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【神力篇】5.憑かれた術者
憑かれた術者 ☆漆
しおりを挟む「……っ!」
その場にいた全員が息を呑んだ。紛れもない本物の妖気がビリビリと肌を刺激する。近くに妖異が出没したのだ。それも単体ではなく、複数の妖気を感じる。
「…………」
響は思わず魔除けの護符がある胸元をぐしゃりと握りしめた。陽気を嫌い夜が活動時間帯の妖異が、太陽が真上にあるこの真昼間から出没するとは。やはり、護符程度では抑えきれない輝血の気配が感じ取られ、妖異を引き寄せてしまったのか。
だから嫌だったんだ、外に出るのなんて。
「響」
いつの間にか、隠形を解いた氷輪と暁鐘が響の傍に近寄っていた。氷輪が響の頭上に乗り、暁鐘は肩の付近で浮遊する。
「狙いは、やはり……」
「…………」
剣呑な視線で周囲の様子を伺う暁鐘と、泰然としながらも気を張った氷輪が響にしか聞こえない声で話す。響を狙って来たにしては、妖異の気配が散漫すぎる気がする。一概にそうとは判断できない。
そんなことよりも氷輪が不審に思っているのは、妖気が突然現れたことだ。自分や暁鐘でさえ、この気配に気づいたのは人間たちとほぼ同時。これほどの気配であれば、接近してくることを察知できていて然るべきなのに、まったく気づけなかった。
そう、まるで――召喚されたかのようだ。
険しい表情を浮かべている氷輪の耳がピクリと動く。遠くからかすかに怒号のような声や、振動を伴いそうな物音が聞こえる。どうやら、各所で交戦が始まっているようだ。それには、人間たちも気づいていた。
「鵜飼先生、俺たちも向かいましょう!」
竜之介の勇ましい言葉に、鵜飼は咄嗟の返答に詰まった。出没原因が響にあるかもしれないと考えると、迂闊に動くのは返って危険度を高くする可能性が脳裏をよぎる。
「俺らが一年だからって変な遠慮はしないでください。ここで動けないようじゃ、Aクラスにいる意味がない」
担任の逡巡を誤解した竜之介が真剣な目つきで言い募る。梨々花も緊張しつつも覚悟を決めた表情を浮かべていた。
違う、そうではない。彼らの実力を侮っているわけではないのに、これではかえって不審がられてしまう。
鵜飼はちらと響を盗み見た。その表情には明らかに苦悶が浮かんでいる。彼女自身、自分のせいでこうなったのではないかと考えているに違いない。
鵜飼の胸が痛む。自身が及ぼす影響を一番に理解している彼女に、外に出て講習を受けるよう促した自分にこそすべての責任があるのだ。たとえ輝血の影響でこの事態が発生したのだとしても、響のせいでは断じてない。
それに、響には頼りになる式神たちがいる。どちらも強大な力を持つ神獣だ、何があっても主を守るだろう。であれば、自分がとるべき行動はひとつしかない。
「奇襲をしかける。全員、隠形しなさい」
意を決した鵜飼が指示を出すと、全員頷き各々隠形の術をかけた。三人の気配が極端に薄まる。
妖異が出没したら隠形をする。それは、この野外演習が決まってから響に伝えておいたものだ。幸い、まだ妖異と遭遇していないため隠形は有効。それならいっそのこと、梨々花と竜之介も巻き込んで隠形してもらえば、変に怪しまれずに済む。
あたかも戦法のひとつであるかのように言い放った鵜飼はひとつ息をつく。これで響への危険度が少なからず低くなった。それに、三人はまだ一年生だ。どちらにせよ、隠形させておくほうが無難だ。ひとまずはこの状態で行動するしかない。
「準備はいいな。我々も向かうぞ」
鵜飼の先導で一歩踏み出しかけたまさにその時、至近距離に強い妖気を感じ、その場にいた全員の肌があわ立つ。
そうして反射的に身構えた響たちの目の前、木々の合間からのそりと異形が姿を現した。
