**だったかもしれないことに。
駿が家を出ていったあとは、どこか部屋の空気が軽くなったような、でも同時にぽっかりと穴が空いたような、不思議な空気が漂っていた。
そのままの流れでリビングに戻った3人に、ひよりの母が顔を覗かせる。
「はいはーい、お待たせ! 今日は焼肉よ! しかも和牛の霜降り!」
「えっ、ほんとに!? そんな豪華な……」
「そりゃそうよ、今日は“合宿始まって1週間”ってことでしょ? そろそろガッツリを欲してるかと思って。 食べ盛りの若者だもんね!」
ホットプレートの上に次々と並べられる牛肉、ピーマン、玉ねぎ、ウィンナー。食欲を刺激する匂いが一気に部屋を満たした。
響と佑真の目が輝く。
「うまそー!!」
「焼肉とか久しぶりだ……!」
箸を手に、焼けていく音に耳を傾けると、自然と笑みが浮かんでくる。
そこに、ひよりの母がさりげなく口を開いた。
「でも残念ねぇ。せっかく奮発してイケメンくんの分も用意してたのに」
「……イケメンくん?」
ひよりがツッコミを入れる。
「駿くんよ! あんな整った顔、テレビに出れるわよ? あれで性格まで優しいんだから、もー完璧!」
「お母さん、またそうやって……しかも、駿くんって。なんか馴染んじゃってるし」
「なによ、あんたが一番ドキドキしてたくせに~。チャンスなんだから、ものにしなさいよ! ひよりが彼女になっても全然アリでしょ?」
「やめてよっ! 食事中に変なこと言わないで!!」
真っ赤になったひよりを見て、佑真が吹き出した。
「わははっ、やべー、この家、最高だな……」
「ちょ、佑真も笑うな!」
「だってよぉ、佐倉マジでわかりやすいし」
響は、焼けたウィンナーを箸でつまみながら、ほんの少しだけ笑った。
「でも、こういうの……なんか、いいね。安心する」
その一言に、全員が一瞬黙ったあと、また笑いが弾ける。
焼肉の匂いと、焦げたタレの香りが、夏の夜に滲んでいた。
——ほんのひとときの、静かな夜。
嵐の前の、あまりにも穏やかな時間だった。
深夜のリビングは静かだった。
カーテン越しに街灯のオレンジ色が柔らかく差し込み、テーブルの上のグラスが淡く光を返している。
ひより、佑真、響の三人は、ホットミルクを飲みながら、言葉少なに作戦を練ろうとしていた。けれど、どうしても集中できない。昼間の恐怖が、まだ身体の芯にこびりついていた。
「ただいま」
その声に、三人が一斉に顔を上げた。
「……駿!」
「おかえり!大丈夫だったの?」
「うん。親父、倒れたって言っても軽い過労らしくてさ。明日には退院できるって言われた」
駿はそう言って、安心させるように笑った。
「母さんに、“お前は戻っていい”って言われたから、急いで来た」
「そっか……よかった……」
ひよりは安堵と同時に、どこか小さな違和感を覚えた。
(……?)
なにかが……少しだけ、違う。
たとえば、その笑い方。
以前の駿は、もう少し不器用に笑っていた気がした。
それに、扉を開けて入ってきたとき、靴を置く音が――なんだか妙に静かだった。まるで、音を立てないように“気をつけていた”みたいに。
「ほら、これ」
駿が、コンビニの袋を差し出した。
「おまえら疲れてるだろ?甘いもん買ってきた。プリン、あんドーナツ、シュークリーム」
「おお、神かよ!」
「やば、あんドーナツとか懐かしい!」
佑真と響が喜ぶ中、ひよりはふと眉をひそめた。
(結城くんって……甘い物、苦手じゃなかったっけ?)
そう――前にどら焼きを差し出したとき、「あんこ苦手なんだ」ってはっきり言っていたはず。
それを気づいていた自分に、どこか優しげに微笑んでくれたのも覚えている。
……なのに。
「佐倉、食べないの?」
駿が、にこりと笑って問いかける。
「……あ、うん。ありがとう。ちょっと、あとで食べる」
ひよりは曖昧に笑って、目を伏せた。
(気のせい、だよね……?)
