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19 エルランドからの賓客
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王家主催の今シーズン最初の夜会まであと三日というところでエルランドから賓客がやってきた。
彼らはエルランド王国からの新任の大使で、ヘンリックは謁見室で出迎えた後は王宮での晩餐に誘ったのだが、彼らが自分たちは国賓でもないのにかしこまった場所は止めて欲しいと固辞したので、ヘンリックとローゼリアの客人として王太子宮に招く事となった。
ヘンリックに連れられて王子宮を訪れた彼らを出迎えたのはローゼリアだった。
「お久し振りです妃殿下」
そう言ってローゼリアと同じ歳の若い大使は頭を下げる。
「ここではそのような堅苦しい呼び方は止めて下さるかしら。あなたが私をそのように呼ぶのでしたら私もピオシュ公爵令息様とお呼び致しますわ」
ローゼリアがそう言った途端、相手は苦笑いを浮かべる。
「分かったよ、ロゼにはかなわないなあ。謁見室だとエーヴェルト兄さんも畏まった顔をしているからこっちも緊張しちゃってさ。シュルヴェス兄さんと違って僕はああいった場には慣れていないから、もう疲れちゃったよ」
そう言いながらローゼリアの従弟であるルードヴィグ・ピオシュは人懐っこい笑顔を浮かべる。
ダークブロンドの髪と青い瞳を持つ彼の顔立ちは、エーヴェルトにもローゼリアにも似てはいなかったが、幼い頃から知る者同士の親しさが彼らにはあった。ルードヴィグの話にあったシュルヴェスとは二歳年上の彼の兄で、ローゼリアにとってはもう一人の従兄弟であり、彼は今エルランドにいるのだった。
ローゼリアがエルランド王国へ留学していた三年は母の実家でもあるピオシュ家で暮らしていたこともあって、親しい仲なのだろう。ヘンリックの見てきた中で彼女は和らいだ表情を見せている。彼女にとってルードヴィグは、気を遣わない素の表情を見せて良い相手という事なのだろう。
ヘンリックはローゼリアから留学していた時の話を聞いてはいたが、ピオシュ家で暮らす彼女の従兄弟たちの話は聞いた事がなかったので、ルードヴィグの訪れに合わせて側近が調べた資料でしか彼らの事を知らなかった。
ルードヴィグ・ピオシュは隣国エルランド王国の公爵家の次男で、ローゼリアとは同じ歳で一緒に学園に通った仲だった。3歳年下の婚約者が学園を卒業する再来年には結婚を控えている。
家を継がない彼は学生の頃から外交官を目指しており、卒業後の初めての赴任先としてエルランド王国とも友好的な関係であるランゲル王国の大使としてやってきたのだった。
「ローゼリア、彼らも疲れているし、積もる話もあるだろう。応接間へ案内した方がいい」
エーヴェルトに促されて応接間へ案内しようとしたところでローゼリアの動きが止まった。
「そうですわね、こちらへどうぞいらして……あら、あなたは」
ローゼリアの視線の先には、ルードヴィグの後ろに立つ濃い金色の髪を持つ青年にあった。
「ご無沙汰しております、王太子妃殿下におかれましてはご機嫌うるわしくお過ごしのことと存じ上げております。私のような者の事まで覚えておいでとは、存外の喜びと感じ入っております」
背の高いその青年は丁寧にそう言うと、片手を胸に当てて頭を深く下げた。
「まあ、シャンデラ様はもしかして舞台俳優にでもおなりになられましたの?」
「いえ、わたくしめはピオシュ様の補佐として帯同させて頂きました。その氷の女王のようなお振舞いは、さすが我が学園の白百合の君だと痛み入っております」
「ローゼリア、アイツは無視してさっさと行こう」
「そうですわね」
