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第二十二章 静止する時間のなかで
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第二十二章 静止する時間のなかで
第一話
白く沈んだ病室に、淡い朝の光が差し込む。
カーテンの隙間から漏れる光は無機質で、空間のすべてを無言で照らしていた。
「失礼します」
スリッパの音とともに、主治医と看護師が病室に入ってくる。
白衣の裾が揺れ、医師がベッドに近づく。
「変化なしか?」
「はい。意識はないままです」
看護師が淡々と答える。
医師はカルテをめくりながら、ふとため息をこぼす。
「もう……何年になるかな?」
「ここに入院して、もうすぐ4年です」
「そうか……もう、そんなに経つか」
医師の目がどこか遠くを見ている。
「両親は……たまには来るのか?」
「年に一度がいいところかと」
わずかに眉をひそめながら、看護師が言う。
医師は黙って頷き、カルテを閉じた。
「そうか。じゃあ……あとは頼むよ」
そう言い残し、病室をあとにする。
ベッドの上の由梨は、まぶた一つ動かさず、まるで深い眠りの中にあるかのようだった。
しかし——その“内側”では、明確な意識が息づいていた。
(私はここにいる。意識も、記憶も、ちゃんとあるのに……)
ゆるやかに揺れる、内なる海。
重く沈んだ闇の水面に、一筋の波紋が生まれる。
そこに立っていたのは、白いワンピースを着た少女――ユリ。
顔立ちは自分とそっくり。でも、目が違う。
どこまでも深く、静かで、凍りつくような黒。
「……あなた?」
声を出すと、夢が濃くなる。現実から遠ざかる。
けれど、そこに確かに“何か”が存在していた。
「久しぶりね」
ユリは微笑んだ。その声音は、奇妙に優しい。
「ここは……夢?」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
でもあなたはずっとここにいた。
忘れないで。私は、あなたから生まれたの」
その言葉に、微かな違和感が走る。
脳の奥で、何かが“気づこう”としている。
「あなた……まさか……」
由梨の声が、かすれた。
「何を?」
「現実に……存在してるの?」
息を呑む。口にした途端、世界の輪郭が軋んだ。
ユリはふわりと笑う。
「ねえ、知ってる?
この世界は、あまりに曖昧なの。
夢と現実の境界なんて、いつも脆い」
「……あなたが、人を……殺した?」
由梨は恐る恐る訊ねる。まだ確信には届かない。だが、心の奥では何かがざわついている。
「さあ。
でも……あのとき、あなたは願った。
“こんな世界、壊れてしまえばいい”って。
“誰かが罰を与えてくれればいい”って」
「そんな……」
由梨の足が、かすかに揺らぐ。
「私は、あなたのその“願い”に応えたのよ。
あなたが閉じた目の代わりに見て、
塞いだ口の代わりに叫び、
縛られた手足の代わりに、動いた」
「でも……それは……」
由梨の視界に、遠い断片がよぎる。
新聞記事の断片。遠くで聞こえたニュース。
知っているはずのない現実の“死”の影。
ユリの目がわずかに細められる。
「ねえ、由梨。
あの義父を憎まなかった?
お前を守らなかった母親を?
口だけの教師を?
沈黙を選んだクラスメイトを?」
「……憎かった。今でも……」
「だったら、壊して当然。
許されないのは、向こう。
私たちじゃない」
「……でも……」
由梨の喉が詰まり、言葉が続かない。
なにか、大切なものが胸の内で崩れていく感覚。
(本当に……この子は……?)
ユリが一歩、近づく。
「私はもう、“あなたの夢”なんかじゃない。
“あなたの分身”ですらない。
私は私。白鷺ユリ。
あなたが生んだ――けれどもう、あなたとは別の“命”よ」
その言葉に、はっきりとした確信が、由梨の中に落ちていく。
(この子は、現実にいる。
私が、絶望の中で産み落とした“何か”。
私の憎しみが形になって、現実を生きてしまった……)
「ごめんなさい」
由梨はぽつりと呟いた。
「もしあなたが本当に、私から生まれたのなら……
私は、あなたを止めなくちゃいけない」
ユリの瞳が、冷たく細められる。
「ふふ。止める? どうやって?
あなたに何ができるの?