けれど、胸の奥に、針で突かれたような不安が残っていた。
彼は本当に、あの結城くんなんだろうか――
そんな考えが浮かんだ自分が怖くて、ひよりはそれ以上は追わなかった。
その夜は、ただ静かに過ぎていった。
だが――
この夜が、すべての始まりだった。
ひよりの家のリビングは、夕暮れの光が差し込んで、ほんのりとオレンジ色に染まっていた。
昼間の用務員室での出来事が、まだ全員の胸に重くのしかかっている。
テーブルの上には、ひよりの母が出してくれた麦茶とお菓子が並んでいたが、誰も手をつけようとしなかった。
「……どうする? このままじゃ、いくらなんでも不利すぎる」
響が低くつぶやく。
「考えなきゃな、次の手を。……でも、なんか頭まわんねぇ」
佑真も、どこか放心したような顔で、ソファにもたれている。
誰もが焦っていた。
そして、怖れていた。
次に何が起こるのか、それが自分に及ぶのか。
そのとき――
「……っ!」
駿のスマホが突然震えた。
全員がその音に反応して、一瞬、空気が張り詰めた。
駿は画面を見て、眉をひそめる。
「母さんから……」
言いながら応答し、立ち上がって部屋の隅に移動する。
「……うん……うん、わかった。どこの病院?……うん……すぐ行く」
短いやりとりのあと、駿は沈んだ顔で戻ってきた。
「どうしたの?」
ひよりが不安そうに尋ねた。
「……親父が会社で倒れたって。救急車で運ばれたらしい。意識はあるけど、検査で入院するって。今、母さんがついてる」
「……え、大丈夫なの?」
佑真と響も心配そうに顔を上げた。
「まだ詳しくわかんない。けど……とにかく、行ってこようと思う。母さん一人だし」
「そりゃそうだ。行ってやれよ」
ひよりの母親がすっと立ち上がった。
「駅まで送ろうか?」
「いえ、大丈夫です。 駅近いんで走っていきます。……ごちそうになってすみません」
「そんなのいいの。また戻ってきなさいね」
「……ありがとうございます」
駿は深く頭を下げ、玄関に向かった。
ひよりたちは、その背中をただ黙って見送った。
ドアが閉まる音が、やけに大きく響いた。
響がぼそっと言う。
「結城くんの親父さん……大丈夫かな」
「そうだな、心配だけど…駿がついてれば…」
佑真がつぶやく。
「うん……でも、なんか……」
ひよりは言葉を切った。
「なに?」
「……ううん。なんでもない。きっと、大丈夫」
誰も、その時点では気づいていなかった。
“あの駿”が、ほんとうに――**最後の“駿”**だったかもしれないことに。
駿が家を出ていったあとは、どこか部屋の空気が軽くなったような、でも同時にぽっかりと穴が空いたような、不思議な空気が漂っていた。
そのままの流れでリビングに戻った3人に、ひよりの母が顔を覗かせる。
「はいはーい、お待たせ! 今日は焼肉よ! しかも和牛の霜降り!」
「えっ、ほんとに!? そんな豪華な……」
「そりゃそうよ、今日は“合宿始まって1週間”ってことでしょ? そろそろガッツリを欲してるかと思って。 食べ盛りの若者だもんね!」
ホットプレートの上に次々と並べられる牛肉、ピーマン、玉ねぎ、ウィンナー。食欲を刺激する匂いが一気に部屋を満たした。
響と佑真の目が輝く。
「うまそー!!」
「焼肉とか久しぶりだ……!」
箸を手に、焼けていく音に耳を傾けると、自然と笑みが浮かんでくる。
そこに、ひよりの母がさりげなく口を開いた。
「でも残念ねぇ。せっかく奮発してイケメンくんの分も用意してたのに」
「……イケメンくん?」
ひよりがツッコミを入れる。
「駿くんよ! あんな整った顔、テレビに出れるわよ? あれで性格まで優しいんだから、もー完璧!」
「お母さん、またそうやって……しかも、駿くんって。なんか馴染んじゃってるし」
「なによ、あんたが一番ドキドキしてたくせに~。チャンスなんだから、ものにしなさいよ! ひよりが彼女になっても全然アリでしょ?」
「やめてよっ! 食事中に変なこと言わないで!!」
真っ赤になったひよりを見て、佑真が吹き出した。
「わははっ、やべー、この家、最高だな……」
「ちょ、佑真も笑うな!」
「だってよぉ、佐倉マジでわかりやすいし」
響は、焼けたウィンナーを箸でつまみながら、ほんの少しだけ笑った。
「でも、こういうの……なんか、いいね。安心する」
その一言に、全員が一瞬黙ったあと、また笑いが弾ける。
焼肉の匂いと、焦げたタレの香りが、夏の夜に滲んでいた。
——ほんのひとときの、静かな夜。
嵐の前の、あまりにも穏やかな時間だった。
深夜のリビングは静かだった。
カーテン越しに街灯のオレンジ色が柔らかく差し込み、テーブルの上のグラスが淡く光を返している。
ひより、佑真、響の三人は、ホットミルクを飲みながら、言葉少なに作戦を練ろうとしていた。けれど、どうしても集中できない。昼間の恐怖が、まだ身体の芯にこびりついていた。
「ただいま」
その声に、三人が一斉に顔を上げた。
「……駿!」
「おかえり!大丈夫だったの?」
「うん。親父、倒れたって言っても軽い過労らしくてさ。明日には退院できるって言われた」
駿はそう言って、安心させるように笑った。
「母さんに、“お前は戻っていい”って言われたから、急いで来た」
「そっか……よかった……」
ひよりは安堵と同時に、どこか小さな違和感を覚えた。
(……?)
なにかが……少しだけ、違う。
たとえば、その笑い方。
以前の駿は、もう少し不器用に笑っていた気がした。
それに、扉を開けて入ってきたとき、靴を置く音が――なんだか妙に静かだった。まるで、音を立てないように“気をつけていた”みたいに。
「ほら、これ」
駿が、コンビニの袋を差し出した。
「おまえら疲れてるだろ?甘いもん買ってきた。プリン、あんドーナツ、シュークリーム」
「おお、神かよ!」
「やば、あんドーナツとか懐かしい!」
佑真と響が喜ぶ中、ひよりはふと眉をひそめた。
(結城くんって……甘い物、苦手じゃなかったっけ?)
そう――前にどら焼きを差し出したとき、「あんこ苦手なんだ」ってはっきり言っていたはず。
それを気づいていた自分に、どこか優しげに微笑んでくれたのも覚えている。
……なのに。
「佐倉、食べないの?」
駿が、にこりと笑って問いかける。
「……あ、うん。ありがとう。ちょっと、あとで食べる」
ひよりは曖昧に笑って、目を伏せた。
(気のせい、だよね……?)
けれど、胸の奥に、針で突かれたような不安が残っていた。
彼は本当に、あの結城くんなんだろうか――
そんな考えが浮かんだ自分が怖くて、ひよりはそれ以上は追わなかった。
その夜は、ただ静かに過ぎていった。
だが――
この夜が、すべての始まりだった。
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