そう言い合いながらエーヴェルトとローゼリアが歩き出すと、背後から小さな声で『ひどっ……せっかく練習したのに』という金髪の彼からの呟きが聞こえてきたのだった。
突然現れた補佐官の一人とフォレスターの兄妹との関係がいまひとつ分からないヘンリックは、ただ彼らのやり取りを見ているだけだった。
応接間のソファにはローゼリアとヘンリックが並んで座り、向かい側にはエーヴェルトとルードヴィグが座る。ルードヴィグの部下であり、子爵家令息である金髪のオレク・シャンデラはルードヴィグの背後にある壁際に立って控えていた。
「久しぶりに会えてうれしいわ、ルードヴィグ。私が留学を終えてからまだ一年と少しですのに、随分会っていないような気がしてしまいますわ。伯父様と伯母さま、シュルヴェスお兄さまにライラはお元気にしているかしら?」
「兄さんは本格的な領主教育が始まったから、昨年からは父上と共に領地にいる事が増えたし、僕もランゲルに来たから今のタウンハウスには母上と妹のライラだけで過ごしているよ。母上も共に領地へ行きたいのだろうけれど、ライラが今年から学園に通っているから仕方がないよね。そろそろエルランドでもシーズンが始まるから父上と兄さんも戻ってきている頃かな?」
「ライラも学園に通う歳になりましたのね。エルランドではいつも私のお茶に付き合ってくれて楽しかったわ。学園では私は一人でいる事が多かったから、家に帰って伯母様やライラとお茶をする事が一番の楽しみでしたのよ」
「そういえば、母上やロゼの影響でライラもアレを読むようになっちゃって、少し前なんかヒロインが王妃のものばかり気に入って読んでいたんだ。お気に入りの作家が書いたから読んでいたのだけれど、友人たちにも勧め始めちゃったから、一時期はライラが王子妃を狙っているんじゃないかって噂になって大変だったよ」
「まあ、そんな事がありましたのね。でも同好の志が増えるのは嬉しくてよ」
「それでライラから私のお勧めだからロゼに渡してって何冊か預かっているから後で渡すね」
「まあ、まあ! 結婚してから新しいものは手に入れていなかったからとても嬉しいわ! 後でライラにお礼のお手紙を書かないといけないわね!」
そう言ってローゼリアはヘンリックが見た事もないような満面の笑顔を浮かべるのだった。
話の流れから彼らは本について話しているのだろうとヘンリックにも理解できた。エーヴェルトがフォレスター家から持参した本を手渡されていたローゼリアはとても良い表情をしていた。それに留学時代は読書をよくしていたと言っていたし、書店へ行ったヘンリックの事を羨ましがっていた。
ローゼリアは本を贈れば喜ぶのだと理解したヘンリックは、彼女がどのような類の本を読むのかを聞いてみる事にした。
「ローゼリアはどのような本を読むのだ? 私も本は好きだから読ませてもらえないだろうか?」
ヘンリックがそう言った途端、ローゼリアとルードヴィグの動きが止まった。ルードヴィグの後ろに立つオレクは失笑しそうなところを咳で誤魔化していた。
「ローゼリアが読んでいるのはエルランドで流行っている大衆小説ですよ。王太子妃がそのようなものを読むのは良くないと輿入れの際はあまり持たせなかったのですから、殿下にお見せできるようなものではございません」
エーヴェルトが慌てて補足するように話し出した。
「ピオシュ公爵夫人や公爵令嬢も読まれているのなら問題はないだろう。ローゼリアがどのようなものを好んでいるのか気になる」
「殿下がそこまでおっしゃるのでしたら、私が持っているものをお貸し致しますわ。ただし、読まれた事でお気持ちを害されても責任は持てませんけれど、それでもよろしかったらという条件を付けさせていただきますわ」
「ああ、それでも構わない」
