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第五幕~青年は事実を知る1
しおりを挟む―――マーディル暦2033年、08、22。
この日のエスタは、いつもと変わらない時を過ごしていた。
パン屋はいつも通りの時間に営業開始。
店はいつも通りの大繁盛。
エスタが忙しくレジを打つ傍らでは、ルイスがこれまた忙しそうに接客をしている。
裏方のミラースも、作り置きのパンを誰にも見られないようにルイスへと渡していた。
いつもと変わらないまま、時刻は正午過ぎを迎える。
一番の稼ぎ時も過ぎたことでエスタたち三人は其々寛いでいた。
三人と言っても、ミラースは店の奥でいつもの通り眠ってしまっている。
「もっと個数とか増やしたらどうだ?」
「そうしたいのは山々なんだけど…そうなるとやっぱり人の手が欲しくなるかな…でもこれ以上ルイスに頼るのも申し訳ないし…」
などと、今後の運営方針についてあれこれエスタとルイスが話していたときだ。
店の扉が急に開いた。
この時間帯は客足も殆どなくなってしまうため、すっかり寛ぎモードだった二人は慌てて座っていた椅子から立ち上がった。
「いらっしゃいませ!」
二人の声が重なり合い、店内に響く。
しっかり頭を下げていたエスタは静かに頭を上げる。
そこには一人の中年男性が立っていた。
手にしている荷物の多さからして、どうやら旅行者のようだった。
「まだやってんだよな?」
「はい」
営業スマイルでそう答えるエスタ。
一応営業中ではあるが、店内に置かれている商品は極僅かしかない。
「あんまりもう残ってませんけど―――あ、そういえばまだ奥にあるかな」
そう言いながらエスタは、おもむろにルイスを一瞥する。
と、エスタは何故か呆然としているルイスに気付いた。
「ルイス…?」
「あ、ああ…なんだ、どうした?」
先ほどまでの彼とは打って変わった様子。
まるで動揺しているかのように、エスタには見えた。
「奥にパンが残ってると思うから持って来て」
「わかった」
ルイスは急ぎ早に店の奥へと姿を消す。
と同時に、男は荷物を床に置き、カウンターに寄りかかった。
ドカリとエスタの真ん前で肘を掛ける男。
その人を怖がらないとも言える態度にエスタは僅かばかり壁を作ってしまう。
が、相手は客人だ。
笑顔だけは絶やさず作り続ける。
そんな彼の心情も知ってか知らずか。
男は満面の笑みを浮かべて勝手に喋り出した。
「いや~…この町は噂通りに曇ってるんだなー。驚いた驚いた」
「観光で来た人は皆、最初は同じことを言いますね」
「やっぱ夜もあんな空で?」
「はい、まあ…」
「じゃあお月さんとか見えないのか?」
はい。とエスタは頷き答える。
男は顎下の無精ひげをなぞりながら、「それは勿体無い」とぼやいた。
するとそこへルイスが戻って来た。
彼の持つバスケットには作り置きしていたパンが幾つか入っている。
とは言ってもそれは形が悪かったり中身が出てしまったりして売り物にならなくなった―――所謂ハネ品ばかり。
そんな品でも売って欲しい、という人もいるため、品物が少なくなるこの時間帯に格安で売っているのだ。
バスケットのパンを見るなり男は目を開き、口笛を吹いた。
「ほぉ~、見た目はなんだが焼き加減も悪くないし、香りが最高に良い」
軍都の一級パン屋にも引けは取らないんじゃないか。
そう言って男は上機嫌でパンを一つ二つ手に取った。
「それは形が悪いものなんで、半額でいいです」
口角を上げて見せるエスタであったが、一方で男が放つ煙草の匂いに内心眉を顰めそうになる。
客の中にも時折煙草の匂いを漂わせている者もいたが、それでも工場の排気ガスやオイルの臭いには負ける。
しかし目前の男に染み付いた煙草の匂いは、そう言った人たちとは違っていた。
汗も、オイルもガスもない。
純粋な煙だけの匂い。
エスタはこの男の放つ匂いが、どうにも好きになれそうにはなかった。
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