▼ ▼
「藍火――業火流!」
藍い炎の奔流が妖異へ襲いかかる。妖異は間違いなくそれをもろに浴びた。しかし、いくらかダメージは負っているものの消滅することなく依然としてその場に佇んでいる。
「嘘でしょ……会長の術を受けて平然としてるなんて!」
「どうなってやがんだ……!?」
玲子と同じ班だった降魔科生たちが表情を引きつらせている。学園随一の実力者である玲子の術が効いていないという事実は、驚愕する理由として十分だった。
「…………」
さしものことに動揺を隠しきれない降魔科生たちとは違い、玲子は険しい表情をしつつも動じることなく目前の妖異を注意深く観察する。
実習が滞りなく終わったあと、突如として出現した目の前の妖異は、猿のような外見をしており、その顔は真っ赤に染まっている。おそらく猩々だ。
しかし、猩々は食人種には分類されておらず、人を襲うといった例はほとんど聞いたことがない。それなのに、今目前にいる猩々は凶悪な風貌で殺気に満ち溢れている。おそらく猩々であるという仮定的な表現になってしまうのも、本来の風体とは異なっているからだった。
玲子の脳裏で思い起こされるのは、五月にあった百鬼夜行事件。その時に相対した通常とは異なる、突然変異のような牛鬼。あの時も、常であれば調伏できるはずの術では一時的に動きを妨害する程度にしかならなかった。
それにあの時は、玲子は学園に張り巡らされた結界の修復に全霊を傾けていたため、本来の力を出すことができていなかったというのもあるが、目の前の妖異はその時を彷彿とさせた。
嘉神祭の裏で発生した事件の時もそうだ。その折は直接目にしたわけではないが、召喚された百目鬼が途中で変貌し強化状態となったのだと楓から伝え聞いている。
一連の事件は、数年前に嘉神学園を退学となった河西亮吾が主犯であり、すべては彼が引き起こしたとされている。その河西は嘉神祭の時に捕縛され、今は降魔士に身柄を拘束されているはず。
だというのに、なぜ目の前にあの時と酷似した妖異が出現しているのだ。しかも、最初から強化された状態で。
疑問は次から次へと湧き出てくる。けれども、玲子の一番の懸念点は、響のことだった。四方から妖気を感じるこの状況を鑑みるに、戦闘は複数個所で起こっており、乱戦となっているようだ。
この妖異たちの目的は不明だが、輝血である響が妖異に囲まれる状況は避けたい。本人には前もっていざというときは隠形をするよう伝えてあるし、鵜飼がそばについているはずだから大事に至ることはないと思うのだが、それでも心配なものは心配だ。
――もし自分が妖異に喰われたとしても、あの人ならその妖異を調伏できるから
輝血の後輩から発せられた言葉が脳裏をよぎる。玲子は掻き消すように頭を振った。こんな時に思い出すなど縁起でもない。
早く響のもとに。そのためには、まず目の前の妖異を退けねば。
「あなたたちは距離を取りつつ妖異を囲みなさい。普通の妖異ではないから行動は慎重に。自身の身を守ることを優先して」
「は、はい!」
玲子が整然と指示を出し、降魔科生たちがそれに従って妖異を取り囲むようにすばやく位置取りをする。彼らは玲子がこれから何をするのか察していた。だからこそ、巻き込まれないように十分な距離をとった。
「――燃ゆる火は、やがて焔へ」
迅速にことを終わらせるため、玲子がリミッターを解除した。己への枷を取っ払った玲子の術は、通常の倍の威力を出すことができる。
玲子が普段力を制御しているのは、強力すぎる己の炎で周りに不要な被害を及ぼさないようにするためというのもあるが、一番の理由は自分が未熟だからだった。
己の力が強大すぎるがゆえに、少しでも気を抜けばこの藍い炎に自身が振り回されてしまいそうになる。だから、いっそのこと力を抑えていたほうが制御にリソースを割かなくてよいため扱いやすくなるのだ。