「お兄さま、今度フォレスター家の私の部屋にある『男爵令嬢と王子』を殿下にお渡しになって。留学していた頃はよく読んでいましたけれど、ランゲルに戻ってからは一度も読まずに本棚の隅にありますから少し埃をかぶっているでしょうが、殿下でしたらきっとお好きなお話ですわ」
そう言ってローゼリアは含みのある笑みを浮かべる。あまり見た事の無いローゼリアのその笑みの意味をヘンリックは理解できてはいないようだった。
エーヴェルトが何かを企んでいる時に見せる表情によく似ていると気付いたルードヴィグは、愛想笑いを浮かべながら表情を引きつらせている。
ルードヴィグの背後からは『さすが兄妹』という呟き声が聞こえる。
「ロゼ……、違う本にした方がいい」
題名から内容を察したのか、エーヴェルトは大きく溜息をついた。
「いいえ、私はあの本を殿下に読んでいただきたいのです」
「駄目だ、本の選別は僕の方でして殿下にお渡しする。それでもあの本がいいと言うならば、僕はあの本を最後にフォレスターのロゼの部屋からは本を持ち出さない」
王宮に自分の本を持ってこれなかったローゼリアにとって、エーヴェルトが時々持ってきてくれる本は貴重だった。それがなくなるというのは、読書を癒しとしているローゼリアにとってかなり手痛い事だった。
「……わかりましたわ、お兄さまにお任せ致します」
渋々といった風にローゼリアはそう言うと、それ以上あまり話さなくなってしまったので、エーヴェルトがルードヴィグの話し相手となった。
あんなに仲の良いフォレスターの兄妹を仲互いさせる本とはどのようなものなのかが気になってしまったヘンリックは、開けてはいけない箱を開けてしまうかのように、密かに側近に頼み『男爵令嬢と王子』という本を取り寄せて手に入れてしまうのだった。
そしてヘンリックとマリーナの話によく似た身分違いの恋人同士を題材にした恋愛小説を読んでしまい、頭がお花畑状態の登場人物と過去の自分を重ねて、一人で落ち込むのはしばらく後の事だった。
応接室で歓談をしているうちに晩餐の時間となったので食堂へと移ったのだが、先ほどの事が影響したままなのか、会話はあまり盛り上がらないまま晩餐は終わってしまった。
そしてルードヴィグたちは夜会が終わるまでの借の住まいである本宮の客間へ戻ろうとした時、それまで静かにしていたオレクがエーヴェルトにスッと近付くと、彼の肩に触れて耳元で何かを囁いていた。エーヴェルトが頷く仕草をしながら小さな声で返答をすると、オレクはすぐにエーヴェルトからは離れてルードヴィグの背後へと戻ったのだった。
彼らを見送った後、ヘンリックはエーヴェルトにオレクの事を聞いたのだった。
「義兄上はルードヴィグ殿の補佐官とは面識があったのか?」
「オレク・シャンデラは学園での同窓なのです。数カ月でしたが、私もエルランドへ留学をしていましたから」
「先ほど彼は義兄上に何か話していたようだが?」
「この後ルードヴィグの部屋で酒を飲むから一緒にどうかと誘われました。こちらも積もる話があるので行ってみようと思います」
「私も、……一緒に行ってみては駄目だろうか?」
「えっ……」
ヘンリックのお願いにエーヴェルトは明らかに嫌そうな表情を浮かべる。
「殿下、ルードヴィグはともかくシャンデラは口の悪い男です。学生時代と比べて少しは弁えるようになってきたようですが、酒が入るとそうもいかなくなるでしょう。ご不快なお気持ちになられるだけです」
「ならば、本日は無礼講とすればいい。騎士たちが酒を一緒に飲んだという話を時々耳にするのだが、どういうものか気になっていたのだ」
「我々は騎士ではございませんので、彼らのように騒ぐような事はないでしょうから、そういった事をご所望でしたら、騎士団長にご相談いたしましょう。我が国の騎士たちと交流を持つ良い機会になるはずです」
「いや、騎士たちではなくキミたちとの方が話は合うような気がする」