寝たきりで、声も出せず、体すら動かせない。
……そんなあなたが、私を?」
「……だから、お願い。
これ以上、人を殺さないで。
私の夢を、血で塗り潰さないで」
その瞬間、ユリの表情に、わずかな動揺が走った。
「あなたがいてくれたから、私はここまで来られた。
ひとりぼっちじゃなかった。
暗闇で、あなたが手を握ってくれた。
だからこそ、もう……終わりにしよう」
ユリは目を伏せ、何かを拒むように首を振る。
「終わり……? わたしは……そんなの、嫌」
けれど、その言葉とは裏腹に、
その輪郭はぼやけ、溶けていく。
「ありがとう、ユリ。
あなたは、私の……たった一人の……」
由梨がそう言ったとき、
ユリは涙のようなものをひとつ、こぼして消えた。
――病室では、心電図の音が、わずかに波形を崩し始めていた。
第二話
カーテンが重く閉ざされた部屋。
淡いランプの灯りが室内をぼんやり照らし、空気はよどんだ静寂を湛えていた。
「きっと彼らは来るわ」
ユリがぽつりと呟いた声が、部屋に落ちるように響く。
佐々木と花園が向かいのソファに座っていたが、花園が身を乗り出して訊ねる。
「……しかし、どうするんですか? あの子たち、そう簡単には罠にかからないはずです」
ユリは何も答えず、淡く微笑むだけだった。
その笑みは喜びとも怒りともつかず、ただ何かを見通す者のそれ。
「ここで彼らは、入れ替わって私の“僕”となるのよ」
ユリの声は静かだったが、その響きには一切の迷いがなかった。
「それ以外にある?」
と、まるで当然の結末を語るように言う。
佐々木が黙ってユリの表情を見つめ、花園は言葉に詰まる。
「……しかし、警戒している彼らが、そんな簡単に捕まるでしょうか?」
「そうね。簡単じゃないわ」
ユリは目を細める。
その目の奥には、冷たい炎のような執念が燃えていた。
「だからこそ、あなたたちにやってもらいたいことがあるの」
椅子からすっと立ち上がったユリが、手招きをする。
「こっちに来て」
佐々木と花園が立ち上がり、ユリの方へゆっくりと歩み寄る。
ユリの表情はもう、少女のものではなかった。
それはまるで、深淵から現れた者のように——
“この世界の秩序を塗り替える者”の顔だった。
第一話
白く沈んだ病室に、淡い朝の光が差し込む。
カーテンの隙間から漏れる光は無機質で、空間のすべてを無言で照らしていた。
「失礼します」
スリッパの音とともに、主治医と看護師が病室に入ってくる。
白衣の裾が揺れ、医師がベッドに近づく。
「変化なしか?」
「はい。意識はないままです」
看護師が淡々と答える。
医師はカルテをめくりながら、ふとため息をこぼす。
「もう……何年になるかな?」
「ここに入院して、もうすぐ4年です」
「そうか……もう、そんなに経つか」
医師の目がどこか遠くを見ている。
「両親は……たまには来るのか?」
「年に一度がいいところかと」
わずかに眉をひそめながら、看護師が言う。
医師は黙って頷き、カルテを閉じた。
「そうか。じゃあ……あとは頼むよ」
そう言い残し、病室をあとにする。
ベッドの上の由梨は、まぶた一つ動かさず、まるで深い眠りの中にあるかのようだった。
しかし——その“内側”では、明確な意識が息づいていた。
(私はここにいる。意識も、記憶も、ちゃんとあるのに……)
ゆるやかに揺れる、内なる海。
重く沈んだ闇の水面に、一筋の波紋が生まれる。
そこに立っていたのは、白いワンピースを着た少女――ユリ。
顔立ちは自分とそっくり。でも、目が違う。
どこまでも深く、静かで、凍りつくような黒。
「……あなた?」
声を出すと、夢が濃くなる。現実から遠ざかる。
けれど、そこに確かに“何か”が存在していた。
「久しぶりね」
ユリは微笑んだ。その声音は、奇妙に優しい。
「ここは……夢?」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
でもあなたはずっとここにいた。
忘れないで。私は、あなたから生まれたの」
その言葉に、微かな違和感が走る。
脳の奥で、何かが“気づこう”としている。
「あなた……まさか……」
由梨の声が、かすれた。
「何を?」
「現実に……存在してるの?」
息を呑む。口にした途端、世界の輪郭が軋んだ。
ユリはふわりと笑う。
「ねえ、知ってる?