しかし、玲子自身それをよしとは思ってはいなかった。これでは、本来の力の出し方を覚えられず、いつまで経っても己の力を御しきれないのだから。
それにこの制約には難があり、リミッターを解除すると術の威力が普段の倍になる代わりに消費する霊力もまた倍になるという、わかりやすくもかなり極端な割り振りとなってしまっている。しかも、霊力がかなり残っている状態でないと制限を解除できない。いや、より正確に言うと、その状態で解除してもほとんど意味がないのだ。倍の霊力を消耗することを考えると、かなり早い段階で解除したほうがいいのは自明の理である。
周囲は自分を完全無欠で、学生ながらすでに術者として完成されていると思っている。自分でも完璧であろうという強い意志があり、己の力を磨き続けることに余念がなく、常に立ち居振る舞いを意識し己を律している。
けれども、実際は玲子とて自身の藍焔を完全に我が物にできていない。本来ならここまで明示的にリミッターなどかけずとも、場面によって適切な火力が出せてしかるべきなのだ。本当の意味で自由自在に扱えていない。自分の腕が未熟であることは、玲子自身が一番よく理解していた。
いずれはリミッターなどかけずこの藍い炎を完全掌握し、いついかなる場面でも適切な力加減で術を操れるようになる。それが当面の玲子の目標だった。
そのためには、制御のかかっていないこの藍焔を使って場数を踏み、力加減を徹底的に己に叩き込んで身体に覚えさせる必要がある。
「総員、私が術を放った後すぐに水を降らせなさい」
「了解!」
玲子の指示に従い、降魔科生たちが構える。準備が整ったのを横目で確認した玲子は、片手を妖異へ向ける。
「藍焔――灼渦」
召喚された五つの藍焔の渦が妖異を囲み封じた。檻に閉じ込められた妖異が断末魔を上げ、なんとか振り払おうともがく。
しかし、音はなくとも轟々と燃え盛る藍焔は妖異を逃すことはなかった。身体を容赦なく焼いていく。
渦が消える頃には、跡形もなく消えていた。藍色の業火が妖異を燃やし尽くしたのだ。
「……っ」
ふっと息をついたのも束の間、玲子が瞠目する。
妖異調伏はたしかに完了した。しかし、他の問題が発生したのだ。
藍焔が、周囲の木々に引火している。
「全然消えない……!」
「くそっ、これでも足りないのか!」
降魔科生たちの表情に焦燥が浮かぶ。必死に水行の術を発動しているが、玲子の藍焔が消火できないのだ。
木々など火に弱い遮蔽物が多くある場所は、火行の術との相性が悪い。火行の術は実際に火を起こしているため、妖異だけでなく普通に周囲への影響が生じるのである。
それを考慮し、周囲に火が移り燃え広がらないようにと水を降らせる指示を出したのだが、玲子の藍焔が降魔科生たちの術を上回り、消火させるどころか水を蒸発させてしまっていた。降魔科生たちの術が弱いわけではなく、藍焔があまりに強すぎたのである。
どうやら、藍焔に術者の焦りが滲んでしまったらしい。そのせいで、力加減を誤ってしまったようだった。
まずい、このままでは引火した木が燃え落ち、一面炎の海になってしまう。そんなことになれば、妖異だけでなくこの林にいる人間にも影響が及び、二次災害を引き起こし兼ねない。
こんなことなら前もって陽炎疆を張っておくのだったと後悔しつつ、玲子が急いで盤を手に取り、水行の術を行使しようとした。その時。
突如、頭上から黒い影が飛び出した。
「――霧薙ぎ」
ひゅんと音を立てて、何かが振るわれ弧を描く。その軌跡に沿って細かい水の粒子が発生し、燃え広がりそうになっていた藍い炎をみるみる鎮火させていった。
驚愕に目を見張っていた玲子たちの目前に、上空から影が降り立つ。その人物の手には水で精製された鎌が握られていた。