エーヴェルトは何度目の無茶振りになるのだろうかと、額に手を当ててため息を吐くのだった。
彼らはエルランド王国からの新任の大使で、ヘンリックは謁見室で出迎えた後は王宮での晩餐に誘ったのだが、彼らが自分たちは国賓でもないのにかしこまった場所は止めて欲しいと固辞したので、ヘンリックとローゼリアの客人として王太子宮に招く事となった。
ヘンリックに連れられて王子宮を訪れた彼らを出迎えたのはローゼリアだった。
「お久し振りです妃殿下」
そう言ってローゼリアと同じ歳の若い大使は頭を下げる。
「ここではそのような堅苦しい呼び方は止めて下さるかしら。あなたが私をそのように呼ぶのでしたら私もピオシュ公爵令息様とお呼び致しますわ」
ローゼリアがそう言った途端、相手は苦笑いを浮かべる。
「分かったよ、ロゼにはかなわないなあ。謁見室だとエーヴェルト兄さんも畏まった顔をしているからこっちも緊張しちゃってさ。シュルヴェス兄さんと違って僕はああいった場には慣れていないから、もう疲れちゃったよ」
そう言いながらローゼリアの従弟であるルードヴィグ・ピオシュは人懐っこい笑顔を浮かべる。
ダークブロンドの髪と青い瞳を持つ彼の顔立ちは、エーヴェルトにもローゼリアにも似てはいなかったが、幼い頃から知る者同士の親しさが彼らにはあった。ルードヴィグの話にあったシュルヴェスとは二歳年上の彼の兄で、ローゼリアにとってはもう一人の従兄弟であり、彼は今エルランドにいるのだった。
ローゼリアがエルランド王国へ留学していた三年は母の実家でもあるピオシュ家で暮らしていたこともあって、親しい仲なのだろう。ヘンリックの見てきた中で彼女は和らいだ表情を見せている。彼女にとってルードヴィグは、気を遣わない素の表情を見せて良い相手という事なのだろう。
ヘンリックはローゼリアから留学していた時の話を聞いてはいたが、ピオシュ家で暮らす彼女の従兄弟たちの話は聞いた事がなかったので、ルードヴィグの訪れに合わせて側近が調べた資料でしか彼らの事を知らなかった。
ルードヴィグ・ピオシュは隣国エルランド王国の公爵家の次男で、ローゼリアとは同じ歳で一緒に学園に通った仲だった。3歳年下の婚約者が学園を卒業する再来年には結婚を控えている。
家を継がない彼は学生の頃から外交官を目指しており、卒業後の初めての赴任先としてエルランド王国とも友好的な関係であるランゲル王国の大使としてやってきたのだった。
「ローゼリア、彼らも疲れているし、積もる話もあるだろう。応接間へ案内した方がいい」
エーヴェルトに促されて応接間へ案内しようとしたところでローゼリアの動きが止まった。
「そうですわね、こちらへどうぞいらして……あら、あなたは」
ローゼリアの視線の先には、ルードヴィグの後ろに立つ濃い金色の髪を持つ青年にあった。
「ご無沙汰しております、王太子妃殿下におかれましてはご機嫌うるわしくお過ごしのことと存じ上げております。私のような者の事まで覚えておいでとは、存外の喜びと感じ入っております」
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「まあ、シャンデラ様はもしかして舞台俳優にでもおなりになられましたの?」
「いえ、わたくしめはピオシュ様の補佐として帯同させて頂きました。その氷の女王のようなお振舞いは、さすが我が学園の白百合の君だと痛み入っております」
「ローゼリア、アイツは無視してさっさと行こう」
「そうですわね」
そう言い合いながらエーヴェルトとローゼリアが歩き出すと、背後から小さな声で『ひどっ……せっかく練習したのに』という金髪の彼からの呟きが聞こえてきたのだった。
突然現れた補佐官の一人とフォレスターの兄妹との関係がいまひとつ分からないヘンリックは、ただ彼らのやり取りを見ているだけだった。