この世界は、あまりに曖昧なの。
夢と現実の境界なんて、いつも脆い」
「……あなたが、人を……殺した?」
由梨は恐る恐る訊ねる。まだ確信には届かない。だが、心の奥では何かがざわついている。
「さあ。
でも……あのとき、あなたは願った。
“こんな世界、壊れてしまえばいい”って。
“誰かが罰を与えてくれればいい”って」
「そんな……」
由梨の足が、かすかに揺らぐ。
「私は、あなたのその“願い”に応えたのよ。
あなたが閉じた目の代わりに見て、
塞いだ口の代わりに叫び、
縛られた手足の代わりに、動いた」
「でも……それは……」
由梨の視界に、遠い断片がよぎる。
新聞記事の断片。遠くで聞こえたニュース。
知っているはずのない現実の“死”の影。
ユリの目がわずかに細められる。
「ねえ、由梨。
あの義父を憎まなかった?
お前を守らなかった母親を?
口だけの教師を?
沈黙を選んだクラスメイトを?」
「……憎かった。今でも……」
「だったら、壊して当然。
許されないのは、向こう。
私たちじゃない」
「……でも……」
由梨の喉が詰まり、言葉が続かない。
なにか、大切なものが胸の内で崩れていく感覚。
(本当に……この子は……?)
ユリが一歩、近づく。
「私はもう、“あなたの夢”なんかじゃない。
“あなたの分身”ですらない。
私は私。白鷺ユリ。
あなたが生んだ――けれどもう、あなたとは別の“命”よ」
その言葉に、はっきりとした確信が、由梨の中に落ちていく。
(この子は、現実にいる。
私が、絶望の中で産み落とした“何か”。
私の憎しみが形になって、現実を生きてしまった……)
「ごめんなさい」
由梨はぽつりと呟いた。
「もしあなたが本当に、私から生まれたのなら……
私は、あなたを止めなくちゃいけない」
ユリの瞳が、冷たく細められる。
「ふふ。止める? どうやって?
あなたに何ができるの?
寝たきりで、声も出せず、体すら動かせない。
……そんなあなたが、私を?」
「……だから、お願い。
これ以上、人を殺さないで。
私の夢を、血で塗り潰さないで」
その瞬間、ユリの表情に、わずかな動揺が走った。
「あなたがいてくれたから、私はここまで来られた。
ひとりぼっちじゃなかった。
暗闇で、あなたが手を握ってくれた。
だからこそ、もう……終わりにしよう」
ユリは目を伏せ、何かを拒むように首を振る。
「終わり……? わたしは……そんなの、嫌」
けれど、その言葉とは裏腹に、
その輪郭はぼやけ、溶けていく。
「ありがとう、ユリ。
あなたは、私の……たった一人の……」
由梨がそう言ったとき、
ユリは涙のようなものをひとつ、こぼして消えた。
――病室では、心電図の音が、わずかに波形を崩し始めていた。
第二話
カーテンが重く閉ざされた部屋。
淡いランプの灯りが室内をぼんやり照らし、空気はよどんだ静寂を湛えていた。
「きっと彼らは来るわ」
ユリがぽつりと呟いた声が、部屋に落ちるように響く。
佐々木と花園が向かいのソファに座っていたが、花園が身を乗り出して訊ねる。
「……しかし、どうするんですか? あの子たち、そう簡単には罠にかからないはずです」
ユリは何も答えず、淡く微笑むだけだった。
その笑みは喜びとも怒りともつかず、ただ何かを見通す者のそれ。
「ここで彼らは、入れ替わって私の“僕”となるのよ」
ユリの声は静かだったが、その響きには一切の迷いがなかった。
「それ以外にある?」
と、まるで当然の結末を語るように言う。
佐々木が黙ってユリの表情を見つめ、花園は言葉に詰まる。
「……しかし、警戒している彼らが、そんな簡単に捕まるでしょうか?」
「そうね。簡単じゃないわ」
ユリは目を細める。
その目の奥には、冷たい炎のような執念が燃えていた。
「だからこそ、あなたたちにやってもらいたいことがあるの」
椅子からすっと立ち上がったユリが、手招きをする。
「こっちに来て」
佐々木と花園が立ち上がり、ユリの方へゆっくりと歩み寄る。
ユリの表情はもう、少女のものではなかった。
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