「ヒュー、危機一髪だったな」
「宇留賀さん……」
大鎌の長柄を肩に担いで声をかけてきた宇留賀に、玲子はほっと息を吐いた。この降魔士が発動した術のおかげで、すんでのところで山火事とならずに済んだ。
「相変わらず玲子ちゃんの藍焔はすげぇな、また威力を増したんじゃないか? あやうく真っ黒こげの豚の丸焼きになるとこだった――って誰が豚だ!」
宇留賀が叫ぶ。こんな時でも憑き物は相変わらずちょっかいをかけてくるらしい。
「申し訳ありません。私が未熟なばかりに……」
「気にするな。この地形は火行使いには相性がよくないし、仕方ないさ」
玲子が己の失態を謝罪すると、宇留賀は気にした風もなくからりと笑った。
「にしても、まさかこんなお天道さんが昇ってる時に妖異が出るなんてな。一体どうなってんだ、今の香弥は」
ぼやくように言った宇留賀だが、その表情はやや険しい。
「しかも、妙な気配だ。普通じゃあねぇ」
普通ではないのは確かだ。なにせ、人を襲った事例をあまり聞かない妖異がこのような状態で現れたのだ。玲子は宇留賀にそっと尋ねる。
「どうされますか。これでは講習どころではないかと思うのですが……」
「んー? まぁ、これも演習の一環ってことにしておけばいいんじゃないか?」
返ってきた即答に、玲子は己の耳を疑った。出没している妖異が普通じゃないとわかっているのに、宇留賀の返答は実にあっけらかんとしたものだったのだ。
他の降魔科生も戸惑いを見せている。そんな学生たちに向かって、宇留賀はなんてことないように言う。
「疑似鬼じゃない本物の妖異との対戦なんてこれ以上ない実戦だしな。発生理由はわからんが、こんな真昼間からおでましなんて願ったり叶ったりだ」
そこまで言って、宇留賀の表情が真剣さを帯びる。
「妖異は何の前触れもなく出現するのが普通だ。降魔士は妖異がいつ何時出現しても全力で対応できるようにしとかないとならねぇ」
出現した人に仇なす妖異はすべて調伏する。それが、降魔士だ。
宇留賀の言っていることは正論だ。憑き物のせいで言動がたまにおかしくなるが、この人は立派なプロの降魔士なのだ。
「たしかに出没してる妖異は妙なやつらだが、大騒ぎするほどでもないだろ? 実際、玲子ちゃんが難なく調伏できてる。それに、全員無傷で済んでるしな」
むしろ、この程度じゃ手ごたえないぐらいじゃないか? などと軽口を叩く宇留賀に、玲子は首を横に振った。手ごたえがない、だなんてどうして思えるのか。リミッターを解除しなければ、戦況はもっと長引いていた。あまつさえ、自分の力を制御しきれていないせいで二次被害を出すところだったのだ。己の未熟さを悔いるばかりである。
「反省は次に活かしてこそだぞ」
はっとして顔を上げると、宇留賀は片目を瞑ってみせた。見透かされていたことに若干ばつの悪い思いが生じるが、押しとどめて切り替える。降魔士の言う通り、反省をしている場合ではない。今はこの事態を収束させることに全霊を注がねば。
「さて、まだ妖異の気配は消えちゃいねぇ。他んとこにも援護に行くぞ」
そう言って、宇留賀はボードに乗ったまま玲子たちに背中を向けた。
「俺は先に行くが、周囲の警戒を怠らずに他班と合流するように」
「はい!」
そうして、宇留賀は颯爽と木々の間隙をすり抜けていき、あっという間に姿が見えなくなった。
「早ぇ~……」
宇留賀の機敏な動きに呆気に取られている降魔科生たちに、玲子が凛とした声をかける。
「私たちも行きましょう」
こうして、玲子の班も講師の後に続いて駆け出した。
▼ ▼
「な、なんで術が利いてねぇんだよ……!」
「どけ、今度は俺がやる!」