応接間のソファにはローゼリアとヘンリックが並んで座り、向かい側にはエーヴェルトとルードヴィグが座る。ルードヴィグの部下であり、子爵家令息である金髪のオレク・シャンデラはルードヴィグの背後にある壁際に立って控えていた。
「久しぶりに会えてうれしいわ、ルードヴィグ。私が留学を終えてからまだ一年と少しですのに、随分会っていないような気がしてしまいますわ。伯父様と伯母さま、シュルヴェスお兄さまにライラはお元気にしているかしら?」
「兄さんは本格的な領主教育が始まったから、昨年からは父上と共に領地にいる事が増えたし、僕もランゲルに来たから今のタウンハウスには母上と妹のライラだけで過ごしているよ。母上も共に領地へ行きたいのだろうけれど、ライラが今年から学園に通っているから仕方がないよね。そろそろエルランドでもシーズンが始まるから父上と兄さんも戻ってきている頃かな?」
「ライラも学園に通う歳になりましたのね。エルランドではいつも私のお茶に付き合ってくれて楽しかったわ。学園では私は一人でいる事が多かったから、家に帰って伯母様やライラとお茶をする事が一番の楽しみでしたのよ」
「そういえば、母上やロゼの影響でライラもアレを読むようになっちゃって、少し前なんかヒロインが王妃のものばかり気に入って読んでいたんだ。お気に入りの作家が書いたから読んでいたのだけれど、友人たちにも勧め始めちゃったから、一時期はライラが王子妃を狙っているんじゃないかって噂になって大変だったよ」
「まあ、そんな事がありましたのね。でも同好の志が増えるのは嬉しくてよ」
「それでライラから私のお勧めだからロゼに渡してって何冊か預かっているから後で渡すね」
「まあ、まあ! 結婚してから新しいものは手に入れていなかったからとても嬉しいわ! 後でライラにお礼のお手紙を書かないといけないわね!」
そう言ってローゼリアはヘンリックが見た事もないような満面の笑顔を浮かべるのだった。
話の流れから彼らは本について話しているのだろうとヘンリックにも理解できた。エーヴェルトがフォレスター家から持参した本を手渡されていたローゼリアはとても良い表情をしていた。それに留学時代は読書をよくしていたと言っていたし、書店へ行ったヘンリックの事を羨ましがっていた。
ローゼリアは本を贈れば喜ぶのだと理解したヘンリックは、彼女がどのような類の本を読むのかを聞いてみる事にした。
「ローゼリアはどのような本を読むのだ? 私も本は好きだから読ませてもらえないだろうか?」
ヘンリックがそう言った途端、ローゼリアとルードヴィグの動きが止まった。ルードヴィグの後ろに立つオレクは失笑しそうなところを咳で誤魔化していた。
「ローゼリアが読んでいるのはエルランドで流行っている大衆小説ですよ。王太子妃がそのようなものを読むのは良くないと輿入れの際はあまり持たせなかったのですから、殿下にお見せできるようなものではございません」
エーヴェルトが慌てて補足するように話し出した。
「ピオシュ公爵夫人や公爵令嬢も読まれているのなら問題はないだろう。ローゼリアがどのようなものを好んでいるのか気になる」
「殿下がそこまでおっしゃるのでしたら、私が持っているものをお貸し致しますわ。ただし、読まれた事でお気持ちを害されても責任は持てませんけれど、それでもよろしかったらという条件を付けさせていただきますわ」
「ああ、それでも構わない」
「お兄さま、今度フォレスター家の私の部屋にある『男爵令嬢と王子』を殿下にお渡しになって。留学していた頃はよく読んでいましたけれど、ランゲルに戻ってからは一度も読まずに本棚の隅にありますから少し埃をかぶっているでしょうが、殿下でしたらきっとお好きなお話ですわ」
そう言ってローゼリアは含みのある笑みを浮かべる。あまり見た事の無いローゼリアのその笑みの意味をヘンリックは理解できてはいないようだった。