術を放った降魔科生が叫ぶと、別の降魔科生が押し退けるようにして術を放った。しかし、その攻撃も妖異には大したダメージを与えず、隙ができた降魔科生に妖異が奇声を上げながら襲いかかった。とっさに動けない降魔科生の表情に恐怖が滲む。
「――地隆!」
要一が拳を地面に叩きつける。すると地面から土壁がせり上がり、妖異と降魔科生を隔てた。すんでのところで、妖異の攻撃を受けずに済んだ降魔科生が息をつく。
「俺が壁になる。お前たちは下がって攻撃の準備を整えろ。次は一斉にだ」
そう言って、要一が前に出る。自分たちの班には監督の降魔士がいない。だから、この場での指示役は統括会副会長である自分がすべきことだ。
思考を巡らせている間に、壁に衝撃が加えられる。ドンドンと断続的に響く音は、妖異が壁を壊そうと攻撃している音だろう。
少しすると、パキッと乾いた小さな音がした。次いで、土壁に亀裂が走る。
「は!? 不破の壁が!?」
「オイオイ冗談だろ……!」
降魔科生たちが瞠目する。要一が適性の土行術をもって精製した防壁はまさに鉄壁ともいえるほど強固なものだ。それは周知の事実であり、要一が統括会メンバーに選出された所以でもある。その防壁が、破られかけている。
周囲が狼狽える中、壁を築いた本人は至って冷静だった。
「構うな。お前たちは攻撃することだけに集中しろ」
術が破られる程度で動じていられない。そこらの妖異程度であれば破られることはまずないが、それだけ相手が強い力を持っていることの証左だ。一秒の隙が命取りとなる。
亀裂が徐々に広がっていき、ポロポロと崩れ始めている防壁を前に、要一が腰を落とし、グローブ状の術具を装着した自身の右拳を後ろに引く。
とうとう壁が砕ける。砕け散った土塊から覗いた妖異目がけて、要一は引いていた右拳を勢いよく叩き込んだ。
手ごたえはあった。しかし、その拳は妖異が手のひらで受け止めていた。自分の拳と相手の手、力が拮抗していることに要一は軽く目を見張る。手を抜いたわけではけっしてないが、まさか吹き飛びもしないとは思わなかった。
とはいえ、問題はない。要は相手の動きさえ止められればいいのだ。
「食らえ!」
両者の力が拮抗している隙に、降魔科生たちが要一の背後から一斉に援護射撃を放った。要一の攻撃に意識を持って行かれていたところの不意打ちに、さすがの妖異もたまらず数メートル後退したがすぐに体勢を立て直す。
それを見た要一が眉間に皺を寄せた。
「……この妖異、普通じゃないな」
降魔科生たちの術が弱かったわけではけっしてない。統括会メンバーの特異性で霞んでしまいがちだが、彼らも嘉神学園降魔科きっての実力者たちだ。普段であれば、調伏するには十分な威力の術のはず。それなのに、妖異に大したダメージが入っていない。
訓練中に突如現れた目の前の妖異。即座に訓練を中断して疑似鬼を回収し、戦闘に入って数分が経つ。戦っていてわかるが、明らかに普通の妖異ではない。
そこで要一は、楓が遭遇したという百目鬼の話を思い出した。なんでも異様な状態で、調伏する際も一筋縄ではいかなかったと聞いている。
のちに、それが人為的に強化されたものだと判明したわけだが、それを召喚した首謀者は捕縛されている。その件とは無関係なのであれば、この妖異は一体何なのだ。
「不破、このままじゃ埒が明かねぇ! どうするよ!?」
同じ二年生の降魔科生に指示を仰がれ、要一は逡巡する。幸い、ここは自分の術にはうってつけの地形だ。こうなったら少々、いや、かなり荒っぽいがより強力な術を発動するしかあるまい。
意を決した要一が術を発動するため、仲間たちに指示を出そうと口を開きかけたその時、妖異が突如として縦真っ二つに裂けた。
「は?」
「やっほー、要ちゃん」
場にそぐわぬ軽薄な声とともに、妖異の裂け目から姿を見せた見知った姿を認めて要一は瞠目した。
「名倉!?」
肩に愛刀の峰を乗せながら空いているほうの手をひらひらと振っているのは、別の班にいるはずの満瑠だった。状況をよく考えずとも、この霊刀使いの同期が灰となって散りつつある妖異を一刀両断したのだとわかった。
「お前、なぜここに……!」
「オレんとこに来たやつ斬っちゃったからぁ、来ちゃった☆」
「……お前と言うやつは!」
妖異を調伏したこと自体は百歩譲っていいとしても、この調子だと監督の降魔士の指示を聞かずに独断で動いているのだろう。あとで詫びを入れねば、と要一は頭痛がするかのようにこめかみを抑えた。
「嘘だろ……あの妖異を一撃で倒しちまうのか」
「あいつ、マジでどうなってんだよ……」
自分たちの術が利かなかった妖異を一刀のもとで調伏したのを目にし、降魔科生たちが戦慄してぼそぼそと言葉を交わしている。
要一は頭を振って気を取り直した。
「まぁいい。妖異を二体も相手しておいて余裕があるとは大したものだが」
「やだなぁ、こんなんで足りるわけないじゃん」
糸目がうっすらと開かれる。それを見ていた降魔科生たちが揃ってひっと息を呑んだ。唯一平然としていられる要一が苦々しい表情を浮かべる。
「この戦闘狂が」
「アハッ、褒められちゃった」
「褒めてないわ!」
くわっと牙を剥いた要一だったが、状況が状況だけに諸々言いたいことを飲み込んで切り替えることにした。
「さっきの火柱、お前も見たか?」
「見たよーん。会長、本気モードで戦ってるみたいだね~」
藍い火柱が上がった方面の妖気が薄まっているため、調伏には成功しているようだ。まぁ、玲子に限ってあの程度の妖異に後れを取るとは微塵も思ってはいない。しかし、玲子が本気を出したということは、事態を重く捉えている証拠だった。
要一が満瑠以外には聞こえないレベルまで声のトーンを落とした。
「……如月のところにも出ているだろうな」
「どうだろーね~」
「やつに引き寄せられた可能性はあると思うか」
「さぁ~? そんなのは知ーらない」
「お前っ、少しは真剣に……おい待て、どこに行く気だ」
「やだなぁ、妖異のとこに決まってんじゃーん」
要一の言葉の途中でくるりと背中を向けた満瑠は、刀をひらと振って納刀した。
「理由なんてなんでもいいよ。興味もないし。オレは斬るだけだもん」
それじゃね~と言い残して、満瑠は制止の声も聞かずに颯爽と去って行った。
勝手な同期に怒りを覚えるが、いつものことだと割り切る。少なくとも、満瑠は放っておいても問題ないだろう。口惜しいが、実力だけは確かなのだから。
要一は一度大きく深呼吸をしてクールダウンし、背後の降魔科生たちに声をかけた。
「お前たち、俺たちも他のところの援護に向かうぞ」
「あ、ああ!」
全員が頷いたのを見て、妖気を感じる方向に向かって駆け出しながら要一は思う。こんな日中に、それも複数体、天災級に負けずとも劣らない強さの妖異が出没するなんて明らかに異常事態だ。
となると、原因として考えられるのは響の存在。響は魔除けの護符を身につけているはずだが、それにも限度がある。輝血の気配は、その程度のものでは抑えきれない。羅刹事件のときに同じ班だった要一は、それを痛感している。
魔除けの護符のおかげで多少は分散しているのかもしれないが、それも時間の問題と思えてならない。響が周囲に輝血だと露見してしまうリスクが跳ね上がる。それだけはなんとしても阻止せねば。
響のためにと心を砕く、玲子のために。
▼ ▼
術が被爆した妖異が大きく体勢を崩し、前のめりに倒れ込んだ。
「やっと崩れた!」
「古河さん、今よ!」
「うむ」
降魔科生の合図を受け、楓はあの猿型の疑似鬼よりもさらの俊敏な動きで木々を飛び移り、上空から旋風を巻き起こす。
「――天颪!」