エーヴェルトが何かを企んでいる時に見せる表情によく似ていると気付いたルードヴィグは、愛想笑いを浮かべながら表情を引きつらせている。
ルードヴィグの背後からは『さすが兄妹』という呟き声が聞こえる。
「ロゼ……、違う本にした方がいい」
題名から内容を察したのか、エーヴェルトは大きく溜息をついた。
「いいえ、私はあの本を殿下に読んでいただきたいのです」
「駄目だ、本の選別は僕の方でして殿下にお渡しする。それでもあの本がいいと言うならば、僕はあの本を最後にフォレスターのロゼの部屋からは本を持ち出さない」
王宮に自分の本を持ってこれなかったローゼリアにとって、エーヴェルトが時々持ってきてくれる本は貴重だった。それがなくなるというのは、読書を癒しとしているローゼリアにとってかなり手痛い事だった。
「……わかりましたわ、お兄さまにお任せ致します」
渋々といった風にローゼリアはそう言うと、それ以上あまり話さなくなってしまったので、エーヴェルトがルードヴィグの話し相手となった。
あんなに仲の良いフォレスターの兄妹を仲互いさせる本とはどのようなものなのかが気になってしまったヘンリックは、開けてはいけない箱を開けてしまうかのように、密かに側近に頼み『男爵令嬢と王子』という本を取り寄せて手に入れてしまうのだった。
そしてヘンリックとマリーナの話によく似た身分違いの恋人同士を題材にした恋愛小説を読んでしまい、頭がお花畑状態の登場人物と過去の自分を重ねて、一人で落ち込むのはしばらく後の事だった。
応接室で歓談をしているうちに晩餐の時間となったので食堂へと移ったのだが、先ほどの事が影響したままなのか、会話はあまり盛り上がらないまま晩餐は終わってしまった。
そしてルードヴィグたちは夜会が終わるまでの借の住まいである本宮の客間へ戻ろうとした時、それまで静かにしていたオレクがエーヴェルトにスッと近付くと、彼の肩に触れて耳元で何かを囁いていた。エーヴェルトが頷く仕草をしながら小さな声で返答をすると、オレクはすぐにエーヴェルトからは離れてルードヴィグの背後へと戻ったのだった。
彼らを見送った後、ヘンリックはエーヴェルトにオレクの事を聞いたのだった。
「義兄上はルードヴィグ殿の補佐官とは面識があったのか?」
「オレク・シャンデラは学園での同窓なのです。数カ月でしたが、私もエルランドへ留学をしていましたから」
「先ほど彼は義兄上に何か話していたようだが?」
「この後ルードヴィグの部屋で酒を飲むから一緒にどうかと誘われました。こちらも積もる話があるので行ってみようと思います」
「私も、……一緒に行ってみては駄目だろうか?」
「えっ……」
ヘンリックのお願いにエーヴェルトは明らかに嫌そうな表情を浮かべる。
「殿下、ルードヴィグはともかくシャンデラは口の悪い男です。学生時代と比べて少しは弁えるようになってきたようですが、酒が入るとそうもいかなくなるでしょう。ご不快なお気持ちになられるだけです」
「ならば、本日は無礼講とすればいい。騎士たちが酒を一緒に飲んだという話を時々耳にするのだが、どういうものか気になっていたのだ」
「我々は騎士ではございませんので、彼らのように騒ぐような事はないでしょうから、そういった事をご所望でしたら、騎士団長にご相談いたしましょう。我が国の騎士たちと交流を持つ良い機会になるはずです」
「いや、騎士たちではなくキミたちとの方が話は合うような気がする」
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アルファポリス第18回恋愛小説大賞 奨励賞受賞
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