自身が竜巻となり、目下にいる妖異目がけて急降下する。楓が引き起こした無数の風の刃が妖異を襲い、その身体を細切れにしていく。竜巻がやむと、そこには楓の姿だけが残されていた。
「さすが古河さん!」
「ああ、見事だった」
称賛の声が上がる中、楓は両手に握っていた苦無を仕舞う。妖異を調伏したというのに、その表情には険しさが滲んでいた。
この感覚、つい最近も感じた。それは、嘉神祭の時に起こった事件の折に、響と梨々花が相対した百目鬼。あの時と、似たような感覚を覚えたのだ。
百目鬼は人為的に強化されていた。しかし、あの事件は解決しており、もう強化されるようなことなど起こるはずがない。
「…………」
しかし、楓は違和感を持っていた。主犯は退学させられた元嘉神学園降魔科生によるものだった。数々の犯行は古式を利用したものとのことだったが、河西は一体どこでそのような技術を身につけたのか。
鵜飼から河西の為人はある程度聞いた。そこから、河西がすべての計画を練り古式降魔術を取得して実行に移したとは考えづらい。おそらく、玲子たちも、そして鵜飼自身も同じことを思っていることだろう。
だとすると、今の妖異は――。
「お、ここも片付いたようだな」
ふいに飛び込んできた声に、楓の思考は打ち切られた。視線をやると、ボードに乗った宇留賀がちょうど楓たちの元にやってくるところだった。
「宇留賀先輩!」
楓たちの班を監督していた若い降魔士が、停止した宇留賀のそばに駆け寄った。
「みんな無事か?」
「はい。それより、一体どうなってるんですか!?」
「原因は俺にもわからん」
首を振った宇留賀は、だがと言葉を続ける。
「今は妖異の殲滅が優先だ。俺は他のところを見てくる。お前たちは警戒しながら近くのやつらと合流しろ」
無理だけはするなよと言い残し、宇留賀は再びボードに乗って去って行った。
降魔士の指揮の元、これからどうするか話し合っていたところ、楓はこちらへ近づいてくる複数の足音を聞きとがめた。
そうして木々の隙間から姿を見せたのは、別班の降魔科生たちだった。
「玲子」
楓の呼びかけに、先頭にいた玲子が軽く頷く。
「こ、幸徳井降魔科生、そちらのほうにも妖異が?」
降魔士はやや畏まった態度で玲子に問う。玲子が斯界で最大権力を持つ幸徳井家の跡取りのため、慎重に接しているのだ。
「はい。調伏が完了したため、宇留賀降魔士の指示で援護に来ました」
玲子の整然とした受け答えに降魔士は頷く。
「こちらも調伏済みです。先ほど先輩……宇留賀降魔士が来られ、他の班と合流するようにとの指示を受けました」
「承知しました。では、早めに向かったほうがよいかと」
降魔士が頷き、二班は行動を開始した。
集団で駆けながら、玲子が並走する楓に視線を送る。その視線の意味を瞬時に理解した楓は険しい表情で小さく首を振った。
玲子は失敗したと密かにほぞを嚙む。響たちがいるであろう方角に向かっていたが、それよりも先に降魔士のいる班と合流してしまった。自分たちだけならよかったが、降魔士がいるとプロの指示に従わなければならない。事情を知る由もない降魔士のもとでは、勝手な行動ができないのだ。
気持ちばかりが逸ってしまうが、こればかりはどうしようもない。響たちの実力と、鵜飼を信じよう。
後輩の無事を祈りつつ、玲子は動かす足に力を込めた。
0
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・幼稚園から中学まで毎朝一緒に登校していた幼馴染。
拓海の生活はどうなるのか!?
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
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